第4話 本物のお誘い

 僕は空を見上げたり、グラウンドの端でトスバッティングをしている泥だらけの野球部員達の練習を眺めたりしつつ、昇降口で夢咲が来るのを待っていた。

 夏服と冬服の移行期間を前にして、体感的に朝夕は長袖が欲しいくらいの気温にまで下がっている。

 しかしこれでまた明日からの予報は暑くなるらしい。いくら高校生とはいえ、身体が付いていかないのではないかと思ってしまう程の寒暖差だ。

 雨が上がった為か、数は少ないもののヒグラシが物悲しく鳴いている声も聞こえ始めていた。

「ごめん、お待たせ」

 その声に振り向くと夢咲は廊下をパタパタと小走りにこちらへ向かって来ていた。彼女の一歩一歩に合わせ、長い髪と短いスカートが揺れる。

 メイクを直したからだろう、先程まで赤くなっていた目元に、涙の痕跡は見当たらない。

 どんな男子でも学年で指折りのビジュアルを持った女の子がこうして現れたら、心が踊るだろう。もちろん僕だって例外ではない。

 さらに、こんな状況でも急いで向かって来てくれたのであろう彼女を見てなんだなという印象を受けた。

 彼女はすぐに焦げ茶色のローファーに履き替えると、クラスの傘立てから自分の物を取ろうとしたようだが……ないじゃん、と呟いた。

「どんな傘?」

 歩み寄って夢咲に尋ねると、普通のビニール傘だという。

 今日は朝から既に雨だったし、忘れたからパクって帰ってしまえという線は薄い。恐らく単純に誰かが間違えたのだろう。

「ホント最近ついてないなぁ……」

 校門を出てマクドナルドに向って歩きながら、夢咲はまた憂いの表情を浮かべていた。

 お互い普段なら自転車通学なのだが、今朝の強い雨に夢咲も電車を使ったらしい。

「今度試しにビニール傘じゃないやつ買ってみなよ。ちょっと良さそうに見えるやつ」

 落ち込んでいる夢咲に、何かしらのフォローが出来ないものか、そう思った時に出たのはそんな言葉だった。

 案の定、なんで? と言った表情で夢咲が首を傾げる。

「こういう傘って間違えにくいし、仮に忘れたからパクってやろうってなった時も、きっとビニール傘に比べてハードル高いじゃん。どっちもイケナイ事に変わりは無いんだけどさ」

「あぁ、確かに一理あるかもしれないね……」

「それに自分でもビニール傘より大事にしようって思うはずだよ。まぁ、今は雨が上がってて傘は必要ないんだし、間違われたのが今日でラッキーって思おうよ。ため息は幸せが逃げるって言うじゃん!?」

 僕の言葉に夢咲はプッと吹き出した。

「東雲君って面白い発想するのね……」

「あぁ、これは浩介の影響もあるかもなぁ」

「神田君のこと?」

「そうそう、去年も一緒のクラスだったんだ。それで意気投合したっていうか、気付いたらめっちゃ仲良くなっててさ」

 そんな他愛もない話をしていたらマクドナルドに着いていた。

 いつの間にか自然な笑みを浮かべるようになった夢咲に、さっきまでの落ち込んでいた様子はもう見受けられなかった。

 最寄りのマクドナルドは学校から歩いて十分ほどの距離だが、自転車の無い今日は駅からやや遠ざかってしまうのが難点だ。

 正直な話、学生からしてみれば、校則がだいぶ緩い事と、進学率が高いぐらいが取得で、あとは周りに田んぼしかない立地条件の高校である。学校の近くはもちろん、ローカル線故に駅前に喫茶店のひとつすら期待することが出来ない。要は徒歩で放課後に寄れる店と言えば、コンビニを除くと、ここのマクドナルドか、同じ通りにあるファミレスくらいしか無かったのだ。

