第三章 第7話 決戦前夜

 屋上には土が風で飛んでしまわないよう、ブルーシートが敷かれていた。

 そこに腰を下ろす。なんとも言えないグニュっとした心地のよい感触だ。

 今日は曇り空のため星や月が見えないのは残念だが、風がほどよく通っていて大変気持ちが良い。俺はヒロムが持たせてくれた、アルミホイルで包んだおにぎりを取り出す。こういう開放感のある場所で誰にも邪魔をされず、一人で飯を食うのは大好きだ。

(それはいいのだが……大丈夫かな。もう明日とは信じられん)

 などと考えながらアルミホイルを剥がしていると。ギイイイ! と出入口の扉が開く音がした。誰だよまったくKY野郎めと思いながら振り返る。

「コワっ! 金網ないとコワっ! よく平気で座ってるね」

 みのりがサンデイナイトの手提げ袋を持って立っていた。今日はポニーテール+メガネなしのスタンダードスタイルである。

「慣れれば平気だよ」

 そろーりそろりと歩き俺の隣に座る。

 なんだかやけに距離感が近い気がして、微妙に座り位置をズラしてしまった。

 みのりはそんなこと気にする様子もなく屈託のない笑顔で話しかけてくる。

「なんか久しぶりだね。こういう感じ」

 俺は「そうだったかな」などと生返事を返した。

 ――この二ヶ月弱の間。以前のように二人でゆっくり話す機会はあまりなくなってしまっていた。忙しすぎてそんな時間もなかった、というのが主な理由だが、俺の方でなんとなく二人になるのを避けてしまっていた部分もある。

「メールもあんまりしなくなっちゃったしね」

「ああいうのは一度やらなくなるとなあ」

「帰りも待っててくれないし」

「終電があるから仕方ないだろう」

 ――違う。こいつとこんな話がしたいわけじゃないんだ。

「あのさ。みのりちゃん。えーっと……」

 俺はアルミホイルを広げ、

「すまん! 金はやれん! これが精一杯の誠意だ!」

 おにぎりのひとつを差し出した。みのりはキョトンとした顔で俺を見つめる。

「謝らないといけないと思ってはいたんだ。おまえはなにひとつ悪くないのにタクシーの中であんな暴言を吐いたり、黙ってバイト辞めちまったり、戻ってくるように言ってくれたおまえにバカだのブスだの――」

 改めて自分の愚行を振り返ると、恥ずかしさにノドがカラカラに乾いた。

「でもおまえが普通に接してくれるからなんとなく謝る機会がなくて……」

「そうか。そう考えていくと結構ひどいね。もっと冷たくすればよかった」

 などとのたまいつつ、おにぎりを受け取った。

「ま、マジで怒ってんのか? 許してくれないくらいに?」

「うん。捨てられた子犬の顔してもダメ―」

「わかった……一生罪を背負って生きる」

「諦めるの早っ!」

 ベタなギャグマンガのごとく後方にズコーっと倒れる。

「ウソだよ! 許すに決まってるじゃん!」

 起き上がって肩に拳を押し当ててきた。俺は安堵の溜息をつく。

「おにぎりも返すね。ああ。でも美味しそうだな」

 やる。俺の妹様のお手製だからココロして食え。と言ったら素晴らしい笑顔で口に含んだ。うまいうまい! と凄い勢いで食べ進めていく。

「それと。ありがとな」

 みのりの手と口がぴたりと止まった。

「みのりちゃんのおかげでここに戻って来られた。もっと早く謝ればよかったな。そうすればこの二ヶ月もっと楽しかったのに」

 みのりは口の中のものをゴクンと音を立てて飲み込むと、どういう感情の現れなのか、ポニーテールを指でつまんでさきっちょでほっぺたを掃除し始めた。

「そこまで言われると。逆に申し訳ないなァ。私だってテツヒトのおかげで……だし」

「そうか? 俺は別に。ブッコロセラピーのおかげだろ」

「もう! 違うよー!」

 肩を平手で叩いてくる。こいつはコミュ障のくせにけっこうボディタッチが多い。こないだ見たテレビで女のボディタッチに深いイミはないから勘違いすんな! などと言っていたが実際のところどうなのだろうか。

「あのCM撮影を『やれ』って私に言ってくれたのはテツヒトじゃん! それに私があんなにハジけられたのだってテツヒトのおかげ! あなたが一生懸命応援してくれたから、あなたのために頑張ろうって思ったの!」

 肩を大根おろしの勢いで摩擦してくる。熱い。

「だからさ。『明日』も大丈夫だよ」

 トドメとばかりに肩に平手を食らわせてきた。

「それを言いに屋上に来たの。不安そうな顔してたから」

 俺は深く溜息をつき、

「大丈夫かなぁ~~~~」

 と体を体育座りに丸めた。

「性能がな~~~~アンドロイドン本田の性能がな~~~性能ってゆうかな~~~とにかく軽いんだよな~~~重さあああ~~~~」

「あああー! だからああー!」

 丸まった俺の体を後ろから押した。屋上の端くらいまで転がって止まる。

「私思うんだけどさ。人を癒してくれるのは結局人だよ。人の心。だから大丈夫。あれだけみんなで一生懸命やったんだから! 心を込めてさ!」

「人を癒すのは――人?」

「あっイヤ……すごいクサイ台詞言っちゃったけど。その、私自身がそうだったからそういうもんじゃないかなーって」

 俺の脳味噌の中で電球が産まれる。そいつはアタマの中から飛び出してピコーン! と光った。

「そうか! まだやることがあるぞ! ライチの野郎はまだいるよな!」

 団子虫状態から無駄に宙返りして立ち上がり、出入口に走った!

「ちょ! 待ってよ!」

 みのりもおにぎりを口に咥えたまま、背中を追いかけてきてくれた。

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