第19話 ケダモノ同士の死闘
本戦二回戦および準決勝に特筆すべき事柄は何も無い。二回戦第一試合、ニコラは双剣の兎人を開始直後に殴り倒し、観客達を呆けさせた。道具に頼る事への些細な躊躇いを完全に放り投げて、一切の加減を捨てた以上は勝つべくして勝つ。ただそれだけの事でしかない。
そして第四試合、今大会で最も才能あふれる少年ジョンの戦いは常に観客の目を考慮して、徹頭徹尾魅せる試合を演出した後、相手を圧倒する。同じ蹂躙劇でも結果しか求めないニコラとは正反対にパフォーマンスに彩られていた。
こうなっては続く準決勝は消化試合でしかなく、観衆の関心は既に決勝でぶつかるであろうニコラとジョンの戦いに映っていた。
決勝戦の前のひととき。観客席の最善列に座る一組の男女は最後の試合を前に落ち着きを保てなかった。少女は内股をモジモジさせて立ち上がる。
「おいセレン、またか?これで五回目だぞ」
「だってオシッコしたくなるんだもん」
「さっき出ないって言ったばかりだろうが。もう少し気分を落ち着けろ」
「そういうフィーダだって足揺すりが強くなってるじゃない。あたしに言う前に落ち着いたら?」
お互いに落ち着けと言い合うと、少し気分が落ち着いた。人間に限った事ではないが、自分より余裕の無い者を見ると、却って落ち着くものである。セレンはトイレに行くのを一旦止めて、フィーダも貧乏ゆすりをしなくなったが、どうしても緊張は解けなかった。
どうにか緊張をほぐすため、黙っているよりは気が紛れるので二名は、これからの試合について自分なりに話す事にした。
「―――ニコラは勝って優勝するよね?」
「それは俺も疑っていない。相手の子供も信じられないほど強いが、それでもニコラに比べれば大した事は無い。実際に戦った俺が言うんだから間違いないぞ」
フィーダの言葉に嘘も誇張も無い。自分をあっさり負かしたジョンは恐ろしく強いが、友のニコラはそれ以上に強い。それは誰よりも知っている。故にセレンもフィーダも戦いそのものには不安は無かった。不安に感じるのはもっと後の事だ。
「ニコラはさ、この大会に優勝して皇帝とかいう人にあたし達を助けてもらえるように頼んだら、どうするんだろうね?」
「さあな。最初の目的の帰る手段を見つけるために旅をするのか、この国で騎士とやらになるのか。どちらにせよあいつは人間だからな。俺達とはいつまでも一緒には居られまい」
「――――せっかく友達になれたのに離れ離れになるのってすっごく寂しい。もうちょっとさ、一緒に居たいって言ったらニコラは聞いてくれるかな?」
「あいつなら笑って聞いてくれるだろうが、あまり我儘言って困らせるのも良くないぞ。それにこれから一生会えないわけじゃないだろうから、たまには顔を見せに森に来るさ」
ニコラと離れるのを嫌がるセレンを宥めるが、フィーダとて終生の友人と見なした相手との別離は格別の喪失感を抱いてしまう。だが、ニコラにはニコラの都合と目的がある以上、無理を言って引き留めるのは気が引ける。その葛藤がある意味では自分達の未来よりも気になって仕方が無い。
それに、とフィーダは妹分を注意深く観察する。彼女は膝を抱えて気落ちし、耳も完全に萎れて起き上がる様子すらない。生まれから五十年毎日顔を突き合わせているが、これほど気落ちした妹分を見たのは生まれて初めてである。余程ニコラの事が気に入っているのだろう。もしかしたら、この娘にとって初恋の相手なのかもしれない。なら兄貴分の自分が骨を折ってやるのは吝かではない。
「どうしてもニコラと居たいのなら、そのままお前だけでもあいつに付いて行けばいい」
「で、でも村のみんなにはどう言えばいいのよ。それに森から出ちゃいけないって掟はどうするのさ?」
