第二章 第6話 撮影当日
有限会社コロセラは、社長の人柄ゆえか、常になんとなく緩い雰囲気、教育テレビのアニメのような脱力感が漂っている。そんな社風である。
「ブッコロイドA13号! 搬送OKです!」
「はい! 承知です! すぐに動作確認に入ります!」
しかし。この日ばかりは会社全体に緊張の糸がピンと張りつめていた。
社員ほぼ全員が朝の九時から出社して本日のビッグイベントに備えている。
俺も朝から社員さんの指示に従い、機材や舞台装置を運んだり、大道具類の清掃を手伝ったりと大忙しであった。
「ブッコロステージ及びブッコロイドのスタンバイオールOKです!」
「よし! 本番開始は三十分後! 十五分押しの十五時四十五分スタートです!」
準備は完了したようだ。俺は本番中の定位置である会議室に向かった。
「おつかれ~」
「お疲れ様ですー」
ドアを開くと桜梨子さんとライチ、それに数人のスタッフたちが座っていた。
壁にかけられたモニターには、学校の教室を模したブッコロステージが写されている。
「どう? 緊張してる?」桜梨子さんがにこやかに話かけてきた。
「いや俺は別に」
本番中に俺がやることは大したことではない。台本を片手に『主演女優』の耳に刺さったワイヤレスイヤホンを通して、段取りの指示を行うだけ。彼女のアタマには台本の内容はイヤというほどインプットされているはずで、ぶっちゃけほぼ必要のない、保険にすぎない役割だ。
「そっか。私はちょっとブルっちゃってるなー。なにせやり直しがきかないからね」
二時間ほど前に会場入りし、控室で待機している女優に思いを馳せていると。
「つんつん」
と口に出しながらライチが俺の肩を突いた。ライチ式スマホ話法で語り掛けてくる。
『行っておあげなさい』
抽象的な言葉だがもちろん言わんとすることは伝わった。
「え? やっぱり行ったほうがいいかな。余計緊張するかなーと思ったんだが」
『わたしならきてほしい』
「わかった。おまえがそういうなら行ってくるよ」
『うむ』
腕をエラそうに組み、ゆっくりとした動作で頷いた。
「しかしびっくりだな。おまえがそんなこと言うなんて」
俺がそういうとライチは鼻の下をひとさし指で擦りながら、
「正妻のヨユウ」
などと声に出してホザいた。
自分なにヌカしとんねん。アホとちゃいまっか? と突っ込んでから会議室を出た。
あの豆腐並の強さもない湯葉メンタルの持ち主のことだ。どうせまた控室の隅っこで体育座りでもしているんだろう。などと考えながら控室のドアを開く。
「……予想を上回ってきたなおめー」
鈴村は狭くて散らかった控室の中央で、アマガエル、或いはボブサップにKOされた曙のようにうつ伏せになって床にはりついていた。
「起きろって。制服汚れるぞ」
彼女の腕を捕まえて床に座らせる。
「三上……さん……」
目の焦点がどこにも合っておらずキョロキョロとあっちこっちを見ている。目が泳いでいるとはまさにこのことだ。唇も小刻みに震えており、落ち着きがないことこの上ない。
「来てやったぞ。嬉しいか?」
しかしそれとは別に。どうやら桜梨子さんにでもメイクをしてもらったらしく、肌はツヤツヤで唇もプルプル、アイメイクもばっちりでいつも以上に目が大きく開いて見える。
「三上さん私やっぱり……」
髪の毛もアレンジしてもらっているようだ。ただ後ろで結んでいるだけではなく、ちょっとした編み込みが入っていたり、ポニーテールの毛先だけゆるく巻かれていたりして大変おしゃれである。この髪型、はっきり申し上げて好きだ。
「やっぱりどうした?」
「やっぱりムリですーーーー!」
予想通りの答えが帰ってくる。ただ声量が予想外にデカすぎて耳がキーンと痛んだ。床に女の子座りをした状態でよくこんな声が出るものだ。
