第25話 私の身体に流れるものは 解答編




「……そう言えばリンネさん、お聞きしたいことがあるのですが」

「何かな? 僕で答えられることならば答えるつもりだけど……」

「では遠慮なく。……あなたは何処まで気付いていらっしゃるんですか?」

「…………何処までって?」

「とぼけるつもりならば結構です。私の推理をお聞かせしましょう。……連続殺人というのは数を重ねれば重ねるほどに証拠が増えていくものです。証拠ではないにせよ、論拠が増える。究極的には自分以外の全てを殺し尽くした場合ですが、その場合、間違いなく生き残った人間が犯人です」

「極論だね」

「はい、極論です。ですが理屈はそういうことです。実際、地理的プロファイリングはそういう側面があります。犯行場所から犯人の住処を割り出す。人が殺されれば殺されるほど、犯人を追い詰めやすくなる……。さて、これまでの五件の犯行で一つ、はっきりと立てられる推測があります。それは『犯人は学生である』ということです」

「どうしてそう思うのかな」

「犯行時刻が夜に集中しているからですよ。昼は学校があるので自由に動けない。必然的に、犯人は学生ということになる」

「昼に自由に動けないのは社会人も同じじゃないかな? それに、一件目の事件が起こったのは白昼のはずだろう?」

「そうですね。ですがその一件目の事件こそが犯人学生説の最大の論拠でもあります。一件目の犯行は平日の昼だった。何故か。……春休みだったからです。被害者が春休みで自宅にいたのと同じように、犯人も春休みで昼間の時間帯も自由に動くことができた」

「社会人でも有給を使えば平日は休めるし、このご時世、勤務時間が平日の昼で確定しているのは公務員か銀行マンくらいのものな気がするけど……」

「そもそも俗に社畜なんて呼ばれる方々なら早朝であろうと深夜であろうと仕事ですからね。世知辛い世の中です。……閑話休題しましょう。私が犯人が学生だと思う理由のもう一つは、一件目の事件の塀です」

「塀?」

「はい。私は先ほど、『犯人はこの塀を乗り越えて家屋内に侵入した』と話しましたよね。二メートルのコンクリート塀を、学生が乗り越える方法……。もうお分かりでしょう? 犯人は自転車を使ったんです。塀沿いに自転車を停め、そのサドルや荷台を足場にして塀を乗り越えた。空き巣の手口ですね、二メートル程度の塀なら慣れれば三秒足らずで乗り越えられます。そうして敷地内に侵入した犯人は鍵の開いている窓を探して家の中に入った。全ての窓が施錠されていたとしても窓を割れば良いだけですからね」

「帰る時は家の中の予備の鍵か、見つからなければ被害者が持っている鍵で堂々と帰ればいい、か」

「その通りです。……ところでリンネさん、ヴァン・ダインが生み出した名探偵であるファイロ・ヴァンスが『物的証拠や状況証拠は当てにならない』と発言していることをご存知ですか?」

「僕は寡聞にして知らないかな」

「ふふ、そうですか。まあご存知ないのならばそれで良いのですが、ファイロ・ヴァンスは幾つか興味深い発言をしています。『危なっかしいのは、どのような犯罪に取り掛かるにせよ、犯人は間抜けかとんでもなくヘマだと頭から決めて掛かっていることだ』――こういった風にです。つまり、刑事が気付く程度の証拠ならば犯人だって気付くだろう、ならその証拠が信用に足るものかどうかなんて疑わしいじゃないか、と。一理あるとは思いませんか?」

「じゃあアルマさん、君はこう言うわけかな? 『犯人学生説は犯人のミスリードである』と」

「いえ、話はそう単純ではないんですよ。恐らく犯人は学生です。というよりも、正確には、犯人が本格的に嘘の証拠を残し始めたのが二件目以降なんですよ」

「二件目……ということは、女子高生が殺された事件からかな?」

「その通りです。事件現場の電柱に残っていた煙草を押し付けた跡が犯人が残した偽の手掛かりです。そもそもリンネさん、おかしいとは思いませんか? 人を殺して、のんびり煙草を吸って、剰えそれをそこらに押し付けて消す、という行動は。常識的に考えれば犯行現場からはさっさと立ち去るべきでしょう?」

「人を殺した直後に煙草を吸ってリラックスしていることが犯人の異常性を示している、とは考えられないかな?」

「そのような大胆不敵な、自分が捕まると微塵も考えていない人殺しならば、煙草を電柱に押し付けて消すような真似はせずその辺りに放り捨てるでしょう。第一、犯行当時は雨が降っていたんですよ? 吸い殻なら排水溝にでも捨ててしまえば良いじゃないですか。雨が降っていたというのに、その雨で洗い流されないような場所に煙草を押し付けた跡があった――それこそが不自然なんです」

「……確かにそうかもしれないね。でも犯行前に吸っていた可能性もあるよね」

「その可能性も勿論あるでしょう。ですが、四件目の現場に残されていた灰はもっと奇妙です。室内に土足で入り込み煙草を吸うような人間ならば灰だけではなく吸い殻も部屋に捨てていくでしょうし、証拠隠滅しようと吸い殻を持ち帰る程度の頭がある人間ならばまず以て犯行現場で煙草なんて吸わないはずです。違和感を覚えるのは私だけでしょうか?」

「まあ、僕も変だとは思っていたよ」

「そうでしょう? だとしたら『煙草の灰は犯人が残した偽の手掛かりである』という私の推理もあながち馬鹿にできたものではないと思います。こうなってくると、その被害者のOLの部屋に残されていた靴の跡も怪しいものですよね。いくらベランダから侵入したとは言え、ベランダで靴を脱げば良いだけの話じゃないですか。待ち伏せなんですから逃げられる心配もなかったでしょうし」

「いやでもアルマさん、足跡が偽の手掛かりだとしても靴のサイズは誤魔化しようがないんじゃないかな」

「リンネさんは男の方なので分からないかもしれませんが、女性誌などではワンサイズ上の靴を履く方法が紹介されたりもするんです。気に入ったデザインだけど自分のサイズに合わない、ということはよくあることですから。方法としては詰め物をするだけの単純なものですがね。ですがその方法で一、二センチ程度ならば自分の足よりも大きな靴を履くことができます。そして靴のサイズを誤魔化すことができれば、警察の発表する身長の推定も間違ったものになる。それが犯人の狙いです」

「なるほど……」

「ところで、リンネさん。また話が逸れてしまいますが、ミステリファンのジョークにこんなものがあることをご存知ですか? 曰く、『ミステリの世界には両利きの人間が存在しない』と」

「両利きが存在しない?」

「はい。何故両利きの人間が存在しないか。それは両利きの人間の存在を認めてしまうと、利き腕に関するトリックの説得力がなくなってしまうからですよ。刺し傷が何処にあったとか注射跡がどちらの手だとか……。そういうギミックの説得力がなくなる。『犯人が捜査を撹乱する為にわざと利き腕とは逆の手で刺したんじゃない?』と言われてしまうと困るでしょう?」

