第三章 第1話 初デート
このころ妹のヒロムに夕飯を食べながらこんなことを言われた。
「いつもアルバイトの話ばかりしているけど。学校行ってる??」
だって部活もやってないし、男子校だから色恋沙汰なんかもあんまりない、学校生活について語るべきことなんてなにひとつないのだ。
そんなわけで。引き続きバイトの話をさせて頂く。
――この日のお客さんは伊丹健太くん。十五歳の高校一年生だそうだ。
彼は七月からサービス開始された高校生向けの『ぶっ殺す青春コース』を選択。
線が細く優し気な顔をした、典型的な草食系男子だったので大丈夫かなと思ったのだが。
『オラアアア! クソ共が! 全員ゲロジャムにしてロシアンティー淹れてやらああ!』
ぜんぜん大丈夫のようだ。巨大鉄パイプを振り回して次々とブッコロイドを破壊、教室型のブッコロステージをジャムまみれにしてゆく。
「かれ。できる」
「だな。動きにキレあるし、言葉のセンスもなかなか。爽快感あるわ」
会議室のモニターからライチと二人で彼の活躍を見守る。みのりは本日休み、桜梨子さんは得意先との打ち合わせに出かけている。
『騒ぐブス―! 死ねー! なぜブスほど騒ぐのだ!』
鉄パイプを棒高跳びのように使い高く跳んだ! そしてそのままライダーキックのような形で騒ぐブスを空襲、騒がないブスに変化させた。
「おっ! いいね! オリジナリティのある使い方だ!」
「テツヒトたのしそう」
ライチが口角をあげて対面に座る俺の目を覗く。少々照れくさく目を逸らした。
モニターの中の教室には生存者はほとんどおらず、残るは教師の男のみ。
健太くんは彼に近寄り、
『このセクハラ野郎!』
と叫びつつ思い切り急所を蹴り上げた。
『クソがあああ! なぜ男に産まれてセクハラなんか受けなくちゃならねええんだ!』
教師の顔面を踏みつけ、ぐちゃぐちゃにすり潰す。
人それぞれ人生には色んな障害があるものだ。
ブッコロステージまで健太くんを迎えに行った。
「お疲れ様。派手にやったな。ちっとはすっきりしたか?」
彼は荒い息をつきながらも爽やかな笑顔を見せてくれた。俺も思わず頬が緩む。
「はい! バイト頑張った甲斐がありました」
ぶっ殺す青春コースの基本料金は五万円。こちらとしては赤字覚悟の超サービス価格だが、学生にとってはちょっとやそっとで出せる値段ではない。
「バイト代費やすだけの価値はあったかな……?」
俺が少しネガティブな気持ちでもってそのように聞くと、彼は溌剌とした声で言った。
「ええ! お金では買えないような価値がありました! だって勇気が出ましたから。ヤツを告発する勇気が! いざとなったブン殴ってやりゃあいいんだ! あんなクソ教師イチミリも怖くない!」
健太くんは両手の拳を固めた。俺は彼の肩にポンと手を置く。
「またいつでも来てくれよ。落ち着いたらな」
それから「ナイショだぞ」と言いながら五〇〇〇円割引のクーポン券を渡してやった。
会議室に戻ると桜梨子さんがいた。いつのまにか帰社していたらしい。
「見たぞ~! この職権濫用野郎!」
といいつつ目は笑っている。
「クーポンのこと……? アレは先行投資ってゆうか……」
こいつぅ! と言いながら俺の首を絞める。子供みたい人だなァと思っていたら、
「それはいいんだけさ。最近働きすぎじゃない?」
俺を解放すると急にマジトーンでそのようにおっしゃった。
確かに夏休み入ってから本日まで、一日も休むことなく十日連続で出勤している。
「自分では気づかない内に疲れたまりまくってたりするから気をつけな」
ありがとうございます。と頭を下げた。
「明日は休みだから大丈夫ですよ」
「それならよかった。どっか遊びに行ったりするの?」
「ええ……実は……」
「どこ行くの?」
「えーっと……」
「あっ! その反応! さてはデートだな!? 誰!? いや一人しかいないか!」
ライチが例によってガマガエルみたいに頬を膨らませていた。
――で。その翌日の朝。
「あの……ヒロム?」
我が妹、三上広夢はなかなか優秀なヤツである。
