第16話 本戦開幕



 ボルド帝国首都ブルーヌは夜明け前より慌ただしい。今日は年に一度、待ちに待った帝国主催の武術大会本戦が開かれる日だった。大会開催に伴い、同時に様々な催しも並行して開かれ、本戦の前後三日は街全体がお祭り一色。周辺の農村を含めれば五十万人都市であるブルーヌの祭典となれば、その規模は凄まじい物があり、帝国中から見物や祭りを楽しもうと客が押し掛けた。そして商人たちもまた、この期を逃さず一儲けしようと、商人達はこぞって商売に力を入れていた。

 武術大会会場の円形闘技場には既に今日の闘いを良い席で見ようと見物客が長蛇の列を作っており、商人達も出店を開くなり彼等に直接焼きたてのパンや飲み物を高値で売りさばいていた。実に商魂たくましい。

 そんな利に敏い商人の一人が闘技場へと歩いて来る外套を羽織った長身黒髪の青年に目を付け、焼きたてのパンを見せるが青年はもう食べたと言って取り合わなかった。


「しかしこんな夜明けから長蛇の列か。みんな余程楽しみにしていたんだろうな」


「そうりゃそうさ、何と言っても一年に一度のお祭りだ。それにこの大会からデウスマキナを駆る未来の騎士が生まれるとなったら、誰だって一目見たいと思うぜ。俺達みたいなパン屋だって稼ぎ時だからな」


「はは、なら精々無邪気な観客の期待に応えてやるか」


「おや、兄さんもしかして本選出場者なのか。そいつぁ頑張ってくれよ、アンタ達が大会を盛り上げてくれれば客は気前よく俺達のメシを買ってくれるからな」


 自分達の稼ぎのためとはいえ、激励を受けるのは悪い気がしなかった青年は売り子に礼を言って闘技場へと向かう。


「今日は暑くなりそうだ」


 まだ夏には遠かったが、青年――――ニコラは大会の生み出す熱狂を予感した。



 夜明けから数時間後、いよいよ武術大会の開始が目前に迫る時間となった。三万人を収容可能な直径150m高さ35mの円形闘技場も、その収容能力をほぼ限界まで使って観客を収容した為、まだ春にも拘わらず観客たちは蒸せかえるような暑さに項垂れていた。おかげで場内の売り子は引っ切り無しに呼ばれて、酒や果実が飛ぶように売れている。

 その群衆の中に風変わりな容姿の男女が最前列に座り、試合開始を今か今かと待ち続けていた。褐色肌のエルフ、フィーダとセレンである。


「おい大丈夫かセレン?待ち遠しいのは分かるが、やばいと思ったらすぐに言えよ。ちゃんと便所まで連れて行ってやるから」


「だいじょうぶだいじょうぶだから…うっぷ。うわーん、こんなに気持ち悪くなるならお酒なんて飲まなきゃよかったー」


 フィーダに背中をさすってもらい、若干気分が良くなったセレンが昨夜の酒場での飲み過ぎを心底後悔した。あの後も冷たくて飲みやすいからと言って蒸留酒を二杯三杯と調子に乗って飲み続け、朝起きた時には強烈な二日酔いでフラフラの状態だったが、兄貴分に助けてもらいながら気合でどうにか会場までやって来た。幸いこの席は出場者のニコラが大会運営から便宜を図ってもらい、一般客とは区切られた招待客として席を確保してもらったおかげで早朝から並ばず座れた。そうでなければ今頃立見席すら確保出来なかっただろう。

 阿呆な妹分の背中をさすりつつ、フィーダは周囲を見渡し、三万人もの群衆が一つの催しの為に集まり熱狂する光景に、闘いに対する飽くなき関心と狂気染みた熱意を否応なく感じ取った。人間や亜人の中にはニコラや昨夜共に杯を交わした連中のような気の良い者も数多くいる事は学んだが、同じぐらい悪意に満ちて他者を陥れ、時にはあのギルス共和国の兵士のように自分達エルフを道具として下等に扱う事もあると学んだ。どちらが人の本質なのか、それはまだフィーダには分からない。もしかしたら一生かかっても答えは見つからないのかもしれない。だが、今は一抹の希望ぐらいは夢見ても良いのではと考えるようにはなっていた。

 周囲の観客が立ち上がり、場内は絶叫に包まれる。セレンも二日酔いの苦しみなどどこかへ行ってしまったとばかりに立ち上がって懸命に手を振って、フィーダにとっての希望であり、かけがえのない友の名を必死で叫んでいた。

 観客席から見下ろせば集められた十六名の顔までくっきりと見分けがつく。三分の二は人間、残りは亜人。元来亜人は種族でマチマチだが身体能力に秀でる種族が多い。虎人や狼人は筋力の瞬発力に優れ、牛人や馬人は体力に優れる。羊人や兎人も人間に比べれば寒さや劣悪な環境にも耐え得る生命力に長けるそうだ。つまり人間は必ずしも戦いに向いた種族ではない。にも拘わらずあそこに立つ者の半数以上は人間だった。

