第二章 第1話 コロセラは楽しいな?

 朝の七時に目を覚ます。

 昨日寝つきが悪かったのであまり寝ざめはよくない。

 目をこすりながら上体を起こすと、狭っくるしい畳張りの寝室が目の前に広がった。

「――zzzZZZ」

 俺の隣には女が寝ている。ツヤツヤしたセミロングの茶髪と真っ白な肌が特徴的な女の子だ。小動物のような邪気のない寝顔をしている。

 童貞諸兄には安心して欲しい。こいつは同棲している彼女なんかではなく、俺の妹だ。年の頃は中学三年生。

 可愛くて羨ましい? よく言われるが俺は別に嬉しくない。この感覚は妹や姉がいるものには説明するまでもなく理解できるだろうが、いないものにはいくら説明してもわからないだろう。だから説明しない。

「よく寝てら。羨ましいこった」

 さてここからが難儀だ。なにせこいつはちょっとやそっとのことでは起きない。

 まずは布団を引っぺがす。今日も『NOSLEEP NOLIFE』とごくごく当たり前のことが書かれたふかふかパジャマを着用していた。

「起きろー」

 肩を揺さぶる。起きない。

 頬をペチペチと叩く。なんの反応もない。

 デコピンを喰らわせる。無駄であった。

 ほっぺたをつねって引っ張る。とてもよく伸びた。

(やはり大技を出すしかないか)

 俺は妹の首の後ろとヒザの裏に手を入れそのまま持ち上げた。いわゆるお姫様抱っこの体勢である。その体勢のまま赤ちゃんをあやすかのように左右に揺さぶり、それから。

「そうりゃあ!」

 布団の上に投げ捨てた。だが。起きない。起きやしない。

(投げ技はもうダメだな。無意識に受け身を取るようになってやがる)

 それにしても見事な受け身である。きつくアゴを引き、両手でしっかりと床を叩いていた。基本がしっかりできている。

(さすがあの親父の娘――とか感心している場合ではない)

 俺は新兵器を繰り出すことにした。

 先日百円ショップで購入したどうぶつ風船セット十個入りを取り出し、そのうちのウサギのイラストがかかれたピンク色の物に空気を入れる。パンパンに膨らんだところでさきっちょを結んで閉じた。

 これを妹にバレーボールのようにぶつける? 顔に擦り付ける?

 まさか。そんな生温い攻撃で済ますわけがない。

 俺は愛用の裁縫セットからマチ針を取り出すと――

 パン!

 さすがにコレは効いた! 妹はビクンと体を震わせると、目をパチパチと開閉させながら上体を起こした。

「おにいちゃん。おはよぉ」

 とろけきったフルーチェのような声で言った。

「おやすみなさい……」

 そして寝た。俺がもう一枚の風船に空気を入れ始めると、

「起きるからそれやめよ」

 右腕にしがみついてきた。

「結構効いてたんだな」「なにげに」「ヒロム。はよ顔洗って来い」「うんー」

 広い夢と書いてヒロム。こんな名前をつけるからこういった睡眠のバケモノに育つのだ。


 四畳半の居間に移動し、中央に置かれたちゃぶ台で俺の作った朝ごはんを食べる。

 と言っても別に女子力が高い系男子なわけではない。トーストしたパンにハムとチーズを挟んだもの、それからテキトウにキャベツをちぎって出鱈目にトマトを乗せた特製サラダという男らしいメニューだ。

「うーん。お兄ちゃんが作ってくれたサンドイッチ美味しい~」

 まあこんな風に言ってくれる辺り可愛い妹だとは思うのだが。

「サラダも美味しい~~……zzzZZZ」

「寝るな」

 なにせ手がかかることがおびただしい。ごはんを食べ終わって皿も洗い終わるころには机に突っ伏して完全な二度寝に落ちていた。

 まあいいや。これ以上こいつに構っているヒマはない。なにせ今日は五月十三日の日曜日。記念すべき初出勤の日だ。

 カバンの中に財布とガラパゴス携帯を突っ込むと玄関に――

(おっとそのまえに)