性格がのんびりしていてあまりシャカリキに努力をするということはしないが、それでも勉強、運動、その他の技術科目などいずれも人並以上にこなしている。特に手先の器用さが抜群で技術家庭科や美術の授業でたまに気が向いたときには、ものすごいクオリティーのものを制作し、教師や友達を驚かせているとか。
そんな彼女の最大の特技は。なんと『散髪』だ。
これは貧しい母子家庭に育ったが故、必要に迫られて身につけてしまった少々悲しい特技である。兄弟二人分の散髪代を節約できれば、少なくとも四食分ぐらいの食費を捻出することができるのだ。これはわれわれにとっては大きい。
そんなわけで妹がこの技術を身につけてから(小二)現在に至るまで、俺の髪の毛は常に妹によってカットされ続けている。
本日も俺は洗面所の大きな鏡の前に座り、妹愛用のスヌーピー柄のシザースによって清潔感をアップさせているわけなのだが。
「ヒロムさ」
なんというか。怖い。ヒロムは先ほどから一言もしゃべることなく、すごいスピードでハサミの刃をジャキジャキ開閉させていた。はっきりいって命の危険を感じる。
「怒ってんのか?」
「怒ってない!」
俺のアタマを脳が揺れるくらいの勢いでハタいた。
「痛てっ! 怒ってるじゃねえか!」
「細かい髪落としただけ!」
その後。拷問をするがごとく洗面所にムリヤリ顔面を突っ込んで頭を洗い、ドライヤーをかけてワックスで髪の毛をセットしてくれた。
「おお。相変らず素晴らしい出来栄え」
「寝る!」
ヒロムはハサミをほおり出してエプロンを脱いだ。
「言っておくけどね! お兄ちゃん!」
俺を逆転裁判のようにビシっと指さす。
「髪の毛なんか整えたって彼女なんかできないんだからね!」
襖をビシャっと閉めて寝室に消えてしまった。
(うーむ。どうもヤツのブラコンぶりも結構なリアルガチだな。まあガキの頃からほとんど二人だけで過ごして来たから仕方がないか)
俺は寝室の襖をそーっとあけた。
「行ってくるからな。なあ今度二人でどこかに出かけ――」
すでにグウグウと寝息を立てていた。
気ぃ使って損した。
『次は~新宿~新宿~』
電車に揺られてJRの両国駅に向かう。
本日は七月二十二日。珍しくアルバイトではなく遊びに出掛ける予定を入れてしまった。
事の発端は「あの女」が突然「夕飯に誘いたいっていうから電話番号教えたのに、全然誘って来ないじゃないですか!」と詰め寄ってきたことにある。
いろいろと誤解があるのだが、まあいいやじゃあ誘うということで現在に至る。
(これってデートっつーのかなあ?)
電車のドアのガラスに映る自分の姿を確認する。
いつもの派手な柄モノのTシャツではなく、ライトグリーンのポロシャツ。愛用のダメージジーンズではなく黒の綿パンツ。爽やかさを意識したスタイルなのだが。
(これでもまだチンピラ臭え……。目つきだけはどうにもならんからなァ……)
前髪をさっと直しながら溜息をついた。
十三時ジャスト。両国駅に到着。
集合時間まであと三十分も余裕がある。こう見えて時間はきっちり守る男だ。
(とはいえ。守りすぎた)
広場のベンチに腰を下ろす。やけにそわそわしてなかなか時間が経過していかない。
なるほど。スマートホンなんてナニがいいんだあんなもん。と思っていたがこういうときにヒマをつぶすのによいのだろう。
そうして十五分ぐらいが経過したころ。
「こんにちはー!」
突然。なにものかに後ろから右肩を叩かれた。後ろを振り帰る。
「久しぶりー。髪切りました?」
(誰だこいつ……?)
明るめの茶髪をポニーテールにまとめた同い年ぐらいの女だ。ノースリーブのパーカーに丈の短いショートパンツ、ニーソックス。足もとはニューバランスのスニーカーというスポーティーな格好をしている。やけになれなれしい態度だが、中学から男子校の俺にこんな都会的でオシャレな女の子の知り合いがいるわけがない。
(新手の勧誘かなあ。いわゆるツツモタセ? 東京こええ)
「あんた誰? 言っておくけど金ならねえぞ」
彼女は大きな目をこぼれ落ちそうなくらい見開いて「ウソでしょ!? 忘れたんですか!?」と叫んだ。
(演技には見えねえな……マジで知り合いなのか? 小学校の同級生とか?)
