第二章 第5話 殺人マシーンみのり発進
コロセラの社員たちは又川の河川敷広場を自分たちの庭だと思っているフシがある。
みなラジオ体操をして体をほぐしてみたり、ピクニック気分でご飯を食べたり、机を運んで青空会議をしたり、好き勝手に利用している。夏になればバーベキューや水泳大会などのイベントも開催されるのだとか。
「はい! じゃあまた最初から! 今度は一発で決めろよ!」
今日も河川敷にはコロセラ社員の元気な声がこだまする。
「こ、このサブカルクソ女! メガネ牧場に放牧するぞ! 福井県民!」
長い黒髪を後ろで結んだジャージ&メガネ女が人の悪口をいいながら回し蹴りを放った。
「鈴村ぁ! なんだそのへっぴり腰は! もう一回!」
「はい! このサブカルクソ女! メガネ畑に植えて……えーっと……」
「セリフ飛ばすなあああぁぁ! 脳味噌入ってんのか! ババロア野郎! ぶっ殺す!」
「すいません! 私はクソ虫です!」
するとライチが俺のおしりをツンツンとつつく。
『みのり、顔色が悪くなってきてる。休ませないとまずいかも』
医療にも明るい天才少女の言うことは聞かなければならない。
『ライチてきにはこのままシンでもいいんだけどね』
休憩~! と叫ぶと鈴村はその場で大の字になった。
その口にペットボトルの飲み口を突っ込み、それからアーモンドチョコレートをほおりこんでやる。その一口だけで圧倒的に元気を取り戻したらしく、上体を起き上がらせる。
ライチが口を開けて自分を指さすので、そっちにもほおり投げてやった。器用にキャッチしてモグモグと食べる。
「思ったよか体力あるんだなおまえ。それに格闘技のスジも悪くないな。声優だけでなくアクションスターも視野に入れてみては?」
あのあと鈴村は桜梨子さんに「CM撮影! やっぱり私にやらせて下さい!」と直訴した。桜梨子さんは「いいよ~」と軽い感じにそれを承諾。今はこうして撮影に向けて厳しいケイコに励んでいる。
「三上さんは格闘技にお詳しいんですね。なにかやられてるんですか?」
鈴村はそんな質問を投げかけながら、俺の手からチョコレートの箱をひったくった。
「いや。なんも。強いていえば子供の頃ちびっこ相撲クラブに入ってたぐらい。ただ好きなだけ、つまり知ったかぶりだよ」
へー。などと呟きつつ両手で一度に二つずつチョコを口に運ぶ。
「昔からずっと。勉強とバイトばっかりだからな俺は」
「でも。家計を助けながら特待生をずっとキープされてるんですよね。すごいです」
「そうかな。すごかねえよ」
なぜだかやけに暗いトーンの声を出してしまった。休憩中に鈴村のテンションを下げてしまうのはよろしくない。
「ところでさ」俺は少々強引に話題を転換した。「おまえのその感じいいじゃん」
「その感じ?」
「髪型。結んでる方がさっぱりして見えていいぞ」
「え、三上さんってポニーテール萌えなんですか?」
ポニーのしっぽを両手でギュッと握って見せた。
「はあ!? ポニーテールなんて全然好きじゃねえし! 好きか嫌いかで言ったら限りなく嫌いに近い好きだし!」
「そうなんだ。じゃあこれからは結んで会社来ようかな」
ポニーテールを一度ほどき、ゴムを口に咥えながら結び直す。
「うわ! やめろよなにしてんの! あざといぞ!」
「なにがですか?」
そこにライチがやってきて。
「なんかいいかんじでムカツク」
例の歩行機械(ライチ・スペシャル・ウォーキング・システム。略して『RSWS』というらしい)に鈴村を乗せて物凄い勢いで走り去った。
川の水面を滑るようにしてどこまでも遠ざかって行く。水陸両用らしい。なんという高性能。空も飛べるのだろうか。鈴村の悲鳴が遠くで聞こえてなかなか耳に心地よい。
俺は両手を頭の後ろで組んで芝生に寝っ転がる。いつのまにか空がオレンジ色に染まっていた。もう夕方だ。
「お疲れ様。アレ? 鈴村さんとライチちゃんは?」
そこへ。貴音さんがひょっこりと現れた。もはや違和感も驚きもない。
「水上スキーして遊んでます」
ライチにメールを送信する。『貴音さん来たよ。戻ってくれば?』。
すぐに『戻る』と返信があった。
「貴音さんは仕事帰りですか?」
グレーのパンツスーツでバッチリ決めていてかっこうがよい。
「いや。このあと仕事戻らなくちゃならないの。このところ忙しくて」
当たり前だが、あまり嬉しそうな口調ではない。
「あまり無理しないほうがいいですよ。顔色が良くないし、ますます痩せた気がします」
「そうかな?」
川の水に自分の顔を映して見るが、あまりよくわからないらしい。首を傾げている。
そこに『RSWS』が戻ってきた。
ライチは華麗なステップで飛び降りると貴音さんに向かって駆け、そして抱きついた。
