第一章 第1話 河川敷の出会い

 父親ゆずりの凶悪な目付きでいつも損ばかりしている。

 どこへ行っても見た目だけで不良扱い。勝手に様々な悪事の噂を立てられ、一度など人殺しの上に放火魔であると高校のクラス掲示板に書かれたことさえある。

 こちとら人殺しや放火はもちろんのこと万引きや薬物乱用、臓器密輸や野球賭博、マタハラや乱交パーティーすらやらない、超のつく好青年だと言うのに。この茶髪だって染めているわけではなく地毛だ。

『西新地―西新地―。お出口は左側です。西新地の次は終点双子又川に停まります』

 強いていうならやるのはカツアゲぐらい。それだって、もしコンビニでアルバイトして金を稼ぐことを『コンビニからカツアゲをする』と言うのであればの話だ。

『まもなくー双子又川―双子又川。この電車の終点でございます』

 しかも。そのカツアゲすら先週までで足を洗うつもりでいる。

 これからは別の相手からさらに多額のカツアゲをすることにしたからだ。

 もし本日の面接の結果、採用されればの話ではあるが。

『双子又川―。双子又川―。お出口左側です』

 自宅のある花ヶ丘駅から新しいアルバイト先の最寄り駅である双子又川まではおよそ二十分。高校のある溝の端からはさらに近い。十分弱だ。立地条件は悪くはない。

 少々めんどうなのは今までやってきたような店舗系のバイトではなくいわゆる『企業バイト』であるという点だが。

(ま、なんとかなるだろ。どうせいずれは会社で働かなくちゃならないわけだし)

 などと考えを巡らせながら双子又川駅の改札を出て川沿いの道路を歩く。

 河川敷には黄緑色の芝生が整然と植えられており目に心地よい。川の流水が夏の朝日をキラキラと反射しているカンジも嫌いじゃない。夕方なんかはさらに美しい景色が広がっているのではないか。帰りに時間があれば河川敷の方を歩いて見るのもよいかもしれない。

 ――そうして歩くことおよそ二十分。

「……ここどこだよテメエこの野郎」

 先程から全く変化のない景色が目の前を延々と通り過ぎてゆく。

「迷っちまった……! クソが!」

 駅の東口を出て川沿いの道を歩いたところに『又川バベル』というビルがあるからそこに行けばいい。すぐにわかるはずだ。と聞いていたのだが、ビルなんぞ山ほどあるし名前も書かれていないものが多い。

「わからねえよ畜生! ぶっ殺す!」

 携帯電話を使って地図を調べようとするが、そんな普段やらないことをやったところでよい結果が出るはずもない。そもそも携帯電話がスマートフォンでなく、超旧型のガラケーである時点でお話にもならん。

(誰かに聞くか。誰もいねえから探さないと。めんどくせえええ!)

 とはいえ早目に家を出ておいたのだけは不幸中の幸いであった。まだ集合時間には四十分近く余裕がある。学ランを脱いで肩にかけ、川沿いの道を再び歩き始めた。河川敷にはひとっこひとりいやしない。これだから神奈川県は。ちょっと郊外に行くとすぐに田舎だ。

 重い足取りで歩くことさらに二十分。

(いた――!)

 遥か前方に人影を発見!

 川に向かって直立して佇んでいる。長い黒髪の後ろ姿。女だろうか?

 まあなんでもいい。俺はそいつを目指して早足で歩きはじめた。すると。

「――――――♪」

 なにか音が聞こえる。

「――――――――――――♪」

 歩を進めるごとにその音は大きくなってゆく。

(これは。声か?)

『アーーー』と表現してもよいし『ラーーー』と表現してもよい。ともかく透き通るような印象の高音だ。当然、その声を発しているのは河川敷に佇む彼女であろう。徐々にその背中が近づいてくる。

(ん? あの子。高校生か?)

 よく見れば彼女が着ているのはセーラー服だった。白と黒のシンプルなデザイン。

「――――――♪」

 俺が近づいてきていることに気づいてもいないのか、彼女はその声を響かせ続けていた。

(なんてキレイな声……)

 鼓動が速くなる。

 いつのまにか彼女のすぐそば、距離五メートルぐらいのところにまで近づいていた。

 そこまで近づいても彼女は発声を辞める様子はない。

 近くで聞くとその声はぞくりと鳥肌が立つほどに美しかった。

 それにその後ろ姿。朝日に照らされて輝く黒髪とほっそりとしたシルエットは神秘的であるとさえ思える。

 どれくらいの時間かはわからないが、俺はその場に立ち尽くしていた。

 その声をずっと聞いていたかったからだ。しかし。

(あっ! もう時間が――!)

 ふと時計を見ると、集合時間まであと五分しかなくなってしまっていた。

「す、すまん!」

 不必要に大きな声が出てしまう。

「取り込み中のところすまん! ちょっと道を聞きたいんだが――」

 彼女の声がピタっと止まった。

「又川バベルっていうビル。知らねえか? この辺りのはずなんだけど」

 ゆっくりとこちらを振り返る。俺の心臓が異常な速度で脈を打つ。

(これは……もしかして……恋……!?)

「し、知ってます」

(――あれ?)

「ちょうど私も今からそこに行くところだったので」

 そこにいたのは。ボサボサの重苦しい黒い髪の毛を目が隠れそうなくらいに長く伸ばして、分厚い赤ブチメガネをかけ、あまり手入れをしていなさそうな太い眉を生やした女の子だった。

 ――思ってたのと違う!

「テメエ騙しやがったなこの野郎!」

「え、え、ええええええ!?」

 少女は叫び声を上げながら後ろに飛びのき、マンガみたいに尻餅をついた。

「あ! す、すまん間違えた!」

(落ち着け……この娘はなにも悪くない……勝手に期待した俺が悪い……)

 彼女は脅えきった目でこちらを見上げている。俺は一度咳ばらいをして、

「ごめんな。今のはその、勘違いをしてただけなんだ」

 努めて優しい口調で声をかけ、右手を差し伸べた。

「は、はあ……」

「なあ。あんたも目的地一緒なんだろ? だったらゴイッショさせてくれ」

 彼女は無言でうなずきつつ、俺の手を取り立ち上がった。

「あ、つーかさ」

「な、な、なんでしょう……」

「あそこ行くってことはさ。もしかしてあんたもコロセラのバイトの面接に行くのか」

 メガネの向こう側の目が少しだけ驚きに見開かれた。

「そうです」

「よろしくな。俺は三上哲人。あんたは?」

「す、鈴村です。鈴村みのり」

(うーん。やっぱり声はいいな)

 虫が鳴くような小さな声だったが、俺の耳には心地よく聞こえた。

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