5-3
六月十八日、月曜日。
警戒しながら下駄箱を開けたが、上履き以外にはなにも入っていなかった。
教室の机も同様で、特に変わったことはない。
二通目の脅迫状にきちんと従ったことが功を奏したのだろうか?
そうだとすると、犯人の狙いはますます読めない。
「石井くん、お客さんです」
朝、自分の席で思索を巡らせていると村上に声をかけられた。
早朝の教室に誰がわざわざ俺を訪ねてくるのだろう。
教室の入口に立っている男子生徒は一度だけ顔を見たことがある。
苦心して思い出そうとするが、とっさには出てこない。
「こちら、武田先輩です。河川敷で一度会ってますよね」
村上が俺を助けるように情報を与えてくれる。
そうだ、たしか河川敷で吉野先輩と一緒にいた上級生だ。
「おはよう、石井くん……だっけ。ちょっと話がしたいんだけど、いいかな?」
「はい、大丈夫です」
「ここじゃなんだから、場所を変えよう」
どうやら人に聞かれたくない内容のようだ。
近頃、内緒話ばかりしている気がする。
そう考えると、そもそも人に聞かれてもよい会話というのはあるのだろうか。
「ここらへんでいいかな」
体育館へ続く渡り廊下まで来て、武田と紹介された上級生は足を止めた。
弱い風が吹く。
日中なら人が行き交うが、まだ時間が早いせいか人影はまったくなかった。
「あー、なにから話そうかな。同じ部活ならともかく、それ以外の後輩と話す機会なんてめったにないから、ちょっと迷うね」
武田先輩は困ったように微笑んだ。
そういう点では自分も同じだ。
部活動に所属していないため、上級生と接触する機会自体が珍しい。
そのとき、武田先輩の肩越しに掲示板が見えた。
そこに貼られた壁新聞には、写真が掲載されている。
「そこに写ってるのは先輩ですか?」
「ん? ああ、バレた?」
サッカー部を取材した記事には、エースという紹介と共に武田先輩の姿が載っていた。
「こういうの、実際に書かれるとなんだか恥ずかしいよね。友達にも、新聞を見たぞってからかわれたし」
言葉とは裏腹に武田先輩は嬉しそうに見える。
しかしどうやら、これを見せるために連れてこられたわけではなさそうだ。
「それで、お話というのは?」
「お、意外とせっかち。そんなに身構えてもらうようなことじゃないんだ。ちょっと石井くんと話してみたかっただけっていうかさ、小森の彼氏っていうのをじっくり観察したかったっていうか」
そう言いながら武田先輩は遠慮のない眼差しで俺をジロジロと観察しはじめる。
比喩だと思っていたが言葉通りの意味だったらしい。
「武田先輩も小森と同じ中学出身なんですか?」
「そうだよ。オレ自身はあんまり接点はなかったけど、ミクを通じて何度か会ったり、話したりはしたんだ。だから高校に入ってすぐ彼氏を作ったっていうのが意外でね」
ミクとは吉野先輩のことなのだろう。
下の名前で呼び合うところに、本物の恋人関係らしさを感じた。
「小森はどんな中学生だったんですか?」
「さっきも言ったけど、そんなに親しくしてたわけじゃないよ。ただ、全身から男嫌いみたいなオーラを出してたね」
「なんとなくわかります」
「でしょ? 小森とはうまくいってるの?」
「順調です」
契約自体に破綻はない。
村上をのぞけば、誰かにニセモノだと見破られることも起きていない。
「そっか。村上とも仲がいいみたいだね」
「同じクラス委員なので、接点は多いです」
「うちの中学でも難攻不落だった二人をものにするなんて、石井くんは見かけによらずタラシだね」
「そういうのではありませんよ」
村上はもちろん、実際には小森とも特別な関係というわけではない。
「そうそう、石井くんはミクとも仲良くしてくれてるみたいだね」
そこで武田先輩の雰囲気が少し変わった気がした。
今までのはあくまで世間話であり、ここからが本題なのだろう。
