第14話 御陵あるまの日常 解答編



「分かったって……何が? アルマ先輩、何が分かったの?」


 白梅さんの問いには答えず、僕のホームズは取り出したタブレット型端末にバーチャル地球儀ソフトを表示させる。

 そうしてカーソルを京都に合わせ、指先を動かしてどんどん拡大していく。


「白梅さん、あなたのお兄さんが住んでいらっしゃったアパートの住所は分かりますか?」

「え? えっと、京都府京都市上京区、千本……」


 番地まで聞いたお姉さんはまた黙って画面を操作する。


 御陵あるまという天才は基本的に言いたいことしか言わず、答えたいことしか答えない。

 ある程度親しい僕達の問い掛けには返事をしてくれることが多いけれど、それも「多い」だけで、絶対ではない。

 今のように何かに熱中している時は話し掛けても完全に無視されることもある。

 分かっていたことだけど、本当に社会性がない人だなあ……。


 僕達など眼中にないように小刻みに拡大、縮小を繰り返し、何かを確認したお姉さんは、やがて「……やはりそうですか」と呟き、笑った。

 あの口端を歪める、自信が溢れる微笑。


「ねえ、いい加減話してよ、お姉さん」

「……そうですね」

「で、何が分かったの先輩?」

「事件の真相、でしょうか」


 そう言って彼女は続けた。


「これから私が語ることは、私の想像に過ぎません。私が得た情報を踏まえ推理した、真相の可能性の一つです」


 僕と白梅さんに促されたアルマお姉さんはそんな風にして語り始める。

 いつものように、これはただの可能性の一つだと前置きし。

 そのくせに浮かべる笑みには確信を滲ませて。


「白梅さん。質問なのですが、お兄さんとそのお友達の方がどのようにして知り合ったかご存知ですか?」

「え? えーっと……。ああ、そうだそうだ。何かの授業中に話し掛けられたんだって」

「やはり、そうですか」


 一拍置いて、彼女は言う。


「……私の兄のような人間が――私の兄は社会的弱者の支援を仕事としているのですが――こんなことを言っています。『殺人というものは弱者が状況をひっくり返す為に選ぶ手段の一つである』と」


 アルマお姉さん、お兄ちゃんがいたのか。

 優れた探偵には優れた兄が付きものだ、という言葉が誰の発言かは忘れたけれど、きっと御陵あるまの兄なのだから只者ではない人物だろう。

 それはともかくとして、「状況をひっくり返す為に選ぶ手段の一つ」とはどういう意味だろう?


「現在の社会において優位に立つ人間は犯罪をする必要があまりありません。そのままで優位、得なわけですから。ただ弱者となればそうはいきません。例えば、いじめの被害者。加害者は複数で、教師等の手助けも必要できない場合、主犯格を殺してしまおうと考えるのはそれほどおかしなことではないでしょう?」


 そうか。

 だから「状況をひっくり返す為の手段」なのか。


「言わばテロと同じです。社会的に認められない行為ということは百も承知。でも現状に不満があるからこそ、行為に及ぶんです。この場合、大きく二つに分けられます。一つ目が『相手を殺して自分を死ぬ』というもの。無差別殺人が典型ですね。そして二つ目が、『自分がより良く生きる為に相手を殺す』です」

「……より良くって?」

「自分を脅迫してくる相手を排除する、等ですよ。この場合、目的は『自分が生きること』ですので、『相手が死にさえすれば自分はどうなっても良い』ということにはなりません。周到に、慎重に犯行に及びます。捕まれば自分の人生が終わりですから」


 言わば共倒れ型と排除型ですね、とお姉さんは纏めた。


「さて、白梅さんのお兄さんのアパートで起こった事件の犯人はどう考えても後者です。恐らく動機は被害者に殺された誰かの復讐でしょう。ですが復讐したいだけなのならば相手を見つけた瞬間に車で轢き殺してしまえばいいんです。ミステリで不思議な部分ですよね。復讐だけが目的ならばややこしいトリックを使う必要はない。今回のように、わざわざ購入経路の特定しにくい凶器を選び、誰にも目撃されないように気を付けて犯行を成し遂げる必要もありません」

「……犯人は捕まりたくなかった、ってことだよね?」


 白梅さんの言葉に僕のホームズは「はい」と首肯する。


「でもさアルマ先輩、それって普通のことじゃない? どんなに相手が憎くたって、そんな相手の為に人生を棒に振るなんて……」

「その辺りは価値観でしょうね。ただ私は、今回の犯人は復讐の為ではなく、自分の為に犯行に及んだんだと思います。過去を清算しようとしたんじゃないでしょうか」

「過去を清算……」

「理不尽な出来事で親しい人間の命を奪われるということは心に大きな痼を残します。どんなに過去の出来事でも風化することはありません。寿命ならば、いつかは納得することができるでしょう。ですが殺人の場合は非常に困難です。いつでも、いつまでも、後悔し続けることになる」


