3-2

 翌日、火曜日の朝。


「おはようございます、石井くん」


 教室に入ると、村上が広げていた文庫本を閉じた。


「返事を聞かせていただけますか?」

「もう少し考えさせてくれ」


 契約浮気についての是非はまだ判断できない。

 どうするのが正しいのか、俺にはわからなかった。


「わかりました。では明日に期待します」


 村上は再び文庫本を開く。

 急がない、と言った昨日の言葉にウソはないようだ。


「おはよう、杏」


 そう挨拶して教室に入ってきたのは、小森だった。

 いつもより時間が早い。


 もしかすると今の会話を聞かれていた可能性がある。


 決定的な話はしていないが、聞かれていいとも思えない。


「おはようございます」


 村上に動揺した様子はない。


 小森はカバンを肩にさげたまま、俺の前に立つ。


「ちょっと来て」

「……わかった」


 村上に尋ねるのではなく、俺から聞き出すつもりなのだろうか。

 観念して話すべきか、それともごまかすべきか。


 前を歩く小森の背中を見つめながら、思案に暮れた。


 廊下を歩き、生物講義室に着いてすぐ小森は振り返った。


「これ」


 どんな糾弾が来るのかと身構えていたが、差し出されたのは緑色の包みだった。


「あげるわ」

「なんだ、これは」

「お弁当」

「くれるのか?」

「ええ、まぁ」

「なぜだ」

「なぜって……それは昨日の昼のお詫びというか、家に帰って冷静になってみるとちょっと言い過ぎたかもしれないとか思って。どうせあなたは気にしてないんだろうけど、帰り道の様子も変だったし、なんとなく気がとがめたというかなんというか……」