「確かにそうだね。衝動的な殺人ならば利き腕で刺したり殴ったりするだろうけど、推理小説の事件は咄嗟の殺人は少ないだろうしね。加えて、僕も武道をやるから分かるけど、仮に咄嗟のことだったとしても、状況によっては利き腕とは逆の手で相手を殴ることはある。むしろ武道や格闘技の経験者なら、咄嗟の時に必ずこちらの手が出てしまう、ということがあまりない気がするな。そんな癖があれば試合に勝てないだろうし」

「私もそう思います。尤も、利き腕の話はジョークです。ですが冗談にもならないことに、この事件の犯人は警察を試したんですよ。つまりは『右利きの人間が左手で人を殺したとして、警察はそのことに気付くだろうか?』と。最初の一件目の事件で犯人が行ったミスリーディングがそれです。犯人は右利きであるのに、わざと左手で被害者を刺した。警察が気付くかどうかを試す為に」

「面白い考えだけど、ちょっと根拠が弱い気もするな。単に、左利きの人間が犯人、という可能性はないの?」

「私が犯人が右利きであると思う理由のもう一つは事件の頻度です。……シャーロック・ホームズと同じ時代にイギリスを震撼させた切り裂きジャックがあまりにも有名なせいで勘違いしがちなのですが、現実世界での『無差別殺人』と言えば、もっぱら銃の乱射か放火なんですよ。次点で歩道やスクランブル交差点に自動車で突っ込むくらいです。『理由なんてない。ただ退屈だっただけ。月曜日は嫌いなの』――登校中の小学生に向けて銃を乱射した有名な殺人鬼の言葉ですね。とにかく、ナイフ片手に夜を跋扈し人を切り裂く殺人鬼なんて現実世界じゃレアな存在だということは分かって頂けるでしょう。漫画やラノベじゃないんですから」

「それはそうだろうけど、それが右利きとどう関係するのかな?」

「分かりませんか? 事件の間隔が空き過ぎているんですよ。現実の無差別殺人はある日突然人混みに向けて銃を乱射し、その直後に自殺か射殺で終わるもの。そうではないとしても、もっと間隔を詰めて行われるものなんです。一人目を殺し、何ヶ月も音沙汰がなく、そうかと思えばまた殺し、また潜伏し……。ジキル博士とハイド氏のような二重人格なら分かりますが、不自然に思いませんか? だから私はこう考えました。『犯人は事件を起こし警察を試した。自分を捕まえることができるかどうか。三ヶ月以上経っても捕まえられそうにないので、また事件を起こしてみた』――この繰り返しです。だからこそ、回を重ねるごとに嘘の証拠を多く残すようになっていった。私の推測では四件目の被害者の部屋のトイレは面白いことになっていたはずです」

「トイレが?」

「はい。恐らく便座が上がっていたはずです」

「被害者は女性だから、便座が上がっているということは犯人は男性――と見せ掛けて、女性、ってことかな?」

「仰る通りです。要するに、真逆の証拠を残しているんですよ。被害者と無関係ならば関係者に見える証拠、右利きならば左利きに見える証拠、非喫煙者ならば喫煙者に見える証拠、女ならば男に見える証拠、と……。次辺りコンタクトレンズを落としていくかもしれませんね。さて、犯人が女だとすれば二件目の事件でどうして被害者があっさり殺されたのか分かりやすいんじゃないですか? 年頃の女子ならば人気のない夜道は少なからず警戒します。見知らぬ男性が道に立っていたり、後ろを歩いていたり、すれ違ったりする場合は尚更です。ですが、被害者の女子高生はほとんど抵抗した様子がなかった」

「その理由を警察は『恋人のような親しい間柄の相手からいきなり襲われたからではないか?』と考えたけど、実際は、」

「そう、相手が女子だったからです。それも恐らく年下の。犯人が後をつけたのか待ち伏せしていたのかは分かりませんが、どちらにせよ自分より年下らしい女子にいきなり襲われるなんて考えもしないでしょう?」

「確かにそうかもしれないね」

「加えてこれは推測ですが、犯人は雨合羽を着用していたのではないでしょうか。首の右側を切ったということは、恐らく被害者に後ろから襲い掛かり、バックチョークのような形で動きを止め、左手のナイフで頸動脈を切断した。普通こういった場合、被害者の爪の中に抵抗した際に犯人の皮膚の一部が残るものですが、雨合羽を着ていたのならばその心配もない。勿論返り血もです」

「そして、犯人が自転車に乗った学生だとすれば雨合羽を持っているのが自然、と」

「その通りです。……さて、恐らくリンネさんも気付いていらっしゃるでしょうが、四件目までの事件と五件目の事件には明確に違いがあります。事件の間隔が短いことと事件が起こった場所がこれまでの法則と外れていること、凶器が異なっていること、二人の人間が殺されていること、にも関わらず生存者が一人いること……。『回を重ねるうちにただの殺人では満足できず、より沢山の人間を殺すより派手な事件を起こしたくなった』という推測もできるのですが、それだと生存者がいることが不自然です。それにしても、通りすがりの刑事さんがいなければ死んでいるはずだった、と言われてしまえばそれまでなのですがね。ですが私は、四件目までの事件と五件目の事件は事情が異なっていたのだ、という意見を推しておきます」

「…………」

「ふふ、リンネさん。そんな顔をする必要はありませんよ。あくまでもこれは推測の話なんですから。……私達は他人の心が分からない。感受性に優れるあなたにしたって、他人の全てを理解できるわけではない。だとすれば、事件の動機なんて、その犯人にしか分からないんです。空想の探偵は真実なり真相なりを見抜くものですが、そんなものは所詮、当人だけのものなんですよ。この事件から学べることはそれくらいのものです」

「……そうだね。そうかもしれない。でも……。……いや、もう時間だ。椥辻刑事を待たせるわけにはいかないし、そろそろ行こう」

「はい。それにしても、楽しみですね。椥辻刑事とお会いするのも、犯人と会うのも―――」


 





