第二章 第3話 CMを撮ろう!
それからあっと言う間に三週間が過ぎた。
今日は六月三日。日曜日。ヒマさえあればゲリラ豪雨が降るような季節である。
「いってらっしゃいお兄ちゃん。ムリしてアバラ折ったりしないでね」
「アバラ?」
妹に見送られて家を出る。
平日に三日、休日のどちらかというシフトで働いているので、出勤するのはこれで十二回目ぐらい。もうすっかり慣れた。わが物顔でエレベーターに乗り、自分の部屋のごとくオフィスへと続くドアを開く。
すると自席でゲームをしていたライチが例の歩行機械に乗ってこちらに駆け寄ってきた。
すごい勢いで来るのだが、特におはようと言うでも抱きついてくるでもなく、ただ単に無言で寄ってくる。そして俺が席に着くのについて、自席ではなく俺の左隣の席に座り、ゲームを再開する。このとき一緒にやろうと言ってくるときもあればそうでないときもある。まことに変なヤツだがまあそれなりに懐いてくれているのだろう。
この日彼女は俺の肩をポンポンと叩いてきた。
「どうした」
『おはようテツヒト。今日は早いね』
いつものようにスマートホンの画面で話かけてくる。本人曰く「あんまり長いセリフは疲れる。こっちの方がラク」とのことだ。(そんなに長くねーだろと個人的に思う)
「ああ。おはよう。なんか一本早い電車に乗っちゃってな」
『あのね』
「それぐらいしゃべったほうが早いだろ。なんだ?」
『好き』
前言撤回。懐いてるとかっていうレベルではなかった。
「おまえチョロいにもほどがあるぞ! もうちょっとよく考えろ!」
『考えた。好き』
アタマを抱えどうしたものかと考えていると。
「ぉはよぅございま……」
未だにハナクソほども俺に懐かない女がやってきた。
無地のTシャツにヒザ丈のショートパンツ。手には昼飯のために買ってきたと思われるサンドイッチ屋の袋。どっかの団地の主婦のような格好だ。
ライチは彼女を般若のような目で睨むと、
「帰れ!」
そんなでっかい声出るんかい! という声で叫んだ。
「ひいいぃぃぃ! すいません! 帰ります!」
本当に帰ろうとする鈴村にダッシュで迫り引き止める。
「まあまあまあまあ! 帰らなくたっていいじゃないか! いいね今日も髪型もキマってるしメガネも光ってる。Tシャツもかわいいな! へちまみたいな色で! おおこれ『サンデイナイト』のサンドイッチじゃん! チョイスがおしゃれだよなー。そういう所好きだよ。たまらん。だから帰らないでくれよ! なっっっっっ!」
なにかただごとでない雰囲気を察したのか、鈴村はコクンと頷いて自席に座った。
ライチは浮き上がりそうなくらいに頬をパンパンに膨らませる。
「ど、どうしたの?」
鈴村が問うとライチはスマートホンの画面を鈴村に見せつけた。
『人の恋路を邪魔する奴はウマに蹴られて死んじゃえ。このクソメガネダサモサJK』
「えーっ!?」
鈴村が悲鳴を上げた。
「やめとけって……」
諫めようとすると俺に対してもスマートホンによる言葉の暴力を投げかけてくる。
『テツヒトもキライになった。おまえは今日童貞を捨てる生涯唯一のチャンスを逃した。ばーか。チンピラ。唐変木。おたんこ茄子。土手南瓜。糞尿人間。シねーーーーー』
アタマを抱える俺を見て、珍しいことに鈴村がクスっと笑った。
「なんとなく事情はわかりました。モテモテですね」
「よせよ」
妹しかりライチしかり。最近の若い子の考えるコトはわからない。これがネオゆとり教育の弊害というヤツだろうか。
(――ん?)
