第21話 勝利者の特権
担架に乗せられたジョンが退場するまで群衆は拍手を止めない。それが負けはしたが驚くべき試合を見せてくれた少年へのせめてもの手向けだった。ニコラも同様に姿が見えなくなるまで最後まで彼を見送った。
拍手が鳴り止むと、いよいよ皇帝ローランから優勝者に栄誉が与えられる。先に美しい女性から勝利者への栄冠が頭へと被せられた。それと祝福のキスが頬にされたが、それを見たセレンが歯を軋ませた。
「優勝者、ニコラ=コガ。お前の奮闘はこの私と今この場に要る三万の観衆がしかと見届けた。さらに幼い少年を無用に傷付けず、救う高潔な精神を私は讃えよう」
皇帝自らの拍手は観衆へと伝播し、再び会場はニコラへの拍手で包まれる。ひとしきりそれが収まると、皇帝は演説を続ける。
「では慣例に従い、優勝者の望みを叶えるとしよう。ニコラよ、皇帝である私に叶えられる望みならどのような事でも構わない。遠慮なく申してみよ」
全ての観客達の視線がニコラへと突き刺さる。観客達は勿論試合と優勝者を見に来たのだが、もう一つの楽しみがある。優勝者の望みを知るためだった。過去の優勝者の多くは立身出世を望み騎士となった。他には身内が重い病を患い、その病を治すための名医を求めた事例もある。また、栄誉も財も求めずただ勝利だけを求めた変わり者には、皇帝から武器が送られたそうだ。
そして今年の勝利者はどこの出身かも分からない旅人。一体何を欲するのか観衆は興味津々だった。
「皇帝陛下、俺の望みは酷く叶え辛い望みだが、叶えてくれると今この場で約束してくれるか?」
「勿論だ。流石に不老不死にしろ、あるいはこの帝国を丸ごと寄越せなどと言わない限りは可能な限り叶える努力をすると今この場で保証しよう」
「その言葉確かに覚えたぞ。ならば言わせてもらう。実を言えば俺は叶えてもらいたい願いなどさして無いが、俺の友とその身内が危機に瀕している。その友の願いを聞き届けてほしい」
この言葉には観客達も驚きをもって応えた。自分の欲の為ではなく、他者の為に身体を張って戦ったとは。過去にそういった事例があるのは確かだが、いざそのような高潔で友情に篤い人物を目にすると心が高揚する。
皇帝ローランも個人的にこのような清廉な人物の願いは可能ならば叶えてやりたいと考えているが、当人が自分から難しいと話すのだから相応に厄介事だろうと想像がつく。しかし民衆の視線もあり、断ると面子を損なうので取り扱いには注意しつつ受けるつもりだ。
「よかろう。その友が今ここにいるなら名乗り出るがいい。皇帝は救いを求める者の手を決して跳ね除けたりはしない」
「聞いての通りだ。セレン、フィーダこっちに来て気兼ねなく頼めばいいぞ」
ニコラの言葉に二人は頷き、席を立って闘技場へと降り立つ。中心部までやって来ると、先にニコラへ感謝を述べた。セレンはさらに自分もだと言って頬に祝福のキスをした。それには少し驚いたが、別にキスそのものは初めてでも無かったので落ち着いている。
ここで初めて二名はフード付きの外套を外して、その精巧な人形めいた容姿と特徴的な耳を衆人へと晒した。
会場にどよめきが起こる。亜人の権利を一定保証する他種族国家のボルドでもエルフは滅多に見る事の無い種族。それも褐色肌のは誰も見た事が無かった。それが二名も現れ、明確に危機を訴えるとはいよいよもって相当な厄介事だと確信した皇帝は安請け合いが高くついたと感じた。
「皇帝よ、わが友の計らいにより頼みを聞いてくれる事を感謝する。俺は森の民フィーダ、長に代わって村の危機を伝えに来た。我々は十日前、ギルス共和国の兵士達に村を襲われた。多くの同朋、幼い子らが傷付いた。それを我が友ニコラが救ってくれたが、いずれ近いうちに同じ事が繰り返されるだろう。故に俺はこの国に助力を願い出る。どうか人よ、我々の頼みを聞いてくれ」
悲壮感を滲ませるフィーダの訴えに、人も亜人も分け隔てなく観客達は心動かされる。元よりボルドは亜人の多く居る国家だ。エルフだからと言って差別感情は殆ど無い。それにギルス共和国は非常に仲の悪い準敵国と言って良い間柄だ。そのような国から非道な扱いを受けたとなれば義憤が沸き上がるのは分からない話ではない。
なぜエルフが、と誰も疑問を持たないのは彼等の重要性は民衆も皇帝も分け隔てなく知っていた。そのエルフをむざむざと敵国に渡してはならないという打算もそれなりに含まれているため、観客の中にはいち早く助けを出すべきだと声が上がり、それは次第に大きく、数もどんどん増えていった。
皇帝も助けを求めたエルフをどう扱うか瞬時に考えた。放置するのはギルスの利になるので論外。助けるにしても詳細が分からないので、どのような助力かは保留。しかしここで断るのは民衆の反応を見れば無理、逆に即答すれば自分や皇室への支持はかなり高まる。下手に事を荒立てるとギルスとの関係がさらに悪化して戦端を開きかねないが、元より最悪の一歩手前の悪感情が渦巻いているので大した問題ではない。
