第15話 狂乱の酒宴



「それではニコラの武術大会本戦出場のお祝いと、フィーダの敗北慰め会を始めたいと思いまーす!」


「おー!」


「おい何だその腹の立つ会の名前はっ!」


 怒るフィーダを無視してニコラとセレンは杯を打ち鳴らした。

 予選のあったその日の夕刻。一行は酒場の一角で慰め会なる宴会を開いて今日の健闘を讃えた。と言ってもフィーダだけは今日の敗北に些か心が傷付き、不貞腐れていたが。

 予選三回戦でフィーダはニコラの予測通りあっさりとジョン少年に負けた。それも開始一秒後、矢を番える事すら出来ずに圧倒的な速さで剣を喉元に突きつけられ、文字通り瞬く間に、ぐうの音も出ないほどに鮮やかに負けたのだ。今夜の酒はその鬱憤を晴らす為でもある。しかし面と向かって妹分に慰められるなど、今でも兄貴分だと思いこんでいるフィーダの矜持が疼く。


「騒ぐ理由は何でもいいじゃないか。それにセレンだってお前が負けて気落ちしているのを知ってるから気分を和らげようとしてるんだし、折角なんだから美味い料理食べて美味い酒を飲んで疲れを癒そうぜ」


 すかさずニコラがフォローに入ると、臍を曲げていたフィーダも落ち着いて酒を飲み干した後、ハムを齧って美味いと零す。


「そりゃあ嬉しい事を言ってくれるねえ。なら、どんどん美味い料理持ってくるからエルフのお客さんもどんどん食べてくれよ」


 追加の酒と料理を持ってきた兎人の店員が、自分の店の料理を褒めてくれたフィーダに酒を注ぎ足す。

 酒だけでなくテーブルには多種多様な豚肉料理が所狭しと並んでいる。塩の効いたハムとチーズの入った新鮮な野菜のサラダ以外にも、肩肉のソース煮、モモ肉と野菜炒め、ヒレ肉の唐揚げ、バラ肉の春野菜巻き、豚足煮込み、内臓の串焼きおよびスープなど、豚一頭を余す事無く料理に仕立て上げていた。

 それら、森では絶対に食べられない料理を珍しさもあってガツガツ食べるエルフ二名の姿は酒場で非常に目立つ。ニコラも体格に見合うカロリー摂取は必須なので、彼等と同等以上に食べているのだが、街ではエルフは極めて珍しいのでやはり注目を集めてしまう。

 肉だけでは舌が飽きるのでニコラは合間にチーズや豆類を食べて蒸留酒を呷る。酒は麦を蒸留して樽で熟成したウイスキーに近い酒だった。味に文句は無いが、普段の飲み方とは違うので少し物足りない。


「氷が欲しいな」


「あるよ。出そうか?」


 ぽつりと呟いた言葉にセレンが何でもないように答えた。氷室のような自然を利用した原始的な冷凍設備しか持たない文明では、王侯貴族でもなければ春過ぎに氷は手に入らないはずだが、当たり前のように有ると言い放つセレンに酒場の客や店員が注目する。


「水の精霊よ、同朋たる我が願う。尊き我が朋を涼し癒やす冷たき水の塊を与えたまえ」


 ただ一言告げるだけで、セレンの手には人の頭ほどの氷塊が生まれる。フィーダを除く酒場に居る者達全てが、その幻想的な光景に息をのむ。


「ひゃー冷たいなー。どう?これぐらいの氷で良かった?」


 氷の冷たさに耐えきれなかったセレンは空いていた皿に氷を乗せてから尊き友へと差し出した。相変わらずこのファンタジー世界の精霊は何でもありで、もはや何があってもニコラは驚かない。

 礼を言って受け取った氷を私物のサバイバルナイフを使って細かく削っていく。たっぷりと作った氷の粒を陶器の杯に溢れるぐらい落とす。ガラス製の杯でないのが不満だが、ここは貴族が出入りするような高級酒場ではないので仕方が無い。


「クラッシュアイスを使ったミストという飲み方だ。杯に霧がかかるよう見えるのがその由来。飲んでみる?」


 差し出された杯に口を付けたセレンはその冷涼さと舌を痺れさせる酒の強さとの調和を面白がり、もう一口と進んで飲む。そして結局一杯全て飲み干してしまった。

 他の客達も貴族のような贅沢な飲み方を横で見ており、生唾を飲む音に気付いたニコラは自分達の分を除いた大半の氷をおすそ分けと言って他の客全てに配り、彼等からの返礼としてテーブルに乗り切らないほどの料理のお替りを貰った。

