第三章 第3話 ヤケクソ
そんなことがありつつ。
夏休みはまだまだ続く。
ストレス対策だかなんだか知らないが、ここ十年で休み期間はどんどん長くなっていき、とうとう九月の最終日まで休みということになってしまった。『ようやく日本もアメリカ並の長期休みの制度に』などとテレビのニュースで言っていた気がする。
まるまる二ヶ月以上もの長期休みの間、いろんなことをする奴がいる。
部活で汗を流す奴、予備校の夏期講習に通う奴、引きこもってゲームをする奴、彼女や友達と旅行に出かける奴、リゾートアルバイトをする奴。などなど。
俺は特になにをするでもなく『川の渕』という駅周辺の繁華街をブラついていた。
この辺りでは最大の繁華街と言えるが、とにかく汚い街でなにが汚いって人がたくさんいるのがゴミゴミしていて汚らしい。歩いているだけで約十五秒に一回の割合で通行人と肩がぶつかり大変に不快だ。
「痛ってえなコラ! 霊柩車呼ぶぞテメエこの野郎!」
「す、すいません」
俺が持ち前の凶悪な目で睨み付けると、バンドマン風の男は早足で逃げ去っていった。
(あ……スマン……)
時刻は十八時。特に目的もないので、大通りを歩き人間を観察して回る。
ビアガーデンのテラス席にはこんな早い時間からビールを飲んでいるおっさんの二人組がいた。片方は煙草を吸いながら、もう片方はおしぼりで顔を拭きつつジョッキに入ったビールを飲んでいる。二人ともすっきりした顔をしているように見えるが、本当のところはわからない。
(コロセラの客たちも。終わったあとはあんな風にすっきりした顔をしていたっけ)
その対面にはスポーツクラブがあった。でかい半透明のガラスの向こうに、よく焼けた黒マッチョが筋力トレーニングをしている様子が透けて見える。
(よく言うよな。筋トレは最高のストレス解消だ、筋肉がつくと自信もつく、カレシもできる。筋肉は裏切らない、筋肉があれば他になにもいらない)
そのとなりはバッティングセンター、さらに隣はヨガスタジオ、カラオケ、アロマテラピー専門店、さらには睡眠カフェなんて店まで並んでいた。
(家で寝ろよ)
なんだかなと思いながらさらに奥に進んでいく。
突き当りには小さなゲームセンターがあった。中に入ってみると、煙草の煙で曇った空間に派手な格好の高校生や中学生の男女がたむろしている。
(ガキしかいないのになんで煙草の臭いがするんだろうな。不思議なもんだ)
それはともかく。俺は店の一番奥にある『マジカルクイズユニバーシティ』の卓に向かった。最近のゲームはなんというか先鋭化されすぎていてついていけない。その点クイズゲームならまあなんとかなる。それに百円だけでそこそこ長く遊べるのもよい。のだが。
(なんだよ満員か)
三つある筐体はすべてギャル風の女の子で埋まっていた。諦めて帰ろうと思ったが、よく見ると彼女らはゲームをプレイしておらず、卓に座って菓子パンかなにかを齧りながらダベっているだけだった。まったく最近の若者ときたら。マナーがなっていない。
「おゥい。やらねえんだったらどいてくれよ」
女の子たちに後ろから声をかける。すると彼女らは後ろを振り返りながら悪態をついた。
「なんだようっせーな! 殺す――」
しかし。俺の顔を見るなり、目を丸くしながら絶句した。
「おまえらは……」
目付きの悪い金髪ショートカット、黒い髪をアタマの上で巻グソのよう巻いた奴、長い茶髪をチリチリパーマにした子。どこかで見たことがある組み合わせだ。
「ちっ! クソ野郎! こんなところウロウロしてんじゃねえチンピラ!」
金髪が立ち上がりながら俺を睨み付け、そして脱兎のごとく逃げ去って行った。
巻グソと長い髪の毛の子も後に続く。
(なんだよ。ちょっとぐらい相手してくれたっていいのに。こちとらヒマなんじゃ)
仕方がないので一人で『MQU』の卓についた。
机の上にはヤツらが置いて言った煙草とライターが置いてある。
(吸ってみるか)
ライターを擦り、火をタバコの先端に近づける。火はつかない。
(あ、こっちは口に咥えるほうか)
もう一本を箱から取り出し、今度は正しい方に火にかざす。
しかしやはり火は着かない。
(なんだこれ。不良品か?)