「今更森を出た俺達にそんな掟が通じるものか。我々の為に働いてくれたせめてもの恩返しとして、お前が彼を助けるために傍にいると言えば長もお前の家族も納得するさ。もししない奴が居たら俺が説得する」
兄貴分の言葉にセレンは心を動かされる。フィーダの言う通り、ここまで力を貸してくれたニコラに自分達が何も恩を返せないのは心苦しい。せめて自分だけでも手助けできるのなら助けるべきである。それに彼はまだ言葉が不自由である。そんな彼に精霊を介して言葉を伝えられる自分が傍に居続けるのは何もおかしな所は無い。これは純粋な恩返しだ。個人的な都合が入り込む余地は無い。
大義名分を得たセレンは一気に機嫌が良くなり、早く試合が始まらないかウキウキしていた。妹分の変わり身の早さに少々呆れつつも、その自由な心には羨ましさを覚える。自分は村の若い奴等を率いて行くので軽々しく動くのはこれっきりだろうが、お前ぐらいなら森を出て人の世界で生きるのもいい。人とエルフとの間に子が生まれるかは分からないが、それを含めても決して我が生涯の友は妹分を不幸にする事だけは無いとフィーダは断言出来た。
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ボルド帝国皇帝主催の大武術大会もいよいよ佳境を迎える。他種族国家であるボルドでは出場者も人間とは限らず、人間対亜人や亜人同士の決勝もさして珍しい対戦カードではない。今年はたまたま人間同士の対決となったが、例年とはかなり様相の異なる二人が決勝まで上がって来たために、観衆も賭け屋も一際盛り上がっていた。
そしていよいよ決勝戦を知らせる十のラッパが高らかに鳴り響く。司会の太った中年男が仰々しい挨拶と共に皇帝と帝国を讃え、満を持して開け放たれた扉より、二人の男が姿を見せると、観衆の熱狂は最高潮へと押し上げられた。
「東より現れたるは流浪の異邦人。圧倒的な強さをもって観る者全てに戦慄を与え、忘れ得ぬ衝撃と記憶を焼き付けた。まるでその戦う様は古より蘇りし大英雄、神話の再来ニコラ=コガ!!」
黒髪青眼の偉丈夫の登場に観客達は大音量の声援を送るが、当人は見向きもせず淡々と闘技場中央へと歩いていく。しかしそのストイックさが却って彼の魅力だと観客の中の女性陣は黄色い声援を送る。それを聞いたセレンの機嫌が急降下するのだが、今は大して関係なかった。
「西より現れしは弱冠14歳、最年少の新星。死闘を遊戯と捉える不条理の化身、奇跡の体現者。古き条理に囚われない最も新しき神話を紡ぐ時代の寵児、黄金の若き獅子ジョン!!」
金髪碧眼の少年の登場に観客達はニコラに負けない大音量の声援を送る。こちらは対戦相手と違い、歩きながら手を振り返して客に愛想を振りまいていた。そのパフォーマンスに老若男女はさらなる声援を以って応え、ファンの数はジョンの優勢に傾いた。
両者は闘技場の中央へと立つ。互いの目を見据え、どちらも笑みを見せた。傍から見れば戦う雰囲気とは思えない和やかな仕草だが、当人達からすればそれは獰猛な猛獣が牙を剥く行為に見えた事だろう。この期に及んで言葉は不要。互いに死線と握手だけを交わし、数歩下がった。
審判は自分が戦うわけでもないのに喉の渇きを意識した。まるで二頭の怪物の入った檻に押し込められたような緊張が肌を突き刺し、鳥肌が立つ。長年大会の審判を務めているが、ここ十年感じた事の無い重圧に冷汗が止まらない。だが始まりの宣言、そして終わりの宣言を告げるまでは責務を放棄しない。それが皇帝より与えられた責務であり矜持であった。
「――――決勝戦、はじめぇーー!!」
審判の合図とともに観衆は固唾を飲んで両者を見守る。しかし多くの者の予想を裏切り、二人は一向にその場から動く事は無かった。最後の試合は停滞から始まった。
