1-2
「なにも言わないの?」
「なんと言うのが正しいのか考えていた」
「即答できないということね。残念だわ。自分の見た目には自信があったのだけど」
「容姿に関してではない。まだ発言の意図が読めないでいる」
「じゃあわかりやすく言い直すわ。そうね、結論から言うとあなたには私の恋人のフリをしてもらいたいの」
最初に結論を述べるのは、話術としては正しいことだと思う。
しかしこの場合は要件が突飛すぎて、相変わらず理解できない。
「なぜ?」
「端的に言うなら、色恋沙汰にこれ以上関わりたくないからよ」
彼女は持っていた携帯電話を制服のポケットに滑りこませると、ステップを踏むように二歩ほど俺との距離を詰めた。
「学校という環境はなぜだか恋愛至上主義だわ。恋人のいる生徒は偉くて、いない生徒は負け組って扱い。私はそういうのが全部わずらわしいの。恋愛の話なんて、できれば一生耳にしたくないわ」
「それは難しいだろう。相手の話題を自在に制御できるとすれば、そもそも会話をする必要がない」
相手がなんと答えるかわかっているのなら、話しかける意味はない。
わからないから会話をするのだろう。
ちょうど今のように。
「それでも苦手な話題を遠ざけることはできるでしょう?」
「それがウソの恋人を作ることなのか? だとすれば発想が飛躍している」
「少なくとも恋人がいる人間は、恋人がいないことであれこれと言われることはなくなるわ。どの男子がイケてるか、みたいな意味のない会話からも解放される」
「なるほど、提案の理由はわかった」
しかし、まだすべての疑問が払拭されたとは言えない。
「いくつか質問をしてもいいか」
「どうぞ」
「こんな方法を取らずとも、苦手な話題を受け流すだけではいけないのか?」
「それだと面白くない人間だと思われてしまうわ。高校生活をトラブルなく過ごすために友達付き合いは必要なのよ。それには苦手な話題でも楽しいフリをして合わせないと」
「では、他校に恋人がいるというウソではダメなのか?」
「それだとリアリティが弱いわ。写真とか名前とか、他にも色んなウソをつかないといけなくなる。けれど恋人がこの学校の生徒なら顔くらいは誰でも確認できる。関係はウソでもバレないわ」
「相手が俺であった理由は?」
「ただの偶然。別に誰でもよかったのよ。ウソの恋人を作ろうと思い立ったときに、たまたま現れたのがあなただっただけ」
それはそうか、とバカげた質問をしたことを恥じる。
偽の恋人として必要な条件は「この学校の生徒」であるというだけで、それさえ満たしていれば誰でも良い。
「では、その誘いに俺が乗るメリットは?」
「見返りが欲しいの? 無害そうに見えて、中身は狡猾なのね」
「これが取引だとすれば双方に利益があってしかるべきだろう。一方しか得をしないのならば、それは搾取だ」
「無駄に固い言い回しは面倒くさいけど、言いたいことはわかったわ。そう、取引ね」
彼女は自身のあごに細い指を当て、しばし考え込む。
「私が得るのと同じものでは不満?」
「俺も恋愛の話題から逃れることができる、ということか」
「ええ。それともあなたは恋愛至上主義に対して反感を抱いていないのかしら?」
「反感までは抱いていない。けれど、君のその気持ちがわからないわけでもない」
「煮え切らない答えね」
不愉快そうに彼女の声が尖る。
恋愛が必要ないとまで割り切っているわけではないが、そういうことはもっと後からでよいとも思っていた。
恋愛をするのならば、自分が責任をもつことのできる立場になってからでいい。
それならば彼女の提案に乗るのは少なくともデメリットにはならないだろう。
それに、誰かの頼みに応えるのは正しいことだと思う。
「わかった。その話に乗ろう」
「え、本当に?」
了承する、と言ったのに意外そうな声をあげられてしまった。
「まさか本気で受け入れてもらえるとは思ってなかったわ」
「断られると思って提案していたのか?」
「いいえ、二つ返事で受け入れられると思ってたわ」
「よくわからないな」
「つまり……ううん、まぁいいわ。予想とは違う結果になったけど、これはこれで悪くないのかもしれない」
そこで初めて、彼女の声が楽しげにはずんだ。
「あなたが物分かりのいい人で良かったわ。じゃあ私と契約しましょう」
「これは契約なのか?」
「そうよ。これが一番適してるでしょ。私とあなたはあくまで利害関係を目的としてつながる他人なんだから」
俺が恋人であると偽ることで、彼女はわずらわしいと思う話題から遠ざける。
また同じようにして、彼女は俺を恋愛至上主義から切り離してくれる。
わかりやすく対等な互恵関係だ。
「早速、基本的なルールの話をしましょうか。主なルールは三つ。一つ、この関係を他言してはならない」