そいつの顔を凝視する。よく見ればけっこう可愛いらしい顔をしている。そして確かにどっかで見たことがあるような。
「あっそうだ。こうすればわかるかな」
女はカバンからメガネケースを取り出して、
「ほら。このクソメガネ」
赤いメガネをかけて見せた。
「!? ああああぁぁぁ!? おまえ鈴村か!?」
彼女は腕を組んで頬を膨らませた。実に鈴村らしいマンガっぽい仕草だ。
とりあえず昼食にしよう、ということで広場を離れて大通りの方に向かう。
俺の隣を歩いている女の子はあまりご機嫌がよろしくない。
「なあ。そろそろ怒ってない鈴村さんに戻ってくれよ」
「だってさ! ちょっと髪型と服装変えて、一週間会わなかったぐらいでわかんなくなります!?」
こいつ意外と短気なんだよな。俺も言えないけど。
「逆に考えるんだ。俺でも気づかないくらいにイメチェンに成功したとそう考えるんだ」
少年ジャンクの古典的名作『女嬢の奇妙な冒険』の名セリフでご機嫌を取りにかかる。
鈴村は「そっか!」と手を打って微笑む。比較的チョロいヤツでよかった。
「でもなんでまたそんなに急に?」
「うーんなんというか」
ポニーのしっぽを指に巻き付ける。こういう変な仕草をするところは変わっていない。
「街で声かけられるようになっちゃったから」
「あー……」
先日撮影した動画はなんつったか忘れたが、海外のコメディアンに紹介されたことをきっかけに爆発的に再生数を伸ばし、昨日づけで二百万を突破。有線放送のテレビ局からも取材が来るありさまであった。
「みんなけっこう図々しいんですよねー。写真撮ってSNSに上げていい? とか動画撮るからなんか面白いことしてくれーとか」
「ヤカラだな……でもまあ将来声優になった日にゃあいくらかプラスになるんじゃねえか? その知名度は」
鈴村は苦笑しつつもコクンと頷いた。
「あとは。は、初めてデートとかするから。少しはオシャレを」
顔の横に垂れた髪の毛の束を耳にかけ直す。
髪型のせいで露わになったうなじが少しだけ赤く染まった。ような気がした。
(これは汚ねえ! 俺のポニテール好きを知っててこのアマ!)
改めて彼女の横顔を凝視する。
もともと肌はキレイで目も大きくて睫毛も長いのは知っていたけど――
(この横顔……どこも悪いところがない……)
「三上さんも、今日はなんか爽やかですね。オシャレして来てくれたの?」
と顔を覗き込んで微笑む。
(うわ……なんかダメだ! この感じ耐えられない!)
俺は不自然でない程度に話題を変えた。
「で、でもおまえほどじゃねえよ! 学校でも驚かれるだろうな!」
「そうですねー。少しは学校でも好感度アップするといいんですけど」
とりあえず話題を転換することができて安堵。
そして少々気になっていたことを聞いてみる。
「そういえばさ。あの三人は元気?」
「あまり元気じゃないかな? 廊下でスレ違っても基本的に目も合わせてこないです」
「そうなのか。それはホント良かったよ」
あのときのことが原因でさらに……ということがないだろうか、というのはじゃっかん気になっていた。
「告発っつーか、警察や教師に言うつもりはねえのか? あるなら例の証拠写真送るが」
「いえ。いいんです」
「金とり返さなくてもいいのか?」
「返してもらいました」
へっ!? と裏声が出てしまった。
「あの髪の毛長い子覚えてます? 田村美嘉さんっていうんですけど」
「わりと大人しそうな感じの、茶髪でパーマの子か?」
「そうそう。あの子が今までのお金返すとか言って五万円渡して来たんです。びっくりしちゃいました。なんか申し訳なくて三万円だけもらって二万円返しましたけど」
「……絶妙な落としどころだな」
「でね。それからあの子とちょいちょい話すようになったんですけど。三上さんのことをすっごい聞かれるんです。好きになっちゃったのかも」
確かにあの子はある意味で優しくレディとして扱ってあげた記憶はあるが。
「モテますねえ」
「手一杯だからカンベンしてくれぃ」
などと話している内に目的地である『サンデイナイト』の黒い看板が見えてきた。
だが。
「閉店……」
鈴村がこの世の終わりを迎えた絶望を顔で表現した。
「最近経営が悪化して、閉店する店が増えているとは聞いてましたけど……」
そういえば貴音さんもそんなことを言っていた。まァこの店の商品は圧倒的なインパクトはあるが、色々な意味で気軽には手を出せない代物である気はする。