それはとりあえずよいとして。
「おまえそれどうしたんだ?」
鈴村の頬に大きな正方形の絆創膏が貼られていることに気付いた。
「これは……ちょっと転んじゃって」
「ああ。鈴村ってよく転ぶよな」
照れくさそうに頬っぺたの絆創膏を指で掻く。
しかし転んで頬っぺたを打つとは器用な転び方をしたものだ。
ライチはまだ膨れているが関係なく会議が開始された。
桜梨子さんは本日の議題をホワイトボードに書き出す。
『CM撮影!!!』
俺と鈴村はオオオ! と驚きの声を上げた。
「ちょっとちょっと。いくらなんでもムチャよ。製作費やらテレビ局との契約やらいくらかかると思ってるの?」
と発言したのは貴音さん。なぜここにいるのかは不明としか申し上げようがない。
「ハハハ! まさか! 違うって! 動画だよ! インターネット配信!」
俺は成程と手を打った。
「『コロセラ』がユーチューバ―デビューするというわけか」
「この間みのりちゃんが言ってくれたじゃない。『見てるだけでもスカっとする』って。それで思いついたの。体験してもらうだけじゃなくて見てもらうこともビジネスになるんじゃないかって」
どうも鈴村を雇ったことによりさっそく新たな事業が産まれたらしい。やはりヤツはキケンすぎる。今のうちに消すしかないのだろうか。
「動画の再生数が稼げればそれだけでも儲かるし、それを見てウチに来てもらえればなおよし!」
「じゃあ誰かにブッコロセラピーをやってもらって、その様子を動画に取るってこと?」
貴音さんはメモを取りながら桜梨子さんに尋ねる。ホントなんの立場の人なのだろうか。
「ザッツライト。メインは来月から開始予定の高校生向けのヤツの宣伝になるかな。だからそれをやってもらって撮影する形にしたい。スケジュールキツいけども」
「そしたら俳優さんでも雇う? 私自分の仕事の方でコネがあるから紹介して――」
最近気づいのだがこの人は結構なお人好しである。
「そんなお金あるわけないでしょ。私最近指名減ってきてるし」
「じゃあ誰がやるの?」
「まあそれを相談したいんだけどサ。私の考えでは――」
と俺の横に座ってる人物を指さす。鈴村はそれを受けて自分の後ろのなにもない空間を振り返るといういまどきコントでもやらないベタなリアクションをやってのけた。
「いやキミだよ。キミ」
「ええぇぇぇ! 私ですか!?」
桜梨子さんは腕を組んで深くコウベを垂れた。
「私みたいな貧相でみっともない罪深い顔面のクソメガネダサモサJKが動画なんかに出たら、十八禁グロ動画として権利者削除されちゃいますよ!」
「落ち着いて。支離滅裂なこと言ってるわよ」貴音さんがたしなめる。
「ふふふ。みのりちゃんってホントはキレイな顔してると思うんだけどね。ま。それはともかく――」
机に身を乗り出して鈴村の目をじっと見つめる。
「私が撮りたいのはね。俳優だなんだって連中が『演技』をしてる所じゃなくてね。アナタみたいな普通の学生がナマの感情を爆発させて暴れている所なの! みのりちゃんみたいなおとなしい子が暴れてるところなんてギャップがあって最高なんじゃないかな」
(確かに。それは見て見たい気もする)
鈴村はなにも答えず、ただ桜梨子さんから目を逸らした。
「モチロンそれで決定ってわけじゃないよ。みんなのアイディアも聞かせてー」
鈴村は会議の間、ずっと目をうつむけて机を凝視しており、殆ど発言をしようともしなかった。
会議終了後。
俺はオフィスに戻り事務仕事を行っていた。
土日に出勤しているのはたいていの場合、俺と鈴村のバイトコンビと桜梨子ライチの経営者コンビだけ。鈴村は桜梨子さんについて秘書のような仕事をしていたので、オフィスにいるのは俺とライチのみだ。
この日の仕事は外部との打ち合わせで使う資料の印刷や、機密資料のファイリングなど。こういった単純作業を無心で進めるのは嫌いではない。
あっと言う間に時間は過ぎて夜の七時。
休憩に缶コーヒーを飲んでいると、ライチがこちらに歩み寄ってきた。
『あの』
俺の席の横に立ち、例によってライチ式スマホ話法で話しかけてくる。
『ごめんね』
ライチを見上げる。下を向いてモジモジと手のひらを擦り合わせていた。
「いいんだよ。俺も悪かった」アタマに手を置くと、子供らしい無邪気な笑顔をみせてくれた。
(今は子供にしか見えねえけど。考えてみればこいつと三つしか歳変わらねえんだよな。そんなにジャケンにすることもねえ。カワイイし、なんだかんだいい子だし)