 そこまで早口で言った小森はふと我にかえったのか、露骨に顔をしかめた。


「今言ったことは忘れて」

「努力する」

「ようするに、これはただの気まぐれってことよ。それに手作り弁当があると恋人っぽいでしょ。周りに偽装がしやすいわ」


 俺達の関係は十分浸透しているように感じたが小森はまだ満足していないようだ。

 現状に満足せず、日々努力を続ける姿は正しいものだと思う。


 俺は両手で包みを受け取った。


「どうもありがとう」

「どういたしまして。それじゃ、教室に戻りましょう」


 小森は早口で言うと、さっさと生物講義室を出てしまう。

 俺も弁当の包みを抱えたまま、あとに続いた。



 昼休みになっても、俺はまだ村上の提案に対して答えを出せていなかった。


 倫理観に則るなら、契約は結ぶではない。

 しかし現在進行形で人を欺いている俺が、今さら倫理観を盾に使うのはおこがましい。


 だからといって素直に受け入れていいものなのか。


 まだ脳裏にはサンタクロースがちらついていた。

 そのせいで正しい判断ができそうもない。


 意識的に考えをそらし、教室に目を向ける。


 昼休みになると小森はいつも教室を出て行く。

 クラス委員の用事がないときは村上も一緒だ。


 二人とも演劇部の部室で昼食を取るのだろう。

 昨日会った吉野という上級生やそれ以外の部員も一緒なのかもしれない。


 周囲では机をくっつけたグループが形成され、談笑の輪が広がっている。


 その光景を見つつ、ふと思う。


 どうやら俺は友達を作りそこねたらしい。


 人の評判にさといつもりはないが、クラス内外で遠巻きにされている自覚はある。


 簡単に言うと、浮いてしまっているのだろう。


 四月や五月の段階では知り合いと呼べる生徒もいた。

 だが今はそんな男子たちからも避けられつつある。


 抱いている感情の種類にバラつきはあれど、親しくなりたくはない……という評価には変わりがないらしい。


 主な原因として考えられるのは小森との契約だ。


 俺は小森との交際内容について人に話していない。

 質問に対しても、明確な答えを返さないようにしている。


 それが問題なのだろう。


 問題だとわかっているが、解決策は今のところない。

 質問には答えられないし、小森との契約を打ち切る予定もなかった。


 別段、それで不自由しているわけでもない。


 これは放置していい問題だろう。

 目下、回答を迫られているのは別のことだ。


「石井」


 カバンから小森にもらった弁当を取り出そうとしていると、声をかけられた。


 目の前には顔色の悪い男子生徒がいた。

 顔にも声にも覚えがある。

 間違いなくクラスメイトだ。


 たしか、名前は高倉虎太郎だったか。


 小森との一件があって以来、最低限クラスメイトの顔と名前は一致させようと努力している。


「話があるんだ。昼飯食いながらでいいから、ちょっと付き合ってくれ」

「わかった」


 通学用のものとは別に小さな銀色のカバンを肩にさげた高倉についていく。


 歩く時間は短く、着いたのは生物講義室の隣にある階段だった。


「この上は屋上に通じる扉がある」

「入れるのか?」

「まさか。立ち入り禁止だよ。そのおかげでここの踊り場には人が来ない」

「人がいないだけなら、生物講義室もあまり人がいないぞ」

「知ってる。でも薬品とか保管してる部屋の隣で食事するってのは、ちょっと抵抗がある」


 たしかに生物講義室の隣は生物準備室で、中には薬品や標本が保管されている。


 とはいえ、衛生面のことを言うならばこの階段もさほど清潔には見えなかった。


「なによりここのほうが薄暗くて、ちょうどいい」


 高倉は屋上と四階の間に当たる踊り場に足をつけ、のぼり階段の段差に腰を下ろす。


「高倉はいつもここに?」

「ここを見つけてからはそうだ。ま、そんなことはいい。適当に座ってくれ」


 促されたとおり、俺も高倉とは一段ずらして階段に腰かける。

 座面が固いことを除けば、たしかに居心地は悪くない。


「それで話とはなんだ? 小森のことか?」


 男子が俺に話しかけてくる場合、その用件はほとんどが小森についてだ。


「いや、そういうのじゃない。提案があるんだ」


 高倉は怪しい笑みを浮かべる。


「石井は自分の状況をどう思っている? つまり、クラスでの立ち位置とか、こうして昼食を食べてる状況とかさ」

「今、浮いていることを自覚したところだ」

「そうだ。おれたちには友達がいない」


 いきなり主語にまとめられてしまった。


「しかし友達がそれほど必要だろうか。娯楽に乏しい昔なら友達とバカ騒ぎする以外の楽しみがなかったというのもわかる。でも現代はそうじゃない。将棋も麻雀もゲーム機やパソコンを使えば一人で遊べる時代だ」


 長口上が始まるようだ。


 しかし不思議と不快ではない。

 それは高倉の表情が豊かで、話している姿がとても楽しそうだからだろう。


 言葉の中身よりも話すことそのものを楽しんでいるような振る舞いだ。


「つまり、娯楽が増えた現代では一人でも充実した時間を過ごすことができる。友達に固執する意味なんてないんだ」


 語られる思想に対して、全面的に同意することはできない。

 ただ、頭から否定することはできないとも感じた。


「だが学校や大人というのはまだ考えが古い。なんとなく一人で食事を取っているのは、恥ずかしいことのようにされている。それはなぜだ?」

「全校生徒がみな、一人で黙々と食事だけをとる光景が不気味だからではないだろうか」

「うん、すごく不気味。いや、そうじゃなくて!」


 高倉はやや困ったように続ける。


「とにかく、徒党を組むことが大切みたいに扱われてるのが気に入らないって話がしたいんだよ」

「なるほど、そういう話か」

「その他にも校外学習の班分け、グループ学習など、学校という空間は集団行動を押しつける。時代錯誤も甚だしい」


 話を聞きながら俺は弁当箱の蓋を開ける。


 昼食の詰められた平たく四角い弁当箱はどう見ても男物だ。

 小森の父親が使っていたものか、それとも男兄弟でもいるのかもしれない。


 白米に何種類かのおかずが詰まったオーソドックスなもので、とても食べやすい。


 高倉の昼食はメロンパンのようだ。


「ここで石井に提案がある」


 高倉はもったいぶるように一度言葉を切ってから言った。


「おれと友人のフリをしないか?」

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