第6話 繋がる想い
学生割引きと美桜の友人割引きだよ、との事で三千五百円という、あそこまで丁寧な仕事をしてくれる美容院としては破格であろう代金を支払い、また来てねー、と言ってくれた二人に頭を下げてから店を出た。
是非また訪れたいが、その時、いま隣に居る女の子とはどんな関係なのだろう?
『脈アリだよ』
章さんの一言は僕の心をざわつかせるには充分だった。
先程まで早瀬のような音を立てて、大粒の雨が降っていたが、今は小雨がパラつく程度だ。
店先で鞄に忍ばせていた折りたたみ傘を開いてから、後から出てきた夢咲が傘を持っていなかった事を思い出す。
てっきり翔子さんに借りて来るかと思いきや、そういう訳でもなし。
ならば嫌がられる事は無いだろうと想像はしつつも、成り行きを装って、入りなよ、と言ってみると、ありがとうと普通に入ってくれた。
昨日までの僕には信じ難い事だが、今では夢咲とそんな距離感にまで近づけている。
「さっきは急に大粒の雨が降ってきたからびっくりしたよ。すぐそばまで来てたからあんまり濡れないで済んだけど」
「災難だったね」
「てか、東雲君だけ現在進行形で濡れてるじゃん、もっとこっち寄りなよ!」
「えっと、じゃあ失礼して」
人通りの少ない雨の街を小さな傘を片手に、ふたりで歩くと、街の景色を切り取った世界に、まるでふたりだけが居るように感じて、不思議な気分になる。
そこには傘に雨粒が絶え間なくパラパラと降しきる音と、アスファルトからピチャピチャという足音、そばにある彼女の熱と香りだけが存在していた。
「これって、相合傘、だよね?」
「うん……そうだね」
夢咲は至近距離から僕を上目遣いで見上げてくる。
「もしかして、恥ずかしい?」
今度は首を傾げて僕を見る。
「うっ……ちょっと、ね」
「嫌だったり?」
「そんなことはない……けど」
「けど?」
「……クラスの男子に見つかったら、後から刺されそうだなって」
「えっ!? ずいぶんと物騒なんだね、うちの男子って!」
夢咲は少し引いたようで、足を止めて身体を引っ込めたが、雨に濡れてしまうと思ったのか、また同じ距離まで近寄ってきて歩きはじめる。
「本人に言うのもどうかと思うけど、うちのクラスの男子は夢咲さんと藤堂さんには手を出さないって決まりがあるんだよ……」
「はぁ? 何それ!?」
夢咲は僕の答えに顔をしかめた。
「いやさ、過去に撃沈した男子たちは『好きな人がいるから』って断られたのを噂で聞いてるし、夢咲さんにそういう人がいるなら僕らは大人しく見守ろうってさ……」
「あぁ、そういうことかぁ……」
話しながら駅のロータリーで傘の水気を払って簡単に畳むと、そのまま何事も無かったように階段を登り、改札を通りぬけ、ホームへと向かった。
行きと同じように、下りホームの乗車位置に並んで電車を待つ。
「ねぇ、東雲君」
呼ばれた僕はすぐ右に並んでいた夢咲の方を振り向いた。
「じゃあ、それがわたしからだったら、どうなるのかな?」
「…………えっ?」
人気の少ないホームで、トタン屋根に雨粒が弾ける音だけが聞こえ、まるでそれが世界の全てのようだった。
夢咲が今日僕に見せてきた、思わせぶりな態度が脳裏に過ぎっては消え、また過ぎっては消えていく。
「……あはは、東雲君すごい顔してるよ?」
「いや、そこは笑らわないでよ。一瞬びっくりしたんだから!」
「だっておかしいんだもん」
笑った彼女の姿にどこか影が見えたのは気のせいだろうか?