微動だにしない二人だが、開始の宣言が聞こえていないわけではない。むしろ彼等は闘技場へ入る以前、控室で語り合う時から戦いを始めていた。
三流の戦士は鞘から抜いた瞬間より戦いは始まると考える。二流の戦士は殺気を感じ取る所から戦いは始まると言う。では一流の戦士はどうであろうか――――互いを認識した瞬間から戦いは始まり、その境地に達する者が真の意味で一流を名乗れる。ニコラもジョンも、互いの力量を知った時より、今この瞬間に剣を交える未来を想定していた。どちらも鍛錬の積み重ねは不足しているが、心構えだけは一流と言って良かった。
彼等は己の精神の中においては既に十を数える斬り合いを済ませている。剣と槍の違いはあれど互いに勝ち筋を模索していた。
三十秒間ひたすら睨み合うも、先に動いたのはジョンだった。きっかけは観客のヤジ。いつまでもお見合いなどするなという罵倒に呼応するかのように間合いを詰める。
弾丸のような速さで直進するジョンに対し、ニコラは弾丸を薙ぎ払うかのように右手の槍でジョンを払い除ける。だが彼は速さを殺す事無く態勢を低くして槍を躱しながら剣を突き刺すことを選んだ。しかしそれを読んでいたニコラは一歩踏み込み腰を落とし、空いた左手に持った短剣で必殺の突きをジョンごと弾き飛ばした。
常識外の膂力によって10mは後ろに吹き飛ばされたジョン。観客は少年の負けを予感するが、反対にニコラは冷汗を流した。今の攻防はあらかじめ想定した動きだったのでどうにか対応しきったが、もし予想が外れていれば簡単に自分は負けていたと確信した。
「速い、いや疾い」
何度か少年の戦いを見ていたのである程度予測していたが、実際に相対すると恐ろしさを覚える。自身のようなタクティカルアーマーの筋力増幅による爆発的な加速力とは、まるで性質の異なる速さをジョンは持っている。あれは常軌を逸した反応速度による雷光の如き初動の速さだ。その証拠にジョンはこちらの迎撃の剣に危なげなく対応して防御しつつ、自分から後ろに飛び退いて衝撃を完全に殺し切っている。派手に吹き飛ばされたのはニコラの力もあるが、ジョンが自分で飛んだ事も合わさっての結果だ。
どれだけ肉体を鍛えようが反射神経までは鍛えようがない生まれつきの性質であり、これは筋力増幅でも強化しようがなく、仮にパワーアシストをマキシマムにしたところで相対距離の短いインファイトでは結果はさして変わるまい。例えるなら100m競争ならニコラが圧倒するが、5mのビーチフラッグでは間違いなくジョンが勝つだろう。あるいは現在、軍上層部で実戦投入が検討されているナノマシンか人体強化薬物の投与でもしていれば同等の速さを得られるかもしれないが、当然ニコラはそのような処置を受けていない。
これが実戦ならば防具を当てにして攻撃を防ぐか、腕一本犠牲にしてジョンを組み敷いてしまえばどうとでもなるが、これは試合であり致命的な傷を負ったと判断されればそれで終わりだ。
ならば長距離から一気に距離を詰めるような戦いはどうだろう。パワーアシストによって身体能力は二十倍にまで引き上げられる。音速とまではいかないが、時速500kmぐらいは余裕で出せるだろう。その常識外の走力で50mぐらいから一気に突進でもすれば、反応こそすれ回避し損なう可能性もある。否、それでは勢い余ってジョンを闘技場の壁に叩き付けて殺してしまうかもしれない。
森のエルフの為に優勝する必要があるが、それは目の前の無邪気な少年の命を奪ってまではしたくない。どうにか殺しもせず、致命的な怪我も負わせず、勝ちをもぎ取る。多分に困難を伴う勝利条件だが、易きに流れて少年を殺してしまうよりは遥かに良い。
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