「当然の決まりだな」
「二つ、必要でないかぎり双方ともに過度な干渉はしない。もちろん偽装に必要なら別だけど、無理にベタベタすると逆にボロが出ることになるわ」
「理にかなってるな」
「三つ、契約の破棄はどちらかが言い出せばもう一方はすみやかに応じること。ただし契約破棄後も、一つ目のルールはやぶってはならない」
「わかった」
三つ目のルールは仮想契約者、つまり俺のためのルールなのだろう。
いつでもやめられるという条件を与えることで、契約に対する抵抗を薄める目的があるはずだ。
「なにか異論はある?」
「いや、ない。すべて承知した。契約をしよう」
「つくづくいい返事ね。でも」
それまで満足そうだった彼女の声が、再び尖ったものになる。
「これをきっかけに私と本当の恋人になろう、みたいな下心は持っても無駄よ」
「そんなことは考えてもみなかった」
「それはそれで若干むかつくわね」
「気難しいな」
「まぁいいけどね。細かいことは追々決めていくことにしましょう」
それだけ言うと女子生徒は俺の横を通り過ぎて、教室を出ていこうとした。
長い髪が視界の端で揺れる。
それを見て、もうひとつの疑問がよぎった。
「ちょっと待ってくれ。まだ質問があった」
彼女の後ろ姿に声をかける。
「君は偽物でなく、本物の恋人を探せばいいんじゃないだろうか」
恋人がいないことをとやかく言われるのが嫌ならば、本物の恋人を見つければいい。
そうすれば彼女がわずらわしいと言った話題から遠ざかることができるはずだ。
少し意地の悪い質問だったかもしれないと気づいたのは、それを口にしてからだった。
だが一度口にした言葉は飲み込めない。
会話というのは常に取り返しのつかないものだ。
「その案は現実的ではないわね」
そう言って、彼女は振り向いた。
立ち位置が変わったことにより、初めて俺は彼女の顔を見ることになる。
たしかに整った顔立ちをしていたが、同時にひどく冷たい表情をしていた。
「私は、誰のことも好きにならないから」
冷めた表情の奥でなにを考えているのか、俺にはわからない。
けれど、そう断言する姿にはなんらかの事情をうかがわせた。
もちろん俺はそれに触れてはならないのだろう。
契約における二つ目のルールだ。お互いに必要以上の干渉はしない。
「そうだ、私からも一つだけ確認させてもらっていいかしら?」
「ああ」
「あなたの名前、教えてくれる?」
そう言われて自分も相手の名前を知らないことを思い出した。
クラス委員をしている都合上、同級生の名前はすぐに覚えたがそれは字面だけだ。
特に女子の顔と名前はまだ一致しない。
しかしこれから恋人のフリをするのであれば、お互いに名前くらいは知っておかなければならないだろう。
「石井悟志だ」
「小森春菜よ。よろしく、と言っておくべきなのかしらね。握手でもする?」
「必要なら」
「冗談よ。じゃあ、さよなら」
そう言って今度こそ小森春菜は教室を出ていった。
***
「石井くん」
村上に名前を呼ばれて、我に返る。
そういえば今はクラス委員の仕事をこなしている最中だった。
「どうかしたんですか?」
「いや……どうして小森と付き合うことになったのか、という話だったな」
村上の質問に対して、よく考えることにする。
迂闊なことを口にするのはまずいが、かといっていきなり黙り込むのも変だ。
検討を重ねた結果、まぁこれくらいなら言ったところで偽装交際がバレたりはしないだろうと判断する。
「ただの偶然だ」
小森の相手は俺でなくともよかったし、俺の相手も小森でなくても構わなかった。
だからこそ俺たちが恋人関係を結んだのは偶然だ。
村上は不思議そうな顔をしていたが、それ以上小森について尋ねてはこなかった。
「ごめんごめん、まだセーフ?」
そのとき俺たちの元に現れたのはクラスメイトの財前詠美だった。
派手な装飾品が目をひく。
財前はくしゃくしゃになった課題プリントを村上に差し出した。
「まだ大丈夫ですよ。ありがとうございます」
「あー、よかった。もうすっかり忘れててさ。焦ったわー」
大げさに胸をなでおろすと、財前はふとこちらに目を向ける。
「ねぇねぇ、石井くん」
そこで財前はなにかを思いついたように目を輝かせた。
おそらくは好奇心で。
嫌な予感がする。
「小森さんと付き合ってるってマジなの?」
これで四度目だ。
俺は喉元にまでこみ上げたため息を、ぐっと飲み込む。
「そうだ」
恋愛の話題にうんざりしていた小森の気持ちが、今になって理解できる。
あと何回同じことを答えなくてはならないのかと思うと、気が遠くなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます