5-2

 翌日は土曜日で学校は休みだったが、俺には予定があった。


 学校近くの公園で、ぼんやりと空を見上げて人を待つ。

 すると頭が勝手に、脅迫状の犯人について考え始めた。


 どうも犯人の目的が判然としない。


 小森と俺を別れさせたいならば、村上との浮気を伝えてしまえばいいのではないだろうか。


 にもかかわらず、写真を使って犯人は別のことを要求した。

 その内容も城の周りを走らせるという意味不明なことだ。


 狙いが読めない。

 そうなると相手の姿さえ想像できない。


 どうも得体の知れない恐ろしさを感じた。


「お待たせ」


 小森の声が聞こえて、俺は意識を目の前に戻す。


 私服の小森がやってきたのは、午後一時半という待ち合わせ時間のぴったり五分前だった。


「…………」


 目の前に立った小森は無言のままそこに立っている。

 なにか言いたげな顔をしているが、なにも言わない。


 こういうとき急かすのは良くないだろう。

 俺は黙って小森の言葉を待った。


 たっぷり二十秒ほどが無言のまま過ぎて、小森は不機嫌そうに口を開いた。


「……なにか言うべきだと思わない?」

「俺が言うのか」

「ええ、そうよ。契約の一部として、あなたに言葉を要求させてもらうわ」


 契約、と言われてしまえばきっとそうなのだろう。

 感想を求められていることは察しがついたので、小森の様子を観察してみる。


 私服姿を目にするのは初めてのことだが、紺などの落ち着いた色でまとまっている。


「あまりジロジロ見ないでくれる?」


 小森は前髪を指先で引っ張りながら文句を言う。


 どうすれば良かったのかわからない。

 やはり小森は気難しい。


「いい色の服だと思う」

「努力が伝わってくる感想だわ。まぁ、さほど期待していたわけではないんだけど。変に見えてないならいいのよ」


 まくし立てるように言うと、小森は気を取り直すようにスカートの裾を払った。


「行きましょうか」


 小森に促され、俺たちは歩きだす。


 行き先はショッピングモールだ。


 休日に出かけようと提案してきたのは小森だった。


 ある程度、交際の事実を用意しておいたほうが、ウソがつきやすいというのがその理由だ。

 以前、演劇部の部室で吉野先輩からデートについて訊かれたことが影響しているのだと思う。


「ここは休日のデートスポットとして有名なんですって」

「それは誰かから聞いた情報なのか?」

「吉野先輩が教えてくれたのよ。彼氏くんにもっといいところに連れて行ってもらいなさい、ってね」


 たしかにあの先輩ならそういうことを言いそうだ。


 俺と村上の関係に感づいておきながら、小森にそのようなことを吹き込むのはよくわからない考えだが。


「しかし休日にも会うとは思っていなかった」

「なに、嫌なの?」

「そうは言ってない。意外だったという話だ」


「あなたが悪いのよ」

「そうなのか」

「ええ。私、あなたと契約する以前よりも男子から言い寄られる回数が増えたの」

「理由がわからないな」

「私もそうだった。でもしばらく考えてみて気がついたのよ」


 アーケードの下を歩きながら小森は話す。


「これまでの私には恋人がいなかった。つまり『なんらかの理由があって恋人を必要としない』って思われてたわけ」

「なるほど」

「一時期はおじさん好きとか、女の子が好きとか、そういう噂を流されたこともあったわ。でも、あなたという恋人ができた」

「そうなれば普通、声をかけるのは控えたりするんじゃないのか?」


「でも実際は私の好みに同年代の男子が含まれる、と宣伝したことになるのよ」

「ふむ」

「となれば、石井悟志よりも自分のほうが優れていると私に思ってもらえればいい……って考えになるらしいわ」

「思いもしなかったが、筋は通っている」


「本当にわかってる? あなたが彼氏として不甲斐なくて、周囲からもなめられてるって話なんだけど」

「問題点は理解している。だが解決する方法はわからない」

「そんなことだろうと思ったから、今日ここに来たのよ」


 小森は前方に見えるアーケードを指差す。

 休日のショッピングモールは老若男女入り乱れて、賑わいを見せていた。


「そうか、休日に出かけている姿を見せるんだな」

「それも期待しているけど、本命はなにかおそろいのものを買うことよ。そういうものを身に着けていると、わかりやすく親密さのアピールになるでしょ?」

「小森は博識だな」

「それ、嫌味なら最低だけどあなたのことだから褒めてるつもりなのよね」


 小森は一見複雑なモールの中を迷いなく歩いて行く。

 似た構造が続いているため、俺からすればさっぱりわからない。


「前にも来たことがあるのか?」

「どうしてそう思うの?」

「どこになにがあるのか知っている人の歩き方だと思った」

「ま、そうね。昔は家族と買い物に来たこともあるのよ。昔の話だけどね」


 やけに昔のことだと繰り返した。


「それより、どんなものを買うかあなたも考えて。ペアリングはやりすぎな気がするし、ストラップくらいがいいと思うんだけど、どう思う?」

「いいんじゃないだろうか」

「じゃあ決まりね。あそこの雑貨屋さんに行きましょう」


 小森が示した店に入る。

 明るい色彩の店は若い女性客が多く、俺が一人だったならとても入れそうもない場所だ。


「これにしましょう」


 あっという間に選ばれたのは、猫を模したストラップだった。


 ギラリと開かれた目がデフォルメされた身体の中で妙に浮いている。


「かわいいと思わない?」

「難しいところだ」

「気に入らないの?」

「そういうわけではない」

「煮えきらないわね。じゃあこれでいいでしょう」


 俺と小森はそれぞれに同じストラップを買った。


「じゃあ帰りましょうか」


