第11話 初めての買い物



 表通りの群衆をかき分けるように馬車を走らせ兵士から聞いた『金の馬』という宿を探すと簡単に見つかった。

 表に居た使用人の少年に部屋の空きを確認すると、幸いまだ空いていると色好い返事がもらえたので馬車を預け、宿に入るとニスと木の匂いが鼻をくすぐる。まだ建ててから幾らも経っていないのだろう。調度品もそれなりに良い物を置いているようで、紹介してくれた兵士には感謝せねばならない。

 箒で廊下を掃いていた馬面の男がニコラ達に気付いてカウンターに立つ。馬面は比喩ではなく、本当に首から上が馬だった。亜人の中の馬人という種族なのだろう。


「いらっしゃい、三名で一泊金貨三枚だ。うちは値が張る分、部屋が綺麗で今日の夕食と明日の朝食付き、馬の世話もしっかりやるよ」


「これで良いかい?」


 ニコラがギルスから奪った金貨を男に渡すと、一瞬だけ男は顔を顰めたがすぐに笑みを作り直して了承した。亜人としてギルスの金を受け取るのに精神的な抵抗があるのかもしれないが、きっちり受け取るところを見ると、貨幣はギルス製でもボルドでも同等かそれ以上の価値を持っているのだろう。貨幣の価値にそれほど開きが無いのはありがたい。

 そしてニコラはどうしても聞きたかった事があり、真っ先にそれが宿にあるのか尋ねた。


「ところでここは風呂付きか?」


「いや、風呂は基本公衆浴場が表通りの近くにあるから街の者はお客も含めてそこを使ってる。広くて綺麗な浴場だから人気があるぞ」


 仕事場からいきなり見知らぬ土地に放り出されて数日間、軽く体を水をつけた布で拭いた程度だったので、いい加減熱い風呂に入りたかったニコラは上機嫌で従業員に部屋へと案内される。

 部屋は三階、通りの反対側だ。中はそこそこ広く、四つあるベッドのシーツはどれもシミ一つなく清潔に保たれており、言葉通り質に気を配っていた。ガラス窓を開けると気持ちの良い風が入ってくる。

 そしてセレンとフィーダは生まれて初めて見る人間の家屋の中に目を丸くしてあちこちベタベタと触っては、ニコラに説明を求めている。まるっきり小さな子供の習性と変わらなかった。

 だか、ニコラもまたこの世界、この国の文明水準を調べるサンプルが数多くあるのを喜ぶ。今開けた窓に使われているガラスやテーブルに置かれているランプにも薄いガラスが用いられ、それなりに透明である事から、専門知識の無い素人のニコラにも相応に技術力があると察せられる。他にもカーテンやベッドのシーツも技術や生活水準を示唆している。シーツはどれも荒い白の綿製だが、カーテンは緑、というより草色に青の糸で細かな刺繍の施された中々手間のかかった品である。つまりこうした調度品に手間を掛ける余裕や多様性が民間の隅々にまで浸透している確かな証拠だった。


「ところでニコラ、お前がさっき馬の亜人に渡していた光る物は何だ?キンカがどうとか言っていたが」


「え?――――あーそうか、森の生活で貨幣を使う事は無いから知らないのは仕方ないか。あれは貨幣って言って色々なものと交換出来る便利な道具と思えばいい」


 一瞬何を言っているのかと訝しんだが、彼等エルフには貨幣が必要なかったのを思い出して納得する。ここから貨幣の説明となった。

 ニコラは革袋から金貨と銀貨を出してセレンとフィーダに見せる。手に取ってしげしげと眺め、指で弾き感触を確かめたり、人の顔が描かれているのを面白がった。手元にある二種類に加え、表通りの商人が銅貨で取引していたのをニコラは目撃しており、その三種が基本的な貨幣だろう。

 この貨幣と食料や服、他にも日常的に使う道具や武器と交換出来ると説明すると、なぜそんな事が出来るのか二名とも不思議に思っている。


「一番の理由はこれが食品のように腐らない事、それと持ち運びが楽な事、他にも装飾品に転用したり、あまり出土しない稀少性なんかも理由にあるらしい」


「毛皮や角のような腐らず丈夫な物と物の交換ではだめなのか?」


「毛皮にも価値はあるが、交換する相手が本当に欲しいか分からないし、交換物の価値を全て知っているわけじゃないからな。何かしらの目安が必要になるんだよ。それを国の偉い役職が決めて、貨幣に価値があると保証して初めてこの金属の塊が効果的に機能する。ただしセレンやフィーダみたいに価値を知らないと、銅を除いて武器にも使えない単なる柔らかい金属としか思わないだろうが」