 それに自身を負かしたあの少年の事もある。闘技場に集う選手達の中で場違いなほど小さく細身のジョンと名乗る少年は、無邪気に観客へと手を振っている。まるで祭ではしゃぎ回る子供のように、これからの戦いが楽しみで仕方がないのだろう。やはりエルフであるフィーダには人間の考えている事はよく分からなかった。


「静粛に、静粛に――――」


 観客席の一角に設けられた特設壇上に立つ、金糸や銀糸で刺繍を施した、けばけばしい派手極まりない衣装に身をやつした牛人のような人間の中年男が闘技場の隅々にまで響き渡る大音量で注意を呼びかける。数度の注意によって次第に観客の歓声は萎み、ついには三万の観客の息遣いだけが聞こえる奇妙な静寂が闘技場を覆う。


「これより皇帝陛下御自らの訓示が行われる。民衆諸君は努めて耳を傾けるように」


 男の言葉に群衆は歓声を上げたくなるのを務めて我慢し、皇室しか使用を赦されない特別な観覧席より身を乗り出した、紫の聖衣を纏う男の声に耳を傾けた。


「―――――勇猛果敢なる十六名の戦士諸君。今日この善き日、この善き場に集ってくれた事を切に感謝する。絶え間ない修練により鍛え上げられた諸君等の無二の肉体と精神を我は尊敬し称賛する。そして今日の崇高なる戦いはボルド帝国第五代皇帝ローラン=ネル=ボルテッツ自らと、この場に集まった三万を超える群衆が歴史に残る奮闘をしかと目に焼き付けよう。これより、第七十回大武術大会を開催する」


「「「オオオオオオオッ!!!」」」


「あれが人の長か。若いが村の長より何か惹き付けられる物がある」


 決して先程の太った男のような大音量ではない。しかし闘技場によく通る声は不思議と人を惹きつける魅力が宿っているように思えた。

 そして十六名は今から試合を行う二名を残し一旦引き上げた。



 一回戦第一試合は観客も選手も最初からヒートアップしていた。独立した蛇のような予測困難な動きをする双剣を操る小柄な兎人の攻撃に対し、巨漢の人間の戦士は長柄の槌を器用に振るい容易に近づかせない。

 闘技場内の控室から試合を眺めていたニコラは身体能力より技量から兎人の方がやや有利と予想した。


「あっちのでかいのも悪くないけど、兎の方が速そうだね」


 横から声をかけたのはまだ子供と言って差し支えない透き通る碧眼の13~14歳の少年だ。大会運営の小間使いではない、立派な選手の一人、大会最年少出場者の少年だった。バンダナを巻いて頭が半分隠れているが隙間から薄い色素の金髪を覗かせている。


「そうだな。兎のほうが技量も速さも上。まぐれの一発でも当たれば逆転するが、このままいけば先に疲れるのは人間の方だ。君はジョンだったか?若いが目も腕も優れているな」


「お兄さん僕の名前知ってるけど、どこかで会った?」


「昨日の予選の三回戦で肌の黒いエルフと戦っただろ?あれは俺の友人なんだよ」


 少年はああ、と思い出して頷き、戦うには場所が悪かったとフィーダを評価した。さもありなん、弓は本来遠距離から攻撃するための武器である。決して数mの近距離から用いる道具ではない。しかしそれはそれとして自分相手ではどんな距離でも勝てないと豪語した。

 これが並みの相手ならただの虚勢か蛮勇と判ずるが、ニコラは隣の少年には当てはまらないような気がした。

 試合の方はやや長引いたものの、ニコラとジョンの予想通り兎人が疲れの見えた巨漢の槌を掻い潜り、鎧で覆われていない腋へと剣を突き付けた。第一試合は双剣の兎人が勝利し、観客達は惜しみない拍手と称賛を勝利者へと送り、敗者の巨漢には博打に負けた者達から罵声が叩き付けられた。


「小兵が巨漢を打倒するのはどこの国でも盛り上がる。これは次の試合は俺が悪者だな」


「じゃあ僕がお兄さんを応援してあげようか?最後に優勝は僕が貰うけどね」


 ニカッとジョンは笑いかける。人によってはその笑みは生意気に見えるかもしれないが、不思議と少年の笑みに嫌味は含まれておらず、反対に人を和ませる愛嬌があった。天真爛漫とはこの少年の事を指すのだろう。

 職員が第二試合選手のニコラを呼びに来た。いよいよ大舞台へと上がるが、さほど緊張は無かった。三万の衆人と一国の皇帝の前で戦うというのに肝の太い事である。


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