 寝室に戻り、タンスの最上段にしまったライターを取り出した。

 言っておくが朝の一服をするためではない。

 俺は仏壇の前に座るとロウソクを立てライターで火をつけた。

 するとその音に反応したのかヒロムがぱっちりと目を覚ます。

「あっ。わたしもお線香あげるー」

 俺の隣に座り、仏壇の下部につけられた引き出しから線香が入った箱を取り出した。

 その中から線香を二本取り出し俺に渡してくれる。そいつをロウソクにかざし火をつけると独特の匂いが部屋に満ちた。俺はこの匂いが決して嫌いではない。

「じゃあ。わたしも」

 香炉に線香を四本立て、目を閉じて静かに手を合わせた。仏壇には和服姿の恰幅のいいオッサンの白黒写真が飾られている。


「じゃあ行ってくる」

「うん。頑張ってね。いつもありがとう」珍しく真剣な声色で言う。

「な、なんだよ急に」

「なんとなく、ね」とイタズラっぽい笑顔を浮かべる。それから。

「そうだそうだ。いいものがあったの忘れてた」

 パチンと両手を合わせると寝室に向かってダッシュ。タンスの中をなにやら漁っているようだ。

「これこれ。お兄ちゃんにあげる」

 両手で抱えて持ってきたのは巨大なお菓子の袋だった。パッケージには『業務用 ワケアリ駄菓子詰め合わせセット XXXLサイズ』などと書かれていた。

「どうしたんだよこれ」

「福引で当たった。持って行きなよ。甘いものはいいんだよ。仕事をするには。だって体や精神、脳味噌など全体的にいいからね」

 非常にふわっとしたプレゼンテーションである。

 まあ無碍にするもの可愛そうなのでお菓子をカバンに入れた。

「いってらっしゃいー」

 妹に見送られて家を出る。


 家を出て十分ほど経ってから気づいた。

(お菓子……めちゃくちゃ重めえ! 畜生! ヒロムの野郎!)

 それから。もうひとつ気づいた。

 先ほどは童貞諸兄に対して上から目線のような発言があって申し訳ない。俺も童貞だ。そこのところよろしく頼む。


 今度は迷わずに『又川バベル』に到着することができた。エレベーターを三階で降りて、この間の会議室の対面に位置するドアを開く。ここが通常業務フロアとなっているらしく、とりあえずこちらに集合するようにと言われている。八人がけのシマが二つの小さなオフィスだ。この間の『ブッコロステージ』とちょうど同じような作りである。

「おはようございます」

 挨拶をするが返事は帰ってこない。さすがに日曜日だからかあまり出社している社員はいないようだ。初出勤が日曜日だと聞いて「そんなブラック企業大丈夫か?」と少々思ったがどうやら大丈夫らしい。が。

(あれ? マジで誰もいなくねえか?)

 フロアの電気はついているのだが人の姿が全く見当たらない。

(トイレかコンビニでも行ってんのか? 不用心だなァ)

 ――と思いきや。

 入口から見て一番左奥の席に、立ち上がった状態でこちらを凝視している奴がいた。

 なるほど。さっきまではパソコンのディスプレイで隠れて見えなかったわけだ。

 そいつの元にスタスタと歩いてゆく。

「おはよう。えーっとライチでいいか?」

 ライチは俺を見上げつつかっくんと首を倒した。

「まだ桜梨子さんは来てないの?」

 うんうんと首肯する。まあ集合時間まであと三十分もあるから当然か。

「とりあえず、どこ座ればいい?」

 彼女が座っている席の対角線にある、パソコンが置かれていない机を指さした。

「わかった。なんかやることあるか?」

 人さし指をアゴに当て天井を仰ぎ思案したのち、キャビネットを開けてファイルを取り出す。背表紙には『ブッコロセラピー マニュアル』と書かれていた。

「これを読めってことか?」

 ライチは腕をまっすぐに伸ばし、親指を立てた。いわゆるサムズアップだ。無表情でこの陽気なジェスチャー。なにかシュールである。

 俺は席についてファイルに目を通し始めた。

 ライチは席に戻るなり、真ん中は黒色で両サイドは赤色と青色のゲーム機で遊び始める。なんという就業態度。自由な奴だ。

(まあまだ仕事始まる前だからいいのか)

 俺もゆっくりやろう。と考え今朝妹にもらったお菓子の袋を取り出しパッケージを開けた。すると。獣のような鋭い視線が俺を刺した。無論、ライチのものだ。奴の目的はどうやらこのお菓子らしい。そういえば桜梨子さんがお菓子大好きなどと紹介していたっけ。