 漫画の主人公のように周囲から愛されることはなく


 どころか普通に育つことすらできず


 両親や教師には自分の評価を高める道具として使われ


 中途半端に優れた頭と身体を抱えて


 何も望まず


 一方的に望まれて


 誰も分かってくれず


 他人のことなんて分かりたくもなく



 ……いつも、私はヒトリキリで



 だから


 私は、





「だから、あなたは人を殺そうと思った――そうですね?」



 尾行されていると気付いたのは随分前のこと。

 家から出てすぐのことだった。

 半信半疑だったが、こうして声を掛けられた以上、どうやら間違いはなさそうだった。


 時刻は夜の十二時を過ぎたところ。

 場所は街の外れ、人気のない高架下。

 この綺麗な声の主は私が人殺しの鬼だと気付いているらしい。

 ただ、それにしてはお笑いだと思いながら振り返る。

 どうして私のような殺人鬼に、夜遅い時間帯に誰もいない場所で、声を掛けたのか。

 まさか、自分だけが死なないと――殺されないと思っているわけでもないだろうに。

 人はあんなにも簡単に死ぬというのに。


「えっと……。何のことでしょうか?」


 振り返って声の主の姿を視界に収めながら、義務的にとぼけてみせる私。

 そう、ただの義務でしかない。

 ドラマや映画の人殺しと同じように、空想の悪役がそうするから、やってみただけだ。

 でも目の前の相手の蒼い瞳を見て理解する。

 そういう余計な振る舞いは無駄であると。

 彼女は、私が犯人だと確信しているのだから。


「とぼけるのならば、もう一度宣言しましょう。……あなたが、最近話題の連続殺人事件の犯人です」

「私が犯人。なら、あなたは名探偵ってこと?」

「そう。私が名探偵、つまりはホームズ役です。そして一里塚優子さん、あなたが犯人です」


 今の私の名を呼んだ彼女は、何処か、私と似た雰囲気の少女だった。

 いや「少女」だなんて言い方は失礼だろう、恐らく目の前の相手は年上だ。

 それにしても似ていると思う。

 私と同類、同系統だ。

 ダークブラウンの髪も、怜悧な瞳も、顔立ちも、女子としては背が高いことも、何よりも内面が近い気がする。

 見えもしない心の在り方について断言するのもどうかと思うので、あえて外面だけに注目して感想を述べれば「顔の作りでは向こうが一歩リード、胸の大きさでは私の勝ち」という感じだ。

 そんな彼女はショールを羽織り直してから言った。


「それにしてもあなた、大胆ですね。人殺しでありながらこの時間帯に外出するなんて。警察官の方に声を掛けられたらどうするんですか?」

「……別に、どうもしないよ。適当に嘘を吐いて見逃してもらうか、それが無理そうなら実力行使に打って出るだけだから」


 人を殺すようになって私が学んだことの一つは「不意討ちならば大抵の相手は殺せる」ということだった。

 完全に意表を突いた場合は勿論のこと、刃物を見ただけで身体が固まって逃げられなくなる人間は結構いるらしいのだ。

 きっと普通の人間は死を意識して生きていないからだろう。

 自分が死ぬなんてことを考えたこともないから、咄嗟に判断が遅れるのだ。


 さて、この人はどうだろう?

 私と同類らしい彼女は。


「さて、空想の名探偵らしくあなたの殺人の手口を一つ一つ解説していっても良いのですが、別に大した謎もないので気が乗りません。大体、よくよく考えてみれば殺人鬼と対決するのは名探偵の役目というより、ラノベの主人公かドラマの名刑事の役目ですよね。まあですが一応、残っている謎を解き明かしておきましょう。あの子に語って聞かせなければなりませんし。……で、人殺しさん」

「なんでしょうか、メータンテー」

「煙草とサバイバルナイフは何処で入手したんですか?」


 なんだ。

 何を聞かれるかと思ったが、そんなことか。


「どっちも拾った」

「拾った?」

「そう。正確に言うと、煙草の方は学校の生徒指導部にあった、先生が生徒から没収した物の一つを拝借した。ナイフの方は、ゴミ捨て場に新聞紙に包まれてデカデカと『サバイバルナイフに付き注意』と書いてあったものを拾った」

「……なるほど。他人が捨てた物を使えば足が付かないのは間違いないですが、ドラマチックさに欠ける真相でしたね。やはり現実はミステリのように綺麗に伏線は回収されないようです」


 やれやれ、と言った具合に彼女は笑う。

 嫌な笑い方だった。

 表面上は穏やかなのに、その裏に隠された傲慢さと驕慢さがまるで隠せていない。

 人を小馬鹿にした微笑に苛立ちを覚えながらも私はスクールバッグからそれを取り出し、彼女に向けて見せた。

 あの時捨てることになったナイフの代わりの凶器を。


「で、一回り小振りだけど、もう一本ナイフを持っていたりするんだな、私は」


 バッグを冷たいコンクリートに置き、しっかりと相手を見据える。


「……左利き」

「え?」

「今、あなたは左手でナイフを持っていますね。私はてっきり、あなたは右利きだと考えていたのですが」

「どうしてそう思ったのかは分からないけど、私は左利きだよ。箸も鉛筆も右手で持つけれど、左利き」

「なるほど、そういうことでしたか」


 ……うん。

 二人きりになる為に気を付けて道を選んでここまで来たけれど、改めて確認してみてもやはり周囲に人の気配は伺えない。

 殺しても問題はない。

 むしろ、殺さないことの方が問題だ。


「私を殺すつもりですか?」

「殺すよ」

「何故?」


 何故?

 真剣な表情でそう問われて、思わず私は一瞬言葉を失った。

 何故も何も、真相に辿り着いた人間を始末してしまうのは殺人犯として当然の行動じゃないだろうか?


「いえ、そうではありませんよ。私は、あなたの基準では殺されない人間だと思うんですよ。中年教師、女子高生、無職の男性、OL、そして一般的な家庭の親――これら、一見全く関係がないように見える被害者には明確な共通点があります。まあ、ミステリで言うところの『ミッシングリンク』ですね。尤も、ミステリのように劇的なものではありませんが……」

「……ふぅん。じゃあメータンテー、その共通点とは?」


 促しながら、一歩前へ。

 金網を背にした逃げにくい状況ながらも、距離を詰められたことを気にした風もなく彼女は続ける。


「単純な共通点ですよ。連続殺人事件で殺された人間は全員、何らかの罪がある人間だった。要するに悪い奴ですね。『こんな奴は死んでもいい』とあなたが思った相手――それこそが被害者の共通点です。色々と調べてみましたが、恐らくそういうことでしょう? 一人目は生徒に対する強姦と脅迫、二人目は痴漢冤罪のでっち上げ、三人目は店での迷惑行為、四人目はかつてのいじめの主犯、そして最後の事件の被害者は子どもを虐待する親。どれも法的に罪にこそ問われていませんが、悪い奴です」


 殺されて当然なほど悪い人間かは分かりませんがね、と小さく笑う。

 それは被害者への同情がまるで伺えない表情。

 殺される方が悪い。

 そう言わんばかりの顔を彼女はしていた。

 私よりも、余程犯罪者らしい表情だ。


「勘違いしてはいけないのは、あなたは別に正義感から人を殺しているわけではないということです。何処ぞの許されざる捜査官とは違い、先に『殺人』という目的があり、そのターゲット選びの基準として『悪い奴』を選んでいるに過ぎません。実際問題としてこの日本には一億人以上の人間がいますし、『殺しやすい人間』という基準で選んだとしても数十人単位までしか選別できませんし、何より―――」


 「ゲームは縛りプレイの方が、愉しいですからね」。

 ……驚いた。

 ここまで似ているとは。

 彼女の言った通りだった。

 ゲームは縛りプレイの方が愉しいのだ。

 それに、どうせ遊ぶなら、他人が喜ぶような遊び方をしたいと思ってもおかしくはないだろう。


 実際にあの無職の男を殺した後、あの男がしょっちゅうクレームを付けていたコンビニの店員達は面倒な客がいなくなったと喜んでいた。

 私は良いことをしたつもりはないけれど、自分の行ったことが結果的に良い結果に繋がったら喜ぶ程度の感性は持っている。


「……一人目の奴については私の学校では有名な話。二人目は街角で『また金を巻き上げてやった』と大声で自慢しているのが耳に残った。三人目はよく行くコンビニで店員に怒鳴り散らしているのをしょっちゅう見た。四人目に関しては噂で聞いた。五人目と六人目は……言うまでもないよね」