「そしたら昼飯どうする? 『会場』で食べるという手もあるけど」
「いいですけど。会場ってもう開いてるんですか?」
「朝の八時半から開いてるよ」
「早っ!?」
「焼鳥でも食おうぜ」
鈴村が跡地を写真に納めるのを待ってから会場に向かう。
まだ人もまばらな『両国国技館』に足を踏み入れる。
売店で名物の焼鳥を四パック購入して『舛席』と言われる、イスに座るのではなく座布団に座って観戦するこの会場特有の席に着いた。
「へー! ピクニックみたい!」
「まあジジイババアのピクニックみたいなもんかもな」
焼鳥を袋から取り出し三パックを鈴村に渡す。
会場の中央ではまだ若い大きなカラダをしたハダカの男が『のこったのこった!』の声と共に思い切りぶつかりあっている。
「しかしなあ。人生初めてのデートがここかあ」
鈴村は苦笑しながら焼鳥を次々と飲み込んでいく。
「なんだあ? 文句あるのか? 高いんだぞここは。買うと」
今日の『大相撲夏場所 千秋楽』のチケットは親父の知り合いに頂いたものだ。
「しかもおまえ、七月の夏場所は例年なら愛知で開催なのに、今年は改装工事のため特別に東京開催。夏場所が両国で見られるなんて二度とないかもしれねえぞ」
「い、いえ文句なんていうつもりは! 三上さんの行きたい場所に連れて行って頂きたいっていったのは私ですし!」
ブンブンと手を振りながら必死に弁解する。その様子に今度は俺が苦笑。
「おまえの今の格好と、その敬語口調。全然合ってねえな。違和感がすごい」
鈴村は「そんなこと言われましても……」と目を俯かせる。
「それに同い年なのに、三上さんっていう呼び方もなあ。クソメガネダサモサJKの時なら良かったけど」
「それは正直ちょっと私も思ってました。――ねえ」
肩にポンと手を乗せてくる。
「『テツヒト』って呼んでいいですか」
上目遣いでそうささやいた。不覚にも頬が熱くなる。
「きゅ、急激に距離を詰めてきたな」
「だってライチちゃんはテツヒトって呼んでるから。ずるいなーって思ってたんです。私の方がじゃっかん仲良いのに」
……こいつもなかなか面倒くさいところがある。
「いいよ。でもそう呼ぶんなら敬語はやめろよ」
「はい! そうですね! やめます!」
辞めてねえじゃねえかと指摘する。
「すまん! 今のは間違えだけだ! 順調にやめるぜ!」
なぜか少年のような口調で言った。
「俺もみのりって呼んでいいか」
「えっ!? ああ……まあ……そう、あ、ですね……」恐ろしいほどに歯切れが悪い。
「なんだぁ? イヤなのか?」
鈴村は両手の人さし指をツンツンと合わせながら回答した。
「イヤじゃないんですけど。このあいだ一回私のこと『みのりちゃん』って呼んでくれたのがなんか嬉しかったから、そう呼んでほしいなって」
「――みのりちゃん」
俺がそう発声した瞬間。彼女の鼻から一筋の赤い血が流れた。
「おまっ! どうした!?」
顔面が比喩でもなんでもなくマジでタコの色になっている。
「ご、ごめんなさい! オトコノヒトに下の名前で呼ばれたもんだから、血液代謝がバグったみたいで!」
「どんな体の作りしてんだおめー」
みのりは棒状に丸めたティッシュを右の鼻穴につっこんだ。
「そんでその止血方法はどうなんだ?」
けっこう長いこと血は流れ続けていた。自分のものではなく隣にいる女の子から発っせられるの鉄の匂い。なんだか変に体がむずむずした。
ようやく血が止まったらしく、みのりは鼻の穴から真っ赤に染まったティッシュを引き抜いた。そしてなぜかそれをしげしげと見つめる。
(これを見せつけられて俺はどうすればいいんだ……)
なんだかいたたまれないので適当な話題を見つけて話しかける。
「一週間ぐらいバイト来てなかったけど。なにしてたの?」
「ああそうだ。大事なことを報告し忘れてた」
と。カバンに手を突っ込み、なにか冊子のようなものを取り出す。
「なんだこれ? 予備校の夏期講習……あああああぁぁぁ!?」
表紙には『佐々木アニメーション学院 声優コース』と書かれていた。
「おまえ! エライじゃん! すげえ! よくやったなあ! エラいぞ!」
「ははは。体験入学コースに三日通っただけでそんなに褒められるとは思わなかった」
冊子をペラペラとめくる。各所に小さい文字でびっしりとメモが書かれており、一生懸命勉強していることが伝わってくる。
「体験コースだけどね、成績がよければオーディション受けさせてもらえるんだって!」