 実際、ニコラの時代には現金というものは完全に廃れており、商売は全て電子数字上のやり取りで決済していた。極論を言えば、経済とは保証と信用さえあれば直接貨幣を用いなくとも、商売そのものは可能である。この世界では地球文明のような高度に発達した管理社会ではないので実際に現金を用いて取引せねばらならないが、おそらく小切手や手形を用いた信用取引も幾らかは発達しているのではないかと思っていた。

 ニコラの説明をどこまで理解出来たかは分からないが、取り敢えず二名はこの貨幣を渡せば物品と交換してもらえるところは理解してくれたようだ。


「貨幣の価値が分かってくれたようだから、次は実際に使ってみて効果を実感してもらおうか」


「おー!」


 セレンはかなり乗り気らしい。フィーダも反対する素振りは見せなかった。



 まず最初に三名が向かった先は先程宿の馬人――――実はあの宿の店主で宿の名である『金の馬』は彼の事である――――に教えてもらった公衆浴場だった。大理石を随所に用いた巨大で高度な建築様式の建物にセレンとフィーダは圧倒される。と言っても浴場は男女合わせても一度に五十人程度が利用する、この街ではよくある規模の施設でしかないが、それでも村の集会場より大きな建物を見た事が無かったエルフには常識外の巨大な施設に見えた。


「そもそもここは何を扱う場所なんだ?」


「ここはお湯で体を洗う場所だ。身体を定期的に洗って清潔にしておくと病気になりにくくなるからな」


「湯でか?別に水浴びでも構わない気がするが」


「真冬に冷たい水で洗うのは辛いんだよ。温かい方がいい」


 確かに真冬に身を切るような水を使うのはセレンもフィーダも嫌だが、そんな事でこれほど巨大な建物を作る人間の気が知れない。

 今一つ納得のいかない連れをニコラは強引に中へと連れて行き、三人分の料金を支払った。一人の料金は銅貨三枚。試しに銀貨一枚を渡すと、そのままおつりに銅貨一枚を渡してくれた。どうやらここでは銅貨十枚で銀貨一枚と交換らしい。

 そして気後れする二名の内フィーダを男湯に引っ張って行く。勿論男女は別だったのでセレンはそのままだったが、店員の女性が気を利かせて彼女を案内してくれた。


 数十分後、ニコラは数日ぶりの入浴に満足し、フィーダは初めての湯に戸惑いながらもニコラの真似をして湯に浸かり、火照った全身を適度に冷やしていた。文句の一つも出てこないという事は、彼も入浴を気に入ったのだろう。

 しばらく入口で待っていると、女湯の方から山羊の頭をした女性が笑いながら、だらしのない顔をしたセレンの手を引いて出て来た。


「おまたせー。あー、お湯ってすっごく気持ちいいねー。あたし癖になっちゃったよー」


「気に入ったのなら良いさ。ところで隣の御婦人は?」


「あたしはただのお節介焼きだよ。セレンちゃん、風呂に入るのは初めてだって言うからいろいろ教えてあげたんだよ」


 けらけらと笑う、どこにでもいそうな世話焼きの中年のおばさんだった。ニコラは何となく自分の母親を思い出した。

 少し話をしてみると、山羊人の女性は街で服屋を営んでいるらしい。外見は良いのに服がどうしようもなく釣り合わないセレンが気になって色々と世話を焼いたのだと言う。言われてみれば木の蔦を叩いて伸ばしただけの蛮族としか思えない服を誰もが見惚れるような容姿の美少女が纏っているのは惜しいと思う。


「もし良かったら今からでもいいから家の店で何か買っていくかい?安くしとくよ」


「――――そうだな、いつまでも一着だと使い回しも出来ないし、この際纏めて買っておくのも悪くないか」


 金を預かるニコラの決定によって、急遽三名は山羊の婦人の家が経営する服屋で買い物をすることとなった。



 ニコラ達は訪れたのは浴場から離れた裏通りの服屋へと連れてこられた。兵士は治安が悪いと言っていた裏通りだったが、予想よりは危険な臭いがしない。それに子供などもちらほら見かけるので、昼間ならばある程度なら出歩いても問題無いのだろう。

 店は窓もカーテンも閉まっていたが、婦人は構わず正面の扉から三名を招き入れた。店の中は様々な色や模様の生地を使った服が棚に積まれている。


「どうした?今日はもう店は締めたのに」


 奥からのっそりとパイプを咥えた黒毛の兎が顔を出す。でっぷりと太った兎顔は見る者が見れば愛嬌を感じさせるが、身に纏う雰囲気はどちらかと言えば厳格、あるいは気難しく頑固な職人に多い近寄り難さがあった。