 店に入ると混んでいる訳でも無いが、夢咲にはテーブルを確保してもらい、僕はレジに並んだ。

 もし、先程までの話題の続きを話すのであればと考え、店内を見渡す。他校の制服はあれど、幸い見知った顔は見受けられなかった。

 アルバイトの同い年くらいの女子に、夢咲の御所望した巨峰マックシェイク(期間限定の大きいサイズ)と自分にはアイスコーヒーのMサイズを注文し、支払いと商品の受け取りを済ませてからテーブル席へ向かう。

 ここだよ! と言わんばかりに夢咲が手を振って教えてくれたお陰ですぐ席は見つかったが、こういった経験のない僕としては少し恥ずかしい。

「ごちそうになります!」

 夢咲はいただきますの代わりにそう言ってから飲み始めたので、僕も習ってアイスコーヒーに口を付けた。

「さっきの、やっぱりわたしと一緒に居るのは東雲君も見られたくないよね? 東雲君までハブられちゃう必要はないもの」

 予想外の発言にコーヒーを吹き出しそうになる。どうやら先程店内を見回したのを別の意味に捉えたらしい。

「いや、ちょっと待ってよ、そうじゃなくて!」

「違うの?」

 僕は慌ててコクコクと頷いた。

「誰か知り合いがいたら夢咲さんが話しにくいんじゃないかと思っただけで……」

 正直に話したところ、そっか、ならいいんだけど、と返された。

「わたしね、中学の頃も似たような事があったんだ……」

 夢咲はたまにシェイクに口を付けながらポツリポツリと当時の事を話してくれた。

「その頃吹奏楽部に入ってたんだけど、同じ部活で一番仲の良かった友達に、好きな先輩がいるって、ずっと相談されていたんだ……けれど最後の文化祭で先輩が引退した日、ファミレスで打ち上げをやった帰り道だったんだけど、その先輩からわたしが告白されちゃったの……」

 遠い昔を思い出すように、目を伏せた夢咲の見つめる先で、シェイクのカップに付いた結露の雫がテーブルに垂れる。

「もちろん、ごめんなさいって、わたしはちゃんとお断りしたんだけど、友達は凄く怒っちゃって。『なんであなたなの、あんたみたいな地味な子に!』って……仲が良いと思ってたし、信頼もしてたから、それを言われてすごいショックでね。次の日には顧問の先生に退部届けを出しちゃったんだ……」

 そこまで言って夢咲は右手で頬杖をつき、僕は静かに続く言葉を待った。

「あの時立ち直れたのは、小学生の頃から仲の良かった別の友達が、いつか見返してやろう! って言ってくれたからなんだ……彼女とは別々の高校になっちゃったけど、二人で高校デビューしてやろうって美容院に行ったりしてさ、ちょっとやりすぎちゃったかもしれないんだけど……」

 夢咲はそう言って自分の明るい色をした髪の先を撫でる。

 やりすぎちゃった、の所に思わず笑ったところ、少しだけ夢咲がむぅーという表情をした。

 その顔が妙に可愛くて、また笑ってしまいそうになる所を押さえ込み、ごめん、ごめんと謝ると、ため息を零してから夢咲は先を続けた。

「まぁ、自分でも分かってるんだけどね。きっと武装なんだよ」

「武装?」

「そう。自分が強くあれるように」

 夢咲はそう言って頷く。

「なるほどな」

「だけどさ、その結果がコレだよ。入学してすぐに同じクラスだった百合香達と仲良くなったのは嬉しかったよ? こんなだから、一緒にいるとすごく男子に誘われるようにもなってさ。今までそんなこと無かったし、チヤホヤされるのも嬉しくない訳では無いんだけど、そういう男子達って、わたしの本当のところを見て誘って来てるのかな? って思うようにもなったりしてさ……」