 助けられなかった後悔。

 救えなかった後悔。

 あなたのせいじゃないと誰に何度言われても、そう簡単には納得できない。


「だとしたら、復讐だけではなく、一つの区切りを求めて犯行に及ぶこともありえると私は思います。自分をはじめとした遺族が前に進む為の殺人。そういう意味合いの犯行だったんじゃないかと私は思います」


 さて、ともう一度お姉さんは話を戻した。


「先に述べたように、この事件の犯人はかなり聡明かつ慎重です。標的が一人暮らしであることも夜ならば自室にいることも分かっていたでしょう。先ほど地図で確認してみましたが、犯行現場であるアパートは比較的人の多い大通りから一本入った閑静な場所にあります。表の通りを歩いている人間は多いですから監視カメラに映ったとしてもそこまで気にする必要はありません。アパート近隣は住宅街でカメラの類も少なく、当然そのアパートにも監視カメラはありません。だとすれば、そのアパートの前までは問題なく行けるはずです」


 京都は学生の街だと聞いたことがある。

 旅行者が多いことは言うまでもない。

 見掛けない人が歩いていたとしても住民は気にも留めないだろう。


「問題は、部屋に入るまでです。いくら人の入れ替わりが激しい街だと言えど、自分が住むアパートに見掛けない人間がいれば記憶に残るでしょう? 加えて、そのアパートは誰かが廊下を歩く度にギシギシと音が鳴るそうじゃないですか。誰ともすれ違わなかったとしても、廊下を歩く音で犯行時刻がバレてしまう。いえそれ以前に扉の閉まる音が聞こえるほど壁が薄いのならば掴み合いにでもなれば何事かと他の住民が部屋に来てしまうかもしれない」

「……そう言えば私がお兄ちゃんの部屋で転んだ時にも、さっき言ったホストのお兄さんが『どうしたんですか?』って訊きに来たなあ」

「ならば、犯人がどうするべきか良いか分かりますか? はい眼帯君」

「えっ、僕?」


 いきなり指差され、しどろもどろになった僕はしばらく考えてこう言った。


「……アパートじゃない場所にいるところを狙う、とか?」

「それもありだとは思いますが、今回の被害者は自宅と職場を往復する毎日を送っていたそうなので、かなり難しいように思えますね。正解はもっと単純です。アパートに、標的以外、誰もいない時を狙えば良いだけです」

「理屈は分かるけどアルマ先輩、それって難しくない? 陸兄ちゃんは最近でこそ外出するようになったけど、あのアパートには被害者の人以外少なくともあと二人いるじゃん。事件が起こった日、確かにお兄ちゃんは部屋にいなかったけど、都合良く他の二人まで部屋にいないことってありえるかな?」

「それがありえます」


 白梅さんの疑問にはっきりとそう返し、彼女は続ける。


「アパートの住人は四人。標的である被害者、その隣に住むあなたのお兄さん、一階の住人であるホストの方と役者の卵の方。大前提として被害者の方は仕事のある日は昼間は職場にいるため、仕事日に犯行に及ぶならば必然的に早朝か夜になります。被害者以外の三人で夜中の間、高確率で部屋にいない人間が一人います。……誰か分かりますね?」

「あのホストのお兄さん……!」

「その通りです。ホストという仕事柄、その方はかなりの高確率で夜の間は部屋にいません。続いて、役者の卵さん。その方が所属する劇団がどういったものかは分かりませんが、練習や公演を夜にやることも少なからずあるでしょう。なのでその二人が同時に部屋にいない日はあると思います。ただ問題は白梅さん、あなたの従兄弟のお兄さんです」


 白梅さんの従兄弟、白梅陸さん。

 彼女の語ったところによると、その人は内向的なタイプで外出も少ないという。


「大学ではほとんど外出せず、暇な時は家でアニメを見ているか本を読んでいる……。犯人にとっては最悪です。先述の二人が部屋にいない時は月に何度かあるとしても、夜間彼が部屋にいないことはほぼありえません。壁が薄いということなのでアニメ視聴中はイヤホンをしているでしょうが、慎重な犯人がそんな賭けはしたくないでしょう」

「そうだよね。お兄ちゃんも最近こそたまに出掛けるようになったけど、それだってたまにだから……」

「犯人にとっての問題はあなたのお兄さんが外出しないことです。だから、犯人は外出させることにした」


 え?

