2-2
それから一週間、俺たちは予定通りに行動した。
小森との関係について質問をされる機会は何度もあったが、詳しい事情は説明せずただ「先週から付き合い始めた」と言うにとどめた。
放課後は図書室で時間をつぶし、頃合いを見計らって校門へ向かう。
大抵は俺のほうが先に着いており、小森が演劇部の仲間と共にやってくるのを待った。
下校のさいには互いに情報をやりとりした。
それによると「告白は俺からした」「一目惚れだった」「情熱的な告白だった」などといった設定が追加されたらしい。
それなりに順調だった偽装関係に脅威が訪れるのは一週間後。
六月十一日、月曜日のことだった。
昼休みに教室でおにぎりを食べ終わった頃、携帯電話が鳴った。
小森からの着信だったので、その場で通話ボタンを押す。
「もしもし」
『急用があるの。体育館前まで来てくれる? 無理なら別にいいわ』
「わかった。すぐに行く」
昼休みに小森と会うのは珍しいことではあるが、このあとの用事もない。
階段を降りて、渡り廊下を使い体育館へと向かう。
すると南館の方から出てくる小森の姿を見つけた。
険しい表情をしている。
軽く手をあげてみせると、向こうもこちらに気づいたようだった。
「悪いわね、急に呼び出して」
「別に構わない。それでなにかあったのか?」
「実は、演劇部の先輩にあなたのことを紹介することになったの」
小森が気まずそうに切り出すが、意味がよくわからない。
「なぜ紹介してもらう必要があるんだ? 俺は演劇部に入部する予定はない」
「そういう紹介じゃないわ。どう説明すればいいのかしら。女子の間では恋人を友達や先輩に会わせる文化があるの」
「文化なのか」
「ええ、文化よ。私もできれば避けたかったんだけど、どうしても会わせないと納得してくれないみたいだし……ごめんなさい」
「謝る必要はない。元々そういう契約だ」
「頼もしい返事だけど、だからこそ不安なのよね。本当に会わせても大丈夫なのかしら」
あー、と唸って小森は頭を抱えてしまう。
これから会う相手を俺は知らない。
緊張の度合いは小森のほうが強いのだろう。
「詳しい状況を説明してくれ。先輩は何人いるんだ?」
「今日部室にいるのは二年生の先輩が一人だけ。他の先輩は用事があるみたい」
「ならその先輩だけをごまかせばいいんだな」
「いえ、杏もいるわ。それで話があなたのことになって……」
「紹介することになった、ということか」
想像するに、上級生の退屈しのぎに俺は呼ばれたらしい。
体験したことはないが、部活の上下関係はそれなりに厳しいと聞く。
「その先輩はどんな人なんだ?」
「吉野先輩はかわいらしい人よ。私の中学からの先輩で、おうちでは猫を飼ってるわ。それがまたフワフワしていてかわいいのよ。ピョコピョコと階段をのぼって二階へ行く後ろ姿が愛らしくて忘れられないわ。小動物ってなんか卑怯よね」
「途中から猫の印象になっていないだろうか」
「……忘れて」
小森は小さな声でつぶやくと、すぐさま元の調子を取り戻した。
「あとは中学時代から付き合っている彼氏がいて、ずっと仲がいいのよ。簡単に説明すると、それくらいかしら。趣味とか好きな食べ物とか、知ってもしょうがないでしょう?」
「そうだな」
少しでも印象をつかめればこのあとの展開が有利になるかと思ったが、そんなこともなさそうだ。
「ここで時間をつぶしていても仕方ないわね。覚悟を決めて行きましょう」
「俺は問題ない」
「その自信ありげな態度が逆に不安なのよね……言っても仕方ないけど」
先導する小森に従って南館に入り、二階へ上がる。
南館は主に部活動に使われているとは知っていたが、入るのは初めてだ。
本校舎に比べると建物自体が小さく、二階には教室が四つ並んでいるだけだった。
演劇部の部室は突き当たりにあるようだ。
「いい?」
教室へ入る直前に、小森は足を止めて振り返る。
その顔はややこわばっていた。
「余計なことを話して、ボロを出さないようにして。あと設定についてだけど――」
「やっときた!」
話している最中、扉は内側から開けられた。
顔を出したのは髪を側頭部でまとめた女子だ。
サイドテール、というやつだろう。
彼女が噂の吉野先輩のようだ。
「キミが噂の彼氏くんだね。さ、入って入って」
手首を捕まれ、部屋に引き込まれる。
部屋の中心には長机があり、その四脚のパイプ椅子が組み立てられていた。
そのうちの一つには村上が座っている。
目が合うと村上は小さく会釈をした。
「ここに座って。ほら、春菜も」
俺が吉野先輩と向かい合うように座り、隣には小森が座らされた。
斜向かいには村上がいる。
「はじめまして、石井悟志です」
「へぇ、聞いてた話よりも良い感じだね。理系っぽい」
「文理選択はまだしていません」
「あ、聞いてたとおりだ」
茶髪の先輩がにっこりと笑う。
「ごめんね。あの難攻不落な春菜を射止めた彼氏くんのことがどうしても気になって、会ってみたかったんだ。ねぇ、訊いてもいいかな?」
「答えられる範囲でなら」
「うーんとね、じゃあまずは軽くジャブから。お互いの呼び方を教えてほしいな」
「小森と呼んでいます」
「え、名字呼びなの?」