「要するにチャラい感じの男子ってこと?」

「そんな感じかな。とにかく見た目が良い女の子なら誰でも良いってっていう、遊び感覚みたいなの」

 夢咲は水色のネイルを施した華奢な指先で、シェイクのストローをくるくる回し。一口だけすすってから続けた。

「わたしには分からないな。ちゃんと付き合うなら、もっとお互いの事を分かって、理解してから真剣に向き合いたいって思うんだけど。そんな恋愛感覚って、少女マンガの読み過ぎとか言われちゃうのかな?」

 ストローを回していた夢咲の指先が止まった。 

「そんなこと無いと思うよ? まぁ僕なんかじゃ彼女がいたことすらないから分からないけど……」

「あはは、実はわたしも誘われたのをみんな断っちゃたから、彼氏がいたことないけどねー」

 えっ、嘘だろ? 目の前の少女が発した言葉にまた僕の胸が跳ねた。

 きっと僕の描いていた夢咲という人物と、実際の彼女のギャップが激しすぎるからだろう。この場はそう無理やり思い込むことにする。

「というかね、周りがそんなだから、百合香は本当はいい子なんだけど、彼氏が出来てもすぐに別れて、また新しい彼氏作ってを繰り返してたんだよね。そんな時、今度はやっと長続きしそうな人と付き合えることになった! って言ってたから、わたし達もみんな嬉しくて、応援しててさ。夏休みに紹介するって言われたから、みんなでカラオケに行ったの」

「そこで何かあったんだ?」

 コクリと夢咲は頷いた。

「噂で聞いてるかもしれないけど、その場で『百合香に何かあった時のためにLINEを教えてくれ』って言われてさ、信用して教えちゃったのがいけなかったの。それからは通知のラッシュでね、最初は軽口程度だったから、お世辞だと思って軽く流してたんだけど、二人で逢いたいとか言い出すから、もう未読スルーにしてやったの。そしたら百合香にまでわたしに逢わせろとか言ってたみたいで……」

「あぁ……何となく察した」

 夢咲も乾いた笑いを浮かべる。

「しばらくして、いきなり怒った百合香が電話してきてね、その時あえてハッキリ言ったの、『彼は絶対なんか隠してるよ』って。そしたら今度は彩華まで怒っちゃって」

「彩華って高梨さんの事だよね、なんで高梨さんが出てくるのさ?」

「百合香が告げ口したのかは知らないけど、彩華が一番応援してたんだよね、二人の事。『なんで友達のあんたが邪魔するんだ!』って。むしろ百合香より怒ってたかも……」

 そこまで話すと、夢咲は残っていたシェイクをズズズと飲み干してから大きく息を吐いた。

「という事は、今回仲違いの真相って、思い込みと勘違いの組み合わせが引き起こしたというか、悪いのはその男なんだろうけど……」

「ほんっと勘弁してって感じ。最初は事情を話してたから、夏希は味方してくれてたんだけど……」

「さっきの向こうに付いたってのはそういう意味だったのか」

 夢咲はテーブルに突っ伏した。

「仕方ないとも思うけどね。いま広まってる噂だと、わたしは友達の彼氏をそそのかした悪い女なんだもん。多分、意趣返しのつもりか、ラブレターもどきで嫌がらせしてやろうって言い出したのは彩華だと思うな。きっと夏希は書けって言われて仕方なく書いたんだと思うし……」

「酷すぎるよ!」

 つい声を荒らげてしまった僕に、夢咲が驚いた様にテーブルから顔を上げた。

「えっと、ごめん東雲君、関係の無いあなたまで巻き込んでしまって」

「そうじゃない!」

 思わず僕は立ち上がってしまっていた。

「落ち着いて、ほら、周りのお客さん見てるし……」

 夢咲の言葉に冷静になった僕は急に恥ずかしくなり、すぐに座り直した。

 それでも心の中で燻る気持ちを言葉にせずにはいられなかった。

「恋をすれば、自分以外の誰かを傷付ける事があるくらい、恋人いない歴=年齢の僕にだって分かるよ。けど、聞いてるとまるでファッションじゃないか! 服とか装飾品みたいに取っかえ引っ変え女の子を変えるなんて失礼だよ!」