「見てのとおり客を連れて来たんだよ。うちの亭主は不愛想だけど気にしないでおくれ」


「やかましいわ。まあいい、客が来たのなら追い返すわけにはいかん。気が済むまで見ていけ」


 言葉はツンツンしているが追い返す事もせず、客として扱ってくれる所は意外と商売人としてまともである。その言葉に甘えた一行は若干遠慮しつつ服を見せてもらう事にした。

 特にセレンは生まれて初めて見る多種多様な色の生地とデザインの服に目を奪われて、手当たり次第に服を広げては魅入り、興奮から長い耳を上下に揺らしている。その動きがまるで犬の尻尾のように見えたニコラは耐えきれずに吹き出してしまった。

 フィーダの方は、なぜこれほど多様なデザインがあるのか分からないと率直に黒兎の主人に尋ねており、主人は実際に服を手にしながら服飾の歴史を講釈していた。

 そしてニコラはタクティカルアーマーを脱ぐつもりが無いので適当に下着になりそうな物を数点選んだ程度で、後は暇を持て余していた。店内をあれこれ見回していると、ちょうど壁にかかっていた一着の婦人服に視線が止まる。

 所々に黒い糸で凝った幾何学模様の刺繍を施した赤の上着、地面に着きそうなほど長くゆったりとした黒のスカート、首に掛かっているのはインディゴブルーのスカーフ。どれもなかなか趣のあるデザインに、ニコラは試しに頭の中でセレンにこの服を着せてみると、思いのほか似合いそうだったので、店主に売り物か尋ねてみた。


「良い物なんだが、だいぶ細めに作ってあるから売れ残ってしまってな。連れのお嬢ちゃんの体格ならまず合うと思うが、試着してみるか?」


 セレンも勧められた服に興味があり、そのまま山羊の婦人に試着を手伝ってもらい一同へお披露目となった。


「えっと、どうかな?似合ってる?」


 地に降り立つ妖精、あるいは美の女神とは彼女のような姿ではないか。無神論者のニコラでさえ、神話の一端を信じたくなるほどにセレンの姿は一つの完成された芸術と称したくなるほどに神々しかった。

 伏せ目がちにニコラに感想を求めるセレンに、ニコラの言うべき言葉は一つしかない。


「セレンは元が美人だから何を着ても似合うがこれは別格だな。これを見て世の男は君を放って置かない」


「――――うん、褒めてくれてありがとう」


 ニコラの称賛に褐色肌でも頬の赤らみが分かるほどセレンは羞恥と歓喜を覚え、今口出しするのは野暮と悟ったフィーダは店主と素知らぬ顔で自分の服を選んでいた。

 この後、一行は店で数点服を見繕い、支払いを済ませた。フィーダは装飾の少ない簡素な服を好み、さっさと決めてしまったが唯一レザーブーツに妙な拘りを見せて、予備として数点購入しても今どれを履くかで長時間悩み、妹分に呆れられていた。


「おばさん、無理してお店開けてくれてありがとう。すごく楽しかったよ」


「いいって事だよ。エルフのお嬢ちゃんがお客になるのはあたし達も初めてだったからね、楽しかったよ。そうだろあんた」


「ふん、儂は腹が減った。さっさと飯にするぞ」


 楽し気な婦人とぶっきらぼうに返す主人は対照的だったが、客に文句を言わない所を見ると、なんだかんだで自分の作った服をこれほど気に入って貰えたのが嬉しいのだろう。

 総額金貨二十枚はそれなりに大金だったがどうせ奪ったあぶく銭だったのと、連れ二名の初めての買い物をけち臭くしたくなかったので気前よく支払いを済ませた。

 そして去り際に店主が引き留めて気になる事を教えてくれた。


「余計なことかも知れんが、城の方にはお嬢ちゃんを連れて行かない方が良いぞ。それだけ別嬪だと女好きで有名なうちの領主に手籠めにされかねんからな」


「そうだねえ。ここの領主様は税も安くてあたしらの事を気に掛けてくれる良い人なんだけど、あの女癖の悪さだけは腹が立つよ」


「分かった、セレンの事は気に掛けておくよ。色々ありがとう」


 女好きの権力者など珍しくも無いが、嫌でも権力者に会わねばならない一行にとって連れが絶世の美少女である事が、ニコラは酷く不安だった。


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