俺は隣に腰かけ、
「なあ、みのりちゃんよお」
彼女の肩に手を回した。ちょっと馴れ馴れしすぎるかなとも思ったが、イヤがるような素振りはない。髪の毛から花の蜜のような甘い香りがした。
「いいじゃねえか。そのまま行け。ムリムリムリー! って思いながらやればいい」
全くイミがわからん。なに言ってんだこのボケ。という顔で俺の目を見る。
「だってさ。そんな自分を変えるためにこのシレンに挑むんだろ? 今の時点で明鏡止水の境地に達していたらやるイミもないぜ」
鈴村は視線を下に落として歯を喰いしばった。
「己の弱点を克服して、夢を叶えるんだろ? 俺たちが大好きな少年ジャンクの主人公みたいだな。かっこいいじゃん」
「それに髪型やメイクも決まっていつもよりは可愛いぜ」
「だからシケた顔をするな。緊張するのはいいけどテンション下げちゃダメだ。ヤケクソのカラ元気のハイテンションで行け」
いろいろ喋るのだがちっとも返事をしてくれない。一旦息を入れる。
すると、小ぃぃぃぃぃぃさな声で反応を示してくれた。
「ねぇ」
「なんだ」
「本番が始まるまでずっとそうやって喋っていて」
「あああああああああん!?」
「ダメ?」
「やるけど」
「ありがとう」
本番一分前に開放されて会議室に全速力で戻る。
到着したころには既に本番開始へのカウントダウンの声がスピーカーから流れていた。
『本番二十秒前―』
「あっ! てっちゃんなにしてたの!?」
『19・・・18・・・17・・・』
「単独トークライブを開催させられてました」
鈴村に指示を送るためのヘッドセットマイクを装着しながら回答する。
「はあぁ?」
『10・・・9・・・8』
「よくわからないけど。みのりちゃんは大丈夫なんだね?」
『7・・・6・・・5』
「ええ。あいつはやってくれます」
『4・・・3・・・2』
「万が一ダメだとしたら俺の責任です。その場合セップクします」
『1・・・0・・・・スタート!!!!!』
始まった――!
モニターに映る教室には二十脚ほど机が並べられ、それぞれの机に生徒(ブッコロイド)が座っている。静かな教室だ。そこに。
(来た――!)
主演女優の登場だ。震えた声でおはようございますと発声しながら挙動不審な様子で教室に入って来た。教室の窓側後方の自席(という設定の席)に近づいていく。
机の上には見事な生花が刺さった花瓶が置かれていた。鈴村はそれを見て動揺しながらも黙って席に着く。
「いいぞ。ここまでは問題ない。台本通りだ。ここからしばらく待機」
マイクを通して鈴村にアドバイスを送った。
「ブッコロイドトークシステムきどうします」
ライチが可愛らしい肉声でそのように宣言しPC端末を操作する。
するとモニターに映る女子高生達、鈴村と同じ列にすわっているヤツらが喋り始めた。
『うわ。来たよアイツ』
『今日もきめえなあメガネしやがって』
『花瓶あるところに普通に座るか?』
『ウケるー写真撮ってインスタに晒そうっと』
鈴村の拳がプルプルと震えている。俺は『まだだぞ』と指示を送信する。
『つーかなにしに学校来てるんだろう?』
『友達も誰もいねーで』
『クソぼっちゲロメガネ』
『教室の空気悪くなんだよ』
『生きててもつまらねえんだからさっさと死――』
『いまだ! GO! 鈴村! 完璧に決めろ!』
俺の指示と同時に鈴村が立ち上がる。そして。
「この生グソ蛆バイタ! 脳味噌見せやがれええええぇぇぇぇぇ!」
花瓶を頭上にふりかぶって前の席の女の脳天に振り下ろした。
そいつは破裂するように粉砕! ブッコロイドの頭部も爆発し赤いものが飛び散る。
教室は悲鳴とざわめきに包まれた。
「テメエら三下共! 集団で群れ散らかして、陰口を叩くことしかできねえのか!」
叫び声と共に自席の机に立ち前方に駆けた!
