4-2

「回りくどい呼び出しだな」


 俺は制服のポケットに入っていたメモを取り出す。

 授業終わりに村上が忍ばせてきたものだ。


 几帳面に四つ折りにされたそれには簡単に『放課後、小森さんを送ったあと公園まで来てください』と書かれていた。


 小森に対する秘密の二つ目はこれだ。

 そしてこちらについてはどうあっても話すわけにはいかない。


「密会っぽくていいと思いませんか?」

「密会だと良いのか?」

「ええ。普通に会うよりも浮気っぽいです」


 そういうものだろうか。


「ところで、まだ時間はありますか?」

「予定は特にない」

「では寄り道をしましょう」

「それも契約か?」

「もちろんです。今からクラス委員の仕事、というのも味気ないじゃないですか」


 立ち上がった村上について歩く。

 先ほど小森と下校した道ではなく、別方向に目的地はあるようだ。


「今朝の件、小森さんには話しましたか?」

「隠しておくつもりだったが、うまくいかなかった」

「どうしてですか?」

「絆創膏からすべて見抜かれた。ごまかしようがない」

「浮気相手の持ち物がきっかけで秘密がバレるなんて、それっぽくていいですね」


 村上は冗談でも聞いたように笑みを浮かべた。


「わたしとの契約がバレていないなら、別に構いません」

「そちらについては問題ないはずだ」


 今朝結んだばかりの契約だ。

 もしバレたとすれば、最短記録を更新してしまうことになる。


「どうですかね、石井くんはウソが下手ですから」


 そこで村上は「そうだ」と小さく声をあげた。


「石井くんと小森さんの関係がみんなにバレるとわたしも困ります。浮気が成立しなくなりますからね。なのでせっかくですからアドバイスでもしましょうか」

「俺たちはそんなに不自然だろうか」

「ええ、まだわたし以外にバレていないのが不思議なくらいです。特に吉野先輩との受け答えはまずかったと思いますよ」

「たしかにあれは小森からも不評だった」

「だから訓練をしましょう。これからわたしが小森さんについて質問します。それに恋人らしく、はっきりと答えてください」

「やってみよう」


「まずは……そうですね、あなたの恋人はどんな人ですか?」

「小森春菜。クラスメイトだ」

「いや、名前とかじゃなくてですね」

「容姿を尋ねているのか? 髪は肩甲骨より下の長さ。目つきはやや鋭い、鼻筋が通っていて――」

「逃亡犯の似顔絵を作っているわけではないんですよ」

「そうか。難しいな」


 だが、困った。

 小森について話せることは思っていたより少ない。


「血液型や誕生日は?」

「知らない」

「どこの中学出身の人ですか?」

「どこだろう」

「趣味とかは?」

「なんだろうな」

「あの」


 村上は見るからに呆れていた。


「小森さんについて、どんなことなら知っているんですか?」


 その指摘に俺は答えられない。


 訂正する必要があるだろう。

 小森について話せることが少ないのではなく、知っていることがそもそも少ない。


 女子で、クラスメイトで、容姿が目立つ。


 俺が知っていることはそれだけだ。

 印象を語ってよいのならもう少し付け足すことができないわけではない。


 気難しくて、察しが良くて、行動力がある。


 とはいえ、俺の感想など人に語って聞かせるほどのことではない。


「知り合ってから、まだ日が浅いんだ」


 代わりに言い訳を口にする。


「それにしたって知らなさすぎると思いますよ。あまりにも恋人らしくないです」

「参考までに聞かせてくれ。恋人らしい行為とはなんだろう」

「……セクハラですか?」

「なぜそうなる」

「知りません」


 村上がそっぽを向く。


「なんだか小森さんの話ばかりしていますね」

「共通の話題としては適切だと思うが」

「浮気相手と話すこととしては不適切です」

「そういうものなのか」


 契約恋愛のときも感じたが、意外と契約にまつわる注意ごとは多い。

 俺の能力不足が原因なのか、小森や村上が厳格なのかは判断が別れるところだろう。


 村上は黙って歩く。

 まるで俺が自主的に話題を変えるのを待っているかのようだ。


 しばし考えて、空を見上げる。