そう語るみのりの表情はキラキラと輝いていた。
「マジか! じゃあ火の国相撲のオーディション受けようぜ! たぶん半年後ぐらいに新ヒロインが登場するはずだからちょうどよくね?」
「いやどうかなー? さすがに少年ジャンクのアニメはムリかも」
「そうなのか。すず――みのりちゃんが出てくれたらみんなに自慢できるのに」
「わ……テツヒトってたまに天然で恥ずかしいこと言うよね」
確かに学校でもたまに天然呼ばわりされることはある。しかし。根も葉もないことなのでいつも全力で否定している。
「でも。そうか。もしかしたらできるかもしれないから。お相撲、ちゃんと見ておかないとな。せっかくテツヒトが連れて来てくれたんだし」
みのりは土俵を真剣な目で見つめ始める。
俺もいろいろと解説を加えながら久しぶりの相撲観戦を堪能した。あとから考えればバカバカしいうんちくばかりだったが、感心した様子で聞いてくれていた。
『とざい、とーざいー』
『番数のとりすすみましたるところ、片や、白龍、白龍。こなた、田中丸、田中丸。この相撲一番にて千秋楽にござります~』
いよいよ千秋楽結びの一番だ。
いろいろとうんちくを垂れたくなったが、あまりうるさくてもよろしくないので、みのりには『最終戦。勝った方が優勝』とだけ説明した。
「ねえねえどっちが勝ちそうなの?」
「そうねー。ま、横綱だな。大関・田中丸も勢いはすごいけど地力が違うよ」
「へー。じゃあ私は田中丸さんを応援しようかな」
こいつもオタクなだけあってなかなかヒネくれ者である。
「田中丸が勝った場合、座布団が飛ぶかもしれないから当たらないように気をつけろよ」
「飛ぶ?? 座布団が? アラジンみたいに?」
「聞いたことないか? 『座布団の舞』。番狂わせがあったときなんかに観客が座布団投げるヤツ」
「ああ。なんか見たことあるかも。でも座布団なら当たっても大丈夫じゃない?」
いや座布団っつても結構重いから――と普通に説明しようかと思ったが。
ひとつイタズラを思いついてしまったのでそれを決行する。
「おまえな。座布団の舞を舐めるなよ」
「えっ?」
「両国国技館に置いてある座布団にはな。盗難防止のために鉄板が仕込まれているんだ。従って。投げられた座布団に当たった場合には――」
みのりの目をじっと見つめる。
「よくて失神。悪ければ――――――――――――――――」
ここでたっぷりとタメを作る。
「死ぬ。血反吐を吐いてな」
バカだ。完全に騙されて真っ青な顔をしている。楽しい。
などと遊んでいる内に制限時間いっぱいだ。客席から大歓声が送られる。
『はっけよーい! のこった!』
行事の声とともに両者土俵の中央に向かって突進。四つに組み合う。
そのほんの一秒後。客席はどよめきに包まれた。
「マジかよ……」
『ただいまの取り組みは~寄り切りまして~田中丸~田中丸~』
田中丸のドトウの寄りの前に横綱なすすべなし!
「もう白龍の時代じゃねえ! 田中丸の時代だ!」
俺がそう叫んだとほぼ同時に、客席のあちらこちらから座布団が舞う。
「いいいいいいいやああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
みのりの今日付けで世界が滅びるかのごとき叫び声。面白過ぎる。
ほとんどの座布団は土俵に向かってまっすぐに飛んでいったが――
「く、来る!!!」
おや。座布団のひとつがこちらに向かってくる。
俺は立ち上がり、そいつをかるーくキャッチ――しようとしたのだが。
「テツヒトーーーー! 危なああああああああああぁぁぁぁぁいい!」
みのりの強烈な胴タックルが炸裂。予想外のムーブメントに一切対応できず、俺は仰向けにぶっ倒された。みのりが俺にのしかかるような形となり、柔らかいものが俺のハラあたりに乗る。そして。彼女の後頭部に座布団が落ちた。
「……痛っ! アレ? 死んでない」
当たり前である。
一連の流れを見た周囲のおじいちゃんおばあちゃん連中が大爆笑を発生させる。
「姉ちゃん! いいか! 鉄板なんて入ってないぞ! 入ってたらジジイババアの力でこんなに景気よく飛ぶかいな!」
「ガハハハハ! それにしても見事な押し倒し! 全盛期のアケボノばりだワイ!」
「若いお二人! 今夜は夜の相撲じゃな!」
みのりは顔を真っ赤にして、俺にのししかかった体勢のままビンタで頬を張った。
俺は思った。
(やっぱり! こいつの着やせはハンパじゃねえ! このボリューム感……!)