「ええ。あの夫婦の隣の家に住み、しかも自分の部屋が二階にあるあなたなら、虐待の様子を目撃していてもおかしくありませんから」

「気持ち悪くなるくらいに冷めた家だったよ。ネグレクト、って言うのかな。直接的に手を上げる場面は見たことがないけど、あれは明らかに親が子にする態度じゃなかったな」

「両親のあなたに対する態度と同じように、ですか?」


 呼吸の仕方を間違えたのか。

 吸い込んだはずの春の夜風は肺に入ることはなく、身体を通り抜け呼吸が止まった。

 改めて私は目の前に立つ彼女の目を見る。


 何処か虚ろな、蒼の瞳。


「別に驚く必要はありませんよ。ただの、当てずっぽうです。外れていたとしたら申し訳ありません。当たっていたとしたら失礼しました」

「……別に、そういうわけじゃない」


 もう一歩。

 動揺を抑え付けるようにして、足を踏み出す。


「私を殺そうとするのは構わないのですが、まだ聞きたいことが残っています」

「…………なに?」

「実のところ私の中で答えは出ているのですが、一応、あなたの口から聞いておきたいんですよ。どうして人を殺したのか、その理由を」

「別に大した理由はないよ。ただなんとなく、やってみたかったからやっただけ。退屈だったしね。ドラマなんかじゃ刑事がカッコ良く犯人を捕まえるけど、実際はどうなんだろ?って興味もあったし。深い理由はない。残念だったね。納得出来ないのなら『受験勉強のストレス』ってことにしておいて」

「そうですか」


 とてもクールに彼女は首肯し、言った。


「まあ、そんな風なことを言うと思っていましたよ。あなたみたいな子どもは」

「……何だって?」

「予想通りの回答だと言ったんです。……まったく、笑ってしまうほどくだらない。もしかしたら私の同類かもしれないと思ってこうして直接対峙してみましたが、やはり違いますね。あなたはただの子どもです。何処にでもいる、ただの子ども。笑ってしまいますね」


 彼女は笑みを浮かべていた。

 けれど、その笑顔は先ほどまでのものとは全く違う。

 穏やかさの欠片もない。

 尊大で不遜なこちらを見下す態度を隠しもしない、紛れもない嘲笑だった。


「……ふーん、そう。人殺しを『ただの子ども』呼ばわりするなんて、結構なことだね」


 苛立ちながらの私の言葉にも彼女は笑う。


「まあ、確かにそういう意味では普通の子ではありませんね。ただ、私が今言っているのは内面の話ですよ」

「内面?」

「はい。あなたの内面がただの子どものものだと言っているんです」

「何を言って、」

「例えば――『人を殺す』というそれ自体が目的だというのに、どうしてあなたは女子供を狙わなかったのか。誰でも良いから殺したいと言うのならば殺しやすい奴から殺していくべきでしょう? そう、例えば幼稚園児とか。どうしてわざわざ大人を? しかも何故わざわざ条件を付けて?」


 彼女は笑う。

 全てを見抜くように。


「凶器も気になりますね。殺人自体が目撃ならば凶器なんてなんでも良いじゃないですか。シャーペンでも包丁でもその辺りの石でも。むしろ凶器なんて変えていく方が別の事件に見せ掛けることができて捜査を撹乱できるでしょう? なのに何故、大振りなサバイバルナイフという特徴的な刃物に拘っていたのか」


 彼女は嗤う。

 全てを見通すように。


「頻度や殺害方法もおかしいですよね。本物の異常者ならばもっと頻繁に、もっと大量に、もっと残酷に人を殺さなければおかしい。あなたは被害者を犯すこともバラすことも食べることも何もしていない。殺人自体が目的なんでしょう? なら折角ですし、色々やる方が愉しいと思いませんか?」


 彼女は哂う。

 全てを見透かすように。


「……何が言いたい」

「別に、何も言いたくはありませんよ。ただ私が言えるのは、あなたはあなたが思っているほど異常で特別な人間ではないということです。ありきたりで、ありふれていて、つまらない……。だから、ただの子どもだと言ったんです。ただ人を殺した、ただの子ども」


 要するにあなたは『殺人犯』ではあっても『殺人鬼』ではないんですよ――なんて、彼女は笑う。

 嗤う。

 哂う。


「あなたは自身の殺人の動機を『退屈だった』とか『なんとなく』と語りますが、実際は異なります。実際の動機はただの肥大化した自尊心と承認欲求です。自分を認めて欲しい、自分を見て欲しい――その強い感情が歪んだ形で出ただけです。最も社会を騒がせることができるのが殺人と判断しただけです。本当は漫画の主人公みたいに誰からも愛されて認められたかったのにそれが無理だったから殺人を選んだだけです」


 ……違う。


「違いませんよ。だからこそ、凶器は同じ物である必要があったんです。だって誰かが連続殺人だと気付かなければ話題になりませんからね。わざわざ悪い奴を選んで殺したのはついでに褒めて欲しかったからですか? 偉いなー、凄いなー、って。私も褒めた方が良いですか?」


 違う。


「だから違いませんよ。あなたはただ自分を認めて欲しく、見て欲しかっただけ。だから『ただの子ども』だと言ったんです。ネットにエロい自撮り写真を上げて反応を貰うことで喜んでいる女子中学生と同じです。駅前のリーマンに身体を売ってお金を貰うことで自分の価値を確かめている女子高生と同じです。卑猥ではない例えなら、過激な発言をして注目を集めようとしてる愚か者と全く同じ精神構造です。殺人鬼でも異常者でも何でもない、ただのつまらない何処にでもいる子どもです」

「違う!!」


 声を荒らげた私に対し、あくまでも彼女は平然としている。

 もう、一歩踏み出し片手を振るえば喉元を掻き斬れる距離だ。


 そんな状況であって尚、彼女は微笑んでいた。

 きっと彼女は誰に敵意を向けられたとしてもこうして笑ってみせるのだろう。

 そしてその態度が何よりもムカついた。


「違わないと言っています。私をすぐに殺さないことこそ最大の証拠です。あなた正直、殺人に飽きてるでしょう? いえ厳密には誰かに堂々と自慢したくなっているんです。私がやったんだと。私がアイツらを殺したんだと。だから、自分のことを犯人だと見抜いている私の質問には嬉々として答えた。自分の犯罪を存分に自慢できる折角の機会ですからね」

「……いい加減にしろ、さもないと、」

「『さもないと』――なんですか? 私を殺すんですか? いい加減にしていたとしてもどうせ殺すつもりでしょう? まあ、あなたに私は殺せないと思いますがね。どうしました? 怖気付きましたか? 私は空手ですよ? 刺しても切っても死にますよ? ほら、殺してみなさい。ほら、ほら、ほら、ほら―――」