 三十分とかからずに今日の用事は終わったようだ。


「今日買ったものは見えるところにつけておいて。そうね、カバンとか」

「小森の指示通りにしよう」


 休日のショッピングモールに人は多く、それぞれ思い思いに行き交ってる。


 中でも飛び抜けて聞こえてくるのは、女の子の声で「コタロー」と呼ぶ声だ。


「……弟でも探しているのかしら」


 小森も同じ声が気になったようだ。


 その間も声は「コタロー」「コタロー」と繰り返している。

 探している「コタロー」は見つからないらしい


「たしかに、これだけ広いと迷子になりそうだ」

「高校生にもなって迷子はやめてよね」


 小森と話しているうちに、少しずつ「コタロー」の声が弱々しくなっていく。

 もしかして「コタロー」が迷子なのではなく、呼んでいる女の子のほうが迷子なのではないだろうか。


「小森、ちょっといいか」

「言いそうなことはなんとなく想像がつくわ。でもあなたが女の子に近寄ったら不審者で通報されるかもしれないわよ」

「気をつける」

「その仏頂面でどう気をつけるっていうのよ。仕方ないわね、私が様子を見てくるわ。少し離れてて」


 女の子の姿はモールの中心広場にあった。


 女の子に駆け寄った小森はしゃがみ込み、なにごとか話しかけた。

 遠くからだが、信じがたいことに笑顔を浮かべている。


 小森が誰かに向かって笑いかけているのなど初めて見たので、俺は思わず呆然とした。


「お? 珍しいところで会ったな、友人」


 小森の姿を呆然と眺めていると、背後から声をかけられた。


 私服だったせいで一瞬わからなかったが高倉である。

 だが、なによりも視線を引きつけたのは両手にクレープを持っていることだ。


「変なところで会ったのはお互い様だろう。クレープ、二つも食べるのか?」

「これは連れのだ。おれは大してうまいと思ったこともないけど、店が死ぬほど並んでてな。もう大変だ」

「連れ?」


 高倉の周りを確認してみるが、一人に見える。


「待ってろって行った場所にいなくて、今探してるんだよ。あいつのことだから、広いところにいるとは思うんだけど」


 あ、と高倉が声をあげる。

 それと同時に広場の女の子も同じような声をあげた。


「コタロー!」


 小森の元を離れた女の子が駆け寄ってくる。


 それで合点のいくことがあった。


「ああ、そういえば高倉は虎太郎という名前だったな」

「おい、友達のフルネームくらい覚えとけ。契約違反だぞ」


 呆れ顔の高倉の足に女の子はしがみつく。


「どこ行ってたのよ、もう! 心配したんだからね!」

「お前のリクエストに答えて並んでたんだろうが。物騒な世の中なんだから、あんまりフラフラすんなよ」

「あ、クレープ! ありがと、コタロー!」


 ほれ、と差し出されたクレープを嬉しそうに女の子が受け取る。


「そっちも連れがいたんだな」

「ああ。その子が例のラムネの子か?」


 高倉が学校でラムネを飲んでいるのは、小学校で使う課題のためだといつか聞いたことがある。

 察するに、空になったラムネ瓶の宛先はクレープを宝物のように両手で持っているこの子なのだろう。


「お察しの通りだよ。おれの歯が炭酸で溶けたら多分こいつのせいだ」

「子ども扱いしないで」


 高倉が女の子の頭をなでる。

 すると、女の子はうっとうしそうにその手を払った。


 小森が不思議そうにこっちに近づいてくる。

 女の子と高倉の組み合わせに戸惑っているのだろうか。


「あぁ、デート中だったのか。おれの連れが迷惑かけたな。ほら、二人に謝れ」

「ごめんなさい」


 女の子は素直にお辞儀をした。

 頭をあげた女の子は高倉を見上げる。


「この人たち、コタローの知り合い?」

「クラスメイトだよ」

「お姉さん、もっと年上に見えた。そっちの顔が怖い人も」

「お前がどれだけおれをなめてるのかがわかった。もう行くぞ、あんまり邪魔しちゃ悪いだろ」


 高倉は俺たちに「悪かったな」ともう一度謝ってから、歩き出す。


 だが女の子が不満そうにしているのに気づくとため息をつき、手を伸ばした。

 瞳を輝かせた女の子が、クレープを持っていないほうの手を高倉とつないだ。


「ねぇコタロー」

「なんだよ」

「コタローはあのお姉さんみたいなバインバインの子が好き?」

「お前、言葉のセンス古いな。誰のせいだろ」

「あー、はぐらかしたー」


 賑やかに去っていく高倉と女の子を見送る。

 見ているだけで幸せになるくらい、仲の良さだ。


「バインバイン……」


 なぜかショックを受けたように小森がつぶやいた。


「これでも身体の線が出ない服を選んでるのに、まだ足りないのかしら……でもこれ以上やると太って見えるし、かといって開き直るのも嫌だし……はっ」


 そこまでつぶやいてから俺の存在を思い出したように顔をあげた。


「忘れて」

「努力する」

「それより高倉くん、だっけ? 仲がいいのね」

「友達だ」

「あなたに友達がいるというのが今日一番の驚きかもしれないわ。あんな顔もするのね」

「高倉と話しているときの俺はそんなに変な顔をしていただろうか」

「さぁね」

「小森もあんな風に笑うとは知らなかった」

「どうでもいいでしょ、そんなこと」


 大股で歩いて行く小森はなぜか不機嫌になったようだ。


 しばらく考えて、高倉のことを思い出す。

 せっかく出かけたのだから、このまま帰るのはなぜかもったいない気がした。


「小森、クレープでも買いに行こうか」


 小森はしばし立ち止まって、それから答えた。


「変わり種はいらないわよ。いちごとホイップのオーソドックスなやつがいいわ」

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