第七話 契約終了

7-1

「ねぇねぇ、石井くん」


 放課後、図書室で小森の部活動が終わるのを待っていると吉野先輩が現れた。

 戸口から手招きしているので、読みかけの本に栞を挟んで立ち上がる。


「どうしたんですか?」

「春菜に石井くんはいつも放課後、図書室にいるって聞いたから会いに来ちゃった」

「今日の部活動は?」

「ちょっと遅れるって言ってある。実は石井くんにお願いがあってさ」


 じゃーん、と言いながら先輩はカバンから白い封筒を取り出すと中身を半分ほど出して見せてくれた。

 長方形の紙には、ペンギンのイラストが描かれている。


「水族館のチケットですか?」

「うん、人にもらったんだけどね、あたしの彼氏って水族館が苦手なの。水槽がいつ割れるかと思うと気が気じゃないんだって」

「アクリルガラスの強度は問題ないと思いますよ」

「苦手なものはどれだけ理由をつけても苦手なんだよ」


 それはそのとおりかもしれない。


「で、苦手な人を付き合わせるのも悪いし、石井くんが一緒に来てくれない?」

「俺ではなく、小森や村上と行けばいいのではないですか?」

「残念ながら男女のペアチケットなの。だからってこれをキミにあげられるほどあたしは太っ腹じゃないんだよね。石井くんだってこのチケットをあげたら誰と行くか迷っちゃうでしょ? 春菜と杏の片方だけだと、あとで揉めるよ?」

「では母と行きます」

「おぉ、親孝行。でもダメ。あたし、クラゲが見たいだもん。ね、いいでしょ?」


 吉野先輩は胸の前で手を合わせ、懇願するように俺を見上げた。


 この誘いを受けるべきか断るべきかを考える。


 正しいのがどちらかという問いに答えは出ないが、個人的に知りたいこともある。

 それを確認するには良い機会かもしれない。


「わかりました」

「やったー!」


 吉野先輩は両手をあげて大げさに喜んでみせた。


「じゃあ次の土曜日、十時に駅で待ち合わせね。それと」


 そこで声を落として、先輩はささやいた。


「春菜には内緒にしてね。もちろん杏にも」


 そう言っていたずらっぽく微笑むと、吉野先輩は軽快な足取りで階段を降りていった。


 もしかするとこれはまた、まずい選択だったのではないだろうか。

 今さらのようにそんな気がした。





 六月二十三日、土曜日。

 市内で一番大きな駅の前で、俺はぼんやりと空を見上げていた。


 頭の中で順番に理屈を組み立てていく。

 情報を理解しやすいよう順序立て、できるだけ短く簡単な言葉で考察を伝える準備をした。


 目を閉じて最初から確認する。

 これで問題ないはずだ。


 あとは話を切り出すタイミングをうかがえばそれでいい。


「ごめんごめん」


 吉野先輩が現れたのは待ち合わせ時間を十五分ほど過ぎてからだった。


「準備に手間取っちゃってさ。待った?」

「それほどでもありません」

「ふふふ。いやぁ、やっぱりデートというと一回くらいこのやりとりをしておかないと気分が出ないよね」

「そういうものですか」


 そもそもこれはデートだったのだろうか。


 定義が曖昧な言葉である以上、使う人によって意味が違う言葉なのだろう。

 それをすべて統一することはきっと不可能だ。


「じゃ、行こっか」

「はい」


 駅から二十分ほど歩いて、水族館に向かう。


 その道中、吉野先輩は様々な話をした。

 おおむね彼女自身にまつわることが多かった。


 水族館に着いてからも吉野先輩の話は続き、俺は彼女の話をBGMにして展示を二時間ほど見て回った。


 すると、ちょうど良い時間になったため吉野先輩から昼食の提案があった。


 待ち合わせの時間から予測はしていたが、なんとなく慣れない。

 小森の台詞ではないが、あまり親しくない相手と一対一で食事をするのは妙に息の詰まることだ。


 水族館を出て、駅まで戻り、先輩が行きたいというカフェに入った。

 ランチメニューのパスタをどうにか食べ終わったころ、先輩は言った。


「実はね、今日は石井くんに相談があってさ」


 そう切り出した吉野先輩は、やや深刻な表情をしている。

 さっきまで元気にはしゃいでいた姿は鳴りを潜めてしまい、まるで別人のようだ。


「最近、彼氏とうまくいってないんだよね。なんていうか、価値観っていうの? そういうのが違うって言うかさ」

「吉野先輩」


 会話をさえぎるのはマナー違反だ。

 しかし今はそうせざるをえない。


 この話に付き合うつもりはない。


 多分、このタイミングを逃せば俺は一生疑問を口にできないままだろう。


 そんな確信があった。


「どうしたの、怖い顔して」

「一つだけ、確認させてください」


 気にせずに済めばよかった。

 しかし一度疑念がよぎると、それを忘れることはできない。


「もしかしてあなたは俺を利用したんじゃないですか?」

「なんのこと? あ、水族館に連れてきたこと?」

「違います。もっと重要なことについてです」

「このデートもあたし的には重要なんだけどな~」


 明るく語尾を伸ばす。

 どうやら向こうから話してもらうことは望めないらしい。


「近頃、俺に対して脅迫状が届くということがありました。知ってますよね」

「うん。春菜から聞いたよ。でも犯人も見つかって解決したんでしょ?」

「はい。しかしまだ説明がつかないことがあるんです」


 脅迫状の犯人はクラスメイトの財前だった。

 机にガラス片を入れたことも、剃刀入りの封筒を置いたことも認めていた。


「これは小森たちにも言ってないことですが、届いた脅迫状は全部で三通でした。その二通目について、犯人とされた彼女はなにも言わなかった」


 財前は小森とも友人関係にある。

 もしも俺の浮気を確信しているなら、話すのが普通なのではないだろうか。


 それに二通目の内容は財前の目的に合わない。


 ラムネ瓶が割れたことを公にしたいなら、浮気写真を同封するのは悪手だ。


「その子が隠してるだけじゃないの?」

「それにしても妙なことがあります。一通目と三通目は机に置いてありました。でも二通目だけは下駄箱に入っていました」

「気まぐれなだけでしょ」

「内容も妙です。二通目の脅迫状だけは具体的な指示がありました。時間と場所を指定して、走るようにと。ちょうど先輩に会ったのはそのときでしたね」

「偶然だったね」

「本当に偶然ですか?」

「んー? 石井くんはなにが言いたいのかな」


 やはりとぼけた様子の吉野先輩に向けて、俺は核心を口にする。


「俺は二通目の脅迫状を送ってきたのは吉野先輩じゃないかと思っています」

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