 冷たい飲み物というものは口当たりがよく、舌も鈍化するので味の強さが抑えられる。つまりどういうことかと言えば、強い酒でも気軽に飲めてしまうわけで、普段飲み慣れていない強い蒸留酒を調子に乗ってカパカパ飲んでしまったセレンは見事な酔っ払いになってしまった。


「ぐへへへ、ニコラってよく見ると可愛い顔してるねー。肌だってスベスベだし、その青い瞳もきれー」


 なぜか人の目も気にせず抱き着いて酒臭い息を吐く、傍から見たら酔っぱらいのオッサンと化した美少女に苦慮する羽目になった。

 ニコラも男なので美少女に抱き着かれれば嬉しいが、こんなセクハラする酒臭い酔っぱらいはゴメンこうむる。幼馴染のフィーダにどうにかしてもらおうとするが、そちらは他所のテーブルのグループに交じって飲み比べに興じている。最初に矢を射掛けた排他的精神は既に彼の中には存在しないのだろう。


「もぐもぐ、ニコラってさー、故郷に居た時結婚してたの?」


 豚足を齧って酒で押し流しながら頭を胸にこすりつけて、猫のように引っ付いて来るセレンが何気なく質問する。二人は出会って十日ほど経つが、ニコラは自分の住んでいた地球についてはそれなりに話していたが、個人的な事はあまり詳しく話していなかった。特に人間関係は殆ど話した事が無かったと思い返す。


「いや、してないぞ。まだ俺22歳だから急ぐ事も無かったし」


「はえ?22!?ちょっとーフィーダ!ニコラって22歳なんだってー!あたしの半分以下だよー!どういうことよー、説明してよー!!」


 むしろセレンが自分の倍以上生きている事に驚いたが、創作物の中のエルフは大抵長寿で成長も遅いので、人間と同じ時間の尺度で考えるほうが間違いかもしれない。別の卓で人や亜人と飲んでいたフィーダが面倒くさそうに妹分の認識を訂正する。


「長から聞いた話では人や亜人は俺達エルフの三分の一ぐらいしか生きられんそうだ。だから年を取る速さは俺達の三倍だぞ。俺は75、6でお前は50ぐらいだったか?ま、50なんて人間で言ったらババアだな」


 最後の言葉は余計だった。フィーダは怒ったセレンの投げた木製皿を頭に受けてひっくり返る。それが周囲の酔っぱらい達の笑いを誘い、酒場は一層の盛り上がりを見せた。


 他の客も相応に酔いが回り、ニコラ達の卓に着いては酒を飲み交わすと、中には今日の予選を見に来ていた者もおり、明日のニコラの活躍を楽しみにしていると激励を送った。そこで一つ話題になったのは、もし貴族や軍から士官の話が来たら、それを受けるか否かだ。参加者は望みの叶う優勝を狙うのは当たり前だが、それとは別にそこそこ勝ち上がって顔と名を売って仕官の道を求める者も多い。中には後継者のいない年老いた貴族の養子になって領地を受け継いだ例もあるので、立身出世を夢見る者も珍しくなかった。きっと今日戦い、敗れた選手達の中にはそのような大志を抱いて田舎から出て来た若者も沢山いた事だろう。


「仕官するかは置いておいて、この国や外国の事ももっと知っておきたいから、勉強出来る環境が欲しい。特に数字も読めない、字も読めないのはかなり困るから、一息ついたら勉強だな」


「べんきょーね。別に字なんか読めなくたって生きていけるのに。人間って変なの」


 文字も数学も必要とせず、ずっと森で狩猟採集を営んでいたエルフ達にとってこうした感覚はよく分からないのだろう。


「なら一緒に勉強するか?別にエルフが人間の文字を学んで困る事は無いぞ」


「うーん、あたしが勉強してもなにか良い事あるのかなあ。―――――あれ?それってあたしが一緒に居ても良いって事だよね。うん、ならニコラと一緒に勉強するー」


 セレンにとって勉強はどうでもいいが、それはそれとして村の事が一息ついても、勉強を口実にニコラと一緒に居られると考えた彼女は屈託のない朗らかな笑みを見せて快諾した。

 子猫のような愛らしさを振りまくセレンをニコラは愛おしく思い抱きしめると、フィーダを始めとした酔っぱらいから、からかい交じりのヤジが飛び回った。

 昼間の戦いの疲れは吹き飛び、明日の決戦への英気も養えた。個々人の技量の差は覆しようは無いが、闘志は十二分に高まり万全の態勢を整えた事は間違いなかった。


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