結論、彼等の頼みを快く聞き届けた方が利になる。
「よかろう。私もギルス共和国の悪逆非道ぶりにはほとほと怒りしか感じない。皇帝である私が責任をもってお前達の村の民を救う事を今この場で誓う。証人はここにいる観客の諸君全てだ」
この瞬間、闘技場の歓喜は最高潮に達した。民衆は皇帝の良識ある英断を支持し、全ての観客は立ち上がって自らの主人を褒め称えた。
セレンもフィーダも自分達が発端となった事にも拘わらず、眼前に広がる救援を望む民衆の熱量に困惑を隠せない。彼等の狂気と呼ぶに相応しい強烈な感情の塊を見て脅えすら抱いてしまう。さらにこのような民衆の狂気を飼い慣らして、良い様に操ってしまう皇帝という存在を恐れた。
そしてニコラも皇帝をそれなりに出来の良い人物だと考えていた。そして同時にこれから彼や、その側近との値段交渉が待っている事に陰鬱とした気持ちになる。これだけ派手に保証してくれたので後から不履行にする事はあるまい。最低限保証は勝ち取れたのは僥倖だが、それ以上の扱いを求めようと思うと、厳しい交渉になるのは目に見えている。とは言え一応帝国の最高権力者と繋がりを持てた事はプラスには違いない。自分の仕事が無駄にならなかったのは誇っていい。
武術大会は終わったものの、未だ興奮冷めやらぬ民衆はそのまま街の酒場へとなだれ込み、宴会と洒落込む者が大多数だった。しかし、当事者であったニコラは現在セレンとフィーダと共に、皇帝の用意した馬車に揺られて城へと連れて行かれる真っ最中である。
一応の待遇は客人となっているので粗雑な扱いを受ける事は無いだろうが、いざ闘技場の熱気から醒めて現状を振り返ると、セレンもフィーダもどこか不安に感じる部分があるのだろう。ニコラはさして不安ではないが、農家出身の元一兵卒が行政府に招かれる分不相応な待遇に据わりが悪そうだった。
馬車の外から段々と近づく居城を見ていたセレンは外観の威圧感に圧倒された。大きさそのものは闘技場と大して変わらないが、最初から円形に作られたのと違い、増改築を繰り返して肥大化した統一感の失われた異様な姿に、何か言いようのない恐怖を感じたらしい。それにフィーダもエルフの森や今までの木造の宿と違って、石材や煉瓦で造られた建物で過ごす事への違和感を訴えた。そこは異なる文明圏のニコラも似たようなものだが、過去にあった建物だと思えば違和感などさほど無く順応している。
城へと入り客間へと通される。与えられた客室は個室だが、一応向こうも配慮してくれたのか、三名とも続きの部屋で個人の行き来自体容易なのは助かった。
しかしそこで休めたわけでは無く、全員そのまま使用人に呼ばれて一つの部屋へと通された。部屋は数多くの調度品に溢れた応接室のように思えた。そこには黒髪黒瞳の中年男性が既に席を温めていた。
「三名とも急に呼び立てて済まない。私は皇帝陛下の秘書をしているランス=ダリアスというしがない中年だ。これから長い付き合いになるかもしれないのでよろしく頼む」
腰が低そうに見えるが、纏う威厳は闘技場で見た皇帝と遜色無い。ニコラは自分とは明らかに生まれも育ちも違う人種だと本能的に悟った。ほぼ間違いなく彼は貴族、それもかなり高位の家柄なのだろう。皇帝からこちらへの誠意のつもりなのかもしれないが、少々萎縮する人選にも思えた。
着席した三名はそのまま自己紹介をする。ランスはエルフの二名には大きな関心を示さず、主に視線の先をニコラに据えていた。
「疲れているのは重々承知しているが、何分時間というものは時として宝石や黄金より貴重なものだ。出来る限り早く君達の身内の窮地を救うための手立てを整えるためにも協力してもらえるね?」
物腰は柔らかくとも有無を言わさぬ口調に既にセレンもフィーダも呑まれかかっていた。それをニコラは感じ取り、二枚も三枚も上手の人間を交渉に寄越した皇帝の差配に頼もしさを覚えると同時に、自分達には荷が重いと感じていた。
それからニコラは村の襲撃から現在に至るまでをかいつまんで説明した。森の場所、襲撃した兵士の数、どれだけの食糧を用意して行軍していたか、装備と襲撃の方法、そこからどれだけの期間で今に至るのか。共和国がデウスマキナを使ったのと、クラウディウス家の二人がまだ生きているのは交渉の為にまだ伏せておいた。
「――――で、我々帝国はどこまで助ければいいのかね?」
全てを聞き終えた後のランスの第一声に、セレンとフィーダの顔には疑問符が付いていた。
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