第20話 万雷の拍手
覚悟を決めたニコラの対応はやや消極的な性質を帯びていた。ジョンの攻勢にひたすら守勢を貫き、槍を盾のように扱い剣を躱し弾き防ぐ。自ら攻撃に転じる事は一度もせず、ジョン優位の一方的な試合展開に持ち込んだ。
これには観客も初手の劣勢から優位に立て直した少年に称賛を浴びせ、ニコラには励ましの言葉を送った。そしてこの展開が数分も続くと、闘技場は完全にジョンへの声援一色となり、早く勝負を決めてしまえと客は勝手な事を言い出す。
さらに十分が過ぎた頃にはとうとう客は焦れ始め、勝ち切れないジョンにヤジを飛ばす者や、一向に攻めようとしないニコラを臆病者呼ばわりして罵倒する者まで出始める。観客席にいるセレンもニコラの窮地に拳を固く握りしめるが、隣に座っているフィーダはむしろ余裕の笑みを浮かべて試合を眺めていた。
「ちょっとぉ、なんでそんなに落ち着いてるのよ!あんたもニコラを応援しなさいよっ!!」
「落ち着けセレン。あれで良いんだ。あれはニコラがあの子供に勝つ仕込みだ」
憤る妹分を落ち着かせた。どういうことかセレンは問い詰めるが、フィーダは黙って見ていればいいとだけ言って取り合わない。ただ彼は友の戦い方に共感と納得を示し、一言だけ妹分に言い聞かせた。
「今のあいつは狩人だ。村一番の狩人の俺が言ってるんだから間違いない」
多くの観衆が飽き始め、フィーダが面白い展開になったと思い始めた頃、会場の一部の識者も同様の感想を抱き始める。
ボルド帝国の最高権力者、皇帝ローラン=ネル=ボルテッツは護衛兼解説役を務める側近の近衛騎士団長フランシス=メレスに試合展開の説明を求めた。
「あのニコラという青年は何を考えている?本当にリ、いやジョンに手も足も出ないのか?」
皇帝ローランは暗に没収試合にしても良いのか意見を求めていた。試合の進行は全て審判に任せているが、時には行き過ぎた反則行為や無気力な試合だと判断すれば皇帝の権限において判定勝ちを宣言する事も出来る。自らが戦う事の無い皇帝でも観客よりは武に通ずるが、より専門家に意見を求めるのは当然である。
「あれはリシ、いえジョン少年の性格を熟知して機を窺っているのですよ。あの少年は我慢とか忍耐というのが著しく欠けておりますので、いずれ観客のように焦れて決定的な隙を見せるのを待っているのでしょう」
まるでジョンと長年交流のあるような、彼の人間性を熟知したフランシスの言葉に皇帝は納得した。ニコラは決して無気力になったのではなく、確かな戦術を以って勝ちを目指しているのが分かり興味を抱く。だが、それで本当にあの天賦の才を持つ少年に勝てるのかは疑わしかった。
「しかしこうもよく攻撃を凌げるものだ。あれの速さはよく知っているが、受け損なう事は無いのだろうか」
「無いとは言い切れませんが、これだけの時間一向に集中力が切れないとなると凌ぎ切る可能性も充分にありますね。彼はただ力があるだけの怪物ではないという事でしょう。技量はまだ未熟ですが基本は修めていますので、今後も鍛え続ければ十年後には無敵の英雄になる戦士です」
自分が知る限り騎士団長がこれほどの評価を下した事は無い。仮にこの試合で負けた所でこのまま放って置くのはいかにも惜しい。皇帝ローランは勝敗に関係なくニコラを騎士に取り立てようと既に予定を組んでいた。
そしてフランシスもまた彼を騎士として自分の手元に置いて鍛えてみたいと思っていた。素材は極上、頭の切れも良し。技量はまだまだだが、あれは単純に鍛錬を始めた歳が遅かっただけだろう。我流ではなく妙な癖も着いていない、それだけなら今から仕込んでも遅くは無い。何よりフランシスが一番評価していたのは精神である。周りに流されずひたすらに勝利を求めても、決して卑怯な真似や行き過ぎた行為を取らない。あれだけの身体能力があれば取れる手段は多いが、そうなると相手は無事では済まないだろう。下手をすれば死ぬ事だってある。過去の試合でも審判が止めるのを聞かず、行き過ぎた攻撃によって相手を死に至らしめた事も何度かある。それを意図的に避けての戦いだと気付いていた。
力に頼って生きる成り上がり者は往々にして無頼や粗雑になりやすく、ニコラのように自ら制約を課してでも困難な勝利を求める人間は大変に貴重である。ああいう者が一人いると集団の規律は一層強固になると経験的に知っていたフランシスは、是非ともニコラを騎士団に入れたかった。例えそれがすぐに叶わなくとも、個人的な弟子として鍛え上げてから数年後に正式に推薦しても良いと思うぐらいには彼を高く買っていた。
一方、当事者達はと言えば、どうにもちぐはぐな様子である。普通から考えれば常に攻め続けていれば精神的余裕を持ち、劣勢に立たされている者ほど状況を打開しようと焦りを持つが、この戦いにおいては常識が見事に反転していた。
