第3話 鋼の巨人



 ニコラがエルフの村に厄介になってから二日後の朝。ニコラの出立の見送りに殆どの村人が集まっていた。彼等の多くはニコラとの別れを惜しんでいるわけでは無い。むしろ逆であり、突然やって来た異物が本当に出て行ってくれるかを確かめるために集まっているだけだ。

 しかし、中には本当に別れを惜しんでくれる者も一部は居る。命を救われたソランとその家族達だ。種族間の壁を暗に示した父親のシャイドも本心では息子の命を救ってくれた男に感謝しており、もしニコラが村への永住を願い出れば、周囲の反対を押し切ってでも手助けする気でいた。そしてソラン本人は何度もニコラに行かないで我儘を言い、ついには泣き出してニコラに引っ付いてしまい、母親に引き離されてしまった。


「こんなに慕われているとは思わなかったよ」


「仕方ないわよ。私だって貴方とこれっきり会えなくなるのは寂しいって思ってるんだもの。ソランは余計にそう思ってるわ」


 泣きわめく弟を尻目に姉のセレンはニコラに革製の鞄を渡した。中には保存の効く食糧がこれでもかと詰まっていた。彼女なりの気遣いだろう。


「それから、これも持っていって」


 そう言ってセレンは自らの首にかけてあった首飾りをニコラの手に握らせる。それは貝殻に穴をあけて紐を通した実に素朴な装飾品だったが、ここが森の中である以上、それなりに貴重な品なのは疑う余地は無い。ニコラは知らなかったが、これはセレンが幼い頃からずっと身に着けていたお守りであり、彼女が家族を除いて一番大切にしていた品だった。それを渡すという事は、セレンが如何にニコラに感謝しているか窺い知れる。

 そしてニコラもこの少女の事を好意的に見ていた。元よりこの森に来る前でも滅多にお目に掛かれない容姿の美少女である事と、そんな少女がこの二日間甲斐甲斐しく世話をしてくれて、今も心から自分と別れるのは寂しいと言ってくれているのだ。このまま村を去るのを躊躇する程度には意思が揺らいでしまっても、誰も彼を責める事は出来ない。

 しかし、帰る手段を探さねばならないのでここは後ろ髪引かれる想いをグッと堪えて旅立つ事にした。


「――――おい蛮族、待たせるのもいい加減しろ。あと、セレンもあまり馴れ馴れしくするな」


「五月蠅いわねフィーダ、あたしが誰と仲良くしたってあんたにとやかく言われる筋合いなんて無いでしょ!いい加減兄貴面すんのやめてよね」


 横から文句を言ってきたフィーダにセレンは舌を出して反発する。それを見たフィーダは何故かニコラを睨み付けた。

 最初の接触から矢を射かけるという最悪の対応をしたフィーダが、よりにもよってニコラの先導役を務めるのは嫌がらせか何かかと思ったが、この人事は族長のジャミルに言わせると個人の能力を真っ当に考慮した結果らしい。彼は若いが村一番の狩人であり、この森の事を知り尽くしている。つまり案内役としては最適な人選であり、さらに公然と長に逆らった罰として仕事を請け負わねばならなかった。断れば村人の心情は悪くなるので非常に不本意ながらニコラを案内しなければならず、始終しかめっ面を崩さなかった。


「昔は俺を兄ちゃん兄ちゃんと言っていつもくっ付いて来たくせに生意気言うな」


「昔の事をいつまでも引きずるなんて年寄り臭いわよ。って言うか奥さんのナディさん放って置いてあたしに構うなっ!浮気する気!?」


 二人はニコラそっちのけで口論していた。どうやら昔は仲が良かったらしいが、現在は少々関係が変わったらしい。女性をいつまでも子ども扱いするのは失礼にあたるとニコラは思ったが、二人の喧嘩が面白かったのでそのまま黙って見ていたが、ニヤニヤしていたのに気づいた二人はバツが悪そうに口論を止めた。


「何でもいいけど仕事だけはちゃんとしてくれよフィーダ」


「慣れ慣れしく名を呼ぶな人間め。いいか、俺は長の命令だからお前を森の外まで案内するだけだぞ。そして二度とこの村に来るんじゃない。いいな!」


 随分と嫌われてるが仕事まで放棄する気は無いだろうから適当に相槌を打っておく。族長の話では半日あれば森は抜けられるらしい。後は崖になっている場所を下りれば平野に出るのでこちらを敵視する案内役を半日我慢して、そこから集落を見つければいい。


「まったく、今日は夜明け前から森が騒がしいと言うのに」


「ふーん。ならそれを確認しながら案内してくれればいいさ。じゃあ、みなさん世話になった。もう二度と会う事は無いが元気でな」


 ほんのひととき触れ合った程度の仲でしかなかったが、不思議と名残惜しさがあった。だが、それにいつまでも浸っているわけにはいかないと、却って淡白な態度を示してその寂しさを振り解こうとした。ソランとセレンが手を振って別れを告げて、ニコラは振り返る事無く背を向けて村を去った。

 しかし、その第一歩を踏み出した所で異変は起こった。

 最初に感じたのは大地を揺るがす地響きだった。決して地震のような自然現象ではない。そしてその地響きに呼応するかのように鳥が一斉に羽ばたき北の空へと逃れる。

 タクティカルアーマーを纏っていても感じる奇妙な振動。エルフ達も生まれて初めて感じる不可解な現象にそれぞれ戸惑い、お互いに答えを求めたが、すぐさま答えを出せる者は一人も居ない。

 その振動は段々と強くなり、さらに大質量の物体が倒れるような音も連続して聞こえてくる。あるエルフの言葉では、これは木を切り倒した時の音や地響きによく似ているらしい。だが、この音は一本どころか一度に十数本の木が倒れなければ、こんな音にはならないそうだ。


『何かよくないものが近づいて来る』


 エルフ達の予想はこの一点で一致していた。しかし予想はしても彼等は何も行動に移さない。そもそも何世代にもわたって森に隠れ住み、危機的状況に一度たりとも遭遇した事の無い集団では、こういう時にどう行動すべきかのマニュアルも無ければ経験すらないのだ。それでは効果的な対応が出来る訳も無く、ただただ茫然と成り行きを見守る他に無い。

 仕方なくニコラが村人達に避難指示をするが、そもそも村人はどこに避難するかも全く決めておらず、長でさえ右往左往する有様。そして完全に避難する機を失ってしまった集団は最悪の事態に陥った。

 それはある意味ではニコラにとって初見ではなかった。

 それは中世のフルプレート甲冑を纏った騎士のように見えた。

 それは鉞の一振りで十数本の樹木を薙ぎ払った。

 それは一人ではなく、二人。さらにその足元には弩を携えた数十名の人がネズミのように群がっていた。

 それは地響きを立てて一切の遠慮を感じさせず、我こそが世界の支配者と振る舞い傲然と村に踏み込んだ。


「いつファンタジーからロボットアニメーションに路線変更したんだよ。責任者出てこいっ!」


 それはまごう事無き巨人。巨大な鉞で全てを薙ぎ払う完全無欠の死神。理不尽なまでにニコラを、エルフを見下す絶対的な王者。ありとあらゆる形容を陳腐なものにする、圧倒的な暴力の結晶だった。

 巨人の双眸が光を放ち、明確な意思を以ってこちらを獲物と捉えた。これからこののどかな村で何が起こるのか。ニコラには十分過ぎるほどに理解させられた。一方的な蹂躙、あるいは遊猟である。


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