 心の奥底に溜まっていたドロドロとした感情が身体中を駆け巡り視界を染める。

 人を殺す度に薄まっていったと感じていた行き場を失った憎悪が身体を動かす。

 一歩踏み込み腕を振るう。

 相手の背には金網。

 逃げられない。

 次の瞬間には彼女の白い首から鮮血が噴き出し闇夜を染めるだろう。

 だが、そうはならなかった。

 私の攻撃を一歩前に出ながら退屈そうに片手で受けた彼女は同時に鋭い前蹴りを繰り出した。

 腹部に走る痛みに耐えながら、なんとかナイフを落とさないようにしつつ後退する。


「辛そうですね。こちらとしてはかなり手加減したつもりなのですが。……あなたが何件もの事件を起こした殺人犯ならせめて私のショールを落とすくらいのことはしてください。そうしたら私は『お嬢さん、これはショールを落とすゲームじゃないですよ』と言いますから。無論、冗談ですが」


 再びショールを羽織り直した彼女は続ける。


「ああ、申し訳ありません。まだ少し待って下さい。折角の人殺しとの対決シーンだというのに決め台詞を考えてくるのをすっかり忘れていました。あの子もガッカリですね。まあでも仕方がありません。今日のところは台詞の引用で済ませましょう」


 そうして彼女は親指で自分を示す。

 全く似合っていないポーズをしながらも、盛大に見得を切って、彼女は言う。


「『推理小説の絵解きのシーンってよ――名探偵が一方的に犯人を断罪するじゃん。ありゃ一種のリンチだよな? 正義の御旗の下、一方的に悪を裁くっつーかよ――あたしはそんな真似はしねえ。犯人にも、ちゃんと反撃のチャンスをくれてやる。正々堂々と、威風堂々と戦ってやる』――どうでしょうか?」

「…………はっ。さいってー」


 私の正直な感想にも彼女は笑うだけだった。


「ふふ、ならやはり正直な私の気持ちを述べることにしましょう」


 一拍置いて、彼女は言った。


「……自分が特別な人間だと言うのなら、自分が異常な人間だと言うのなら、私を殺してそれを証明してみなさい。五人殺した程度じゃ誰も特別だ異常だなんて認めてくれはしませんよ。数日ワイドショーを騒がせるのが関の山、すぐに世間はあなたのことを忘れ、最後には学者の本に事例として出てくるだけになります。『殺人は数によって神聖化される』――喜劇王の言葉くらい知っているでしょう? だから、私を殺してみなさい。私を殺して、自分の存在を証明してみなさい―――」


 それが開始の合図だった。

 私が初めて経験する、『殺し』ではない、『殺し合い』の始まりだった。







 身体中が痛かった。

 腕が喉に伸びてくるのが分かった。

 「ああ、この人は私を殺す気なんだ」。

 そう理解すると同時に痛みに苦しむ意識が彼女の声を拾い上げる。


「―――あなたに七秒差し上げます。精々一生懸命考えてみてください。何人もの人間を殺した自分が、どうして生きているのかを――では、一」


 痛い。

 苦しい。


「―――二」


 私、死ぬの?


 嫌だ。

 死にたくない。


「―――聞こえません。三」


 嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ。


「―――四」


 何も分かってないのに。

 自分が何者かも。

 どうして生きているのかも。


 まだ、何も。


「―――五」


 ごめんなさい。

 謝ります。

 私が悪かったです。

 許して。


「―――六」


 嫌だ。

 嫌だ。

 こんなのは。

 まだ何も分かってないのに。

 何もしていないのに。

 私は、私は、私は―――。







 もしかしたら、と思っていたが、残念ながら違ったようだ。


 目の前に倒れる少女を見下ろしながら一人思う。

 あの憎くも愛らしいエロガキと同じように私を愉しませてくれる、私の同族――つまり私や彼と同じ天才なのではないかと期待していたが、結果はこの通り。

 結局私はショールを落とすことすらなかった。

 何件もの殺人を重ねた手際は女子高生らしからぬ才能を伺わせるものだったが、直接対峙してみればこんなものか。

 十分以上一方的に殴打されて音を上げなかったのは大したものだが、それだけだった。

 才能がないのか。

 あるいはそれを研磨する環境がなかったのか。

 私と彼女は似ているが、彼女とは違って私には張り合うことのできる友人や超えられない兄がいる。

 この結果はその差なのかもしれない。


「……もう終わりですか?」


 問い掛けに答えはない。

 深夜、荒い吐息だけが耳に届いていた。


「終わりだというのなら、殺してもいいんですよね? 私は、あなたを。『撃っていいのは撃たれる覚悟のある人間だけ』――言うまでもないでしょう? あなたは人殺し。あなたの基準で考えれば『殺されても仕方ない人間』です。だから、私はあなたを殺します」


 やはり返事はない。

 沈黙を了承と捉えて横たわる彼女の腹部を蹴飛ばし、仰向けにする。

 そうして彼女の上に馬乗りになり、私はその細い首筋に手を伸ばした。

 劣情が刺激されるも遊んでいる時間はないので頸動脈を締め始める。


 カウントダウン開始。


「あなたに七秒差し上げます。精々一生懸命考えてみてください。何人もの人間を殺した自分が、どうして生きているのかを」


 一。

 二。

 微かに唇が動いた気がする。


「聞こえません」


 それだけ答えて更に力を込める。

 三。

 四。

 五。

 六。


 七――と数え終わった瞬間、私の腕を誰かが掴んだ。

 万力のような力で骨を圧迫され、痛みに顔を顰めながら少女の首から手を話し、彼の方を向いた。


「……遅かったですね、リンネさん」

「……アルマさん……!」

「あと、もう私は手を放しましたから、あなたも手を放してください。痛いです」


 肩で息をするリンネさんはゆっくりと手を放した。

 穏やかな人ほどキレると怖いと聞くが、今の彼は普段の穏やかな彼ととても同一人物とは思えない。

 端正な顔立ちは怒りに歪んでいる。

 鬼の形相、とはこういう顔のことを言うのだろう。

 殺人鬼よりも余程恐ろしい、人の心が分からない私でも多少の恐怖を覚える、彼の表情。


「そんなに怒らないでくださいよ、リンネさん。頸動脈を七秒間締めただけです。意識こそ飛びますが、後遺症は残りません。無論これくらいで人間が死ぬわけもありません。あなただって知っているでしょう?」


