第17話 形振り構わぬ勝利



 小兵が巨漢を制したドラマティックな結末の第一試合から余韻が冷めやらぬ第二試合。三万人の歓声という名のアーチを通り、ニコラとその相手となる青年が姿を現した。

 大楯と棍棒を使っていた予選とは違い、今回は木製の銃剣に似た短槍とサバイバルナイフを得物としていた。これは予選のように狭い場所なら大楯の面の圧力で相手を押し潰す事が最も適しているからであり、本戦のように闘技場全てを戦場にした場合は速さと手数を優先させるべきと判断して武器を持ち替えていた。


「それでは一回戦第二試合、ニコラ=コガとナルシス=セザールの戦いを執り行う!」


 ニコラと対峙した青年を一言で表すならば、派手か伊達男がもっとも相応しい評価となるだろう。大理石の彫像と見間違う均整の取れた優し気な風貌、緩いウェーブの掛かった金髪、革製の鎧の随所には様々な花の刺繍、腹部には馬の形に打ち出した銅板二枚を張り付けて、背部に翼を見立てた純白のマントを羽織っている。

 青年が刺突剣のレイピアを模した木剣を高く掲げると、場内からは女性たちの強烈な声援が響き渡り、反対にニコラへのブーイングは酷いものになった。


「人気者だな。今回は俺が悪役か」


「ははは、済まないね。何せボクは帝国一の人気者だ。女性達からの声援はボクにとっては当たり前の添え物さ」


 気障な台詞回しや、一々芝居がかったポーズを取るのも分かっててやってるのだろうが、中々堂に入った仕草なので嫌味が少ないのは生まれが上流階級だからだろうか。帝国を含めて姓を名乗れるのは基本的に王侯貴族か一部の騎士だけであり、異邦人のニコラは除外するとして、当然目の前のナルシスも装備を加味して貴族と見て間違いない。だからこそニコラが姓を名乗ると、観客達は勝手に貴族同士の戦いと思って予想以上に盛り上がっていた。

 女性達からの罵声の中、ほぼ唯一と言っていいニコラへの女性の声援が耳に入り、視線だけで追うと案の定声の主はセレンだった。万を超える罵声に負けないように懸命に声を張り上げる姿に嬉しさが込み上げると同時に、ナルシスを倒してしまった場合に会場で暴動が起きないか不安になりつつ、審判の開始の合図を待った。


「はじめぇ!!」


 審判の声とともにナルシスは一足飛びで間合いを詰め、剣の切っ先をニコラの心臓目がけて突き入れる。だが、初手を予想していたニコラが軽く短槍の穂先で払い、そのまま遠心力の乗った石突をぶつけるが、ナルシスは咄嗟に仰け反り、バック転しながら間合いを離した。それを追い足で追撃して片手突きを繰り出すものの、ナルシスはお返しとばかりに今度は膝が付くほどに態勢を低くしながら脚部への刺突を繰り出す。それを余裕をもって回避する為にニコラは仕切り直しを兼ねて大幅に飛び退く。

 開始直後の僅か数秒間で目まぐるしく交代する攻防に観客達は一層の絶叫を以って応えた。その中にはニコラの友人であるセレンとフィーダの姿もある。


「うわっ!ニコラもすごいけど、あっちの派手な方もすごいよ!フィーダ、ニコラは大丈夫だよね!?勝つよね!」


「当然だ、あいつが簡単に負けるか」


 今も一進一退の攻防を続ける両者を息が詰まるような思いで見続ける妹分をフィーダは落ち着かせようと、冷静な口調で押しとどめるが、弓は達人の域に達するフィーダでも白兵戦はズブの素人でしかなく、どちらが優勢なのか計りかねていた。

 ここからさらに五分間、互角の攻防が続き、その間両者が交わした剣先は実に百に届くかという数を積み上げた。大半が素人を占める観客達は互角の戦いに気炎を上げるが、ごくごく少数の見識のある者達は戦いの行く末をおおよそ察していた。

 剣がニコラの左肩を僅かに掠め、槍がナルシスのわき腹の数cm横の何もない空間を抉る。この光景が戦いが始まってから何度も起きている。それが何を意味するのかを誰よりも当人達が知っていた。

 何度目かの後退により仕切り直すと、ニコラは一度大きく深呼吸をする。長時間の緊張が体力を削り、集中力が切れかかっていた。そして、自分が相手に届かない事を自覚せざるを得ない。


「―――強いな」


「ふふ、勿論だよ。強さもボクの美しさの一つだからね。君も中々強いけど修練が足りないよ。恵まれた体躯があっても数年程度の鍛錬じゃ、とてもじゃないけどボクには届かない」


 反論は無い。彼の言う通りニコラが戦闘訓練を受けたのは軍の訓練所からであり、三年程度の積み重ねしかない。対してナルシスはもしかすれば二十年の積み上げがある。幾ら身体能力が優れていた所で、技量は遥かにナルシスの方が上をゆく。気障な仕草とは裏腹にどこまでも強さに真摯であり努力家である事を戦いを通じてニコラは理解した。事実、相手に触れた切っ先はナルシスの方が三倍多い。そのどれもが急所から外れているため、未だ審判は試合を止めていないが、いずれはナルシスが勝利者として宣言されるのは時間の問題と言えた。

