第2話 女子中学生失踪事件 解答編



 数分後、アルマお姉さんは缶コーヒーを買って戻ってきた。

 人数分ではなく、自分の分の一本だけだ。

 お姉さんは旅行に行っても、頼まれなければお土産を買わないタイプなのだ。

 いつだったか、「長い間病院に居過ぎたせいで他人に気を遣うというような社会性がなくなってしまったんですよ」と笑っていた。


 プルタブを起こしつつアルマお姉さんは言う。


「さて、ワトソン君。答えは出ましたか?」

「うーん……。必要な質問は二つだけなの?」

「別にそういうわけではありませんよ。正確に真相を見極めようとすればいくつでも質問すべきでしょうが、当面私が訊きたいことは二つだけです。私の思い描いた筋書きが正しいかどうか、確認する為にね」


 缶コーヒーを一口飲んでからベッドに腰掛け、僕を促す。

 窓際のリンネさんを見る。

 彼は、僕が答えられることなら何でも答えるよ、と言わんばかりの微笑を湛えていた。


「…………ゲームセンターの店員にしか使えない通用口があるかとか、店員の中の誰かがAさんと知り合いだったか、とか?」

「妥当なところですね」


 アルマお姉さんは僕が必死で考え出した質問を端的に評価した。

 そのクールな口調から察するに、どうやらこれは正解ではないらしい。


「ではリンネさん、どうでしょう?」

「どうも普段使われてないだけで店員用の別の入口はあるらしいんだけど、使われた形跡はないし、監視カメラにも誰も映ってなかったらしいよ。店員の誰かが知り合いかどうかは……どうかなあ、流石に分からないかな。個人の交友関係を全て把握するなんて素人にはほとんど不可能に近いしね」

「そもそも仮に誰かが共犯であったとしても、子ども一人を気付かれずに逃がすなんて難しいと思います。店の規模や店仕舞いがどのような風か分かりませんから、上手くしたらできるのかもしれませんが……」

「……大きなスーツケースに入れて、それで運んだとか?」

「ゲーセンで働くだけなのにスーツケースなんて持ってたら、どう考えても怪しいでしょう。加えて、その場合だと予め店員がAさんを逃がすことができるように準備をしてたことになります。こう考えていくと、もうゲームセンター自体がグルであると考えた方が妥当でしょうね」


 確かに、店一つが中学生の少女を庇うなんて状況、中々ないだろう。

 Aさんの両親がそのゲームセンターの社長や大株主か何かなら、可能性はあるのかもしれないけれど……。


「あ、じゃあこれはどうかな。Aさんは化粧してたんだよね? だったらトイレとか、プリクラ機の中とかの人の目が届かない場所で化粧を落として、別人として外に出たっていうのは」

「そうですね、そういう真相もありかもしれませんが、リンネさんはどう思われますか?」


 うーん、と口元に手を当て、少し考えてからリンネさんは答える。


「確かに自治会の人も、出入り口での確認に協力してくれた店員さんも、Aさんとは顔見知りってわけじゃないから、見逃してしまった可能性がゼロとは言えない……言えないけれど、手元に顔写真があったのに化粧落としただけで見逃しちゃうことなないんじゃないかな? 全くありえないか、と訊かれると、まあそういう間抜けな人もいないとは限らないけどさ……。Aさん、子どもにしては化粧は濃い目だけど、『濃い目』ってだけで誰か分からなくなるくらい濃いわけじゃないし」

「自治会の人や店員がそういうのに疎かったってことはないの?」

「どっちも男の人だし、特に自治会の人はもう中年だから女子の化粧に詳しいってことはないと思うけど、それでもどうだろうなあ……。ちょっと化粧落としただけで分からなくなるかなあ……?」

「……リンネさんは観察力に長けている方なので分からないかもしれませんが、世の男性の中には、化粧前と化粧後では同じ人物かどうか分からない、そもそも化粧をしているかどうかも分からない、という方も多くいらっしゃいますよ」


 缶コーヒーを飲み終えたアルマお姉さんはフッと笑う。

 俗人を嘲るような、天才らしい、妖しい微笑。


「私の推測が正しければ、その場に居合わせたのがリンネさんならば、こんなに難しい問題にはならなかったと思いますよ。いえ、というよりも、リンネさんご自身が真相を見抜いていたでしょう」

「……買い被り過ぎだよ。僕の目は節穴だし、僕の頭はスポンジだ」


 謙遜するリンネさんに対し、アルマお姉さんは言う。


「ではそんなリンネさんに二つ、質問させてください」


 僕は、息を飲む。

 少女の失踪事件。

 その謎を解く為に必要な、二つの質問。


「まず一つ目ですが、そのゲームセンターの中に、車椅子の方などが使える多目的トイレはありますか?」

「……え?」


 リンネさんは一瞬、呆気に取られたようだった。

 僕も同じだ。


 多目的トイレ?