「先週末、コンビニ帰りに会ったって聞いたよ。家まで送ってくれたんだって?」
「ええ、時間も遅かったので」
「間違いなく、家の前まで送ってくれたの?」
やけに掘り下げてくる。
それだけ恋人のことが心配だったのだろうか。
たしかに、吉野先輩はのんびりした人のようだ。
恋人が心配するのも仕方のないことではある。
「はい。ご自宅の前までお送りました」
「そっか。ありがとう。今日はそのお礼も言いたかったんだ」
武田先輩が表情を崩す。
どうやら本題は終わったようだ。
「朝早くから悪かったね。なにか困ったことがあったら、遠慮なく言ってよ。年長者としてアドバイスできるかもしれない」
「是非お願いします」
「石井くんは素直で、ウソをつきそうもないね」
武田先輩はそう言って笑った。
午前中は球技大会である。
朝から二つ分の授業時間を使って、一年生の球技大会がおこなわれる予定だ。
以降、三時間目と四時間目が二年、午後からが三年というスケジュールらしい。
「バレーボール苦手なんだよなぁ」
校庭の隅で出番を待っていると、隣にしゃがみこんだ高倉がぼやく。
「というか全員にバレーボールをさせるなら、球技大会って看板はふさわしくないだろ。バレーボール大会に改名すべきだ」
「バレーボールも球技だから、問題はないだろう」
「期待の問題だよ。いくつか球技があって、出場する種目が選べてこその球技大会ってもんだろ」
校舎の壁に背をあずけて、高倉がけだるげな声を出す。
「昨日は悪かったな。小森にもお礼を言っておいてくれ」
「俺はなにもしていない。偶然出会っただけだ」
「それだけでいいんだよ。あいつすぐ泣くくせに、すぐどっかに行くんだよ」
「好奇心あるのは良いことじゃないか?」
「良く言えばな。あーあ、小学生ならドッジボール大会で許されるんだろうな。今からでもドッジボール大会にならねぇかな」
「石井」
高倉と話していると、知らない男子に声をかけられた。
自分が知らない相手に名前を知られているというのは、若干の恐ろしさを感じる体験だ。
顔にも声にも覚えがないとなると、他のクラスの生徒なのだろう。
「ちょっと来い」
男はそう言うとこちらの返事を待たずにすたすたと歩きだす。
「ご指名だな。決闘の申し込みかもよ」
「最近はやけに呼び出されることが多い」
「人気者はつらいね。この場合、お前と小森のどっちが人気なのかってのが問題だけどな」
なぜかいきいきと笑う高倉と別れて、男の背中を追いかける。
男が足を止めた場所は体育館裏だった。
球技大会で使っているのは校庭だけなので、いつもに比べると静かだ。
「あのさ、お前本当に小森のこと好きなのか?」
男はいきなり、苛立ちを隠そうともせずに言った。
たったそれだけで俺のことをよく思っていないことが伝わってくる。
もしかすると、彼が脅迫状を送ってきた犯人かもしれない。
「どうだろう」
相手の出方をうかがうためにも質問には答えない。
「ちゃんと答えられないなら別れろよ。大体、おかしいだろ。高校に入っていきなり彼氏作るなんて。お前、なんか妙な手を使ったんじゃないか?」
彼の推測は間違ってはいないだろう。
契約交際という点で、正攻法ではない。
「小森のことを知ってるのか?」
「当然だろ。小森から聞いてないのか。オレはあいつと小学校からずっと一緒なんだぜ」
「初耳だ」
そもそも小森から昔の話を聞くことが稀だ。
「小森は昔から美人だった。顔も整ってるし、スタイルもいい」
そこから彼は小森を褒めた。
それはもう大変な褒めっぷりだった。
あらゆる語彙を駆使して、小森を褒め続ける。
しかし内容のほとんどは外見に関することだった。
小森が美人ではないとは言わないが、もしも自分が小森の美点をあげるならどうなるだろう。
相手の話を聞きながら考える。
気難しい性格だろうか。