「テツヒトってこういう人なんだって。ちょっとがっかりしちゃった」
「ちょいとからかっただけじゃないか」
「冗談にしてはタチが悪すぎじゃない?」
「さっき売店で買った角力チョコレートをやるから」
「まあ許すんだけどね♪」
からかったりするというのは仲良くなったという証拠やからな。などとホザきながら関取の形をしたチョコレートを口に運んだ。
土俵上では幕内最高優勝賞品の授与が行われている。
「お相撲の優勝賞金っていくらぐらいなの?」
せっかくキレイに塗ったリップをチョコレートで茶色くしながら俺に尋ねる。
「一千万円」
「マジで!?」
「それに各種スポンサー企業から金一封も送られるからさらにそれ以上だな」
「すごいねー」
「副賞もあるしな。お米三十俵とか直径四十一センチのマカロンとかうめぼし十万粒とか牛乳一頭分とか」
「なんかカオス……」
土俵上では内閣総理大臣杯の巨大なトロフィーが授与される。
小泉純一郎氏が「感動した!」と言いながら授与したことで有名なアレだ。
「すごい! あんな重たそうなトロフィーを片手で!」
みのりが土俵を指さす。ゴツイ体格にオールバック、スーツ姿の男がトロフィーを――
「ああああぁぁぁ!? アイツ! 泉岳山じゃん!」
思わずシャウトが出てしまう。
「有名な人なの?」
「知らねえのかよ!」
みのりは心の底からすまなそうな顔でごめんなさいと頭を下げる。
「いや謝るこたァないけど。元大関泉岳山。本名は泉田公望。学生時代はレスリングで全日本選手権優勝、その後相撲入りして大関まで上り詰める。親方とケンカして引退したあとはプロレスと総合格闘技に転向してそっちでもチヤンピオンになった怪物だよ」
以前よりは痩せたし、髪の毛にも白髪が増えたが、その精悍で自信に満ち溢れた顔つきは少しも変っていない。もっとも現役時代をリアルタイムで知っているわけではないが。
「今はなにやってるの?」
「政治家。児童福祉大臣」
「ウソ! すごっ!」
「まあそれだけのスポーツで一流になるってことはアタマも一流ってことだろうな。この内閣総理大臣杯の授与は内閣官房副長官だったり総理本人が渡す場合が多いんだけど。田中丸は泉岳山の弟弟子に当たるから敢えて彼なんだろう。なかなか粋な演出だ」
泉岳山は優勝力士のオデコをぺちーんとドツいてからトロフィーを渡した。
国技館は笑いに包まれる。田中丸本人も笑ってしまっていた。
大相撲の興業は野球なんかとは異なり、終了時間が絶対にずれないことに定評がある。
この日も十八時きっかりに全日程が終了した。
みのりとふたり、国技館を後にする。
「ここから歩いて五分ぐらいの所に『江戸川』っていうちゃんこ屋があるからそこ行こうぜ。元力士がやってるような高級店じゃねえけど、金ねえから勘弁してくれ」
「うん。それは全然いいんだけど。混んでないかな?」
「大丈夫だ。予約してあるから」
「へー! 意外とマメだねぇ」
「ま、まあ。だって今日は一応夕飯食うのがメインだからな」
「そっか。そうだったね。私が言ったんだった。嬉しいな。ありがとう」
まっすぐに俺を見て微笑む。俺は視線を外して早足で歩きだした。
(くそお……前はたまーに可愛いなって思うくらいだったけど今日は――)
「あっ待ってよ! 速い!」
「いらっしゃいませー!」
「予約してた三上です」
お相撲さんのような体型のおかみさんに個室に案内される。
部屋には二人で座るにはエラく大きな掘りごたつが置かれ、壁には有名力士たちの手形がたくさん飾られていた。
「さっきはびっくりしたねー」みのりが献立をめくりながら呟く。
「街頭インタビューのことか?」
国技館からここまでの道すがら。大相撲を放送しているJBTというテレビ局が『相撲女子にインタビュー!』なる企画を行っており、みのりがその対象になっていた。
「いつ放送されるのかな? 今日はメイクとかちゃんとしてて良かったけどやっぱり恥ずかしいな」
「いや永久に放送されないと思うぞ」
みのりはテンパって『うわああああああぁぁあぁ! ごめんなさい! 私初めてなんです! はじめての癖にマス席なんか座ってすいません! お相撲さんに激突されて死ねばいいのに! 上手投げえええ!』などとトリップしていた。アベーナTVとかならともかく、硬派なJBTがそんな衝撃映像をお茶の間に流すとは思えない。
「そういえばさ。お相撲の中継ってJBTだったんだねー」
お冷を噴き出しそうになった。