「食っていいぞ。取りに来い」

 俺の言葉にライチは目をキラリと輝かせた。そして。なにか不自然な、上半身を全く上下させないスーッという動きでこちらに向かってくる。

 変な動きの謎はすぐそばまで近づいてきたときに明らかになった。なにやら薄い円筒系の、ルンバだかランバとかいう名前の自動操縦型の掃除機に似た機械に乗って移動してきたらしい。自作だろうか。

「よく落ちないな」

 ライチはその質問には答えずお菓子を凝視している。

「……好きなのを取れ」

 数秒迷った結果、セロハン紙に包まれたラムネ菓子を手に取った。なかなか渋い趣味だ。

「もっと取っていいぞ。それに食いたけりゃ好きなように取りにこい。多すぎて困ってるんだ」

 彼女は明らかに先ほどまでよりも親愛の籠った目で俺を見る。

(あっ今好感度が上がった。意外にちょろいなこいつ)

 ライチはお菓子を両手に抱えて自席に戻っていった。

 さて。ファイルを開いて中身に目を通す。最初のページには『ブッコロセラピー』

の定義について書かれていた。

「新技術アンドロイドである『ブッコロイド』を破壊することにより爆発的なストレスの解消を実現する、まったく新しいエンターテインメント&セラピー!

 このストレスにまみれたクソったれ社会を救う堕天使!」

 堕天使だそうだ。

 次のページには『ブッコロイドとは?』というタイトルが振られ、

「新素材『ブッコロシリコン』を使用して『成型のしやすさ』『低コスト』『破壊しやすさ』『破壊の快感』を同時に実現した『ブッコロセラピー』専用のアンドロイド!

 開発したのは天才ガイジン幼女ライチ! コロセラのマスコットライチ!」

 ライチの可愛らしい似顔絵付きで解説されていた。さらにページをめくる。

「最新型のブッコロイドには会話機能を搭載。これによってお客様に『ハラスメント』を行い不快感を味わってもらうことでより強烈なカタルシスを実現!」

 先日桜梨子さんから教えてもらったことばかりだが、まぁ復習にはなる。

 さらにブッコロステージに関する説明が描かれているページにも目を通す。

「ブッコロセラピーを実施するステージ。『オフィス』『満員電車』『飲食店』『工事現場』などのシチュエーションを用意しておりお客様に合ったステージを選択して頂く。今後さらに多くのお客様のニーズを満たせるようにステージを新設する必要がある」

 なるほど。ステージに種類があるとは知らなかった。勉強になる。

 ――それはよいのだが。

「おまえなァ。いい加減にしろよ」

 先ほどからライチはお菓子を取っては戻り、取っては戻り。自席と俺の席の間を例のマシンで何往復もしている。気が散ること山の如し。

 俺が睨み付けるとシュンとした様子で手に取っていたお菓子を机に戻した。

「いや。お菓子食うのはいいんだが、行ったり来たりするのを辞めろと言っている。気になって仕方がない。その機械全く音しないからかえってわずらわしい」

 ライチはどうしたもんかとばかりに腕を組む。

「隣に座ればいいだろう。どうせ人いないし」

 俺の提案を受けてライチは大袈裟にポンと手を打つ。全然しゃべらないし常に無表情だが『仕草』による感情表現の手数はけっこう多いようだ。少し可愛らしく見えてきた。

 彼女はいそいそと自席に戻りゲーム機を取ると、俺の左隣の席に腰を下ろした。

 そしてお菓子を食べながらゲームをおっぱじめる。プレイしているのは格闘ゲームだ。すごい勢いでバチバチとコマンドを入力している。

(これはこれで気になるが……まあいいか)

 再びファイルに目を落とす。次のページに書かれていたのは『ブッコロイド』の構造に関する詳細な説明だった。

『心臓の部分に埋め込まれているマシンコアのみによって、ブッコロシリコン全体を操作している。そのためセラピーによって破壊されてもマシンコアさえ壊れなければ容易に再生が可能。最先端技術。すごいでしょ』というようなことが書かれていた。

(ようするに真ん中にしか骨がないタコみてーな作りのロボットってわけか。うーむ。余計に不気味な感じがする)

 ということは理解することができたが、細かい部分は読んでも意味がわからないので次のページに進んだ。

(……なんだこれ。急に専門的になったなァ)

 今度はなにについて書かれているかすらわからない。飛ばす。

 次もわからない。飛ばす。

 次も飛ばす。

 次も。

 ――あっというまに最後のページまでたどり着いてしまった。

「なあ」隣でスーパーコンボをキメている奴に声をかける。「他にやることないか?」

 ライチはしばし思案したのち。ゲーム機の両サイドについている赤い部品と青い部品を取り外した。そして青い方を俺に渡す。

「なんだこれ?」

 彼女はポケットからスマートホンを取り出すとなにやら文字を入力、それを見せてきた。

『それはコントローラー』

 と画面には書かれている。

(……デジタル筆談? 最近の子ってみんなこうなのか?)