先ほど花瓶でブン殴ったヤツの頭部をふみつけてトドメをさすと、そいつを踏み台にしてさらに前方にジャンプ! もう一つ前の席の奴のアタマを踏みつぶした! さらにその前! さらにその前! 次々とクソ女共を亡骸にしていく。
会議室からは拍手と喝采が上がった。
「貴様らこそ! そんなことしかできねえ人生を送るぐらいなら! 今すぐクソ垂れて天国旅行に行きやがれ!」
「なんつードスの聞いた声!」「あのおとなしいみのりちゃんがあんなデスボイスを!」
会議室のスタッフから驚きの声が上がった。
(そりゃあ。あれくらいの『演技』はできなきゃなァ。みのりちゃんよぉ)
鈴村は机を持ち上げて振りかぶると、
「この汚ギャル! シンナー臭いんじゃ! ブスの癖にネイルなんかやるな!」
ガングロギャル風の女の顔面に叩きつけた。
「す、すごい力!」「あの細いカラダのどこにあんなパワーが……」「怒りで体の筋肉が我を忘れている!」「てゆーか今のセリフアドリブじゃね!?」
会議室はさらに騒然となる。
「ブッコロイドスタンディングシステム起動します」
ライチの声と共に教室のブッコロイドたちが立ち上がり鈴村に迫る。
「不潔ドブ沼異臭ダルマ―! 存在がバイオテロなんだよこのバクテリアン! 生きてるだけで死んだほうがいいので死ね!」
腰を回転させないコンパクトな右フックでデブ男型ブッコロイドの顔面を正確に射抜く。いわゆるロシアンフック。ロシアの格闘家イゴールボブチャンチンの必殺技だ。小柄な彼女にも使い易いワザとして俺が最初に教えたものである。
「騒ぐんじゃねえ! このだっさいメガネしたサブカルクソ女! メガネ牧場に放牧するぞ! 福井県民!」
突き刺さるようなドロップキックが炸裂! よく間違えていたセリフも完璧である。
「男の癖に甲高い声を出すな! オカマ野郎! 掘るぞ!」
ガリガリ男の体を強引に持ち上げ、脳天から垂直に叩き落とす。これはノーザンライトボム! 『鬼嫁』の名で知られた女子プロレスラー北斗晶の必殺技だ! 首がもげちぎれる! ド派手な大技の炸裂に会議室からは歓声!
「おいブリッコクソビッチ! てめえがモテるのは可愛いからでも、性格がいいからでもない! カンタンにヤレそうだからだ! 勘違いするな!」
頭を抑えながら繰り出していく強引な上手投げ! 昭和の大横綱千代の富士の奥義『ウルフスペシャル』が決まった!
「休み時間に豚キムチカップラーメンを食べるな! 六時間目まで臭いわ!」
不潔なロン毛男の髪の毛をひっつかみ、床に叩きつける。執拗に。何度も何度も。
「ナンパされてウザかっただぁ!? てめえそれ自慢したいだけだろ!」
「太いわー! そんなシャンプハットみたいなスカート履くには足太いわー!」
「ウザ関西人! センスないクセに積極的にボケるな!」
「死ぬのだー! 自称サバサバ系女! おまえはただ単にガサツで性格が悪いだけ!」
「ブスの自撮り棒―――! 不快―――――!」
会議室が異様などよめきに包まれる。
「す、すごい」桜梨子さんがゴクリとツバを飲む。「まさかここまでやってくれるとは思わなかった……! てっちゃん、一体どんなマジックを使ったんだい!?」
「本人の努力。それに才能。でもこんなもんで満足してもらっちゃ困ります。これからがクライマックスでしょうが」
俺はライチに目くばせをした。彼女はコクリと首をもたげ、
「ファイナル・ブッコロイド・アトミコシステム起動します」
と宣言した。その瞬間。前方の扉が開き、三人の女が教室に入って来る。
鈴村はそれを見て動揺の色を顔全体に浮かべた。
その女達の顔が自分をイジめていたヤツらにあまりにそっくりだったからだ。
俺が撮影した写真を元にしてライチが自らブッコロシリコンをコネて造形したものである。改めてすごい技術だ。彫刻家としても天才的な才能があるのではないだろうか?