 それは実際に戦ったニコラ自身が認めている事なので悔しいとは思わないが、それでは困るのだ。相手のように名声などどうでもいい、多くの出場者が望むような立身出世もどうでもいい、ただ友人やその家族の未来が閉ざされるのは我慢ならない。


「あんたと戦えて良かったよ。おかげで俺は出し惜しみも様子見も要らない。形振り構わず勝利をもぎ取るのに躊躇いが無くなった」


「ははは、負け惜しみはやめたまえ。今まで手加減して戦っていたとでもいうのかい?」


 自身の勝ちは揺るがないと確信するナルシスは、その言葉を単なる強がり、あるいは自分自身を鼓舞する自己暗示の類だと判断した。そして間違ってもニコラが勝つ為に反則行為に頼るとも思っていない。それは百の剣戟を交わした戦士同士の共感が裏打ちしている。相手は決して卑劣漢でもなけば底の浅い男ではない。ならば、あるとすれば相討ち狙いの一撃に賭けて、勝利をもぎ取る。それぐらいだ。

 だが、違うのだ。ニコラの―――いや、地球人類が持つ、この世界ではあるはずのない力こそがナルシスを完膚なきまでに打ちのめす。それこそが形振り構わぬ勝利に他ならない。


「パワーアシスト・クォータードライブ」


 ただ一言呟くと、元から筋肉質だった身体が幾分膨れ上がったのはナルシスや審判の目の錯覚ではない。背中に冷汗が垂れ、肌の粟立ちをナルシスは自覚する。幼少期に自身の倍の体格はある猛犬を目にした時の記憶が蘇った。瞬間、目の前の相手の身体がぶれる。考え事をして一瞬遅れ、横からの強烈な一撃を剣で受け止めるのが精いっぱいだったが、それでも勢いを殺せず10m近く弾き飛ばされた。

 そして伏せた状態から土煙を上げて矢の如き速度で迫るニコラを視認した。どうにか起き上がろうとしたが、立ち上がる時間をニコラが与えてくれるはずもなく、苦し紛れに剣を振るうも力も速さも無い剣など簡単に銃剣で払われ、下段蹴りが無防備となった右肩へまともに当たる。骨を粉砕される激痛に声も出ない。

 観客席からは女性達の悲鳴と男衆の歓喜の声が入り混じる。先程までは傍目から見て互角の展開だったのが、いつの間にか完全に形勢はニコラへ傾いた。それも圧倒的な強さなどと生易しい表現では到底足りない、単なる蹂躙劇となった試合展開に、多くの観客は理解が追い付かない。


「あれってあの時のニコラだよね?」


「そうだな、村で巨人――デウスマキナを倒した時の強さだ。しかしなぜ初めからあの強さを出さなかったんだろうな?」


 唯一この蹂躙劇を冷静に受け止められた友人達は、却って今頃になって本気になったのを訝しんだ。だがこれでニコラの勝ちは揺るがない。歯を食いしばって震えながら立ち上がろうとするナルシスを見たセレンは安堵した。


 ――――傍で戦いを続けるか止めるか問う審判の声が煩わしい。激痛に苛まれ、だらりと下がる右肩を忌々しく感じながら剣を探す。近くには落ちていない、利き腕も使い物にならない、戦況は圧倒的に不利、いや絶望的な状況に追い込まれている。だがナルシスの闘志は萎えていなかった。そして対戦相手であるニコラも未だ楽観などせずこちらへの警戒を解いていない。戦いはまだ続いている。ならばどうするかなど決まっていた。


「ボクはまだやれるっ!剣が無い?腕が折れた?それがどうしたッ!まだ両の足と左腕が残っている!!」


 うるさい審判を押しのけたナルシスは素手で猛然とニコラへと立ち向かう。自滅必至の特攻に観衆は戦いの終わりを感じた。

 『何かある』とニコラは警戒を解かない。美丈夫は容姿と違い美しく負けるより泥臭くとも勝ちを求める気質を露わにする。何か一発逆転を狙う策があると思った方がいい。タクティカルアーマーの恩恵によって通常の五倍近い身体能力を得たが、それでも相手を決して侮らず舐めた戦いはしない。

 これみよがしに左拳を振りかぶろうとするナルシスの目を食い入るように見つめ狙いを探る。あれは誘いだ。破れかぶれを演出してこちらの気を逸らすのが目的。

 ――――――そして放たれる純白の壁。

 壁はナルシスの身に着けていたマントだ。それを目くらまし、あるいは拘束具として扱い隙を作る。最後の賭けだ。

 だが、警戒を解かないニコラには奇襲の威力は半減する。何かあると備えていれば付け焼き刃の策など怖くなかった。冷静にマントを避け、圧倒的速さを以ってナルシスの後ろへと回り込み、槍を手放し抱き着いて首を絞めた。これ以上相手を痛めつけないよう、せめてものニコラの気遣いだ。

 頸動脈を圧迫されたナルシスはもがき苦しみ抵抗するが、どれだけ戦意があろうとも脳へと血が巡らなければ十秒で意識は堕ちる。

 力なく横たわるナルシスを敗者と断じた審判は勝者であるニコラの手を取り、高らかに勝利を宣言した。万雷の拍手と大いなる悲嘆。観衆から勝者への贈り物は対照的だったが、結果に異議を唱える者は一人も居なかった。


 一回戦第二試合――――勝者、ニコラ=古河。それだけが覆しようのない事実である。


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