なんどもライターを擦って指を赤くしていると。
「口に咥えて息を吸いながらじゃないと着かないですよ」
背後から声がした。振り返る。
「戻ってきちゃいました」
不良三人娘の一人、茶髪でパーマの子が立っていた。
「この問題わかる?」
「たぶん。『アイライナー』だと思います」
彼女は俺の隣に座り一緒にクイズに答えていた。俺が苦手なファッション・美容関係の問題に強いので大変助かる。
「ホントだ。サンキュー」
「よかったです」
柔らかい笑顔を見せてくれる。近くでよくみれば化粧や髪型、服装は派手だが素朴で可愛らしい顔をした子だ。声もけっこう好みである。
「このまえはさ。ムリにウデ掴んだりして悪かったな」
「いえ。それは全然大丈夫です。というか謝るのはこちらです。本当にごめんなさい」
そういってアタマを深々と下げる。
「金返してくれたんだって? あんた案外いい奴なんだな」
そんなことないです。というように両手を体の前で横に振った。
「なんであの子らと一緒にいるの?」
「幼馴染みなんです。危なっかしくて目を離すわけには」
「あっそ」
それ以上深入りはしない。
「あの。わたしも三上さんに聞きたいことがあって」
「俺に? なんだ?」
「みのりんが言ってたんですけど――」
驚いて選択ミスをして不正解となった。
「みのりん!?」
最近は学校で話すだけでなく、長電話をしたり、休日一緒に遊びに行ったりするくらいの仲良しだそうだ。非常に驚きとしか申し上げようがない。
「あ、わりい、話の腰折って。質問はなに?」
「アルバイト辞めちゃったって本当ですか?」
再び痛恨の操作ミス。これはもうほぼ負け確定であろう。
「みのりちゃんに、俺に会ったらなんか聞いとけとか言われたのか?」
「まさか。だってこんなところで偶然会うの想定外じゃないですか」
「そりゃそうか」
「ちょっと心配だっただけです」
格好とはミスマッチなはにかんだ笑顔で呟く。
「心配してくれてわりいな。ええと。タムラミカさんだっけ?」
そうです! と嬉しそうな声を上げた。
「別に大した理由じゃないよ。一学期バイトばっかりしてて、金はしばらくやんなくていいくらい貯まったし、勉強しないとやべえからさ」
言っている内容自体はウソではない。
「でも。みのりんは『あれは彼の生き甲斐のはずだから心配だ』って」
(あの野郎……! 知ったようなことを!)
俺は少々語気を荒げながら言った。
「あいつに伝えとけ。余計なお世話だ。ってな」
「そうですか……。でも。バイト行かないと、お金はともかくみのりんに会えないですよね。それでもいいの?」
みのりの顔が俺の視界の中央にでっかく浮かび上がった。
まずは『変身前』の姿、それからこの間デートしたときの垢抜けた姿。
「あっ、ごめんなさい! 私でしゃばりすぎました!」
彼女は手を合わせてアタマを下げつつ、俺の隣の椅子から立ち上がった。
「帰るのか? どうせヒマなんだろう? 飲みにでも行こうぜ」
「いえ。みのりんに悪いので」
と。微笑みを浮かべつつこちらを振り返った。それから。
「ねえ。三上さん」
「くん付けでいいぞ。同い年だろう」
「三上……くん。はみのりんのこと、みのりちゃんって呼ぶんですね。なんかいいな。ぶっきらぼうな感じなのに『ちゃん』付けって萌えます」
なんとなく彼女とみのりが意気投合した理由が分かった気がした。
田村美嘉はゆっくりと歩き去っていく。
「ちっ。なんだよフラれちまった。もうちょっとうまく誘えばなあ」
取り残された俺は、テーブルに残った煙草に彼女に言われた通りのやり方で火を着けてみた。うまく着火することができた。でも今度はうまく吸い込むことができない。むせるばっかりなのですぐに灰皿に捨てた。
そんな風に何週間も目的なく川の渕をぶらついていた。
相手がいれば暴れてやろうと思ってガンを垂れたりクダを巻きながら歩いているのに、目付きだけで『川の渕の殺人狂』などとあだ名され誰もケンカを売ってこない。
何度か女をナンパしたこともあったが一度も成功しなかった。
『MQU』のプレイヤーランクは二三五まで上昇した。
タバコの吸い方も未だにわからない。酒は苦そうだから飲みたくない。