「さすがにソレは知ってるだろ! JBTっていえば相撲ってぐらいのもんだ!」
「ええ? JBTといえば私の中では『カードハンターさくま』と『忍たまニャン太郎』。あとは『電動レアコイル』も好き。あとは――」
「失礼しまーす! ご注文お決まりでしょうか!」
ちょうど面倒くさい感じになってきた所に店員さんが来てくれた。
俺は迷うことなくこの店のメニューで最も量の多い『横綱エクスプロージョン! 超重量級スモーモンスターコース』を注文する。
店員さんに大丈夫ですか? すごい量ですよ? と問われたので「余裕です」と答えた。
彼女は俺たちの顔を交互に見てから「なるほど!」などと手を打ち、そして去っていった。なにが成程なのだろうか。
「ちゃんこ楽しみだなぁ。えーっと。それでなんの話してたっけ」
「みのりちゃんの好きなアニメの話はもういい」
みのりは不満そうに唇を突き出す。完全にオタクの悪いところが出てしまっている。
それはいいとして。
「親父がさ――」
俺はグラスを口に運びつつ、朝からずっといつ話そうかなと考えていた話をさりげなく切り出した。
「JBTの元社員だったんだよ。しかも相撲担当」
「そうなの!? すごいね! 超エリートだ!」
「エリートっつうか、学生相撲で結構強かったから、その線でのコネ採用みたいなもんだったらしいけどな」
「今はなにをしてるの?」
「死んじゃった。過労でな。俺がまだ小学校に入る前に」
しめっぽい話でわりいけど。と付け足した。
「母親曰く。めちゃくちゃ生真面目な人だったから、頑張りすぎちゃったんだろうって」
みのりは歯を喰いしばり、目をぎゅっと閉じ、肩を震わせ始めた。
「ちょっ! 嘘だろ! 泣くのか!?」
「だ、だって……テツヒトの気持ちになったら」
「こんな十年以上も前の話で今更泣かれても困るわ!」
大きく息をつき、続きを話す。
「まあでも。最近親父のことを思い出すことが結構多いんだ」
みのりは慎重に言葉を選びつつ「なにか理由があるのか?」ということを尋ねた。
「ウチでやってるブッコロセラピーあるだろ。あのときもし世の中にアレがあれば、俺がコロセラで働いていたとしたら。もしかしてどうにかしてやれたんじゃねえかって」
なぜかやけにノドが乾いたのでグラスに入ったお冷を一気に飲み干す。
みのりは口をパクパクと動かしてなにかかける言葉を探していた。
「ああ。わるいわるい。別に愚痴を言いたいわけじゃなくて――」
「お待たせしましたー! 『横綱エクスプロージョン! 超重量級スモーモンスターコース』お持ちいたしましたー!」
――早っ! 机上に置かれたコンロの上にぐつぐつと煮立った巨大な鍋が置かれる。
「あの……」
「とりあえず食おうぜ。これを前にシリアスな話をする気にならん」
みのりは俺の表情をチラチラと伺いながらも、キモチのよい勢いで鍋の中身の豚バラ肉、鶏肉、白菜、すり身団子などを次々に口に運んでいった。
俺2、みのり8の貢献度で鍋の中身は完食した。
現在は追加注文した雑炊用のコメと玉子を鍋に入れて、ひと煮立ちさせている所だ。
「なあ」雑炊が出来るのを今か今かと待ち構えているみのりに話かける。「どうだった? 初相撲観戦は?」
「面白かった!」無邪気な笑顔でそう答えた。「なんかスカッとするよね! あんなでっかい人が交通事故みたいな勢いでぶつかって!」
「その表現はどうかと思うけど。ま、そうだよな。それが魅力だ」
鍋のフタを開けてみる。もう少し温めたほうが良さそうだ。
「なんつーか。その。ああいう風にスカっとさせてもらえるっていいよな。エンターテインメントの基本かもしれないけど。おまえの好きなアニメなんかもそうかな」
「そうだねぇ。あんまり深く考えたことなかったけど」
「でさ」ここからが本題だ。だいぶん回りくどくなってしまった。「スカっとさせてもらえる側もいいんだけどさ。スカってさせる側ってのもいいよな。お互いにWINWINの関係というか。客共のスカっとしたツラ見るとやっぱり結構嬉しいっつーか。おまえが目指してる声優もそういう仕事なんじゃねえかな。いや。別に変な意味じゃなくてな」
みのりは一瞬キョトンとした顔をしたのち、
「なに? 『コロセラの仕事ちょー楽しい!』って言いたいだけなの?」
口に手をあてて笑った。
「別にそんなにツンデレなくてもいいのに! 見てれば分かるよ。テツヒトめちゃくちゃ楽しそうだなって」
「まあ。そりゃそうだけど。重要なのはここからなんだよ」
