第9話 人の飯は不味い
ギルス共和国のエルフ狩りから一夜が明けた。ニコラ、セレン、フィーダの三名は昨日の話し合い通り、村から北東にあるボルド帝国の街を目指して馬車を進めた。
「うわー本当にこれ歩くより楽チンね。人間の道具って便利だわ」
「ふん、ごとごと揺れて乗り心地は最悪だがな。まあ、大量の荷物を担いで歩かずに済むのは確かに楽だ」
生まれて初めて乗り物に乗ったエルフ二名は些か興奮している。セレンは純粋に人間の道具の利便性を褒め、フィーダは人間への隔意から辛辣だったが、それでも褒める所は褒めていた。やはりこの男、ツンデレである。
この馬と馬車は元は村を襲った兵士が使っていた物である。持ち主は既にあの世に行ってしまったが、道具の方は手付かずだったので、この際有効利用させてもらった。軍用らしく頑丈な造りで長旅にも十分耐えられるが、フィーダの言う通り乗り心地は劣悪である。そもそも全く舗装されていない平原の上を走らねばならず、車輪も鉄で補強しただけの基本木製、ゴムも無ければショックアブソーバの類も一切無い。常にガタゴトと揺られて御者をしているニコラも口には出さなかったが、初めての馬の扱いに苦慮しつつうんざりしている。
「まったく、人型兵器何て空想の産物があるんだから馬車ぐらいもっと良い物作れっての。おかしいだろうがこのファンタジー世界」
「おかしいも何もお前と同じ人間が作った物だろうが。時々お前はおかしな事を言う」
独り言が聞こえてしまい、フィーダに突っ込まれる。違うと否定したかったが、人間などどれも大して違わないと思い込んでいる引き籠りのエルフにどう説明して良いか頭を悩ませた。
「―――何というか、住んでいる場所が違うと文化や習慣が全然違うんだよ。俺がエルフ達と言葉が通じなかったのが良い例だろ?この馬車だって俺の居た所じゃ、もう何百年も前に廃れて別の乗り物に置き換わってるんだよ。当然、馬だって実際に動いているのは初めて見たぞ」
「その割にはこの子達はあなたの言う事をよく聞いてくれるわね」
「家で犬を飼ってたから、似たような感覚で接しているだけだ。こいつら馬は人に慣れているし臆病で群れを作るから、相応に優しく接してやれば頭の言う事を聞いてくれるよ」
自分に危害を加えない群れのリーダには大人しく従う気質こそ畜産の大前提。家畜とは人間の言う事を聞きやすい動物の代名詞である。
ニコラはそれを長年付き合った飼い犬から学んでおり、さらに兵士達が連れて来た馬の中でも特に人懐っこく気性の穏やかそうな馬を四頭選んで馬車を曳かせていた。でなければ初心者が馬を扱える訳が無い。
ただ、エルフ二名はよく分かっていなかった。元々彼等は森で狩猟生活をしており、自分達以外の生き物は基本的に狩りの対象としか思っていない。犬も長から聞いた知識でしか知らず、狼の親戚と聞いて、なぜそんな危険な肉食の獣と一緒に生活しているのか不思議がっていた。このような調子では人間の街を見たら、どれほど驚くのか楽しみであり、世の中を知らない子供の引率をする気苦労を想像して、今後の面倒くささに溜息が出そうだった。
旅の初日は特に進展は無い。精々森とは違うただっ広い平原が面白かったセレンが騒いでいただけで、時折獣を見かけたが碌に人にも出会う事は無かった。地図に書かれていた川を目指して進み、夕刻となったので河原で夜営の準備に取り掛かった。
だが、夕食を摂る三人の顔は暗い。というよりひたすらに無心となって味わう事なく食事を嚥下し続けている。
「人間の食い物は不味いな」
「ああ、すげー不味い」
「うん、全然美味しくない」
耐えきれなくなったフィーダを皮切りに三名はそれぞれ不満を吐露する。三名の心は完全に一致していた。食事がひたすらに不味かったのだ。
彼等の昼食と夕食は元は兵士達が持っていた行軍食だった。何日掛かるか分からない旅路に怪我人ばかりの村の食糧は持ち出せないと、ニコラは気遣い用意してくれた保存食を返して、代わりに放置された行軍食をあるだけ持ってきた。その判断はセレンもフィーダも同意していたが、正直ニコラは未発達な文明の保存食の味の悪さを舐めていたと、かなり後悔していた。
給料の安い兵隊とは言え極めて発達した地球の食文化に入り浸ったニコラ、食文化は未熟でも毎日新鮮な食事にありつけたセレンとフィーダ。そんな三名にとって、この食事はどうあっても満足出来る物ではない。