――そんなある日。たしか八月七日のことだ。
この日も深夜零時近くまで川の渕を徘徊して帰宅した。
「お兄ちゃんおかえりー!」
珍しくヒロムがまだ起きていた。なぜかやけにテンションが高い。
狭い部屋を見渡すと、チャブ台に大きな白い布がかけられてふわっとふくらんでいた。なにかを隠しているらしい。ヒロムはニヤりと歯を見せながらそいつの端っこを摘むと、
「ほらー!」
白い布を引っぺがしてみせた。
「ごはん作ったの!」
ちゃぶ台の上に置いてあったのは、大皿に盛られた恐らく肉野菜炒めだと思われる物体、それからごはん、味噌汁。ヒロムのこのキラキラした笑顔である。それはよいのだが。
「あのな。これさすがにちょっと気い使って食ってやれるレベルを超えてるぞ」
「えっ……!?」
器用で優秀なヒロムの唯一の弱点が出てしまった。
肉野菜炒めは明らかな火力過多によりほぼ炭化状態だ。ごはんも明らかに水分がトゥーマッチ、味噌汁もたぶん味噌の入れすぎによって底なし沼のような色調になってしまっていた。そしてちゃぶ台に出しっぱなしにしてしまったので恐らくどれもこれも冷めている。
「わりい。俺寝るな」
「あっ……あっ……あっ……」
寝室の襖を開く。チラっと後ろを振り返ると。
「うううううう……」
ヒロムがまるで子供のように目を擦りながら泣いていた。
いつ以来だろう。思い出すこともできない。
「ごめんね。私、お兄ちゃんが笑ってくれるかなと思って……」
(なにをやっているんだろう。俺は。こいつにまでこんな――)
妹を慰めてやりたいがそんな資格すらない気がしてくる。
俺はただボウっとその場に立ち尽くしていた。
そうして十数分が経過したときだっただろうか。
――インゴーン!
我が家の古いインターホンがくぐもった音を立てた。
ヒロムが涙を台拭きで拭いてインターホンに出る。
「はい。えっ。はい。え? 兄の『せいさい』?」
なにやら外面のいいヒロムらしくない、フワっとした応対である。
「ダレだ?」
「雷一さん? だって。お兄ちゃんの友達だよね。小学生ぐらいの女の子の声に聞こえたけど……」
ドアを開くと。そこに立っていたのは金髪の女の子であった。
「テツヒト。ばか。さみしかった」
ライチが磁石で吸い寄せられたようなスピードで俺の腰に抱きつく。
「外国人の幼女!? お兄ちゃんが輸入したの!? 最低!」
初めはライチに対して不信感を露わにしていたヒロムであったが――
「ライチちゃんかわいいなあ。こんな妹欲しかった」
「そう? そこまでかわいくないとおもうけど」
ものの三十分でこの様子である。
二人は我が家伝統のレトロゲーム機『スーパーニンテ』のコントローラーを握り『スプライトファイターセカンド』で火花を散らしていた。ライチはこのシリーズの続編『ウルトラスプライトファイターV』であれば、インターネット大会で優勝するほどの腕前らしい(そういえば俺も以前ボコボコされた)が。
「またまけた。ありえない。ヒロムちゃんつよすぎ。イミワカンない」
「でしょー?」
新しいものを買ってもらえないため、物心つく頃からこのゲームばかり狂ったようにやりこんでいるヒロム相手はさすがに少々分が悪いらしい。
「つぎは。エドモントン本田で行く」
「ライチちゃんの本田ウマいよねー。じゃあ私はビクトルザンギュラで」
非常に楽しそうだ。つーかライチのやつ、全く帰る気配がない。もう二十四時なのに。
(とはいえ。ヒロムが元気になってくれてよかった)
根本的な問題はなにも解決してないが、とりあえずライチには感謝だ。
――ん。待てよ。
「そういえばさ。ライチ」
ライチが首をぐりんとこちらに傾ける。
「なんか用事があったんじゃないのか」
俺の言葉にポンと手を打つ。
「わすれてた」
ライチはスマートホンを取り出し文字を入力、俺に見せてきた。
「……マジ? そんなことってあるのか」
「ねえ。テツヒト。アナタも立ち会ってよ」
「いや……オレはもう辞めた身だから」
「でもオリコがどうしても来て欲しいって」
ヒロムは早く続きをやりたそうにこちらを見ていた。
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