第8話 先輩カップルには勝てません
ダイニングに通された美桜は、借りてきた猫とまでは言わないが、さすがに緊張している様で指先をもじもじとさせていた。
「こんなにすぐに再会するなんて、世の中狭いものね」
母さんは先程まで焼いていたホットケーキを軽くレンジでチンしてから美桜と自分用の皿に盛ると、たっぷりのバターと蜂蜜を乗せてテーブルに並べた。
来客用のオシャレなグラス(※当家比)に紅茶を注いでからこちらに来ると、そのまま隆哉の隣に腰掛ける。
僕と美桜が隣合い、母さんと隆哉に向き合う形だ。まるで学校での面談みたいだと思ってしまった。
「アイスティーはストレートで平気?」
「大丈夫です。頂きます」
美桜はグラスに口を付けると、小さく息を吐いた。これで彼女も少しくらい緊張がほぐれただろうか?
「えっと、同じクラスの夢咲美桜さんです。み……夢咲さんのこと知ってるみたいだけど?」
「もう、親の前だからって変に隠すことないじゃない。ねぇ隆ちゃん?」
「実は僕もまだふたりの関係は聞いてないんですよねー」
今のは僕の失言だった。野球で言うなら一回表に先頭打者ヒットを打たれた気分だ。
「えっと、春樹くんとお付き合いさせてもらえることになりました、夢咲美桜です。よろしくお願いします」
「まぁ、嬉しいわぁ! あなたみたいな子なら大歓迎よ。むしろ春樹のことよろしくお願いしますね!」
「は、はいっ!」
母さんの言葉で、あらためて一息つけたようで、美桜がほっとしたのが目に見えて分かった。
「なぁ、美桜、母さんとはなんで面識があるんだ?」
「それはね、昨日テラスモールで困っている所を助けてくれたご夫婦って、春樹くんのご両親だったの」
「ねぇ、それって迷子の話?」
美桜が頷いた。
この場で唯一その話を知らない隆哉に、母さんが状況を伝えると、隆哉もかなりビックリしたようで、すごい偶然もあるもんだ、と言っていた。
「あの時、何処と無く春樹くんと同じ面影が見えたんですが、まさかご両親だとは思いませんでした」
「あら、そうかしら?」
「お父さんの笑った表情と、お母さんが偉いねって頭を撫でてくれた時の撫で方が……ふぇっ!」
美桜が手で口を抑える。今度は彼女のタイムリーエラーと言ったところか。
美桜は、ぽふんって音がしそうな程に顔を紅潮させる。聞いてる僕も同じ思いだった。昨晩、美桜を撫でた時、彼女が呟いた言葉の意味を踏まえると結婚の報告じゃないんだぞとばかりに、ますます恥ずかしくなる。
「ふーん、そんな事したんだー」
母さんと隆哉がジトーっとした目をして僕らを眺めた。そんな空気を替えてくれたのはバイトから戻った姉ちゃんだった。
「ただいまー。あれ? タカくん以外に誰か来てるの?」
ダイニングに入ってくるなり、美桜を見て目をしばたたかせた。
「タカくん、説明して?」
姉ちゃんの顔は笑っているが、心が笑っていないのがハッキリわかった。
「みゆちゃん誤解してない? この子は夢咲美桜さん、ウチらのクラスメイトでハルの彼女だよ」
隆哉の紹介で、お邪魔しています、と美桜が頭を下げた。
「ふぇ?」
姉ちゃんは再び目をしばたたかせた。もう一度しばたたかせた。失礼なくらいしばたたかせた。
「姉ちゃん、流石に失礼だよ」
「だって信じられないんだもん。こんな可愛い子が春樹の彼女なんて。けど、おめでとう? で、いいのかしら?」
「あ、ありがとう」
バツの悪い僕は、頭を掻いてごまかす他なかった。
母さんが姉ちゃんの分のホットケーキも用意して、しばし談笑して過ごす。
姉ちゃんと母さんが揃って口撃をして来るのでは? との心配は無用で、当たり障りのない質疑応答が繰り返された。
それは全員がホットケーキを食べ終わったときだった。
「ねぇ春樹、せっかく四人も揃ってるんだから、マリパやろうよ?」
「えっ、マジで言ってる?」
姉ちゃんが言ったマリパとはWiiUのマリオパーティの事だった。
「あんた三人だとやりたがらないじゃない!」
「だって昔からタカと姉ちゃん、僕とコンピューターの組み合わせじゃないか」
そんな組み合わせでやられ役になるのは、誰だってやりたくないだろう。コンピューターが強過ぎたらゲームバランスが崩れるから当たり前だけど。