 障害者の人や妊婦さんが使う、あれ?


「どうでしょうか。ソーシャルワーカーであるリンネさんなら、把握していると思ったのですが」

「まあ、確かに仕事柄把握しているけど……。あそこのゲームセンターもそうだね、車椅子が気兼ねなく入れるほど広くはないけど、一応バリアフリーになってて、多目的トイレはあったはずだよ」

「そうですか」


 今のところ、僕にはその情報がどう真相に関係するのか分からない。

 化粧を落としたり、制服から私服に着替えたりする為なら普通のトイレで十分だろうし……。


「では二つ目の質問です」


 アルマお姉さんは続けて訊いた。


「件のAさんのことを語る際、リンネさんは『不良っぽいけど、Aさんも成績は良い』と仰っていましたね。この『Aさんも』の“も”とは、誰と比較する助詞なのですか? Aさんのご両親と比較して同じように成績が良いという意味か、Aさんのご友人と比較して不良っぽくても成績優秀であるという意味か……」

「あまり意識してなかったけど、しいて言うなら……家族かな? ご両親も高学歴だし、一歳年下の弟も優秀だしで」


 と、そこまで口にしたところで、リンネさんの動きが止まった。

 穏やかな雰囲気は鳴りを潜め、眼光が鋭く変わる。

 ああ、と僕は思い出す。


 お姉さんと比べれば劣るけども、この鞍馬輪廻という人も中々の名探偵であることを。

 つまりは、恐らく。

 リンネさんも事件の真相に辿り着いたのだ。


「……“companion”。companionという英単語は友達、付き添い、というような意味ですが、もう一方、対になるもの、というような意味もあるそうですね。さて、リンネさんは先ほどこう言いましたよね、『自治会の人と店員さんで出入り口に立って、女の子が出て行こうとする度に呼び止めて、持っていた顔写真と確認した』と」


 店から出ようとする女の子を一人ひとり呼び止め、顔写真を見つつ確認した。

 だから化粧を落としても、服装が変わっても気付くだろうと。


「しかしその言葉は裏を返せばこうなるでしょう? ―――『男子は全くチェックせず素通りさせた』と」


 アルマお姉さんは言う。

 出入り口は一つでも男子ならば簡単に出て行けたんですよ、と。


「だったら、一つの可能性が出てきます。Aさんは女の姿ではなく、男の姿に変わって出て行ったと。……いえ恐らくは、『男に戻って出て行った』」


 ああ。

 そうか。

 僕もようやく理解した。


 大人は子どもを『若者』『学生』という記号でしか見ていないというお姉さんの言葉は、その通りだったんだ。


 だって、そもそも。

 その場にいたのは――Aさんじゃなかったんだから。







 大人は子どもを記号でしか見ていない。

 制服を着ていれば学生。

 髪が長ければ女子。

 そんな見方しかしていないから、いつも大事なことを見逃す。


「……私がリンネさんの話を聞いて最初に思ったのは、Aさんは男装して出て行ったのではないか、ということでした。スクールバッグを持っていたということですから、その中に男物の服を詰めておき、誰でも使える多目的トイレの中で着替え、男の姿で出て行ったのではないかと」

「でもそれだと髪型の問題がある?」

「その通りです、眼帯君。そう、リンネさんの情報によればAさんはセミロングの茶髪です。いくら男の格好をしていても肩まで髪があれば少しは怪しく思われるでしょうし、仮にトイレの中でバッサリと切ってしまったとしても昨日まで長髪だった少女がいきなり短髪になれば家族も学校の方も不審に思います。ヘアエクステのような付け毛で誤魔化している可能性もありますが、仮に、そうではないとしたら?」


 そう、逆。

 長かった髪を短くしたのではない。

 元々短かった髪を長くしていたのだとしたら?