 夕焼けは赤く、小森と初めて言葉をかわした日のことを思い出した。


「そういえば、村上は小森のことを名字で呼ぶんだな。小森はたしか、村上のことを下の名前で呼んでいただろう」

「人前で話題にするときは名字で呼んでるだけです。本人と話すときはわたしも下の名前を呼び捨てにします。というか……また小森さんの話ですか?」

「悪かった」


 どんどん村上の機嫌が悪くなる。

 俺は必死で違う話題を探した。


「どこに向かっているんだ?」

「河川敷です。デートスポットとしてこのあたりでは有名ですよ。来たことありますか?」

「中学校のマラソン大会で何度か」

「想定通りの返答ですね」


 商店街を抜けて河川敷に出ると、男女の姿がちらほらと目立った。

 等間隔に距離を置いて腰を下ろしている。


 かの有名な等間隔の法則というやつだろう。


 さすがの俺もそれくらいは聞いたことがある。

 この河川敷では謎の力が働いて、カップルが必ず等間隔で腰を下ろすのだ。


「浮気相手とデートスポットに来た感想はいかがですか?」

「中々興味深い光景だ。社会心理学の題材になるのもうなずける」

「想像を超えるひどい感想ですね。まぁいいです、ここで――」

「あれ、杏? 奇遇だねー」


 村上の背後から明るい声が聞こえた。

 彼女の頭越しに声のしたほうへ目を向けると、うちの学校の制服を着た男女の姿がある。


 二人とも片手にソフトクリームを持っているが、少なくとも男性のほうに面識はない。


 女性のほうはどこかで見た覚えがあるが、とっさには名前が出てこなかった。


「吉野先輩、こんにちは」


 振り返った村上がお辞儀をする。


 そのときようやく思い出した。

 いつだったか演劇部の部室で顔を合わせた、小森たちの先輩だ。


「あれあれ? もしかしてそっちもデート?」


 吉野先輩は愉快そうに口元を歪め、次に片眉をあげた。


「んんー? でもそこにいるのってたしか春菜の彼氏くんじゃなかったっけ?」


 今さらだが、この状況はかなりまずいのではないだろうか。

 ぼーっとしていたが、冷静に分析してみると浮気現場を恋人の知り合いに見られたことになる。


 たとえすべてが偽装のものであったとしても、これは良くない。


「クラス委員の用事で一緒なんです」


 村上はさらりとウソを口にした。

 俺も援護射撃として一度うなずいておく。


「ミク、邪魔しちゃ悪いよ」


 吉野先輩の恋人らしき男性が助け舟を出してくれる。


「う~ん……ま、いいか。じゃあ二人とも、仲良くね」


 村上と共に一礼して上級生のカップルを見送る。

 二人は仲睦まじく、手にしたアイスと共に橋を渡って行った。


「まさか吉野先輩と鉢合わせするとは思ってませんでした」


 顔をあげた村上は苦笑いを浮かべている。


「でも、こういうギリギリのスリルが浮気の楽しいところなんだと思います。よく知りませんけど」

「今のはどちらかと言うとギリギリアウトだったと思うが」


 あの様子だと吉野先輩には疑われているはずだ。

 最悪の場合、小森に報告される可能性もある。


「それも込みで浮気です」

「なにもかもそれで押し通すのか」

「はい。ご了承ください」


 投げやりな口調だ。


「さて、気を取り直して用事を済ませましょう」


 そう言って村上はポケットから携帯電話を取り出した。


「ここにはなにをしに来たんだ?」

「魔除けです」

「オカルトか?」

「比喩表現ですよ。もうちょっとこっちに来てください」


 河川敷に立つ村上の手招きにしたがって隣に立つ。


 村上は精一杯手を伸ばし、携帯の画面を遠ざけた。

 するとシャッター音が鳴る。


「写真を撮るのが目的だったのか」

「そのとおりです。あ、ブレてる」

「携帯を渡してくれれば俺が撮るが」

「わたし一人で写っていても意味がないんですよ。一緒に写ってください」

「そうか。では人に頼もう」

「それもダメです。こういうのは自撮りでないと。とにかく何度かやりましょう。もう少し、近づいてください」


 その後、試行錯誤を重ねて村上が満足する写真を撮るまでは三十分ほどの時間を必要とした。

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