「だって、今日は美桜ちゃんがいるでしょ?」
そんな姉弟のやり取りに美桜は微笑ましく笑っていた。
「良いですよ! 今日はこの後、特に予定も無いので」
「じゃ、決まりね。あたし着替えてから部屋にWiiUの用意して来るわ」
「それ僕の部屋だけどな!」
聞いてるのかいないのか、姉ちゃんはダイニングを出て二階へ向かった。
「初めてだと、結構衝撃的でしょ、この姉弟」
隆哉が言うと美桜が隣で可笑しそうに笑う。
「確かに。けど凄く仲いいんだね」
「昔から面倒見がいいお姉ちゃんだったからね。私は助かったわよ」
流しでお皿を洗っていた母さんの言葉に隆哉と美桜が笑った。
「昨日、お父さんが迷子の子を泣き止ませた時の事は覚えてる?」
「男の子なら女の子を困らせちゃいけない、泣いていいのは嬉しい時だけだって」
母さんはうんうんと頷いて、水を止めるとタオルで手を拭きながら話した。
「あの言葉はね、春樹がわんわん泣いてて、美雪がそれを宥めてたんだけど、それでも泣き止まなくて。その時お父さんが春樹に言って聞かせたのよ」
「母さん! 恥ずかしいから止めて」
「あら、いいじゃない、ね?」
「はい!」
僕の静止は二人の女性の笑顔でもみ消された。
「なんか、うちの母さんがいろいろごめん」
「えっ、むしろわたしは嬉しいんだけど?」
美桜がいつの間にか母さん側に付いていた。
「ところで、美桜はゲームとかやったりするの?」
このまま三人を相手に孤軍奮闘するのも辛いので、無理やり話題を軌道修正する。
「うちね、歳が離れたお兄ちゃんがいるんだ。だから昔はその友達とかと混ぜて遊んでもらったの。Wii以降のはやった事ないけど、むかしのマリオパーティなら少し自信あるかも?」
「意外だな、こりゃみゆちゃんに気に入られるんじゃね?」
そう言ったのは隆哉だ。姉ちゃんはどちらかと言えばインドア派のサブカル系女子なので、美桜とは少しタイプが違う。この先も考えると出来れば仲良くやってもらいたいと思ってはいた。
「そうだといいな」
「お姉さんいい人そうで安心したよ」
「嫁、小姑問題は大事よ?」
「何言ってんだよ母さん!」
たじたじになっている僕に、本日二度目となる救いの手を差し伸べてくれたのは、また姉ちゃんだった。
「おーい、準備出来たから上がっておいで〜」
「今行くー」
二階からの声に返事をすると、あっ、と美桜が声を上げる。
「そうだ、昨日の傘返してなかった」
「あ、その為に来てくれたんだったね」
美桜はハンドバックから僕の折りたたみ傘と洋菓子屋さんの小さな手提げを取り出した。
「これ、お邪魔するとは思わなくて少しで申し訳ないんですが、わたしのお気に入りのお店のクッキーなんです」
美桜は傘を僕に、クッキーは母さんに手渡した。
「あら、ごめんなさいね、ふたりで食べたかったんでしょうに」
「いえ、こちらこそご馳走になってしまって。クッキーはまた買いに行けますから」
「じゃあありがたく頂くわね。代わりにこれ、持って上がってもらえる?」
「はい!」
美桜は母さんから麦茶のボトルとグラスが四つ載ったお盆を受け取った。
「はーやーくー」
二階から聞こえる姉ちゃんの声に、今行く! と答えた僕は、二人を連れて階段を上がった。
「うわー、春樹くんの部屋だぁ!」
美桜がキョロキョロと部屋を見渡す。別に変な物は置いてないが、何処と無く気恥しい。
「ようこそ」
自分の部屋の様に美桜を招き入れた姉ちゃんは、既にラフな部屋着に着替えていた。
「だからここ僕の部屋だろ……」
僕の言葉など聞いちゃいない。
「あれ、トロフィーがいっぱいある!」
美桜は本棚の隅に置かれたトロフィーやメダルを飾っている棚を見つけたようだ。
「準優勝ばっかだけどな。優勝の方は隣の家に行けばもっと置いてあるよ」
「優勝もあるじゃん」
美桜がひとつだけある優勝トロフィーを指さした。
「それは剣道じゃなくて、釣りの大会だよ」
「魚釣りはハルに勝ったことねぇんだよなぁ……」
僕の言葉に隆哉が続いた。
「飛鳥君も春樹くんと同じような事言ってる。飛鳥君も魚釣りするんだ?」
「あぁ、小さい頃ハルの親父さんが一緒に連れてってくれたのが最初だな。その時から同時に習い始めたのに、不思議とハルの方が釣るんだよな。今じゃ歯が立たないぜ!」
