第8話 一抹の希望




「――――ニコラ、お前の言う通り既に我々の未来は潰えたも同然だ。逃げるなら早めにしておけよ」


 フィーダがニコラを気遣うように逃げろと告げるが丁重に断った。既に兵士を殺してしまったニコラはギルスにとってお尋ね者だろうから無関係とは言えない。エルフ達は最後まで付き合うと言ってくれた彼を笑いながら馬鹿と言って感謝した。


「けど、手が無い訳じゃないんだけどな。多分に分の悪い賭けになるだろうが、このまま何もしないよりは全員が助かる可能性のある考えがあるぞ」


 その言葉を聞いたエルフ達の瞳に輝きが戻る。中でも長のジャミルは最も輝きを強くして、語気を荒げてニコラに詰め寄った。


「まず前提としてここでこのまま戦う選択は無い。戦えない者も多いし、何より相手の数が違う。もう一、二度なら退けられても後が続かないのでは意味が無い。じゃあどうするかと言えば、誰かに助けを借りる」


「簡単に言うが当てはあるのか?我々はずっと外を知らずに生きていた。外に知り合いなど誰も居ないんだぞ。お前とて助けてくれる知り合いなど居ないだろうに」


「これからその知り合いを作りに行くんだよ、人の国にな」


 ニコラの提案に隣で泣き腫らしていたセレンを含め、エルフ達は全員開いた口が塞がらなかった。エルフ達からすれば自分達を理不尽な理由で襲撃して多くの怪我人、下手をすれば死者を出していたのに、よりにもよってその人間に助けを求めるなどどうかしている。人間の考える事など理解し得ないと分かっていたが、自分達を助けてくれたこの善良な青年もまた理解不能な存在だと誰もが認めた。

 エルフ達の反応を見てもニコラはさして動じず、順序立てて説明し始める。


「まず第一に知っておいてほしいのは、人間は基本的に仲が悪い。それこそ親兄弟であろうと利益と理由があれば殺し合える生き物だ。それがさほど関係無い自分達と異なる集団であれば、なおさら争って相手を皆殺しにしてでも利益を独占しようと行動する。ここまでは良いか?」


 さも当たり前のように軽い口調で異常な精神性を語るニコラにエルフ達は若干の恐怖を感じつつも、理解したくない他種族の習性を理解する。

 彼等が理解したのを確認したニコラは襲撃者から奪った地図を床に広げた。地図に書かれている文字は読めなかったが、行軍のルートや現在位置の印が赤字で描かれているのでおおよその意味は読み取れる。国境線も太字で引いてあり、この森はちょうどギルスとボルド両方の国境に面しつつ、どちらの陣営にも属さない空白地帯扱いだった。


「それで、今回村を襲ったのはここから北西にあるギルス帝国だ。そしてその東隣にはボルド帝国という国がある。俺はこの国に手助けを求めようと思う」


 地図の西側にあるギルスから指を動かし、隣のボルドらしき部分を数度指で叩く。


「捕らえたアキウスとパトロクスが言っていただろ。『異端の徒なら亜人を遇しても不思議はない!おのれ異端者め!』だったか?明らかにギルスとボルドは敵対関係にある。そして人間と違うエルフを冷遇していない。つまりギルス共和国と比べて幾らかマシだ。交渉の余地はあると思う」


「お前さんの言う通りかもしれんが、そのボルドという人間の集まりが儂等を助けて何か良い事があるのかのう」


「人間は自分が得をしなくたって、争っていたり憎んでる相手が得をするのを嫌がるんだよ。それこそ少しの手間で敵対してる相手が不利益を被ると思えば躊躇なくやる」


 俗にいうコストパフォーマンスないし費用対効果と呼ばれるものである。今回の場合、ギルス共和国がエルフ達をデウスマキナの部品として確保するとプラスになる。それはボルド帝国にはマイナスであり、逆にボルドがエルフを確保すればギルスにとってマイナスとなる。

 エルフ達も理屈の上では理解したようだが、それとは別の問題が生まれる事をジャミルは指摘する。

 さもありなん。場合によっては単に捕らえるのがギルスからボルドに変わるだけ。食われる相手がライオンが良いか虎が良いか聞いているようなものである。

 ボルドの人間がギルスと同じように自分達を兵器の部品として利用する可能性を苦慮していた。より軍事力を増強するには、この大陸において象徴であるデウスマキナを揃えるのが一番手っ取り早い。つまり交渉すら出来ずに捕らえられて部品として扱われる危険は大いにあった。


「だから最初から分の悪い賭けだって言ってるんだよ。それでもこのまま何もしないよりは良い」


「それは…その通りだろうけど、もうちょっと柔らかい言葉で言ってほしいわよ。ニコラって優しいけど相手を思いやる言葉を使うの苦手?」


 セレンが口を尖らせてニコラのつっけどんな態度を責め、その指摘に言葉が詰まった。彼女の指摘通りニコラは直接的な物言いを好むので友人とも時々喧嘩になる事があり、ハイクール時代にはそれが原因で彼女と喧嘩別れした事もあった。軍に入隊してからは社会人としての自覚を持って随分と収まったが、それでも完全に治ったわけでは無いので地が出たのだろう。