脇腹を肘で小突かれた。
小森がぎこちない笑みを浮かべている。
「ま、まだ、付き合い始めてから日が浅いので」
いつもより高めの声を取り繕っていた。
俺の知っている小森はいつも無愛想に低い声で話しているので、違和感の強い光景だ。
「ふ~ん。うぶだねぇ」
吉野先輩がニマニマと笑う。
「じゃあ、彼氏くんに二つ目の質問。これまでデートした場所は?」
「デート……」
安易な回答は小森の不興を買うようだ。
先ほどの反省を踏まえて、しばし考える。
ここは事実を引用して乗り切る局面だろう。
「一緒に下校しています」
「それは何度か見たことあるよ。そうじゃなくて、他には?」
「公園に行きました」
下校時に通り抜けただけだが、ウソにはならないだろう。
「公園って、中学生じゃないんだから。他は? 買い物とか映画館とか遊園地とか、あともっと色気のあるところ」
「そういった場所には行ってな――」
小森が再び肘で俺の脇腹を小突く。
黙れの合図だと思うので口を閉ざす。
「い、今、計画を立てているところです。意外と予定が合わなくて……」
「へぇ~」
吉野先輩の目が冷ややかに光る。
向こうが俺と小森のやりとりに違和感を抱いているのは、その態度だけで伝わってきた。
「杏は?」
「は、はい。わたしですか?」
急に話をふられた村上が目を白黒させる。
「さっきからずっと黙ってるけど、なんか彼氏くんに訊きたいこととかないの?」
「そう、ですね……」
村上が俺を見つめる。
「石井くんは小森さんのどんなところが好きですか?」
「ド定番だね。ま、いいや。どうなの、彼氏くん?」
吉野先輩の言うとおり、これは定番の質問だ。
さすがに俺もこれくらいは想定している。
だから完璧な答えを用意していた。
「見た目です」
俺と小森の付き合いが浅いのはこれまでの発言のとおりだ。
好意をもった理由について、説得力のあるウソは思いつかない。
その点、容姿について説得力があることは事前に確認済みだ。
これまで俺に話しかけてきた男子のほとんどは小森の容姿を褒めそやしたし、彼女自身も自分の容姿が優れていることを自負している。
このウソに隙はない。
しかし場は静まり返った。
最初から静かだった村上はもちろん、隣の小森も動かない。
この場で呼吸をしているのは自分だけなのではないかと思うほどの静けさだ。
数秒が経ち、吉野先輩が苦笑いと共に言った。
「え、えっと……み、見た目だけ……?」
ここで疑いをもたせてはならない。
自信を持って断言する。
「はい」
すると机の下で足を踏まれた。
隣では小森が鬼のような目つきで俺をにらんでいる。
どうやら俺はなにか大きな失敗をしたようだ。
吉野先輩が大きな声で笑いだす。
村上は黙っていたが、様子を見るかぎり言葉を失ったという表現のほうが適切な気がする。
そのとき、ポケットの中で携帯電話が震えた。
「あら、電話なの? 先輩、すいません。彼、用事があるみたいなので本日はここで失礼します。ほら立って、行きましょう」
「ああ……すいません。失礼します」
一礼して外に出る。
小森の勢いは俺を含めた全員に有無を言わせないものだった。
「どういうつもり?」
廊下に出た小森が携帯を取り出すと、着信が途絶えた。
どうやら電話をかけてきたのは小森のようだ。
俺を外へ出す口実を作るために、ポケットの内側で操作したのだろう。
「あの受け答えは色んな意味で最悪だわ」
腹立たしそうに小森は声を尖らせる。
振り向くことなく階段を降りていく小森の背中を、俺は追いかけた。
「俺たちの関係が発覚しないよう、細心の注意を払ったウソをついたつもりだ」
「それがアレ?」
「容姿には自信があると以前言っていただろう」
「だからって……」
南館の前で小森は足を止め、俺を正面から見上げた。
「とにかく、二度とああいうことは言わないで」
「わかった、気をつける。では次に同じ質問をされたときにはどう答えればいい?」
「それを私に訊くの? なんだか疲れるわね……」
小森は額に手を当てて、かぶりを振った。
「質問への対処はまた今度打ち合わせましょう。今日は付き合わせてごめんなさい」
それだけ言うと小森はさっさと歩いていってしまう。
同じクラスのため戻る先は一緒なのだが、今はついて行かないほうがいいだろう。
「石井くん」
小森と入れ替わるようにして、背後から声をかけてきたのは村上だった。
「村上も教室に戻るのか?」
「はい。でも、その前にひとつだけいいですか?」
村上が大きく一歩、俺との距離を詰める。
そして背伸びをするように、耳元でささやいた。
「小森さんと付き合っているというのはウソですね」
息をのんだ。
たった一言で混乱してしまい、距離を取ることも忘れてしまう。
この状況でもっとも正しい対応がとっさには思いつかない。
とりあえず一歩下がる。
少なくとも沈黙は避けるべきだ。
肯定と受け取られかねない。
「なんの話だ?」
「とぼけても無駄ですよ。私はあなたたちの契約を知っています」
普段は鉄面皮の村上杏が珍しく、楽しそうな微笑みを浮かべていた。
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