こいつは気難しそうに見えて意外とチョロく、誰にでも簡単に懐くのである。
鈴村も着地に失敗して涙目になりながらも、嬉しそうに貴音さんに駆け寄った。
「貴音さん! お久しぶりです!」
「鈴村さん。CM動画の件で頑張ってるとは聞いていたけど。思った以上にハードなことをしているみたいね」
鈴村のドロドロになった芋ジャージに視線を落とす。
「三上さんがね。すっごく厳しいんですよ。オニのように厳しい、オニドリルなんです」
「おいおい。ジャージがドロドロなのはほぼライチのせいだろう」
「でもいつもイジワルばっかりするじゃないですか!」
ゼロ距離まで詰め寄ってきて俺の胸を人さし指で押した。
「チョコあげてるだろうが!」「水族館のイルカじゃないんだから!」
「あんたたち、しばらく見ない内に随分仲良くなったわね」
貴音さんが穏やかに微笑みながら言った。
「ええっ? そうですか?」
「うん。以前はもっとよそよそしかった。今はすっごく距離感が近い。鈴村さんなんだかちょっと可愛くなったし。恋の予感?」
ライチはその発言に怒っ――ているかと思いきや。貴音さんの顔をじっと見上げていた。
「タカネさん」
そして珍しく口を開いた。
「血色、毛ツヤがよくない。体重も落ちている」
レースに出走する前の競走馬を評するかのような言いぐさである。
「心配してくれるの? でも大丈夫。一時期ちょっと疲れ気味だったけど。最近を持ち直してきたから」
「キケン……」
ライチは首を横にふりながら呟く。
それからスマートホンに以下のように入力して貴音さんに見せた。
『カラダの疲れが極度になると、疲れを感じ取る神経がやられてその結果『疲れていない』と錯覚する場合がある。タカネさんもその状態になっているのかも』
「なにそれ怖えな……貴音さん寝なきゃダメっすよ」
「ありがとう気を付けるわ」貴音さんはそういってライチの頭に手を乗せた。
「じゃあ今日はそろそろ帰ろうかな」
カバンの中に手を入れ「はい。差し入れ」と紙袋を取り出した。
「あー! サンデイナイトだー!」
まさかの大好物登場に鈴村のテンションが上がる。
「あら。そんなに好きなの?」
「はい、大ファンで! 外食するときは八十五パーセントの確率でここで食べてます」
「そう。それは嬉しいわね」
鈴村はだらしなく口を開けながら紙袋の中身を取り出した。
「あれ!?」
『ミニスイカまるごとロール』と書かれた包み紙を見た瞬間、鈴村が驚きの声を上げる。
「これ、発売前の製品ですよね!? 夏季限定の!」
貴音さんは白い歯を見せながら自分を指さして、
「社員」
とのたまった。
「ええーっ!?」
「また試作品持ってきてあげるね。それじゃあ」
俺たちに背を向け、右腕を振りながら歩き去っていく。
「へーそうだったんだー。すごいなー尊敬しちゃうなー」
などとしきりに感心しながら、包み紙を開きスイカパンを口に運ぶ。
美味しいのだろうか。甚だ疑問である。
「鈴村。それ食べ終わったら練習再開するぞ」
「え、今日はもう終わりの流れじゃ……」
「甘ったれるなうんこ人間! あと二週間しかねえんだぞ! 血反吐を吐くまでやれ! ただし絶対にオーバーワークはするな!」
鈴村の不平不満の絶叫が夕陽に響いた。
深夜の十一時。ボロボロの状態で帰宅する。
玄関のドアを開くと妹が居間のちゃぶ台に突っ伏して眠っていた。
寝室の布団にほおり投げようと思って近づいていくと、でっかい目をパチーン! と開きガバ―! っと起き上がった。そして俺の首筋、耳の裏、手首、足首などをくんくんと嗅ぎまわる。
「お兄ちゃんから! メスの臭いがする!」
こいつはアレか? 前世が犬。それも最強の嗅覚を誇ると言われるブラッドハウンド。
「そりゃバイト先には女もいるからな。つーかあんまり嗅ぐな。汗臭いだろう」
「お兄ちゃんの匂い好きー」
と言って抱きついてくる。いつもは大して興味なさそうなのに、たまーにやけにデレる。これも女兄弟あるあるである。ウラヤマシイ? まあこれは多少嬉しい。
「ねえお兄ちゃん」
「なんだ」
Tシャツとジーンズを脱ぎ捨てながら答える。
「最近イキイキしてるよね。今のところでアルバイト始めてから」
「そうか?」
手がかかるのが一人増えたせいで最近は気苦労ばかりだが……。
「私も早く高校生になってバイトしたい。そんででっかい丸いベッド買うの。回るやつ」
「ラブホのベッドみたいだな」
「えっ! ラブホテル行ったことあるの!?」
「ない。一回もない」
「よかったー」
「いいのか?」
こうして一日一日があっという間に過ぎていった。
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