『ねえクソメガネちゃん』
『お金かしてくんなーい? ちょっと金欠でさあ』
『絶対返すしー』
『全部ってのも悪いからさー。今お財布にある分とキャッシュカードだけでいいよー』
三人に詰め寄られ後ずさる。これは台本通りの動きではあるのだが。
(……ダメだ! ありゃあマジでビビっちまってるぞ)
足がガクガクと震え、顔面は蒼白、目も泳ぎまくっている。
いまにも教室から逃げ出してしまいそうな様子だ。
俺は鈴村にだけ聞こえるくらいの小さな声でメッセージを送った。
『よお。鈴村。ここまで最高だったぞ。あと一息だ。このクソビッチ共さえ倒せば。おまえの夢に一歩だけ近づくぜ』
鈴村の状態は変わらない。ビビって震えている。
『おいどうした! 元気を出せよ鈴村! なあ俺思うんだけど。おまえみたいに人生の目標を持って頑張ってる奴がさ、なにをこんな将来もへったくれもない社会のゴミにビビる必要がある? 完全に見下し切って、上から目線でゴミ扱いをしろ!』
ピクンとカラダを震わせたのがモニター越しにもわかった。
『それに。イザとなったら俺がまた助けに行ってやるさ。かっこいいって言ってくれたしな。アレけっこう嬉しかった』
これは本当に照れくさいので絶対に周りに聞こえないように極端に小さな声で呟いた。
『まあ。俺から言えるのはこれくらいだ。あとは頑張ってくれ。心から応援してる』
俺がそう言うと、鈴村はカメラの方をチラっと覗き一瞬だけ俺に笑顔を見せてくれた。
――そして。
『なんとか言えよこのクソメガネダサモサJK!』
リーダー格の金髪女が鈴村に迫る!
だが。カウンター。鈴村の全霊を込めた頭突きがブッコロイドの頭の上半分を破壊した。同時に愛用の赤メガネもふき飛ぶ。
「いいか! てめえらを表す言葉は『ヤンキー』『不良』『やんちゃしてる』『つっぱってる』『DQN』そんなもんじゃねえ! てめらの正しい言い方は! 『ゴロツキ』! 『犯罪者』! 『社会のゴミ』! 『人間のクズ』! 従って! おまえたちに人権や生きる権利などない! いますぐにみっともなく血反吐を吐いて糞壺で朽ち果てろ!」
拳を握りしめ咆哮した。そして。
「うおおおおおおお!」
頭がハーフとなったリーダー女を見事な大外刈りで床に叩きつけると、床に足を擦りながらのサッカーボールを蹴るようなローキックを顔面に炸裂させた! これはいわゆる雷獣シュート! 少年ジャンクの古典的名作サッカーマンガのライバルキャラクターが使用することで有名な必殺技だ。
「てめえもだ! 三人の中でも一番のドブス!」
ナイフを持って襲いかかってくる女の突進をかわし、体勢整わぬスキにイスを持ち上げ、アンダースローで投げつけた! 低空飛行したイスがヒザにクリーンヒット! つんのめるようにうつ伏せにぶっ倒れた。鈴村はそのスキに机の上に立ちそこからジャンプ! ヒザから落下して背中にダイブ! カラダを真っ二つにヘシ折った! これはキングコングニードロップ! スイーツ大好きでおなじみのプロレスラー真壁刀義の必殺技の炸裂だ!
