第一話 契約を結ぶ

1-1

「ところで、小森さんと付き合ってるって本当ですか?」


 六月四日、月曜日。


 同じクラス委員である村上杏が何気なく尋ねてきたのは、昼休みのことだった。


 先ほどまで提出物の確認をするための会話だった。

 クラスメイトの中で未提出の生徒は何人くらいいるのか、そういう事務的な話題だったはずだ。

 そこからの方向転換だから「ところで」とつないだのだろう。


 思わずプリントをまとめる手が止まってしまう。


 驚いたからではない。

 その確認をされるのは今日だけで三度目だったからだ。


「ああ」


 うんざりとした気分が顔に出ないよう注意しながらうなずく。


 作業を再開しよう。

 昼休みが終わるまでに、課題のプリントに提出漏れがないかを確認する必要がある。


「そう、ですか」


 村上は意外そうな、それでいてまだ疑っているような目つきをしている。


「お付き合いに至るきっかけとか、あったんですか?」


 突っ込んだ質問に対し、俺はしばし考えこむ。

 脳裏には小森の特徴的な長い髪が浮かんでいた。


 ***


 今から三日前の六月一日。


 中間テストから約一週間が過ぎたその日の放課後、俺は人影まばらな廊下を歩いていた。


 その日は担任に呼び出され、いくつかの質問を受けていた。


 クラスの雰囲気はどうか。

 授業態度に異常はないか。

 孤立している生徒はいないか。


 簡単に表現すればこんな感じのことを、いくらかの世間話や思い出話を混ぜてそれとなく尋ねられた。


 問題を起こされては困る、というのは十分に理解できる。

 自分たちは新入生だし、担任が神経質になるのもうなずけた。


 そんな質問に答えているうちに時間は遅くなった。


 職員室を出たあと、教室に置いたままのカバンを回収するために階段をのぼる。

 一年生の教室は四階にあるため、二階の職員室からは少し遠い。


 もう教室に残っている生徒はいないだろう。


 部活動があるならそちらへ行っているし、帰宅部ならとっくに帰っている。

 勉強するならば自習室か図書室が定番だ。

 それくらいのことは入学して一ヶ月も経てば、よくわかる。


 そう思っていたので無遠慮に教室へ踏み込んだが、しかし俺の推測は外れていた。


 女子生徒が一人、窓際に立っていたのである。


 夕日によって長い黒髪を半分ほど茜色に染めている。

 手には携帯電話を持っているようだが、耳には当てていない。

 通話中ではないのだろう。


 窓の外を見ている女子は、まだ俺に気づいていない。


 こういうときはどうするのが正しいのだろう。


 とっさに思いつく選択肢は三つ。


 気にせず教室に入る。

 一度声をかけてから入る。

 こっそりと入る。


 相手を驚かせるのは本意ではない。

 かといって声をかける理由もない。

 こっそりカバンを取らねばならないような後ろめたさもない。


「誰?」


 俺が結論を出すのを待たずして、窓際の女子生徒が振り向いた。

 ここからは逆光になって表情は読めないが、不機嫌そうな声だ。


「教室にカバンを取りに来ただけだ」


 なぜかバツが悪い。

 思わず言い訳めいたことを口にしていた。


「そう」


 興味がなさそうに女子生徒がつぶやく。


 なにか用があって、ここにいたのなら邪魔したことになる。


 長居をする理由もない。

 早急にカバンを取って帰ることにしよう。


「邪魔をした」

「ちょっと待って」


 呼びかけられて、足を止める。


 外にいる運動部の声も聞こえず、校内の喧騒もふっと遠のく。

 偶然生まれた奇妙な静けさの中で彼女の声はよく通った。


「あなたのことは知らないけれど」


 片手に携帯電話を持った女子生徒は、流れるように言葉を続ける。


「良かったら、私と付き合って」


 夕日を背にした彼女はそんな芝居がかったセリフを口にした。

 遠目から見ていたなら、演劇の練習だと思ったに違いない。


 沈黙が訪れる。

 俺には言葉の意味が飲み込めなかった。


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