それとも迷子を見つけたらすぐ助けに行くような、正義感が強いところか。
それとも決断力に優れている点だろうか。
どれもイマイチ正しい答えではないように思う。
しばらく考えて俺は、彼の言葉をさえぎって言った。
「どうあれ、小森の彼氏は俺だ」
「なっ……!」
「俺が小森をどう好きなのか、どの程度好きなのか。それを誰かにわかってもらおうとは思わない。君が小森とどの程度親しいのかは知らない、まして君がどの程度小森を好きなのかも知らないし知るつもりもない」
ようするに、と俺は言う。
「俺の好意はただ小森にさえ伝わればそれで十分だ」
小森のことが好きなのか、と訊かれれば多分好意は持っている。
恋愛感情ではないが、好意は好意だ。
さっきも理由を考えたが、言葉にするとどれも陳腐に感じてしまう。
やはり俺の言葉は人に聞かせられるほどのものにはならない。
だから第三者に証明するなんてことは諦めよう。
俺は小森と契約を結んだ。
その小森が認めてくれていれば、契約には十分だろう。
おぉ、と背後でどよめきが起こる。
気づけば周囲には同級生たちがいた。
どうやら俺たちのやりとりは見られていたらしい。
「なんか……石井と話すのは疲れるな」
俺の答えが期待はずれだったのか、それとも人に見られていたせいか、男子生徒は毒気を抜かれたように力なく笑った。
「小森って、変なやつが好きなんだな」
「そのことについて、俺は意見できない。それより一つ教えてくれ。脅迫状は君の仕業か?」
「脅迫状……ってなんだ?」
「いや、いい。話が終わったなら戻らせてもらう」
同級生たちは俺が向かっていくと、蜘蛛の子を散らすように立ち去った。
「上出来だと思うわ」
校庭に戻ってすぐのところに小森がいた。
なぜか満足そうである。
「なにがだ?」
「さっきの、私も聞いてたのよ。途中からだけどね。ウソが下手なあなたにしては、良い返事だったと思うわよ」
「実際に思ったことを言ったまでだ」
「あなたの場合、そのほうがいいわ」
「ところでさっきの彼とは親しいのか?」
「全然。同じ学校だったことも覚えてないくらいよ」
じゃあ、と言って小森は離れていく。
「よ、立派なノロケっぷりだったな」
見計らったかのように高倉が片手をあげて近づいてきた。
「高倉も見てたのか」
「球技大会は待ってる間は暇だからな。ちょうどうちのクラスは試合してなかったし、大抵は見てるんじゃないか?」
早まった発言だったかもしれない。
大勢に見られていたという事実と合わせて、自分のセリフを振り返ると若干恥ずかしい気がした。
その後、球技大会はとどこおりなく終わった。
大会といっても詳しい順位を出したりはしない。
一位となった暮らすを表彰したらそのまま終わり、一年生は着替えて、三時間目の教室に間に合うよう教室へと戻った。
「一位以外はみんな一緒っていうのは悪平等の極みだ。勝負をしたからには明確に最下位まで出すべきだろうに。やだやだ」
嘆く高倉と共に教室に戻ると、そこはいつも以上にざわついているように感じた。
「なんだ? もしかして次の時間は自習か?」
「それなら俺のところに連絡が来ているはずだ」
「あぁ、そういえばクラス委員だもんな。じゃあなんだろう」
ざわめきは俺の席の近くで起こっているらしい。
「どうかしたのか?」
近いところにいた村上に声をかけると、彼女は机を指差した。
「エスカレートしてますよ、これ」
俺の机には「小森と別れろ」と書かれた紙が画鋲でとめてあった。
「封筒も置いてありました。中身は古典的ですが剃刀でしょう」
村上が机に置かれた封筒を手にとる。
振ると金属がこすれる音が聞こえた。
こうして俺に対する脅迫状騒動は、クラス中に知れ渡ることになる。
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