「いま僕に剣道やらせたら、それこそまったく歯が立たないよ!」
「たまには練習相手になれよー」
「気が向いたらな」
「ねーねー、それより早くやろうよ」
僕らがちょっした思い出話に花を咲かせていると、姉ちゃんはコントローラを片手に不貞腐れていた。反対の手は床にバンバンとさせている。
「いま行くよ」
隆哉がコントローラを取ってから床に腰掛けると、その膝の上に姉ちゃんが座った。
隆哉は姉ちゃんを抱え込むようにしてコントローラを握る。
僕からしたら見慣れた姿だが、美桜には衝撃的な光景に見えたかもしれない。
「えっ、ええっ!?」
さっきの姉ちゃんじゃあるまいが、目をしばたたかせた美桜に、姉ちゃんは、座らないの、と言って小首を傾げた。
「もしかして、クラスの誰も知らなかった飛鳥君の彼女さんって……」
本人達でなく美桜はこちらに向かって言った。
「そうだよ、うちの姉ちゃん」
余程驚いたのか、美桜はしばらく視線を僕とふたりの方、交互に彷徨わせていた。
「美桜にはバラしちゃって良かったのか?」
僕はキャラ選択をしながら姉ちゃんに尋ねた。もちろん美桜を抱えてプレイするなんて大それたことはしない。
「美桜ちゃんにはいいんじゃないかな、って。けど、そっちの学校では秘密にしといて欲しいかなー」
そう言いながら姉ちゃんはピーチ姫を選んだ。隆哉はルイージを、美桜はしばらく悩んでいたがピノキオを選択した。
僕はほかの三人とのバランス的に、なんとなくヨッシーを選んだ。(なんのバランスかは分からないが)
「なんで秘密にしているんですか?」
チーム分けをしてから、美桜の実力が分からないので最短のターン数を選んでマップ選択に進む。言われてみれば、そこの所を二人に聞いたことは無かった。
「うーん、なんとなく、かな。逆に聞くけど、ふたりはどうするの?」
画面の中では出発順をルーレットで決めていく。
「そう言えば、そんな事考えてなかったね」
「まぁ、普通に振る舞えばいいんじゃないか? 気付かれたらちょっと怖いけど」
こないだの話を思い出したのか、えぇ……、と美桜は少し引いた様な顔になる。
「いや、嵐になるのは間違いないだろ。夢咲さんはともかく、ハルは人一倍可愛い彼女をゲットした税金だと思えよ」
隆哉の言葉に姉ちゃんがむくれて上を向く。
腕の中に抱えられているのだから、至近距離に隆哉の顔がある。
「あたしには非課税なわけ?」
「いや、学校では言うな、写真見せるなって地味に辛いんだよ? 友達に自慢も出来やしない……」
「あっそ」
自慢という言葉に機嫌を戻した姉ちゃんが画面に向き直る。
隆哉の声には出せないため息が見えた気がした。イケメンもご機嫌取りはそれなりに大変なようだ。
「ねぇ、春樹くん」
隆哉たちのことを見ていた美桜が僕に期待を込めた眼差しを向けた。
「な、何?」
すごく嫌な予感がする……
「わたしも」
「えっ!?」
思わずたじろいだ僕の事を、先輩カップルの二人は、生暖かい眼差しで眺めていた。
先に結果から言うと、僕と美桜のチームは負けた。それこそコンピューターの方が強い位では無いだろうか。
負け惜しみでは無いが、僕達が本来の実力を出せばきっといい勝負になったのだろう。
ではなぜ負けたのか。それはカップルとして付き合いの長さに負けたのだ。
付き合いたての僕らが身体を密着させて落ち着いてゲームなどやれるだろうか? 答えは否だ。
嬉しいはずなのに、まるで罰ゲームでも受けている気分だった。それは美桜も同じだったようで、ゲームが終わってすぐ、うぅ……恥ずかしい、と言って膝に顔を埋めてしまった。
後から抱きかかえたままなので、形の良い耳が真っ赤なのがはっきりとわかる。
「うわー、美桜ちゃん可愛い!」
「俺はハルが轟沈すると思ってたけど、まさか夢咲さんの方がこうなるとは」
「あんまりからかうなよ……ねぇ美桜、大丈夫?」
美桜はそのままで首を横に振った。
「一旦離れようか?」
僕の離しかけた手を美桜の手が止める。離れたくはないらしい。
「あらあら。ねぇタカくん、お菓子取りに行こう?」
「えっ、あ、うん」
姉ちゃんはわざとらしく隆哉を連れて部屋を出ていく。扉が閉じた音がすると、美桜がふーぅっと大きく息を吐いた。