 それって、もしかして……。


「犯人は白梅さんのお兄さんと親しくなり、彼が出掛ける時間をコントロールしようとした――いえ、実際にやってみせたんです」


 謎を解いた僕のホームズが何故、あんなにも嬉しそうだったのか。

 事件の真相なんて何度だって見抜いていただろうにと、僕は不思議に思っていた。


 でも、今なら分かる。

 お姉さんが喜んだわけが。

 彼女が言った通りの理由だった。


 「まさか現実でこんなことをやる人間がいるなんて」――そうきっと、御陵あるまは感動すら覚えていたのだろう。

 今回の犯人が使った、あまりにも有名で、少しも斬新に思えないトリックを。


「……大学というのは不思議な場所です。図書館があれば地域の住民が、大きな広場があれば子ども達が出入りする。そういう施設です。何より不思議なのは学生が学費を支払うことで成立しているのに、大学の中に入り、講義を受けることにはお金が掛からないということです」

「どういうことなの、お姉さん?」

「大学にもよるのですが、講義に出席している人間が『本当にこの大学の学生かどうか』なんて、チェックしないんですよ。大手の私立大学の講義ならば一つの講義に数百人が出席することも多くあります。全ての人間の学生証を確認できると思いますか? まず間違いなくできないでしょう? 実際知識欲旺盛な大学生は他の大学の講義に勝手に出ることも多いですからね。リンネさんも学生時代は暇な日に他大学の有名な教授の話を聞きに行っていたそうですし」

「つまり、それって……」


 白梅さんも気付いたようで、目を丸くする。


「はい。犯人は学生を装って、あなたのお兄さんに接近した。恐らくは何かの講義の前後に『先週のプリントをコピーさせてくれないかな? ご飯くらいは奢るから』と話し掛け、そうして仲良くなっていった。最初は同じ講義を受けるだけ、次は昼食を一緒に摂り、段々と休みの日にも遊びに行くようになり……」

「それで、犯行の日にも遊びに行く約束をしたんだね?」

「そうです。犯人は少なくとも数分、できることなら数時間、白梅さんのお兄さんが部屋に戻ることを防ぎたかったはずです。友達と待ち合わせて行ってもおかしくない場所で、けれど一人でも楽しめ、『予約してあるのなら一人でも行った方が良いかな』と思うような場所。そこで私が考えたのがソープランドです」

「……あ、そうそうお姉さん。質問なんだけど」

「なんでしょう」

「その、そーぷらんどって、何なの?」


 僕の言葉に白梅さんは顔を真っ赤にして背け、お姉さんは笑った。

 何かまずいことを訊いたかもしれない。


 そう思い、質問を撤回しようとした瞬間に答えがやって来た。


「物凄く簡単に言うと――男性が喜ぶようなサービスを綺麗なお姉さんがやってくれる店、ですね」

「……あ、う……」


 それって、もしかして。

 そういうことなんだろうか?


 その考えに至った瞬間、自分の顔が耳まで赤くなるのが分かった。


 ああ、もう。

 なんでこんなことを訊いてしまったんだろう。


「利用料は安くとも一回数万円、高級店では二時間以上のサービスを受けられるところもあると聞いています。京都市内でそういった店があるのは祇園だったと思いますが、しばらく戻ってこれないように大阪の店――阪急線沿いの店を予約したのかもしれません。現地集合で待ち合わせ時間を夜九時だと仮定すると、千本中立売からバスに乗り西院辺りの駅から電車に使用し、梅田まで行ったとして大体一時間強。実際のサービスを受ける時間を一時間とすれば、三時間は部屋に戻れないことになります」


 淡々とアルマお姉さんは自身の推理を述べていく。

 こっちが聞いているかどうかなんてお構いなし。


 本当に、もう。

 どうしてこんなに平然としていられるのだろう?


「仮に店に入らずそのまま帰路に着いたとしても確実にニ時間は不在……。それだけ時間があれば標的を殺し、証拠を消すには十分です。これは私の想像ですが、恐らくその日犯人は白梅さんのお兄さんが外出してすぐ犯行に及び、証拠隠滅を済ませた後で追い掛けたのでしょう。そして『用事があり遅れた友人』として店に赴き、何も知らない白梅さんのお兄さんとお酒でも飲んで解散した」

「じゃあ……。お兄ちゃんの友達が犯人で、その人は犯行の為にお兄ちゃんに近付いた、ってこと?」

「私の想像ではそういうことになりますね。ホームズの原作で何度か使われた有名なトリックなのですが、実際に使う人間がいるとは……」


 そう。

 お姉さんが言う通り、それはホームズの原作の中で何度か使われた方法だった。


 『赤毛連合』や『三人ガリデブ』という短編では、犯人が様々な理由を付けて特定の人物を部屋から移動させようと試みる。

 これらの話の面白いところは「犯人はその相手には全く用がない」ということだろう。


 犯人が望んでいるのはその人物が外出すること――その為だけに、様々な策を弄するのだ。


「『この妙な名前の奴が部屋から出ようとしないせいで、俺がどれほどのことをしなければならなかったか』――『三人ガリデブ』の犯人はこんなことを言っていましたね。きっとこの事件の犯人も捕まった時には同じようなことを言うでしょう」