残るは一匹。最後の一匹はビビリきり、土下座して許しをこう。
「許して欲しいの?」
鈴村は色っぽいウィスパーボイスでそう訊ねた。ブッコロイドは頭を床にグリグリと擦り付ける。だが。
「ダメだ」
その後頭部を上から踏みつぶし、床で顔面を大根おろしにした。
「ふざけるなよ! てめえらは許して欲しかったヤツを誰ひとり許さなかった! 自分だけ許されようなんてムシが良すぎるワ!」
三人を蹂躙し尽くした鈴村はうおおおお! などと叫び声をあげながら胸をゴリラのようにドンドンと叩く。会議室内は耳をつんざくような歓声につつまれた。
「いいぞー! みのりちゃん! 最高!」
「スカっとしたああああぁ!」
「そうだー! 不良やイジめっこは全員死ぬべきなんだー!」
「みのりーーー! スキだーーー! 踏んでくれーーーー!」
あまりの大騒ぎに桜梨子さんは苦笑する。
「なんだ。元いじめられっ子ばっかりかこの会社は」
「あの手の社会のダニにはみんな多かれ少なかれ迷惑してるってことでしょ」
鈴村はさらに残ったブッコロイドたちもパンチやキック、延髄斬り、カナディアンデストロイヤーなどで次々に破壊していく。
「アレ? あの三人倒したら終わりじゃなかったっけ?」
「台本ではね。でもいいじゃないですか気が済むまでやらせてあげれば」
桜梨子さんはヤレヤレと両手を横に出した。
『鈴村いいぞ! そのまま気のすむまで暴れろ!』とマイクで指示を送る。
「スタバでマッキントッシュいじるな! 低学歴にありがちな頭いいアピール!」
「おまえはマジでラーメンの話しかしねえな! 命か! ラーメンはおまえの命か!」
窓ガラスに向かってブッコロイドを投げつけ破壊する。
桜梨子さんがアレはセットじゃなくて普通の備品……などと呟く。
「ツタヤカードは持ってないっつってんだろ! 何べんも言わすなハゲ!」
「聞いたことない名前の小動物を飼ってドヤるな! ドブネズミでも養殖してろ!」
「白いワンピースを着るな地味顔! 身の程知らず!」
「なにがインスタ映えだ! クソバエは糞にたかってろ!」
今度は壁をブチ壊した。桜梨子さんは頭を抱えるが会議室からは爆笑と拍手喝采の嵐。
「ブスのお団子頭―!」
「所詮この世は弱肉強食……でも傘はパクるなああああ!」
「自転車もだあああああ!」
「駅のホームのベンチとかで五つ席があるとき、二番目ないし四番目の席にいきなり座るな! 15→3→24の順番で座れえええええぇぇぇ!」
「すげえ! もはやステージとか! ブッコロイドとか関係ねえ! ただ人ン家でキレまくってモノぶっ壊してるだけだ!」
「ハハハハハ! おもしれえ! コレずーっと見てられる! ずーっとやって欲しい!」
モニターを見ていると脳からわけわかんない物質が出まくって体が異常に熱い。
俺ももう我慢できなくて、ノドがガラガラになるくらいまで声援を送った。
「鈴村ああああぁぁぁ! いいぞ! 全部ブチ壊せ!」
汗が全身からとめどなく吹き出す。
心地が良かった。
又川の周辺をほっつき歩くのにオススメの時間帯はなんといっても夕方だ。天気がよいときの夕景は本当に素晴らしい。オレンジ色の光が細長く伸びた水面をどこまでも照らす光景は幻想的ですらある。
今日はこの季節には珍しく大変天気がよく河川敷の景色は最高。大変爽やかな気分ではあったのだが。
(お、重てえ)
大きな荷物を背中に背負っているので、足取り軽くというわけにはいかない。
むしろドンドン足取りは重くなっていく。発汗もすごい。
どうしよう一回休むか? などと考えていると。
「ん……アレ? ここは」
背中の大荷物がようやく目を覚ましたようだ。
「よう。眠り姫クソメガネ」
後ろを振り返りながら悪態をつく。クソメガネはメガネをぶっ壊してしまったためよく前が見えないらしく。ゴシゴシと目ん玉をこすって俺の顔を凝視した。