『対戦しよ』

 まあこないだは少ししゃべっていたし心配するほどのことでもなかろう。

 俺は「いいよ」と返事した。

 ライチは一ミリだけ口角を上げて微笑むと(気のせいかもしれない)トレーニングモードを終了し、対戦モードを選択した。

 さてこのゲーム『ウルトラスプライトファイターV』。

 これ自体はやったことはないがこのシリーズの前前前前前前前前作ぐらい、小学生のときに買ってもらったものであればアホのようにやり込んだ実績がある。従って少々ルールは違うかもしれないがこのような青二才に負けるわけにはいかない。

 俺は迷わず愛用のキャラクター『ルガイ』を選択した。

 ライチが選んだのは歌舞伎役者兼お相撲さんという謎キャラ『エドモントン本田』。

「なかなか渋いチョイスじゃん」

『そうかな?』

 ステージが選択され対戦開始。左側にアタマをツンツンにおったてた米兵、右側に象さんの柄の化粧まわしをした関取が表示される。

「あっちょっと待った。一応コマンド確認させてくれ」

 ポーズボタンを押して必殺技のコマンドを確認する。よし。古い奴とほぼ変っていない。

「わりいわりい。始めようぜ」

(よし。思い知らせてやる。格の違いって奴をな)

 ――三十秒後。

『トドメじゃあ! 大銀杏クラッシュでごわす!』

『KO! パーフェクト!』

「ウソだろ」

 格の違いをとっぷりと思い知らされた。

 落ち込む俺にスマホのメッセージでさらに追い打ちをかける。

『弱くはない』

『でもライチに比べたら』

『うんこ』

 ――! ムキになった俺は再戦を挑んだ。

 ライチはポッキーを口に咥えて煙草を吸うような仕草をしてみせた。


「おはようー! 先来てたんだー! たまたま鈴村さんと会って――アレ?」

 しばらくの後。桜梨子さんと鈴村が連れだってオフィスに現れた。

 彼女たちが見た光景は、お菓子を食べ散らかしながら二人して本気になってゲームに興じているというザマだった。

「なんていうか楽しそうだね……キミら」さすがの桜梨子さんも呆れ顔である。

「もう仲良しなんですね」鈴村はアゴに手を当てて苦笑していた。


 さて。遊んでばかりいるわけにもいかない。会議室にて初の打ち合わせを開始する。

 メンバーは俺、鈴村、桜梨子さん、ライチの四人だ。

 話が前後する――というか今更なことだが、俺がこの会社でアルバイトをしようと思ったのは、元高校の先輩で今は大学生の金田さんという人の紹介による。まず話題に上がったのはそのことだった。

「金田くんって学校ではどういうキャラだったの?」

 桜梨子さんがコーヒーを淹れながら俺に尋ねた。

「んー。ちゃらんぽらんだけどやるときはやるって感じですかね」

「ふーん。じゃあウチにいたときと一緒だね。彼は優秀だったよ。アタマが良かった」

「俺もそう思います」

「ま、当たり前だけどさ。キミの所、名門校だもんね。星門高校」

 ライチと鈴村が目を見開いて俺を凝視した。

「彼に誰かいい後輩いない? って聞いたらイチオシで紹介してくれたのがキミだからね。期待してるよ」

 先輩とは一回イヤイヤやった委員会で一緒になったことがあるだけだ。まさかそんなに評価されているとは思わなかった。俺しか暇そうな奴がいなかっただけかもしれないが。

「鈴村さんもね三上くんと同じ感じで、去年までウチで働いてた子に頼んで紹介して貰ったんだ!「いいJKいねえか?」ってね。ま、彼女の場合はウチのすぐそばにある『又川女子』の生徒だから先輩がいっぱいいるんだけどね」