 彼の背中にそう言葉を掛ける。

 コンクリートに横たわる件の人殺しの少女の脈や瞳孔を確認していたリンネさんは「知っているけど」と小さく呟く。


「それにしても遅かったですね、リンネさん。私が夜中に家を抜け出すことを見抜いていらっしゃらないとは思いませんでした」

「……君は勘違いしてるみたいだけど、僕は他人の心が読めるわけじゃない」

「そうですか。それはそうと、そんなに怒らないでくださいよ。相手は人殺しなんです。警察に捕まる前に多少は痛い目に遭った方がいいでしょう?」

「私刑の是非とか、そういう議論を君とするつもりは全くないし、そもそも君はちょっと勘違いしてる」

「勘違い?」


 リンネさんは言った。

 静かながら怒気を含んだ声音で。


「殺人犯と言えど年下の少女を一方的に殴り倒したことも僕は怒っている。……けど、それ以上に病人なのに勝手に家を抜け出し、一人で殺人犯と対峙するようなことをした君のことを心配して、怒ってる」


 私としたことが、一瞬何を言われたのか分からず、素で驚いてしまった。

 彼がこちらを向いていなくて良かった。

 でも、仕方ないだろう。

 まさかそんなことを言われるなんて思っていなかったのだから。

 どれだけ善人だと言うのだろう、この男は。


「……君の家の細かな事情は分からない。だから君の家族や使用人みたいな人達がどれくらい君のことを想っているのか僕には分からない。でも、少なくとも僕は心配した。冗談じゃなく血の気が引いたし、心臓が止まるかと思った。心配した」


 そこでようやく彼は振り返った。


「だから、大人として君を怒る前にこれだけは言っておこうと思う。……アルマさんが無事で良かった」


 その表情はいつもと同じく、片田舎の教師のように穏やかで、人を心の底から安心させるようなものだった。

 そして同時に、彼がどれほど本気で私のことを心配していたのかがストレートに伝わるような、そんな表情だった。

 私がもう少し愚かだったなら、ひょっとしたら彼のことを好きになってしまっていたかもしれない。

 そんなことをふと思った。


 感受性が優れる彼にその馬鹿な感情を読み取られまいと、私は口端を歪め、私らしく尊大に不遜に言ってみせた。


「笑ってしまうほどのお人好しですね、あなたは。こんな殺人犯程度に私が殺されるわけがないでしょう?」

「……勿論、そういう意味では信頼はしていたけどね」


 そう穏やかな彼の笑顔は私の兄によく似ていた。

 兄よりももう少し未熟そうで、だからこそ人間味のある笑み。


「じゃあ、帰ろうか」


 リンネさんは落ちていた凶器をハンカチで拾い上げ、鞄に仕舞うと、未だ意識を失ったままの人殺しの少女を背負う。


「用事は済みましたし帰ることに異論はありませんが、それはともかく、その少女を連れて行く必要がありますか?」

「病院までは運んであげないと駄目でしょ。その後は……やっぱり、警察かな」

「別に、病院なんて勝手に行くでしょう?」

「そういうことじゃないよ」


 と、夜道を歩き始めながら彼は言う。


「多分、この子、大人に優しくされたことがないから。……だからせめて、大人としてそれくらいの優しさは見せてあげたいから」

「……馬鹿ですね、あなたは」

「そうかな?」

「そうですよ」


 そう。

 二重の意味で救いようのない馬鹿だと思う。

 馬鹿みたいなお人好しで。

 また、彼女と同じであのことに気付いていないのだから、ストレートに馬鹿だ。


「あのですね、リンネさん。一度彼女の来歴を調べてみるといいですよ。面白いことが分かるはずです」

「面白いこと? 君の言う面白いことは僕の思う面白いことではない可能性が高いからなあ……」

「失礼ですね、人を人格破綻者みたいに」

「ごめんごめん。……ところでアルマさん、僕の推理を聞いてもらっても良いかな?」

「推理ですか?」


 私がそう返すと彼は「そう」と首肯する。

 月明かりの照らす道、病院まではまだまだ遠い。

 タクシーを拾える大通りに出るまででも時間が掛かるだろう。

 ……いや、この時間では無理か。

 なら、彼の推理とやらを聞いてみるのも面白いかもしれない。


「良いでしょう。聞いてあげますよ」

「ありがとう。じゃあ、何処から話そうかな……。アルマさん、君はたまに『私は人の心が分からない』って言うよね」

「言いますね。実際に分かりませんから」


 私には他人の心が分からない。

 仲の良い相手ならば多少思考を読むことはできるが、そういうことではなく、つまりは感受性に乏しいのだ。

 他人の傷を見て、痛いと思うことができない。

 むしろ他人は他人なのだから、他人の傷に対して痛みを感じることがおかしいのではないか?とすら思う。


「君が、どれくらい他人のことが分からないのか、僕には分からない。全く分からないのかもしれない。でもさ、この子のことは分かったんじゃないのかな」


 少女を背負い直したリンネさんは続ける。


「君は僕の前で、連続殺人事件の犯人――つまりこの子の手口を手に取るように話してくれたよね。それ、ひょっとして推理じゃなかったんじゃないのかな?」

「どういうことですか?」

「純粋にロジカルに推理をしたわけじゃなく、先に犯人像、動機や感情の部分から推理したんじゃないかな、ってこと。君はこの子の気持ちが分かったからこそ事件の真相が分かった。君が発言を引用したファイロ・ヴァンスだけど、あの名探偵は犯罪は芸術と同じだとして、犯罪には芸術と同じように犯人の内面が反映されるという考え方の持ち主だったはずだよね。今で言うプロファイリングかな。でも、君は芸術を理解することが苦手だ。人の心を理解することが苦手だからね。それなのに犯人の気持ちが推理できたとしたら、それは……」


 同系統。

 同類。

 同族。

 ……呼び方は何でもいい。

 何にせよ、この人殺しの少女の精神構造は私とよく似ていたのだと思う。

 厳密には一昔前の私に。

 自分は誰からも愛されていないと思い、全てに対して斜に構え、社会を呪って、最低限のタスクをこなして捨て鉢になりながら生きていた頃の私に。


「…………」

「違っていたらごめん。でも、なんとなくそう思ってね」


 ……まったく、この人は恐ろしい。

 他人の心を理解できるという、私が唯一有していない才能の持ち主。

 その強過ぎる感受性は優しいものであると同時に、強姦のように他者の尊厳を踏み躙るものでもあると思う。

 言葉ではなくその裏にある心を重視するということは他人の決断や意思を無視していると言える。

 そのことをこの人は理解しているのだろうか?