「彼らの中で、可愛い女の子を連れて歩くのはステータスなのかもしれないけど、女子にしたってカッコイイ男子を彼氏に持ちたいって気持ちもわからなく無いのよね。確かに百合香の彼氏はイケメンだったから、周りに自慢したくなるのも無理ないのかな?」

 諦めを含んだ表情の夢咲は、暗にイーブンな関係ではあると言いたいのだろうが、到底納得できない。

「それなら相手の人間関係まで壊すことはないじゃないか。現に今、夢咲さんはこんなに苦しんでる。僕はそんな姿の君を見ていられないよ!」

 自分でも何に対して怒っているのかはよく分からない。夢咲を苦しめた男の存在なのか、彼女を取り巻く環境なのか、もしくは、いま目の前にいる女の子に何もしてあげる事の出来ない自分に対してか。

 夢咲自身に、そんなのは大きなお世話だ、と言われればそこまでだ。けれど夢咲美桜という人は、僕のような人間のお節介を邪険に捉える人じゃ無かった。

「ありがとう、なんでかな…………」

 そこまで口にすると夢咲は両手で顔を覆い隠したまま、御手洗、と告げて立ち上がった。


 夢咲が席に戻って来るまでそれから十分ほどの時間を要した。目元がまた赤くなっていたし、まだ鼻をすすっていたので、涙していたのは明らかだ。

「ごめんね、こんなつまらない事に付き合わせて……」

 弱々しく鼻声で言う夢咲は、今の見た目とは全く違い、すごく純粋な女の子なのだろう。

「僕なんかでもいいならいくらでも付き合うけど?」

「ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しいな。けど、あんまり優しいと付け込むかもよ?」

 それくらいの事が言えるくらいにはいつもの調子が戻って来たらしい。

「付け込まれるついでに、ここで晩御飯済ませていかない  なんならハンバーガーくらいおごるけど?」

「えっ、それは悪くない?」

 真顔で言った夢咲に僕はぷっと笑いが出た。

「それくらい僕だってカッコつけても良いでしょ? もう七時前だし、今から家帰るまで持ちそうにないしね」

「そう言えば……」

 夢咲のお腹がぐぅぅと鳴った。

「今の聴いた?」

「聴いてない」

「いや、絶対聴こえてた……」

 さっきと同じようなやり取りに思わずふたりで吹き出して笑ってしまう。

「あー、もうバカバカしくなってきちゃったじゃん、なんか甘いものも食べたい!」

「さっきシェイク飲んだばっかりなのに?」

「えぇー、だって甘い物は別腹っていうじゃん」

「太るぜ?」

「なんか言った?」

「はい、それも出させて頂きます……」

 言った途端に、やった! と、握り拳を作りながら喜んだ夢咲の顔を見れただけで、数百円の価値があると、僕は思ってしまう。ころころと表情を変える夢咲の顔は、見ていて飽きる事がない。

 僕らはいったん、貴重品だけを持ってレジに並びなおす。僕がビックマックに、夢咲はダブルチーズバーガー、ポテトのLをシェアする事にして、夢咲だけアイスティーをセットにして追加した。

 食後のデザートはアップルパイにするか三角チョコパイにするか悩む彼女に、なんなら両方頼めば? と言おうと思ったのだが、真剣に悩む姿が思いのほか可愛らしくて、ついそれを見てしまっているうちにアップルパイに決めたようだった。