石と間違えるほどに固く焼き固めた塩パン、塩の味しかしない塩漬け肉、発酵が進み過ぎて酢と大して区別のつかないワイン。それだけだった。だが、食べなければ腹は減るし体力も回復しない。
三人は大いに不満を抱きながらも、腹を満たす手段と割り切って不味い食事を続けて、その日はさっさと就寝した。
明朝、起床した三人は、やはり不味い行軍食を無言で腹に詰めてから出立した。
道中、この旅が始まってからニコラは如何に自分の食生活が恵まれていたのか理解して、かつての軍での生活をしみじみと思い直していた。そして食べ物に不満のあるエルフ二名もこれからしばらく飯の不味い人の街で過ごさねばならないと気付き、二日目にして森が恋しいと感じ始めていた。
「人って大変ねー、あんな食べ物をずっと食べていないといけないなんて。だから人って変な性格になったり嫌な奴になって村を襲うのかなー?」
「一応言っておくが今食べてるのは保存と運搬を最重要視して作ってるから不味いだけだぞ。だから街に行けばもう少しマシな食事にありつけると思う。――――――――思いたいなあ」
「そこは断言してくれないと俺もその、なんだ、困る。――――道すがら兎かキジでも見かけたら獲るか?」
食事にブチブチと文句を言うセレンを宥めようとするが、自分のあずかり知らぬこの国の食事事情にまで責任の持てなかったニコラは自信なさげに願望を口にすると、今度はフィーダも不満を言い出しつつ、自力で獲物を獲るか真剣に検討し始めた。
東へと蛇行する川に沿って遡り続けると、昼前にぽつんと背の高い針葉樹が数本生えた場所があったので、そこで早めの昼食を摂る事になった。
そこでニコラは丁度良いとばかりにタクティカルアーマーのパワーアシストを起動、跳躍して木の天辺に飛び乗った。そしてヘルメットの網膜ディスプレイを望遠モードに切り替えて周囲を見渡す。
目的のものが見つかり、飛び降りずに木を伝って降りると、途中で野鳥の巣があり、雛と言うにはやや大きく育った若鳥が二羽入っていた。じっと見つめるニコラに恐怖したのか懸命に鳴いて親鳥に助けを求めるが、ご馳走を目の前にした飢えた男には却って活きの良い獲物としか映らなかった。結果、巣立ちを待つばかりの二羽は、哀れにも今日の昼食となる未来に囚われてしまった。
「わーい美味しそうな鳥だー。ニコラありがとう」
「早速捌いて焼くとしようか。これで不味いあのパンとかいうのも少しは美味く感じるだろう」
渡して早々に血抜きと解体によって唯の肉と骨になった二羽は、火で炙られて肉汁垂れる立派なアウトドア料理へとバージョンアップを果たし、全て三名の胃袋へ収まった。
二日ぶりに美味い食事にありつけた三名は満足し、ニコラは先程木の上から見つけた物を教える。
「そうそう、さっき木の上から見渡したんだが、ここから北東に30kmの所に街があった。何事も無かったら大体夕方前には着くぞ」
「そうか。人ではない我々がどのように扱われるのか甚だ不安だが、お前のような人間が多く居る事を願うよ」
最初に問答無用で矢を放った態度からは考えられないほどにニコラを高評価するフィーダを幼い頃から知っているセレンは、どこかで頭でも打って人が変わったのかと疑い出す。ニコラも彼の事を他者への当たりの良い性格とは思っていなかったが、この手の性格は一度気を許した相手にはかなり気を許す情の深い面があると、何となくだが気付いていたのでセレンほど失礼な事は考えていない。
それに訳も分からずいきなりファンタジーの世界に入り込み若干の不安感と孤独感、そして殺人へのストレスに晒されていたニコラにとって、貴重な友人とのコミュニケーションが大きな助けとなっていた。
「人間に過度な期待はしない方がいいが、できれば俺も実りのある出会いがあれば良いと思ってる。ただし見知らぬ土地への警戒は緩めないでくれよ」
「そこはお前の期待に応えられるか分からんが努力しよう」
期待と不安、未知への恐怖がない交ぜになり些か興奮するフィーダを宥め、三者は馬車へと乗り込み移動を再開した。
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