 ……恐らくは理解しているのだろう。

 だからこそ、この人は善人なのだ。

 鬱陶しくなるほどに。


 だから私はまたあえて拒絶するように、つれなく応えた。


「違いますよ。別に、そういうわけではありません。単にありふれた精神構造の持ち主だから行動が読めただけです。人の心が分からないとは言っても、人間の価値判断の基準が理解できないわけではありません。物事の基本は応用ですからね、文献で理解できるような葛藤や願望の持ち主の行動ならば分かります」

「そっか。間違ったこと言ってごめんね。でも、それは残念だな」

「……残念?」

「だって、同じような心の形を持つ相手ならば、悩みや苦しみを共有できるし……友達になれるでしょ?」

「……馬鹿なことを言いますね、あなた」


 本当に鬱陶しいほどの善人だ。


「これでも数こそ少ないですが、仲の良い友人は何人かいます。心配は無用ですよ」

「そっか」

「そうですよ」


 ついでに鬱陶しいほどこちらを理解しようとしてくるなんだか分からない間柄の相手も、私にはいるのだ。

 勿論、そのことを言葉にすることはしない。

 代わりに私は言った。


「その心配のお礼として、私の独り言をお聞かせしましょう」

「『独り言を聞かせる』って意味が分からないけど、聞いてみようかな」

「はい。答え合わせだと思ってください。私もそう思って話します」


 私の推理した真相と、彼の理解した感情。

 その二つが合っていたのか、答え合わせをする為に私は口を開く。


「……リンネさん。他人を助ける為に必死で人間の心理や精神について勉強したあなたならば、俗に言う『無差別殺人』がどういう精神構造の人間が引き起こすものか理解しているはずです。無差別に人を殺す裏にあるのは、一つが承認欲求。まさに『誰でも良かった』という類の犯罪がこれです。目的は厳密には殺人ではなく、殺人によって注目されること……まああなたには説明するまでもないことですね。さて、無差別殺人のもう一つのパターンは、その背景にトラウマがあるものです。こちらの方があなたには馴染みが深いでしょうね。例えば、特定の身体的特徴を持つ人間を理解できないほど憎む、などですよ。もっと分かりやすい例で言えば、強姦されたことのある女子が男を憎むようになる、というようなものです」


 この場合の無差別殺人は、厳密には無差別ではない。

 犯人側のトラウマに関係する要素を持つ人間が被害者になるからだ。

 売春婦ばかりを殺したという切り裂きジャックも分類としてはこちらに入るだろう。


「私は四件目までの事件と五件目の事件は事情が異なると述べました。何が異なるかと言えば、動機が異なっているんです。四件目までの殺人は承認欲求を満たす為のものでしたが、五件目はトラウマを刺激されたことによる衝動的なものだったと私は推測します。五件目の事件の日、犯人――つまり一里塚優子は自宅の二階にいた。そして何気なく窓の外に目をやった。彼女の家の二階の窓からは隣の家のリビングが見えて、そこで彼女はある光景を見てしまう。恐らくは、自分のトラウマが刺激されるような光景を」


 その光景がどのようなものだったのかは私にも分からない。

 ただ現場の状況から考えて、父親に突き飛ばされて今にも犯されようとしている少女の姿だったのではないかと思う。

 何処の家庭にもある果物ナイフは最初は両親のどちらかが持ち出した。


「一里塚優子は自身の衝動に任せるままにサバイバルナイフを掴み、隣の家へと乗り込みます。……ですが、そこで彼女は目にします。襲われていた少女が父親を返り討ちにし、殺してしまう瞬間を」


 無我夢中だったのだろう。

 訳も分からず、とにかく抵抗する為に近くに落ちていた物を拾って、振るった。

 それがたまたま果物ナイフであり。

 たまたま馬乗りになっていた父親の首筋を切り裂いてしまった。


「実の親から襲われたという事実とその親を殺してしまったという精神的ショックから少女は気を失います。一里塚優子は全てを理解し、咄嗟にこう思います。『この子を助けないと』と。どうせ自分は人殺し。今更一人二人殺した人間が増えたところで大した違いはない。けれど、目の前の少女は違う。間違いなく被害者で、正当防衛ではあるが、それでも実の親を殺した事実は大き過ぎる」

「…………」

「その時少女の母親がその場にいたのかどうかは分かりません。居合わせていたのならば真っ先に殺されたでしょうし、いなかったとしたら運悪く彼女の姿を見てしまった為に殺されたのです。尤も、彼女は隣の自宅の二階から両親の少女に対する仕打ちをずっと見ていたので、『殺されても仕方のない奴等』だと思っていたでしょうがね。そんなこんなで母親を殺し、父親に息があったのならばトドメを刺し、その後で彼女は無差別殺人鬼の自然な犯行に見せ掛ける為に気を失っている少女の腹部を刺しました。一里塚優子は上手く理由を付けて偶然この惨状を目撃したことにしたかったのでしょうが、残念ながらそう上手くは行きません。インターホンが鳴ったからです」


 不審な物音を聞き付け、椥辻刑事がインターホンを鳴らしたのである。


「彼女は咄嗟に果物ナイフをハンカチか何かで拭いてから放り捨て、一旦裏口から外に出、同じく指紋を拭き取ったサバイバルナイフを庭に捨て、物音を聞き付けやってきたという風にもう一度リビングに向かい、応急処置をする椥辻刑事と対面しました。そのまま逃げなかったのは毛髪などの細かな痕跡が残っている可能性があったからでしょう。目撃者としてもう一度事件現場に足を踏み入れてしまえば、仮に何か落ちていても誤魔化すことができるでしょうから。……以上、これが私の考える五件目の事件の真相です」

「……僕とあの子を引き会わせたのは、あの子が自分の親を殺したことを覚えているかどうかを確かめたかったからか」

「その通りです。私は空想の人の見る目のない探偵達と同じく、誰が嘘を吐いているかなんて分かりませんからね。その点リンネさん、あなたは違います。あなたならば人を殺した動揺を読み取ることができる」


 あの子は覚えていないフリをしているわけではなく、診断通りに記憶喪失なのだろう。

 そうでなければ鞍馬輪廻という人間が気付かないはずがないからだ。


「……君があの子に興味を持ったのは、事件の犯人だと疑っていたから、なのかな?」

「仰る通りです。他に強いて理由を挙げるとすれば……。割と好みの造形をしていたから、ということもありますがね」

「ひょっとして事件を調査することを拒んでいたのは、あの子のことを心配して……」

「ふふ、違いますよ。そんな善人キャラじゃありませんよ、私は。単に自分で調べるのが億劫だっただけです。どうせすぐに捕まるだろうと思っていましたしね。実際、椥辻刑事も真相の大部分を理解していらっしゃるようでしたし」


 あの名刑事さんがどれくらい真相に近付いていたのか、正確なところは分からない。

 けれど多分、五件目の事件で父親を殺したのがあの子であることは気が付いていたんだと思う。

 信じたくないと思いながらも、その可能性を否定できずにいた。

 だからせめてこれくらいはと考えて、あの子に何度も会いに来ていたのだろう。


「……救われない、話だね……」

「そうですね。ですが、そんなこと当たり前でしょう? 殺人事件なんて起こった時点でどうしようもなく救われない。被害者なり加害者なりのその後を考えるのはあなたのような人間だけで、一般的な感覚からすれば、どんな余生を送ろうとも人なんて殺した時点でもうお仕舞いみたいなものですから」