 又川女子といえば名門女子高であるとともに、金持ちのご子息が通ういわゆるお嬢様学校としても知られている。鈴村からはあまりそういったオーラは感じない。

「でもなんで――」ひとつの疑問が湧いたので聞いてみることにした。「なぜワザワザ高校生の俺たちなんかを?」

 金田さんに紹介してもらうなら彼の通う二ツ橋大学の人を紹介してもらったほうがよさそうなものだ。又川女子の先輩にも名門大学に通う学生がたくさんいるであろう。

 桜梨子さんはアタマをポリポリと掻きながら質問に答えた。

「ウチの会社さ。業態上仕方がないんだけど、私以外は職人気質ってゆうか、アタマ固いってゆうか、純粋な技術屋しかいないからさ。キミたちみたいな若くてアタマが柔らかい子の意見が欲しいんだよね。よーするに。今まで私が全部ひとりで考えて、一人で決定していたことを『会議』をして決めるようにしたい。これがひとつの理由」

 これはなかなかいい質問をすることができたかもしれない。

「それからもうひとつ! キミたちには重大な使命がある!」

 などと俺と鈴村を両手で同時に指さす。

「キミたちを雇った最大の理由はね! 高校生向けのブッコロセラピーを構築するため! そのためにキミたちの意見がゼッタイ必要!」

 大袈裟な身振りで髪の毛をかき上げた。

「こ、高校生向けかあ……」鈴村は腕を組みながら天井を見上げる「高校生ってそんなにストレス抱えてるもんなんですかね? 大人の方とくらべて」

「料金出せんのかなあ? 安くはないんでしょう?」

「うん。その疑問はごもっとだね。でも――」

 桜梨子さんは手元にあったタブレット端末を器用な手つきでいじると、俺と鈴村の前にスライドさせた。

「その記事。どう思う? 赤で囲ってるところを特によく読んで欲しいんだけど」

 見出しに書かれていたのは「自殺大国日本」という衝撃的な文言だった。

 とりあえず赤線で囲われている部分に目を通してみる。

『特に十五歳~十八歳までの世代で深刻であり、その世代の死因のうち自殺の締める割合はダントツの一位であり七十パーセントを超えている』

「な、七十パーセント!?」

 桜梨子さんが眉間を抑えながら溜息をつく。

「最近ますます、人身事故が原因の電車遅延が増えた気がするよね」

「ですね。原因はいじめ、受験ノイローゼ、教師によるハラスメントなどなど……か」

 鈴村は顔を真っ青にして、今にも泣き出しそうな顔で記事を読んでいた。

 ライチはあまり興味がなさそうに頬杖をついている。

「高校生向けのブッコロセラピーを構築しようと思ったのはね。これをなんとかしてあげたいから。という立派な理由がひとつ」

 桜梨子さんは人さし指を一本立てた。

「あとは。高校生のウチから囲っておけば将来上客になってくれるかも。というビジネス的計算もあるね」

 中指を立ててピースサインを作り、まったく悪びれない様子でニカっと破顔した。

「そういうことなので! キミたちが普段どんなことにムカついて、なにに傷ついているか。それを教えてほしいな」

 手帳のページを開いてボールペンの芯を出した。

「じゃあ三上くんからにしようかな。なんかある?」

「えっ! 俺っすか!」

 基本的にアドリブは効かない。眉根をおさえ考え込んでしまう。

「ハハハ。そんなに難しく考えなくていいよ。最近ムカついたこととかなかった?」

「ええと。妹が朝なかなか起きないとか」

「へー。妹さんがいるんだ。なるほどなるほど」

 手帳にボールペンを走らせる。

「あとは?」

「妹が皿を洗わない」

「ほう。妹さんの人物像が見えてきたねえ。他には? できれば学校に関係あることがいいな」

「えーっと。妹が学校で寝てばかりだからたまに先生からお叱りの電話がかかってくる」「……妹以外ではなにか?」

「えっ!? そうですね」

 こう考えると俺のストレスの原因はほとんどがヒロムなのかもしれない。

「か、カールを食べると歯の裏にこびりつく」

 さっきオフィスでお菓子を食べながら感じたことである。

「……ありがとう。とりあえあずそんなもんでいいや」

 ううむ。あまり感触がいいとは言えない。

「次は鈴村さん」

「そうですね。私の場合は――」