「夢咲さんってさ、他に好きな人、いるんじゃないの?」
「その噂、信じてるんだ……」
彼女の発した言葉には落胆とか諦観の念がこもっていた。そのまま俯いて、ふうっ、と一息を付いた後、断り方って難しい……と、誰に向けるでもなくポツリと呟いた。そして改めて真剣な顔つきになった夢咲が僕の方を向いた。
「じゃあ東雲君だけには、特別に教えてあげよう!」
それとなく腰に手をあてて、先生っぽく振舞ったあと、耳元で内緒話をする様にささやいた。
「あれは、全部断るための建前です!」
耳元に感じてしまった夢咲の吐息に心臓の鼓動が破裂せんばかりに高鳴った。そして同時にどこか安堵に近い感情がこみ上げる。それはつまり……
「ふふ、けどね、今はちがいまーす」
すっと僕から離れた夢咲がイタズラっ子のように振る舞う。
「それってどういう……」
「だと思う?」
夢咲の本意が分からず、こっちが尋ねようとしたのに、逆に笑顔で尋ね返された。
「からかってるんでしょ?」
「もし本気だって言ったら?」
「えっ、あの…………」
『間も無く二番線に普通小田原行きがまいります。危ないですから黄色い線の内側に下がってお待ちください』
「あー、電車来たね」
今度は、後に続く言葉を電車の到着を知らせるアナウンスにかき消された。
「…………」
「あーあ、時間切れかな?」
僕はその言葉に対する回答をすぐに返す事など出来なかった。
電車に乗ると車内はそこまで混んでないが、ふたり並びの席は空いておらず、夢咲がドア横にもたれる形で、僕はその前に立って手すりに捕まった。
たった一駅なので、言葉を交わすこともないまま、あっという間に茅ヶ崎に到着だ。
行きとは反対にエスカレーターを登ると、そこはもう改札だった。
「今日はありがとう、おかげでいい買い物出来たし、また章さんの所にも通わせてもらうよ」
「こちらこそ、東雲君とのお出かけ、楽しかったよ」
そこで会話が途切れてしまった。
『本気だって言ったら?』
ついさっき夢咲が口にした言葉が頭の中を反芻して離れない。
「今日は解散にする?」
夢咲が少し寂しそうに言った。
いけない、この流れだとここで今日はお別れになってしまう。もしかしたら次の機会は与えられないかもしれない。
「じゃあここで……」
「待って! 晩ご飯……」
去りかけた夢咲を、僕は必死で引き止めた。
「えっ?」
「うち、今日はみんな出かけてるから、晩ご飯食べて帰れって言われてて。だからその……」
「うん、いいよ。一緒に行こっか?」
夢咲の言葉に僕はほっと胸を撫で下ろしたが、彼女もほっとした表情で笑っていた。
ひとまず駅の北口側に出てみると、まだ雨も降り続いていて、あまり遠くへ歩いて行く雰囲気では無いように思えた。
「何にしよっか?」
「うーん、昨日はハンバーガーだもんね、ハンバーガー以外なら何でもいいんだけど……」
「確かに二連続はキツいよね……」
いくら高校生男子でもそれは勘弁して欲しい。
「なら学生の味方、サイゼリアにしよう!」
「えっ、ちょっと歩くけど良いの?」
茅ヶ崎のサイゼリアの位置は、ここからだと北側に五分ほど歩いた場所にある。駅近の範疇に入るかは微妙なラインだった。
「今日の東雲君、けっこう散財しちゃってるでしょ? ならリーズナブルに行こうよ。それと、わたしドリアとパスタの両方食べたいから、またシェアしてくれたら嬉しいな!」
その一言で行き先は決定した。それと同時に、夢咲の気配りが嬉しかった。
土曜日の夕飯時とあって、流石に彩ゼリアの入り口で少し待ってから席へと案内された。
夢咲の要望で、ミラノ風ドリアとタラコパスタ、僕の希望でマルゲリータを注文してそれぞれを小皿に分け、ふたりでシェアして食べる。
「東雲君といると、分け合って色々楽しめるからお得だね」
その言葉に他意はないとしても、彼女と楽しい事や美味しいものを分かち合える事には感謝する。
結局はデザートのフルーツタルトとチョコレートケーキまでもシェアする事になり、お互い満腹になって店を出た。
今日のお礼にご馳走すると言うと、断固拒否され、お会計まで半分こする事になったのだが……
再びひとつの傘に入りバス停に向かっている時だった。
「あ、行っちゃった……」
どうやら僕らがバス停に着く前に、夢咲の自宅方面へ向かうバスが出てしまったらしい。時刻表を調べた訳では無かったので、単に運が悪かったようだ。
「なら、せめて僕も一緒にバス停で待ってるよ」
「えっ、悪いよ……」
本当にそう思っている様な夢咲に、さっきから胸を締め付ける想いの一部を乗せて、思い切って言ってみる。
「僕が一緒にいたいから、さ」
「う、うん……」
流石にこれでも遠慮されたなら、身を引こうと思っていたが、彼女は受け容れてくれた。