もう十分以上攻め続けているジョンは顔には出さなかったが非常に不機嫌だった。最初の戦いを見て、ようやく自分に並び立つ相手が見つかったと喜び、彼と戦える機会に心を躍らせた。その勘に間違いは無く、初撃をあっさり防いだ実力に、ようやく気の済むまで全力で戦えると歓喜が沸き上がった矢先、彼はずっと守勢に回ってこちらの攻撃を凌いでいる。それ自体は珍しい事ではない。過去にも訓練でこちらの体力切れを狙ってひたすら持久戦に持ち込もうとした輩は何人も居るが、結局は数分持たずに自分の勝ちになった。今回もそうなるかと一瞬落胆もしたが、五分も続くと今までとは異なる手ごたえを感じて喜びが増した。
しかし十分もすればいい加減飽きてくる。折角見に来てくれたお客だってうんざりした気持ちでこちらを罵っている。それが聞こえてくるたびにイライラが溜まっていく。ニコラだってその声が聞こえているはずなのに、まったく気にせず同じ事を繰り返して、時折薄く笑っている。まるで僕の心を見透かして、我儘な子供をあやす様に遊びに付き合っているような、上から見下すような振る舞いをしていた。それが腹立たしくて仕方が無い。何とかその余裕を剥ぎ取ってぎゃふんと言わせたいが、そろそろこちらも体力が切れそうになり息が上がりそうだった。
顔に出なくてもジョンがストレスを溜めている事をニコラは正確に把握していた。戦いに限った話ではないが、人間は自分の思い通りに物事が進まないと強いストレスを感じる生き物だ。
そうした経験は学生時代のバスケットの試合でも度々あった。時には意図的に相手のペースを乱して試合展開を優位に進めるようなクレバーな作戦も珍しくない。おまけに今は観客達もしびれを切らしてヤジを遠慮なく飛ばしている。余程メンタルが強くなければ悪影響を受ける事必至である。さらに相手は成熟した精神を持つどころかまだまだ子供で我慢の出来ない気性である。その為に時々わざと作り笑いを見せつけて彼を煽りもしたのだ。平気なわけがない。
仕込みは重畳、そろそろ動いても良い頃合いと判断したニコラは軽くだが息を切らしたような仕草をする。さらに攻撃を受け損なって、顔に軽く木剣が掠ってしまい、慌てて後退する。
それを好機と見た少年は後退する時間を与えぬよう間髪置かずに追撃する。常人には絶対に反応出来ない天稟の反応速度を以って渾身の力で地面を蹴り、最速の突きを心臓めがけて繰り出した。それがただの誘いだと気付かずに。
迫り来る剣先を両の眼で捉えても焦りは無い。全て予定通り、わざと見せた隙に少年は乗ってくれた。後は仕上げをするだけだ。どれだけ常識外の反応速度を持っていようが、この世の人間である以上限界はあるし物理法則を無視もしない。こちらを逃がさぬよう放った渾身の突きは確かに驚異的な速度だが、どこに狙いをつけているのか知っていれば対応も容易く、向こうは簡単には体勢を変えられない。
後退するように見せかけてその実、ニコラはその場で仰け反り倒れ込んで心臓への一撃を躱す。そのまま勢い余って身体の真上に来たジョンと目が合い、彼の呆けた顔に思わず口がにやけた。そして両手でジョンの小さな体を天空高く突き上げた。
「ちょっ!!うわー!!」
掌打のような打撃ではなく、どちらかといえばチアリーディングのように手を当てて押し上げるような軽さだが、タクティカルアーマーのアシストによって引き上げられた筋力を使えば、軽量の少年ぐらいなら楽に数十メートルは飛ばせる。勿論飛ばされた本人はなすすべもなく落下するしかない。
闘技場の最上席まで放り投げられるという稀有な体験をしたジョンはパニックに陥り、観客も数秒後に地面に叩き付けられる少年を想像して次々と悲鳴を上げた。
ただしそうなる事をよしとしなかったニコラは立ち上がり、彼を受け止める体勢に入る。
数秒後、寸分違わず落ちて来たジョンを落下の衝撃を殺しながら両手でしっかりと受け止めた。
「大丈夫か、身体は痛くないか?」
まだ混乱が抜けていないのか、口が動かせずただ頷く。ゆっくりとジョンを地面に降ろすが、足に力が入らないのか立ち上がれない。仕方が無いのでそのまま抱えたままでいる。
「審判、腰が抜けて立てないみたいだから俺の勝ちで良いか?」
「――――そのようだな。ジョンの戦意喪失と見なし、勝者ニコラ=コガ!!」
予想外の結末であったが、間違っても退屈な結末ではなかった観客は万雷の拍手を以って勝者に、そして健闘した少年にも惜しみない拍手を送った。
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