 ホームズファンらしくそう語り、アルマお姉さんは「私の推理は以上です」と話を纏めた。


 彼女は「これは可能性の話」だと前置きして話し始めたけれど、僕が聞いた限りでは、その推理はこれ以上ないほどに正しいように思えた。

 いつもと同じ。

 今日も今日とて、僕のホームズはホームズのような天才だったのだ。







 金曜日。


 お姉さんはタブレットでお昼のワイドショーを見ていた。

 話題となっているのは昨日、彼女が解いた謎。

 京都の中心部で起こった殺人事件についてだった。


 司会が「犯人を捕まえるのには時間が掛かるだろう」という見解を述べると、ご意見番らしいコメンテーターが警察の不甲斐なさを糾弾する。


「……発端となった連続殺人事件を警察が解決していればこんな事件は起こらなかったのですから、この方が言うことも尤もではありますね」

「警察は犯人の目星が付いてないのかな? だったら一言助言でも……」

「いえ、日本の警察も馬鹿ではありませんから目星は付いているでしょう。被害者遺族の中で、現場周辺の監視カメラに映っている人物。正面からの刺殺ということですから、恐らくはそれなりに力のある若い男性。そこまでは絞り込めるでしょうが、物的証拠がない。『たまたま近くにいただけ』という根拠なら送検すら無理です。ミステリと違って、謎を解けばそれで終わりにならないのが現実の難しいところですね」


 そう言って、アルマお姉さんは端末の電源を落とす。

 どうやら犯人が捕まるのはしばらく先のようだ。

 いや、それとも迷宮入りしてしまうのかもしれない。

 どちらにせよ、やがては風化していくのだろう。


 関係者の心には永久に残り続けるとしても、僕達のような無関係な人間にとってはよくある事件の一つでしかないのだから。


「でも、凄い偶然だよね。お姉さんの後輩の従兄弟の隣に住んでる人が被害者で、従兄弟の友達が犯人だなんて」

「……三人」

「え?」

「私から数えて、三人ですか。ならそれなりに珍しいかもしれません」


 小首を傾げた僕に「『六次の隔たり』という概念を知っていますか?」とお姉さんは問い掛ける。

 当然知るわけがない。


「何それ?」

「スモールワールド仮説の一つです。知り合いを六人以上介すれば世界中の人と繋がれる、という仮説。実際に繋がれるかどうかは不確かなので詳しい説明は省きますが、この仮説から得られる教訓は『世界は案外狭い』ということでしょう。同じ日本国内のことですし、後輩の親戚の友人が事件の犯人、ということは十分有り得ることです」

「ふーん……」


 六人以上を介すれば世界中の人と繋がれる、か。

 僕は知り合いが少ないから世界中どころか日本中、この街中の人と繋がることすら無理だろう。

 でも良い家の生まれで留学経験もあるお姉さんやソーシャルワーカーとして様々な人と知り合うことの多いリンネさんなら、もしかしたら本当にありとあらゆる人と繋がることができるのかもしれない。


 だとしたら。


「……楽しそうですね、眼帯君」

「うん。それは楽しみだなー、って」


 そう。

 何十億もの人間が暮らすこの世界が、本当にそんなに小さいのだとしたら。


「だって、その話が本当なら――きっとお姉さんは世界中の色んな人に繋がって、その人の知る事件を聞いて、その謎を解くことができるでしょ?」


 だとしたら、ずっとこの病院にいても良い気がしてくるのだ。

 今日も世界中の何処かで何かの事件が起きている。

 多種多様な謎が社会には溢れている。

 それらを病室にいるままに知ることができるのだとしたら、退院しなくても良いかななんて、そんな風に思ってしまう。


「……馬鹿なことを言いますねえ、眼帯君は」

「そうかな? ワトソンにとってホームズの活躍を見ることは一番の幸せなんだよ。僕もいつかワトソン博士みたいに、お姉さんの活躍を纏めて本にしたいな、って思うよ」

「本気で言ってるんですか?」

「勿論!」


 やれやれ、という風にお姉さんは笑う。

 それはいつものような嘲りを隠した微笑ではなく、ただただ穏やかな笑みだった。


「今日はリンネさん、来ないかなー」

「あなたが待っているのはリンネさんではなく謎でしょう?」


 いつもは退屈で。

 たまには謎があって。

 そんな風にして、僕と僕のホームズとの日々は過ぎていく。


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