屋根のあるバス停で傘をたたみ、ベンチに並んで腰掛ける。
しばらくすると、夢咲は船を漕ぎ始めていた。ふと、ぴとっとお互いの肌が触れる。昼までの暑さが嘘のように涼しい秋の夜風の中だけに、触れた人肌の体温はかなり暖かく感じた。
それは夢咲も同じだったのだろう、ハッとなってごめん、と言ってきた。
「いや、むしろ眠いなら肩、使っていいよ」
僕はまた少しだけ踏み込んでみる。
「えっと、じゃあ、お借りします……」
そのまま彼女にもたれ掛かられると、触れた肩と腕から直接彼女の体温を感じる。そして今までで一番強く彼女の香りが鼻腔をくすぐってくる。吐息さえ聞こえてきそうな距離だ……
僕の指先は、思考に合わせてピクリと動く。
『今、この手を取ったらどうなるだろうか?』
先程並んで歩いていた時以上にそれは近い距離にある。むしろ袖に隠されていない互いの腕の部分は、今も直接肌と肌で体温のやり取りを交わし続けている。
寝ている間に手を出すなんて、他の男達みたいにチャラい奴だと思われないだろうか。
けれど、タイムリミットは必ず訪れる。このつかの間の安息は、バスがやって来るまでの限定だ。今の僕がそこに長く居座る事はまだ許されない。
『脈アリだよ』
『な、言っただろ』
章さんの言葉が再び脳裏に浮かんだとき、僕はもう確かめずにはいられなかった。
ほんの少しだけ腕を動かして手のひらを重ねる。僕がそっと握ろうとするより早く、夢咲の手のひらが僕を掴んだ。慌てて僕もその手を握り返す。
肩に預けられたままの顔を覗き込んだが、夢咲は目を瞑ったままだ。けれど、薄暗い街明かりの中ですら、彼女の耳が紅く染まっているのが視認出来た。
これ以上はいけない。だから僕は衝動を抑えつつ夢咲に尋ねた。
「ねぇ、僕でいいの?」
彼女は動かなかった。けれど……
「うん、あなたがいい」
その時、夢咲の手が動ごいて、繋がった手のひら同士が離れそうになった。
暖かい手のひらが逃げてしまうように感じて、それが嫌で僕はまだ繋がっていたくて……
追いかけようとすると、するりと彼女の指が僕の指と指の間に滑り込んできて、違う繋がり方になった。もっと強固で力強い。
『恋人繋ぎ』
それはまるで彼女と僕が楔でひとつに繋がったかの様だった。
「ねぇ、春樹くん。今日ね、わたし人助けしたんだ」
僕の事を下の名前で呼んだ彼女は、同じ姿勢のままでポツリポツリと話してくれる。それは僕のカットが終わるまで、彼女がひとりで街を歩いている間の事だった。
「時間潰しにテラスモールに戻ったら、たまたま迷子を見つけてね、迷子センターまで連れて行ってあげようと思ったんだけど、なかなか泣き止まなくて。そしたら見兼ねたのか、素敵な夫婦が助けにきてくれたの」
今は互いに触れ合っているから、きっと僕が頷いたのも彼女に伝わっている。
「一緒に迷子センターまで行ってくれて、そしたらそこにお母さんがいて。カズくんっていうみたいなんだけど、すごく寂しかったのか、すぐお母さんに抱きついていたよ。別れ際には、何度もお母さんからありがとうって言われて、その後に助けて貰った夫婦からも、うちの子供たちもこんな風に行動出来るようになって欲しいって、褒められちゃった」
「美桜は偉いな」
僕は彼女の頭を繋がっていない方の手でポンポンと撫でた。
「ふぇ!?」
一瞬、名前呼びが気になったのかと思うほど、びっくりしたような表情で、彼女がこちらを振り向いた。
どうしたの? と尋ねると、不思議そうな顔で理由を教えてくれた。
「えっと、その夫婦の奥さんも同じ様に、偉かったね、って、頭を撫でてくれたから」
「ははは、そういう事だったのか。美桜って名前で呼ばれるのが嫌だったかと思ったよ」
「そんな事ないよ! 『みお』って名前で呼ばれるの、凄く嬉しい」
「なら良かった」
少し恥ずかしいが、名前呼びだとそこに乗せられる感情の情報量が違う気がする。
「わたしね、思ったんだ。もし、わたしに子供が出来たら、迷子になるような事もきっとあるかもしれなくて。そしたらあのお母さんみたいに必死に探すんだろうなぁ。それで、もっと時を重ねて行った先で、さっきみたいな夫婦になれるといいなぁって…………それでね、その時思ったんだよね、あぁ早く春樹くんに会いたいなって」
僕は涙が出そうだった。なぁ父さん、嬉しい時は泣いて良いんだったよな。
「僕はいるよ、いまここに」
今の僕が美桜に伝えられる精いっぱいの言葉だった。
「ありがとう、春樹くん。これからもよろしくね」
「僕の方こそ、美桜」
彼女が乗るバスがやって来るまで、僕たちのあいだに繋がれた楔が離れることは無かった。
※まだつづくよ!ε٩(๑>ω<)۶з
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