「このところ、あんまり食事が喉を通らなかったのよね」

 そう夢咲が語ったのは、商品を受け取って席に戻り、お互いのハンバーガーを半分くらいづつ食べた頃合いだった。

「同じ立場だったら、僕もそうなってたかもしれないなぁ」

 夢咲は頷くと、アイスティーのストローに口を付けてから、残りのハンバーガーを食べきった。

「ちょっと気になる事を聞いてもいい?」

 僕の言葉に夢咲が可愛らしく小首を傾げながら顔を上げた。

 僕はポテトをつまみしながらまた話し始めた。

「そもそもなんだけど、なんで夢咲さんをからかってやろうってなった時、相手に僕を選んだんだろう?」

「そう言えばそうだね。やり方は嫌がらせとしては古典的だけど……人選としては、どうなんだろ? 強いて言うなら……謎な人だからじゃない?」

「なんだよそれ! ケホッケホッ!」

「ちょっと、大丈夫? ほら、これ飲んで!」

 想定外な答えに、僕はポテトでむせてしまい、差し出されたカップのストローからアイスティーを飲んで一息をついた。

 と同時に、さっき脳裏を過ぎっていた事を指摘されずに安心する。ほっと、息だけでなく心も落ち着かせつつ、ありがとうと言って夢咲にカップを返した。

「例えばさ、男子の中ではクラスで誰が一番可愛いとかってやったりしない?」

 受け取ったカップを見つめながら夢咲は尋ねた。

「それ、女子に一番言っちゃいけないやつでしょ」

「あはは、そうかもねー」

 夢咲は一本取られちゃったみたいなことを言ってケラケラと笑っていた。

「うちらはさ、前に体育の後、誰が一番カッコイイかって、更衣室で話題になったことあるんだよね」

「僕らのクラスならタカ以外ありえないだろ?」

「まぁそうなんだけど。そんな飛鳥君とやたら仲が良くて、正反対なタイプの神田君とも親友って感じの東雲君っていったい何者なんだ? って話になったの。しかも、飛鳥君と組むとたまにすっごく面白い事するし!」

「なんだそれ!?」

 ガクッと肩が崩れるというのはこういう事かと自覚した。もちろんこれといって隆哉や浩介との間柄は隠すことでも無いので正直に間柄を話す。

「浩介はさっき話した通りなんだけど、タカとは家が隣で、誕生日も近くて、おまけに家族ぐるみの付き合いでさ。小さい頃から同じ道場で剣道習って、僕も中学までは一緒に剣道部入ってたし、今でも予定がない時はどっちかの家でだいたい一緒にいるからなぁー」

「うわ、中学の頃の友達が聞いたら喜びそうなシュチュじゃん!」

「待って、夢咲さんってそっち系の人?」

「あはは、さっき話した友達がね。わたしは至ってノーマルだからご心配なく!」

 夢咲はパタパタと手のひらを振って否定した。まさかこの見た目の女の子からBLネタが飛び出すとは思わず、正直驚いた。

「けど、その割には学校ではあまり一緒にいなくない? というか、東雲君が剣道っていうのも意外だけど……」

 さっきから驚かされっぱなしながら、僕は話を続けた。

「あぁ、学校でまでずっと一緒だと、他の友達が増えないじゃん。それに一年は別のクラスだったしね」

 コーヒーをすすると口の中に程よい苦味が広がる。

「剣道は最後までタカに勝てなかったんだよなー。アイツが部長で僕が副部長だったんだよ。まぁ、小さい頃から知ってるから言えるんだけど、タカって本当にすごい奴なんだ。昔のあいつが、今の浩介みたいな体型だったって言ったら信じられる?」