鍋のフタを開ける。もうよさそうなので取り皿にみのりの分をよそってやる。
「高校卒業したら就職させてくださいって。桜梨子さんにお願いしに行こうと思って」
みのりは飲んでいたウーロン茶をプロレスの毒霧のように噴き出す。鍋に大量に入った。
「汚ねえ!」「だって!」
みのりの手元に雑炊を山盛りにした取り皿を置いてやる。
「まさかそこまでとは思わなかったよ」
「なんだろうなァ。まあ自分語りになっちゃうけど」
取り皿に適量の醤油を垂らしてやった。
「今までの人生、勉強とバイトばっかりしててさ、つまらなかったわけじゃないけど、なんつーか義務感に駆られていた気がするんだよな」
自分の分の雑炊もオタマで掬う。
「初めてこれをやったらおもしれえ、これをやりたいってものに出会えた気がするんだよな。ださい言葉で言えば『やりがい』ってヤツかな」
みのりは机に頬杖をついて俺を見つめている。穏やかな表情だ。
「いつからそういう風に思うようになったの?」
「おまえがCM撮影で暴れてるのを見てから」
ワタシ!? と甲高く可愛らしい声で叫ぶ。つくづく声優向きの声質だ。
「おまえのあのときのイキイキといた表情は忘れられない。動画のコメントでも散々書かれてたけどな」
みのりは頬を染めながら後頭部を掻く。
「それに今日のおまえこの変わりよう。ブッコロセラピーってすげーなと思うよ」
雑炊を口に運ぶ。鍋の具の味が全て凝縮されており大変うまい。
「あとはさっきも言ったけど。親父のこともあるのかな。親父みたいになる人が少しでもいなくなればいいな。なんて」
みのりは少し眉をしかめながらも、笑顔で「そっか」と言ってくれた。
「そんなわけだから。今日これから言いに行こうと思って」
「今日!?」
「もちろん雑炊食べ終わったらだぞ。食べ物を残すのは人殺しと同等の罪だからな」
みのりはじゃっかん不満そうに口を尖らせる。
「ええーじゃあ私今日ひとりで帰るのー?」
「は!? バカかおまえ! 一緒に来てくれないのか……?」
「き、キレるか、哀願するかどっちかにしてよ!」
困り果てた顔をしながらも雑炊を食べる手は止めない。
「だって断られるかもしれないだろ? ほら。俺あんまり役に立たねえからさ。その場合みのりちゃんが説得してくれないと」
「大丈夫だと思うけどなー。なんだかんだ桜梨子さんテツヒトのこと大好き――」
煮え切らない態度のみのりを睨み付ける。
「そ、そんな捨てられた子犬みたいな目! わかったよ! 行くよ!」
ほっと胸を撫で下ろす。
「テツヒトはたまに急に子供みたいになるんだよなあ」
うるせえ! と言いながら鍋の底に残っていた大きな肉団子をみのりの皿に乗せてやる。
「でもそういうところ好きだよ」
「おまえな。俺はともかく他の奴にはそういうことを言うなよ。勘違いするかもしれないだろ」
はい? などとトボけた声で言い、大口を開けて肉団子を頬張る。
「なあ。みのりちゃん」
「なに?」
「俺さ。おまえが羨ましかったんだよ。人にやらされたことじゃなくて、自分で見つけたやりたいことがあって。自分ではどうせ気づいてないんだろうけど、キラキラ輝いて見えたよ。だせえ言葉で悪いけどな」
俺がそう言うと、目を伏せて皿の中身をすごい勢いでかきこみ始める。
どうやら照れくさかったらしい。
「俺もさ」みのりを見つめる。「おまえみたいに。輝いて生きられるかな?」
「――もちろん! できるに決まってんじゃん!」
みのるは最高の笑顔でピースサイン。それから取り皿を俺に渡す。
「よし! それじゃあテメエには負けねえぞ」
「うん。勝負だね」
鍋に残った米を一粒も残すことなく取り皿に盛りつけてやった。
ちゃんこ屋を出る。外はもうすっかり真っ暗だ。
「さーて。じゃあとりあえず駅に向かうか」
両国駅に向かって歩き始めると。
「待ってよ」
みのりが俺のベルトのケツ辺りに指をフックさせる。
「さっきから歩くの速い。夜怖いからおいて行かないで」
俺は彼女の方を振り、心臓をバクつかせながら、なんとか勇気を振り絞って言った。
「このヘタレ野郎。やりたいことはちゃんとやれ」
みのりの右手をそっと掴んだ。彼女の体温が伝わる。ドンドン熱くなっていく。
「テツヒトの手ぇ冷たっ! 大丈夫? カゼとか引いてない?」
「おまえが熱いんだよ。異常に」
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