 鈴村はスムーズに話を始める。しかし奴は俺が話している間に考える時間がたくさんあったはずである。ずるい。これは贔屓ではないか。

「女子特有だと思うんですけど。『同調圧力』みたいな部分でイラだつことが多いです」

 む。なにかカッコイイ難しい言葉を使っている。

「ほうほう。例えば?」桜梨子さんはボールペンを走らせながら続きを促した。

「今流行っているテレビ番組とか、芸能人、映画やマンガなんかの話をするときに『当然知ってるよね?』『当然好きだよね?』みたいな変なプレッシャーを感じることがあります。それが居心地が悪いというか」

「ほうほう!」桜梨子さんは感心した様子で首をしきりに動かす。

「今って価値感とか娯楽とかがたくさんあるからさ。そういう感覚ってどっちかというと私たち世代の方が大きいのかと思ったんだけど。今の子も一緒なのかなあ?」

「そうだと思います」

(こ、こいつ……!)

「あとは承認要求っていうんですか? 自己アピールが過剰な人をうっとおしく思ったりもします。やたら自撮り写真をパシャパシャしたりとか」

「あーわかるわかる~。若けりゃまだしもさ。おばちゃんでもいるからね。カメラの高性能化によりシワ目立ってまーす。ってね」

(これおまえ……)

「あと自撮りで思い出したんですけど、SNSを見ていてイラつくことも多いですね。我ながらちょっと根暗だなーと思いますけど」

「最近の若い子はそうだろうねぇ」

「『マウンティング』とか『自虐風自慢』とか『関節自慢』とかいろんな技を使って。とにかく自分の方が優位だっていうポジションの奪い合いなんです」

「ひええ! コワ! ねえねえ。どんなワザか教えて」

 鈴村は実にわかりやすい説明をしてみせた。

 俺は思った。

(やべえ……! こいついれば俺いらねえ!)

「へーなるほどなるほど。勉強になるなぁ。ってゆうか仕事関係なしに面白い」

(なんとかしねえと! クビになってまう!)

「でもさ。最近の子ってやっぱり大人しいのかね」

 桜梨子さんがボールペンをかちかち鳴らしつつ呟く。

「えっ」

「だって鈴村ちゃんの話聞いてるとさ。ハタから見ててウザいっていう話ばっかりで、直接なんかされてイヤだったって話は全然出て来ないから」

 彼女の顔を穴が空くくらいに睨み付けていた俺しか気がつかなかったようだが。その言葉を聞いた瞬間、鈴村の顔に真っ暗な影が走った。

「そ、そうかもしれません」

「先生とかにムカついたらしないの?」

「しませんね」威圧的なほどに乾いた声で吐き捨てた。「先生たちは私たちに関心がありませんから。面倒だから関わらないとか、見て見ぬフリとかじゃなくて、本当に心の底から興味がないんです」

「そ、そうなんだ。それはモンダイだねえ」

 桜梨子さんはボールペンを回転させつつ手帳に『教師の無関心』などと書き込んだ。

「三上くんはどう? 先生にムカついたこととか」

(チャンスだ! ひょっとしたら最後のチャンスかも!)

「あります! ありますとも! 理不尽な仕打ちを受けたことが!」

 俺は脳内をほじくり返し、想い出を手繰り寄せる。

「エラい張り切りようだね……。キミってそんな感じだったっけ?」

「そうだ! アレがあった! 学校で! バトル鉛筆で遊んでたんですよ! そしたら教師にね『それは鉛筆じゃない。おもちゃだ』って言って没収されたんです! めちゃくちゃ理不尽じゃないですか!?」

 桜梨子さん、それからライチも目をパチクリさせた。

「ごめん。わかンない。バトル鉛筆ってなに?」

 しまった! ええと。なんと説明したらよいのだろう。迷っているうちに、

「懐かしいですね。私たちが小学生ぐらいのとき第二次ブームだったんですよ」

 と鈴村が口を挟む。

「へえーそうなんだ」

「簡単に言うと鉛筆を転がして闘うアナログなRPGゲームで――」

 俺は。その後もなにひとついいところがなかった。


 ――あっと言う間に時間は過ぎて十八時。

「よーし! じゃあ今日はこんなところにして! 二人の歓迎会でもやろうか! このあと空いてる?」

 なんだかあまり気が進まない。


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