「えっ、嘘?」

「それに、どちらかと言うといじめられっ子だったよ」

 今の常にクラスの中心にいる隆哉しか知らない高校からの同級生なら最もな反応だ。目を点にして驚くのも無理はない。

「何か、きっかけでもあったの?」

「あいつさ、好きな女の子の為に変わったんだ。その頃よく言ってたな『過去と他人は変えられない、けど、未来と自分は変えられる』って!」

「すごい、素敵じゃない!」

「だから、夢咲さんが自分を変えたくて高校デビューしたのも一人の人と向かい合いたいって話してた恋愛観も、絶対間違ってないと思うよ!」

 そっか、と言うと夢咲はふぅっと大きく一息を付いた。

「まっ、僕なんかにあそこまで出来るか、って聞かれたら分かんないなぁ」

 肩をすくめた僕に、夢咲は意外な言葉を掛けてくれた。

「東雲君はさ、さっきから“僕なんか”ってよく言うけど、あまり自分を卑下しちゃダメだよ?」

「そうかな?」

「うん。だって、今日の君に救われた気持ちになったわたしはどうなるの?」

「いや、それは僕がほっとけなかっただけで、勝手なお節介だから。少しでも夢咲さんに元気が出てくれたならそれでいいよ」

「もぉ、話しそらしたでしょ。けど分かった。どうしようもなくお人好しなんだね、東雲君は」

 僕はバツの悪さと気恥しさを、コーヒーで誤魔化した。

 あれ、さっきむせた時に飲んだのってアイスティーだったよな? 今更生まれた疑問は、夢咲の言葉によって遮られた。

「そう言えば、飛鳥君っていう幼馴染がいて、彼からイケメンのコーディネートしてもらったりとかしないの?」

「なんだよイケメンのコーディネートって」

 飲みかけのコーヒーを吹きそうになり、無理やり喉に流し込む。

「あぁ、言われてみたらタカと買い物って行ったことないな。行くとしたら釣具屋くらいかな? 身近すぎると被らないようにとか考えるし。お互い気恥ずかしくない?」

「うーん、そんなもんなのかな?」

「夢咲さんは友達と行ったりするの?」

「うーん、好きなショップとかマイナーブランドが被ってたりすればね。むしろ双子コーデなんてした事もあるし……あ、そうだ!」

 何を思い付いたか、夢咲の顔がぱあっと明るくなる。

「ねぇ、明日とかって時間ある?」

「え、まぁ午前はバイトがあるけど、昼からなら暇っちゃ暇、みたいな」

「なら、テラスモール行こうよ、わたしが東雲君をプロデュース、みたいな」

「え、マジで?」

 夢咲はコクコクと頷いた。

「自分に自信を持てれば、卑屈な事言わないで済むでしょ?」

 なんだそりゃ、という僕に夢咲は、あははは、と笑みをこぼした。

「テラスモールとは反対側なんだけど、辻堂だと南口側にいつも通ってる美容院があるんだよね」

「美容院とかハードル高すぎるでしょ!」

「えー、大丈夫だよ、そこわたしの従姉妹夫婦のお店だから。まっ、百合香達にも教えてないんだけどね」

 なおも渋る僕だったが、“未来と自分は変えられるんでしょ”という言葉に押されると、分かった。行こう、と答えていた。

 そんな約束を交わしたところで、あまり遅くなるのも良くないという配慮をして、今日はお開きにしようという話になった。

 マクドナルドをを後にして、とうに日の暮れた道を再びふたりで並んで歩く。僕は初めて車道側を歩こうと試みたが……不自然になってはいなかっただろうか?

 十分ほどで香川駅に辿り着くと、先にホームに来た上り電車に夢咲が乗り込み、今日はここでお別れとなった。

 彼女とは数時間前まで、ただのクラスメイトであり、僕からしたら高嶺の花子さんだった。

 それが今では別れるのが名残惜しいと思ってしまう存在に変わっている。それは僕だけでは無いように感じるのだが……ただの自意識過剰だと、もう一人の自分がそれを否定した。

 発車メロディーが流れてドアが閉まると、小さく手を振った夢咲にこちらも同じようにして手を振り返す。

 そして彼女の口元が動いた。きっと「またあした」と言ってくれたのだろう。そう、今の僕には明日という約束がある。

 そんなやり取りを交わした後、彼女が見えなくなると急に恥ずかしさが込み上げてきた。

 僕は一体何をしているのだろう……

 半ばオートパイロット状態で、やって来た下り電車に乗り込み、気が付けば自宅まで辿り着いていた。その間、頭の中をぐるぐると掻き回していたものは、夢咲が「またあした」と言ってから優しく笑った表情と、無意識に飲んでしまったアイスティーの味だった。

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