「だから、女装という線を疑ったのか」

「はい。そもそも男子が女子の格好をしていたのならば簡単です。最初からカツラなのですから、トイレで着替えた際に外して鞄の中に隠せば良いだけです。元が男なのですから、化粧を落としてしまえば分かるはずがありません。中学生ということなら男女でそれほど体格の違いはないでしょうし、年齢的に声変わり前ということもありえますしね」

「Aさんが行ってた売春行為の内容を詳しく聞きたがっていたのは、そういうことだったか……。なるほど、口や手だけじゃ身体的に女子かどうかは分からない」

「リンネさんは理解が早くて助かります。尤も最初は別に思惑のない、ただの興味本位でしたけど」


 アルマお姉さんは笑う。

 彼女が売春行為の内容について触れたのは二回。

 二回目には、やけに具体的に内容を知りたがっていたけれど、あの時点でお姉さんは真相を見抜いていたんだろう。


「私の推測はこうです。『そもそも売春行為を行っていたのはAさんではなく、Aさんの格好をしたAさんの弟だった。売春の現場を見られた彼はゲームセンター内の多目的トイレに逃げ込み、化粧を落としカツラを外し男子用の制服を着て、何食わぬ顔でゲームセンターを出て、家に帰った』。Aさんが家にいたことを家族である弟が証明できないということは、弟は家にいなかったんでしょうし。ご両親が美男美女でAさんも両親に似て美少女だというのなら、多分弟の方も美少年でしょう」


 それが、アルマお姉さんが導き出した答え。

 その場に居合わせた大人達がすっかり見落とした真実。


「でもさ、いくら女物の制服でカツラ被ってたとは言っても、男の子なんだよね? その……実際に取引したサラリーマンは気付かなかったのかなあ」

「言ったでしょう? 大人は子どもを記号でしか見ていない。女子用の制服を着ていれば相手は女子学生なんです。この世の多くの大人は若者の区別なんて付いていないんですよ。件のサラリーマンさんも『よくいるタイプの女子中学生』としか認識していなかったんでしょう。外で行為に及んでいたということは、恐らく薄暗かったでしょうしね」


 お姉さんは淡々とそう答えた。

 あるいは、とリンネさんは続けた。


「可能性の話だけど、そのサラリーマンは女装だと分かっていたのかもしれないね」

「え?」

「同性愛者……というわけではないかもしれないけれど、そういう性的嗜好の人だったのかもしれない。まあだとしても、絶対に口を割らないだろうから確かめようがないけれど。この社会はジェンダーフリーにはまだまだ遠いから」


 天才児として愚鈍な大人を見続けてきたアルマお姉さんと、ソーシャルワーカーとして色んな人に出逢い続けてきたリンネさん。

 二人の意見のどちらが正しいのか、僕には分からなかった。

 まだ子どもの僕には難し過ぎる問題だった。

 だから、素直に疑問を口にした。


「でも……。アルマお姉さんの言った通りの真相なら、その弟さんはなんでそんなことしてたのかなあ……」

「さあ、なんででしょうね。お金になるからやっていただけかもしれませんし、姉であるAさんに恨みがあり何か罪をなすりつけたかったのかもしれません。ひょっとしたら、単に興味があっただけかもしれませんね」

「興味があったって……女装に?」

「というよりも、女子として男から持て囃されることにでしょうか」


 優しく微笑み、小さな声でアルマお姉さんは言った。


「……かく言う私も、リンネさんなどを見ていると、『あんな風にカッコいい男に生まれ変わって女子にキャーキャー言われるのも楽しいかもしれない』と思うことがありますからね」

「ありがとう、お世辞でも嬉しいよ」


 また穏やかにリンネさんは微笑んだ。

 その様はやはり決まっていて、僕としては面白くない。


「しかし、アルマさんの言った通りのことが真相なら、どうするかな……。中々対処が厄介だ」

「具体的に今後どうするかはあなた方、大人の仕事です。それとも、スクールソーシャルワーカーとしての仕事でしょうか? まあ良く分かりませんし大して興味もありませんが、頑張ってください」

「そうだね、ありがとう」


 リンネさんは丁寧に一礼し、病室を出て行こうとする。

 今度彼が来た時にはAさんの弟がどうなったのか聞いてみるのも良いかもしれないと僕は思った。


「……今日も助かったよ、名探偵さん」


 最後にそれだけを言い残し、リンネさんは去って行った。

 何度目かも分からない名探偵扱いに、アルマお姉さんは溜息を吐きつつ呟いた。


 あなたが当事者であれば私の役目はなかったんですが、なんて。


「……じゃあ、僕もそろそろ帰るよ」

「そうですか?」


 ふと気付けば、もう夕方。

 名残惜しいけれど、そろそろ自分の病室に帰らないと怒られてしまう。

 でも最後に。


 最後にこれだけは言っておこうと、僕は口を開いた。


「ねえ、アルマお姉さん」

「なんですか?」

「……キャーキャー言われたいのなら、相棒である僕がいくらでも言うから……。いつまでも、僕の綺麗で素敵なお姉さんでいてね」


 小さく笑い、アルマお姉さんは言った。


「それは嬉しいですねえ。なら眼帯君もいつまでも、可愛い女の子でいてください。私、可愛い女子は大好きですから」

「うん!」


 そんなわけで。

 今日のお話はこれでおしまい。


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