「……そうだね」


 そう、実際の名探偵なんてこんなもの。

 爽快な謎解きをした後に残るのは苦い現実の味だけだ。

 きっとあの一里塚優子という少女もいつかは気付くだろう。

 自分と同じような苦しみを抱え、自分と同じような事件を起こしてしまう人間は掃いて捨てるほどいるということに。


 誰からも愛される主人公になれなかった自分は悲劇のヒロインにすらなれず、大衆の話題として消費されていくだけ消費され、その後は忘れられるだけだということに。

 そのことに気が付いたから、私は計画の段階で人を殺すのをやめてしまった。

 そんなことをしても意味がないと気が付いたから。


 こんな苦しみや悲しみはこの社会ではありふれていて。

 ……だからこそ、世界は苦しく、悲しいのだ。


「……あーあ。あなたには訳の分からない犯罪者の気持ちなんて分かって欲しくなかったんですがね。お喋りな性分のせいか、結局全て話してしまいました。所詮、私も彼女と同じ、承認欲求をこじらせたカワイソーな子どもなんでしょうね」

「……アルマさん」


 私の隣の歩く大人は、この夜の最後を締め括るようにして言った。


「自分を見て欲しい、認めて欲しいって感情は、確かに厄介なものかもしれない。だけど、その感情がない人間はそれはそれで人間としておかしいと僕は思うし、そういう感情が……例えば芸術なんかの出発点なんじゃないかな。理解されたい、理解したい――そういう想いがあるからこそ、人間は自分の感情を形にする。それこそ、君が大事にする言葉とかね。……だから、この少女がそういう感情を殺人なんて物騒なものじゃない、もっと素敵なものに昇華させられなかったことが、僕は何よりも悲しいよ。助けてあげることも、導くこともできなかったことが……とても悲しい」

「相変わらず傲慢な善人ですねえ、あなたは。私からすれば、この少女は自分がどうして生きているのか気付けなかった、ただの愚か者なんですがね……。まあ、もうこの話は良いでしょう。事件は終わったんですから」


 そう。

 事件は終わった。

 謎は解かれたのだ。

 被害者や加害者のその後を考え続けるお人好しと違って、私にとってはもうこれで終わり。

 良い緋色の研究になったと思って、私のワトソン君に語って聞かせた後は、精々資料を纏めて、がらくた部屋にでも置いておこう。

 私が覚えておくべきことは他にちゃんとあるのだから。







 小説のような名探偵は現実にいるけれど、小説のように綺麗にオチが付くとは限らない。

 そのことを身を以て知って僕は一つ大人になった。


 二日目の昼に深夜徘徊という異常行動を咎められて病院に強制送還されたアルマお姉さんから事件の真相を聞いた。

 お姉さんは「これは可能性の話です」と何度も断っていたけれど、聞いた限りではきっとそれが真実なんだろうと思う。

 それにしても、僕の両親を殺したのが隣の家に住んでいたお姉さんだなんて……。

 驚いてみようとしたが、家族の記憶が戻らないのに隣の家の人の記憶が戻るわけもなく、やっぱり何処か他人事だった。

 そう、犯人が捕まったからと言って僕の記憶が元に戻るということは全くなかった。

 犯人が自首しても、事件が盛んに報道されても、やがて世間からは忘れられていっても関係はない。


 相変わらず僕はこの精神病院に入院していて、全然自分に馴染まない名前で呼ばれながら、毎日退屈な日々を過ごしている。


「『自白は証拠の王様』とはよく言ったものですよね……」


 通い慣れつつあるアルマお姉さんの教室。

 ベッドの上で例の事件の記事を読んでいた彼女はそう呟いて笑うと、新聞紙を畳んで放り捨てた。

 今日も名探偵は退屈そうだ。

 だから僕はこの素敵なお姉さんに声を掛けてみる。


「ねえねえ、お姉さん」

「なんですか?」

「『あなたはお客様と一緒にタクシーに乗ることになりました。さて、お客様は何処にお乗り頂くべきでしょうか?』……この問題の答え、分かる?」

「なんですかその問題?」


 手にしていた本の表紙を見せながら僕は言った。


「『社会人のマナー・常識 これ一冊!』らしいよ? 社会人なら答えられて当然の問題が載ってるんだって。看護婦さんから借してくれたんだ」

「気が利かない看護師もいたものですね。どう考えても子どもが読んで面白い類の本じゃないでしょうに。……第一、あなた社会人になる予定があるんですか?」


 ……痛いところを突かれた。

 片目だけの生活にも慣れて普通に歩くことはできるようになったけれど、未だに記憶――というより時間間隔は曖昧だし、夜中に突然暴れ出してしまうこともある。

 どちらも無自覚なのが最悪だった。

 ふと気が付くと時間が飛んでいたりするのだ。

 こんな風じゃ社会人どころか普通に学校へ通うことも難しそうだ。


「そもそも私だって社会人ではありませんし、というかこの病院に入院患者は言わば社会から弾かれた人間ですし、最も縁のない本と言うことができますね」

「確かにそうかもしれないけどさ……。で、分かるの?」

「無論です。分からないわけがないでしょう?」


 ひょっとしたら答えられないから誤魔化しているのかも、という僕の予想を裏切り、彼女はあの口端を歪める微笑を見せる。

 天才故の尊大さを隠し切れていない、彼女によく似合う笑み。


「答えは『後部座席』です。厳密に言うと後部座席の運転手席の後ろ。とにかく、助手席に乗せるのは完全なマナー違反ですね」

「なんで? 助手席って座りやすいと思うけど……」

「安全性の問題です。人間は咄嗟の事態には反射的に自分の身を守ろうとします。危険を感じた瞬間、例えば正面衝突事故の瞬間ですが、運転手は自分を守る為に右側にハンドルを切ります。結果、助手席部分が正面の車に直撃します。助手席に乗っている人間は即死ですね。……他にも追突事故では、ハンドルを切らない方が被害が少なかったはずなのにハンドルを右に切ったが為に助手席部分に正面の車のフレームが突き刺さって同乗者が死亡するという場合もあります。加えて、自動車では右直事故が多いので単純に左側が危険、という理由もありますね」

「そうなんだ……。やっぱり凄いなあ、お姉さんは」

「別に、これくらい普通ですよ」


 そのクールな物言いはあまりにも格好が良くて。

 本当に小説の中の名探偵のようで。

 だから、僕は言ったのだ。


「お姉さんは僕のホームズだね」

「……え?」

「アルマお姉さんは、僕の自慢のホームズだよ。だって、僕の事件を解いてくれたしね。ホームズみたいな僕の名探偵。そうでしょ?」


 彼女は灰に近い色合いのブルーの目を細めて穏やかに笑う。

 何処か性悪だけど、でも満更ではなさそうな、そんな。


「そう呼ばれて悪い気はしませんね。そうすると、あなたが私のワトソン君ですね――眼帯君」

「うん。僕がお姉さんのワトソンだから、だからこれから先も、また殺人事件を解決するようなことがあったら教えてね。絶対だよ?」

「他ならぬ自分が事件に関わっていたというのに尚事件を望むなんて、あなた、とんでもない性悪ですね」

「え、いやそういうわけじゃなくってさ……」

「ふふ、冗談です。そうですね、暇で仕方がない時は暇潰しで謎を解くのも面白いかもしれませんね―――」


 御陵あるま。

 僕と同じ病院に入院している、僕の憧れのお姉さん。

 僕のホームズ。


 彼女との日常はまだ始まったばかりだった。


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