「なあ。そんなに慌てるなよ。もう何年か待ってみろ」
『でも。焦らないとカノジョできちゃうかも』
「大丈夫だって。男子校だし」
ライチはしばらく考えを巡らせたのち、『わかった。待つ』と回答した。
いい子だ。と頭を撫でてやる。
『まずはみのりをコロしてそれから待つ』
「ああああああんん?? なんでそうなる」
『だって好きなんじゃないの』
「冗談だろ」
『いつも見てる』
首を捻る。確かに心配というかなんか目が離せなくて彼女に視線を送っているときは多い気はするが。
「おーい」そこに桜梨子さんが入ってきた。
「ライチさ。ちょっと確認したいことあるから上の研究所来てくれない?」
しぶしぶと言った様子で首をもたげるライチ。
「てっちゃんは休憩にしていいよ。夕ご飯食べて来れば? みのりちゃんも休憩入ったからさ。アレだったら一緒に食べてもいいし」
ライチがまた河豚のように頬を膨らませた。
又川バベルを出て川沿いの道を歩く。
今日は夏至と言って一年で一番日が長い一日らしい。
もう十九時前にも関わらず夕陽が水面をオレンジ色に染めていた。
(コンビニで買ってきてここで食おうかな)
コンビニに向かう道すがら、鈴村と一緒に食えば? と言われたことを思い出したが、よく考えたらヤツの携帯の番号を知らない。従ってムリである。
味玉チャーシューおにぎりとサーモンハラス巻きを購入して川沿いの道に戻る。
夕陽がキレイに見えるベストスポットを探して歩いていると。
(先客。考えることは一緒か)
どうしようか少し迷ったが、俺はそいつに声をかけることにした。
「よお鈴村」
「……三上さん」
顔を上げてほんの少し会釈を返してくれた。夕陽が彼女の髪の毛や頬を赤く染めており青春ドラマの一シーンのよう。ちょっといい感じである。それはよいのだが。
(まったく暗いヤツだなァ)
鈴村の表情たるやまさに浮かないことモグラのごとし。
俺はそのモグラの隣に腰を下ろす。
「おまえそれ大好きだな。昼も食ってなかった?」
足もとに置いてあった『サンディナイト』の紙袋を指で示す。
「ゃすぅりしてましたので……」
「そんな消えてなくなっちまうような声出すなよ……」
コンビニの袋からおにぎりと海苔巻きを取り出した。
「食べないのか?」
「しょくょくが」
(ちょっと可愛いなこの声)
俺は一回咳払いをしてから、話そうと思っていたことを切り出した。
「CM動画の奴どうすんの?」
あのあとの会議の結果、まだ本決まりではないが、CM動画の主演は『鈴村で行く』というのが既定路線になっていた。
「やりたくないのか?」
そんなことないです。などと言うかと思ったが、意外にもはっきりした声で「はい」と答えた。
「だったらやらなくていいんじゃないか?」
顔を上げて俺の方を見た。少し驚いた表情をしている。
「やりたくないことや向いてないことをムリヤリやったって、大概ロクな結果にならん」
「でも……」
再び顔を伏せる。
「申しわけなくて。私なんかが仕事をお断わりするなんて」
「いいじゃねえか。おまえはアイディアとか企画出すのは優秀なんだから。そっちで貢献すればいいんだよ」
すると「なに言ってんだコイツ」とでも言いたげな心底不思議そうな顔で俺を見た。
いるんだよなこういうヤツ。自分の価値にまったく気づいていないタイプ。
「でも。そうしたらCMはどうなっちゃうの……?」
俺は一度深く息を吸い込んでからその質問に答えた。
「俺がやってやろうか」
鈴村があんまり目ん玉を直で見てくるので、思わず俺の方から目を逸らしてしまった。
「別におまえのためじゃないぞ。やってみたいだけだ。単純にブッコロセラピーが面白そうってのもあるし、俺格闘技とか好きだからすげえ大暴れが見せられると思うんだよな」
夕陽のオレンジ色を見つめながら言葉をつなぐ。
「おまえとは逆に企画アイディアとかはからっきしだからな。ここらでポイント稼ぎたいってものある。あとふとっぱらな桜梨子さんのことだからもしかすると特別ボーナス的なモノを――」
急に腰のあたりに柔らかい感触がしたと思ったら。
「ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとうううぅぅぅぅぅ!」
マシンガンのように叫び、俺の腰に胴タックルのような形で抱きついていた。
「おい! やめろって! 俺、女にイチミリも免疫ねえんだぞ!」
(こいつ……。ガリガリに痩せてるかと思いきや意外と……!?)