 二人のやり取りは張りつめていたエルフ達にはちょっとした清涼剤となり集会場に小さな笑いが生まれる。それがニコラには恥ずかしかったので、ばつが悪そうに頭を掻き、話題を逸らそうと話を元に戻す。


「それに交渉用の手札は幾つかあるから、全くの無碍にはされないと思う。まあそっちは俺の単なる願望が入ってるんだがな」


「そんなのある――――あの腹の立つ二人?それとも巨人?」


「両方だ。デウスマキナは言わずもがな、兵器として大きな価値がある。そしてあの二人はギルスの貴族、こっちでいう所の長やその縁者で、生きたままなら政治取引の材料に使える。それを対価にして、あんた達の安全を手に入れる」


 元より奴等の所為で村人達は大きな被害を被った。ならば生き残ったあの二人には可能な限り償いをしてもらわねば割に合わない。自分のように感情に任せて短絡的な行動に走らなかったエルフ達の思慮深さには正直頭が下がる。

 そうなると今度は別の問題が浮上する。一体誰が誰と交渉するかだ。そこをフィーダが指摘すると、ニコラが自分がやると申し出る。


「人間の事は人間の俺の方があんた達よりは知っているからな。難しいが適任が居ない以上は俺がやるよ。時間はまだあるし、希望もある」


「なぜ時間があると言える?」


「さっき森の外の野営地を見てきたが、あいつらが用意した食糧から大雑把に何日掛かってここまで来たのか割り出せた。

 兵隊百人に加えて捕獲したあんた達を十数日は食わせられる量の食い物を一緒に運んでいた。つまり片道は最短で十日前後、数日遅れても戻ってこない兵を不審に思って捜索隊ないし第二陣を編成するのに二、三日。そこから再度軍勢がここに到達するのに十日。悲観的に考えても今から二十七、八日程度は時間的余裕があるだろう。

 それまでにボルトの皇族か最低でも貴族に話をつけて援軍を引き出すか、一時的な退避場所を提供してもらえるように交渉だな」


 ニコラが最初から集会場に居なかった理由がこれである。兵士にとって最も重要なのは食糧、それは他ならぬ兵士であるニコラが一番理解している。そして兵士の数と食糧の量でおおよその行軍日数は割り出せた。数字とは集団行動において最も信頼出来る目安である。

 エルフ達もまだ数十日間は時間的余裕がある事に安堵した。それだけあれば負傷者の傷も癒え、何名かは動けるようになる。留まって戦うにしても村から退避するにしても足手まといにはなりたくなかった。

 時間に余裕はあっても無駄にする気は無いニコラは明日の夜明けに出発する事を告げると、フィーダが自分も付いて行くと申し出る。


「人間のお前ばかりが働いては我々森の民の名折れだ。俺に何が出来るか分からんが何でもいいから手伝わせろ」


「フィーダ、あんたももうちょっと素直にニコラを助けたいって言いなよ。なんで男って人もエルフも意地っ張りなのかなー。

 あっ、あたしもニコラの助けになってあげたいから付いて行くからね」


「なっ、何でお前まで付いて来るんだ!?女は家に居て怪我人の面倒を見てやれっ!」


 フィーダのような男衆が何人か同行するのは予想していたが、セレンが言い出したのは予想外だった。渋るニコラをよそにセレンは自分がいないと会話にも困ると跳ね除ける。

 曰く、精霊はお願いしたエルフが傍にいないと簡単に離れてしまうらしい。今までは長のジャミルが頼んでいたのでずっと側にいたが、森からある程度離れてしまえば、途端に言葉を翻訳してくれる精霊は居なくなってしまうそうだ。となると誰か別のエルフがニコラの傍に引っ付いていないといけない。だが、エルフの中でも精霊にお願い出来る者は少なく、村には五、六名しかおらず、セレンはその中に入るのだという。ちなみにフィーダは出来ないそうだ。


「と言うわけで、あたしが居ないと他の人間とだって会話に苦労するわよ。ね、あたしが一緒に居ないと駄目でしょ?」


 そこまで言われたらセレンの同行を断れない。二人にとって不利益になるわけでもなく、何よりニコラは一流の人形職人が生涯賭けて作り上げたような造詣の美貌を持つ少女が腕を絡めて上目遣いでお願いしてくるのを無碍にするほど男を捨てていなかった。本当に美女に弱い男である。

 多少のゴタゴタはあったが、結局ニコラに付いて行くのはフィーダとセレンの二名になった。他のエルフは怪我人の面倒を見なければらならず、あまり数を割けないのだ。


「もし事が上手く行ったら、儂の首ぐらいならお前さんにやろう。じゃから、村の事をよろしく頼む」


 ジャミルは族長としてニコラに全てを任せるしかない、ふがいない自分を責め、何度も床に頭をこすりつけて村の事をよろしく頼むと願うが、爺の首なんて要らないと突っぱねられて苦笑いを浮かべた。


「また酒を満足するまで飲ませてくれればそれでいいさ」


 ニコラの欲の無さと無類の酒好きに集会場は大きな笑いに包まれた。


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