「わたし、心臓が飛び出るかと思った」
「僕もだよ。まだ僕たちには早かったかな?」
僕が顔を横から覗き込もうとしたのが分かったのか、美桜はこちらを向いてくれた。
「無理、やっぱ春樹くんの顔が見れない」
すぐに顔を戻した時に、後髪がはらりと左右に分かれ、一部だけだが綺麗なうなじが顔を出す。アッシュブラウンの深い色合いと、白い肌のコントラストが僕の目を奪った。
こんな事ですら胸がざわざわとなる自分は、どれだけ彼女のことが好きなんだよと思った。
そう言えば僕はまだ美桜に直接『好きだ』とか『愛してる』と伝えた事は無い。
一度気が付くと、言った時の美桜の反応が気になって仕方がなくなった。まして今は僕の部屋にふたりきり、いわばホームゲームだ。言うなら今しかない……ような気がする。
「美桜……好きだよ」
最後の部分は耳元で囁いてみた。
案の定、こうかはばつぐんだった。ビクッとなった美桜がこちらを振り向く。
「ねぇ、なんで今なの? このタイミングでそういう事言う? 春樹くんのバカバカバカ!」
こちらに向き直った美桜が僕の胸をポカポカ叩く。
「ちょっ、美桜、痛いって、痛っ、うぉぉぁぁあ!」
僕は美桜の勢いに押され、背中からひっくり返ってしまった。僕の上には美桜が馬乗りになるように乗っかっていて、まるで彼女に押し倒されたみたいな状態だった。
「あっ……」
現状を把握した美桜が固まる。僕は美桜が離れてしまうのが嫌で、咄嗟に彼女の腰に手を回して抱きしめた。
「でも、まだ、言ってなかったから」
そうは言ってみたものの、恥ずかしさから思わず美桜から視線を逸らした。
「もぅ、なんなのよ。そんな事言わなくてもとっくに伝わってるわよ」
「あはは、そうだよね。ごめんごめん」
改めて美桜を見ると、そこで謝らないでよ……と言って、今度は彼女が僕の胸で顔を隠した。
「美桜?」
「私も好き…………大好き」
ボソッと呟くと、あーとかうぎゃーとかいいながら僕の胸の上でひとしきり悶えていた。さっきはやり過ぎたかな、と心配になったけれど、腕の中で暴れる美桜を見ながら同時に肌でも感じる事が出来て、とても幸せな気持ちになった。
やっぱり好きって言葉にして伝えて良かった、そう思えた。
「春樹くん、急にどうしちゃったの? やけに積極的だからびっくりしちゃうよ」
やっと顔を上げた美桜は柳眉を下げて、困ったような表情をする。
「美桜が僕の為に頑張ってくれたのが嬉しかったんだ。駅で会った時は本当にびっくりしたけど」
これは僕の正直な気持ちだ。
「LINEしたのは翔子ちゃんのお店に行く前だったんだけど、イメチェンしたら真っ先に春樹くんに見て欲しいなって思ったんだよね……今日は無理やり押しかけちゃって、迷惑じゃ無かった?」
「そんな事ないし、むしろ嬉しいよ。ねぇ、髪触ってもいい?」
頷いた美桜の髪をそっと撫でる。昨日まで明るい栗色のゆるふわパーマだったそれが、今は深いアッシュブラウンのサラサラストレートになっていた。指を通すと髪がすうっと指の間を流れ落ちる。
「痛く、無いよね?」
「ぜんぜん、むしろ髪触られるのが気持ちいいくらいだよ……」
「そっか」
優しく、そうっと、ゆっくり。髪を撫でる度に気持ちが安らいだ。美桜も同じだと呼吸する音で分かる。
『ガチャ』
「「「あっ……」」」
三者の声が重なった。マンガやアニメだとパッと離れるのだろうが、現実だとそんなことは出来ず、ただ石の様に固まる事しかできない。
「えっと……事後?」
姉ちゃんはそれだけ言うと、無言の隆哉にシャツの首元を掴まれ、あーれぇ〜、とか言いながら、強制退場させられて行った。
「見られちゃった」
「うん。そろそろ離れる?」
「えっと、もうちょっとだけ、このままでいたい」
美桜が僕の腰に手を回した。僕は、そっか、と笑ってから、いいよ、と答えた。
こうやって美桜に求めて貰える事が、今の自分が存在する意味なんじゃないか……そう思うと心が暖かくなり、嬉しくて仕方がない。僕は言葉も無くまた美桜の髪をずっと撫で続けていたのだった。
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