鈴村はごめんなさいと言って俺のカラダを解放する。
「勘弁してくれよ……」
悲しいかな俺の童貞ハートは異常なスピードで脈打っていた。
「でも。本当に嬉しいな。ありがとうございます」
そのツラを見て思わず噴出してしまった。ワタシ、この世で一番幸せですというような表情。結婚式までとっておけと言いたくなるキラキラした笑顔だ。なぜに『やりたくないことを避けられそう』などという後ろ向きな感情でここまでハッピーになれるのか。大変理解に苦しむ。
「オナカ空いてきたからサンドイッチ食べよう~」
鈴村はサンデイナイトと書かれた紙袋からサンドイッチを取り出す。
(マイペースなヤツ……んんんんん??)
取り出されたサンドイッチはひとつではなかった。包み紙に書かれていることによると『有頭エビまるごとサンド』、『トリプルミートボール肉塊ロール』、『トンカツ豚野郎トルティーヤ』、『特上うなぎライスバーガー』、『超高層リアルスカイツリー佐世保バーガー』、さらに『ジャンボジャイアントステーキサンド(2800g)』。いずれも素晴らしくボリュームがありそうだ。
「ぜんぶ食べるの? おまえギャル曽根? ジャイアント白田?」
「あっ! これはその! 間違えっていっぱい買っちゃっただけです! もしも全部食べ切ったとしたらそれはマグレです!」
両手を上下に振って主張する。よくわからないがとにかく恥ずかしいらしい。
それからおずおずとした様子で『有頭エビまるごとサンド』と書かれた包み紙を開いた。俺もおにぎりを包んでいるセロハンを剥がす。
(コレを全部食べるんじゃ時間かかりそうだな。さてどうやって間をもたそうか)
――と思ったが。
「いただきます」
鈴村は包み紙を開きエビのアタマがはみ出した巨大なサンドイッチを取り出すと、その小さな口をありえない大きさに拡大させ、一口でほぼ七割を一度に食した。ボリボリと言う咀嚼音と共にものの数秒で完食。
(こいつ……! カービィかよ。または寄生獣)
さらに間髪いれずに次の包み紙を取り出す。
――そのままのペースで約十分後。
すべてのサンドイッチを胃に納めきった。メガネを外して髪の毛をかき上げながら満足げな顔でフゥなどと溜息をつく。女って奴はどうしてみんな食べモノに関してだけはこうも無邪気なのだろう。口の周りも無邪気なことになっている。
鈴村は俺のまだ一口分ぐらいしか減っていないおにぎりをじっと見つめた。
「三上さんって意外とおちょぼ口なんですね」
おまえに比べればな。このバキューム野郎。と言おうと思ったがまたヘコまれても面倒なのでやめた。
「先帰ってていいぞ」
「いえ。食べ終わるまで待ってます。ゆっくりでいいですよ」
さてどうやって会話を繋いだものか。と思ったが。
「ライチさんとはどうなったんですか?」
鈴村の方からごく自然な調子で話しかけてきてくれた。
「仲直りしたよ」
「えっ! じゃあお付き合いされるんですね。ウラヤマシイです」
「そんなわけあるか」
「じゃあお断わりを?」
「まあそうなるのかな。あと数年待てって言っておいた」
「そうですかぁ。それでライチさんはなんと?」
「おまえを殺すって言ってた」
「じょ、情熱的ですね。可愛さ余ってというヤツですか」
「『おまえ』ってのは俺のことじゃないぞ。鈴村、おまえのことだ」
「私!?」
特に意識して話題を提供しなくてもスムーズに会話は進んだ。本来はそれほど暗いヤツではないのかもしれない。それに。やっぱり声はすごく好みだ。これでクソメガネダサモサJKじゃなれば――いやこういう感じだから話しやすくていいのかな。
「そうだ。携帯教えてくれよ。夕飯に誘おうと思ったんだけど番号知らねえなと思って」
「えっ!?」
「そんなに驚くようなことか?」
「ご、ごめんなさい。その……わかりました。いつでも連絡頂ければ……」
スマートホンを取り出す。
「なかなかかっこいいスマホケースだな」
「あっ……! うう、恥ずかしい」
ケースにはテニスのユニフォーム姿のイケメンのイラストがたくさん描かれていた。
「『テニスのプリンス様』。意外と面白いんだよな。めちゃくちゃ荒唐無稽でさ」
「ご存じなんですね」
「『少年ジャンク』は俺と妹の数少ない娯楽だからな」
「どのマンガが好きなんですか?」
「俺は『火の国相撲』かな」
「ツウですね! 私は――」
ペラペラとしゃべりながら食べていたため、おにぎりはなかなか減らなかった。
食べ終わるころには外はすっかりまっくら。ブーメラン型の月が浮かんでいた。
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