「三上さん!? アレ!? これなに!? なんの時間!?」
耳元で叫ばれた。大変うるさい。
「病院送りの時間だよ。おまえCM撮影終わったあと気絶して動かなかったんだぜ」
「気絶!?」
「ああ。桜梨子さんが病院に担いで持っていっちゃうのが一番早いだろって。でもその様子じゃ別に病院行く必要もねえかな?」
髪の毛こそぐちゃぐちゃに乱れているが、血色も肌ツヤもよさそうだ。声もでかいし。
「じゃあ撮影は……ああごめんなさいいいいぃぃぃ! あれだけ手伝って頂いたのに!」
「心配すんな。大成功だよ。なんとなく覚えてねえのか?」
「えっ!? そっかじゃあ一応最後まではやり切ったんですかね」
「ハハハ! 最後までっていうか……まあ見てのお楽しみだな。会社の人ら、みんな残って動画の編集してるよ。早く完成させたくてしょうがねえんだろうな」
鈴村はホウッ……と溜息をつく。
「ど……どうでしたか? 私の、その、演技は?」
おずおずとした口調で俺に感想を求めてくる。俺らしいところで「まあまあだったかな?」みたいなことを言おうと思ったのだが、やはりどうしても素直な感想を言ってやりたくなってしまった。
「最高だったよ。文句のつけようもねえ。期待してた十倍ぐらい良かった。とにかく勢いが凄まじくてさ。なんか俺も新しい世界に連れてってもらえるような気がした」
鈴村は「わあああぁぁぁ!」などと子供っぽい悲鳴を上げた。
「そ、そんなお世辞……!」
「おいおい。なに言ってやがる。俺がおまえのご機嫌なんか取るわけねえだろ。なんのトクがあるんだよ」
すると「そりゃそうか」とトボけた声で呟く。
「おまえはどうだった? 感想は?」
うーーーーーーーん。と長い唸り声をあげる。
「目的は達成できたか?」
「目的?」
「おまえの人生に少しは光が見えたかって聞いてんの。そのためにやったんだろ?」
「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。わかンない」
ガクっと力が抜ける。
「なんだよ~。アレだけ協力したのにさ」
よほどマヌケな声を出してしまったらしく、背中の上の鈴村が噴き出して笑った。
「でもね。三上さん。未来とか先のことは分らないけど」
俺の首に掴まる手にギュッと力がこもる。
「私。なんか今。幸せです」
胸の辺りがカーッと熱くなった。ラーメン食ったあとカツ丼とピザも出前したような強烈な胸やけだ。
なんにも答えることができずに、しばらくのあいだ無言で足を前に出していた。
「あっ、そういえば! ごめんなさい!」
鈴村が先に口を開く。
「もう歩けますから。下ろしてください」
「えー!? やだよ!?」
口が勝手に鈴村の提案を拒否してしまう。
「な、なんでですか?」
俺もなんか今幸せだから。などとは口が裂けても言えない。
「なんかおぶっていたいんだよ。その、ホラ、重みが気持ちいいっていうか」
「でも、私汗でびちょびちょだし……」
「いいじゃん。俺もそうだよ」
確かに! すっごい男の人の匂いがする! などと言って笑っている。
「じゃあさ。背中で二度寝してもいいですか? まだなんか眠くて」
「いいよ」
やったぁ。などと可愛い声を上げたのち、ものの数秒で寝息が聞こえ始める。
女ってもんはどうしてこうよく寝るのだろうか。長生きするわけだ。
夕陽の照らす川沿いをまた静かに歩き始める。もうそろそろ夕陽が沈んで月がでるころだろうか。夜の又川もなかなか雰囲気があってよい。
(それはいいけど。コレ。どこに向かって歩いてるんだよ)
そもそも病院がどこにあるかすら方向音痴だからよくわからない。
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