第2話 不思議の世界のニコラ



 ひとまず客人として遇される事になったニコラは村の中央の建物へと案内される。そこは三十人程が楽に座れる大きさの集会場として使われている建物だった。

 中へと入ったニコラは壁を物珍しそうに触る。集会場の壁は全て木の丸太を一切加工せずに縄で縛っただけの極めて簡素な造りだが、それがニコラには却って新鮮に見えた。その様子を見たエルフ達は彼をおかしな奴だと口々に笑い、そんなに木が珍しいのかと冗談交じりに茶化す。


「木で出来た建物を実際に見るのは初めてなんだよ。俺の住んでる所で木を使った建物は一つも無かった」


 皮肉を真面目に返されたエルフ達は鼻白むか、人間の常識が如何に自分達と異なっているかを知って驚く。ニコラの住む25世紀の文明ではもはや木造建築はごく一部の余程の金持ちの懐古主義か文化遺産の保全を目的とした技術継承を除いて資料の中にしか存在しない。全てカーボンかセルロースナノファイバー、あるいはコンクリート建材によるものでしかなかった。そんな環境で長年過ごしてきたニコラにとって、釘すら使わず碌に手の入っていないただの丸太の家は最高級の豪邸に匹敵する価値があった。

 一通り木の感触を楽しんだニコラは待ってくれていたエルフ達に礼を言ってから、用意してもらった座に腰を下ろす。その隣には一人の少女が侍る。村のエルフの例に漏れず、褐色の肌はまるで黒い真珠のように艶を持ち、腰まで伸びたウェーブの掛かった銀糸のような髪は陽光に照らされて輝き、ルビーのような赤い瞳は勝気そうな力強さが宿っていた。端正な顔立ちしか居ないこの村のエルフの中でも、さらに恵まれた美貌の少女だった。彼女はニコラに獣の角をくり貫いた杯を差し出し、素焼きの水差しから酒を注ぐ。


「貴方には直接お礼を言っておきたかったの。バカな弟を助けてくれて本当にありがとう。あの子ったら何度言っても一人で森に遊びに行って、あたしや母さんの言う事なんてお構いなしだったの」


「あのぐらいの歳なら仕方が無いんじゃないのか。子供ってのは好奇心の塊だからな」


「でも何かあったら遅いんだから。あっそうだ、あたしセレンっていうの。よろしくね、ニコラ」


 底抜けに明るい笑顔はまるで陽だまりのような安心感を人に与えた。この笑顔だけでもニコラは彼女に好印象を持ち、上機嫌で酒を呷った。酒は果実を自然発酵させた低アルコール飲料だった。果実の甘みと酸味がさわやかな印象を与えてくれるが、強い蒸留酒に慣れたニコラにとっては大分物足りない。しかし味に文句は無いのでセレンにお替りを頼む。


「気に入って貰えて何よりじゃ。さて、儂らに聞きたい事があるそうだが、話せる事なら何でも話そう」


「ああ、そうだな。なら、まずはここがどこなのか教えてくれ」


 正直な所、既に自分の求めるような答えが返って来るとは思ってはいないが、それでも一抹の望みに全てを賭けたかったニコラにとって、残念ながら長のジャミルの答えは到底納得出来る物ではなかった。

 ジャミルの回答を端的に言えば、森の中という不明瞭な回答しか得られなかったのだ。


「元より儂等は先祖代々この森を一歩も出ずに暮らしてきた。外に何があるのかも先祖から聞いた事以外は何も知らん。精々この森の外には儂等エルフとは異なる外見の種族の集団が居る事や、南に行くと尽きる事の無い塩の水がある事ぐらいしか分からんのだ」


 つまりは筋金入りの引き籠り集団でしかないという事か。だが、今日日こんな連中は太陽系のどこにもいやしないし、テラフォーミングした移民星にだって居ないのはニコラにも分かる。つまり地球人類とは全く別の起源を持つ人類種の住む惑星と仮定した方がまだ納得出来る状況だった。そしてそんな考えに至る自分は気が狂っているのではと、微かに己の正気を疑っていた。つまりは呑まないとやってられないとセレンに酒のお替りを所望した。


「そもそもお前さんはどこからどうやってこの村に来たんじゃ?」


「それが分からないから色々と調べてるんだ。昨日の酒が残っててまだ夢の中にいるって考えた方がまだ納得出来るよ。

 まあいいや、じゃあ今度はあんたらエルフについて教えてくれ。それと急に言葉が分かるようになったのも、だ」


 ニコラは古典ファンタジーに登場する創作物の中のエルフは幾らか知識があるものの、彼等がそれと同じモノだという保証はない。本人達の口から直接聞いておく必要があった。

 そしてジャミルを含め、隣のセレンや他のエルフ達が語る情報を総合すると以下の事が分かった。

 まずエルフは他の種族より長命である事。彼等は人の数倍の寿命を持ち、成長はゆっくりである。ただ、彼等は暦には極めて大らかであり、一年を日付ではなく季節の一巡で捉えており、さらに細かい年数を誰も憶えていないのだ。むしろ、ニコラが地球式の暦と時間表記を例に出して説明すると、なぜそこまで細いのか分からないと全員が首を傾げていた。

 これは彼等エルフが長年閉鎖された環境で生き続けてきたのと、文化に起因する所が大きい。彼等は農耕を行わず、常に森の中で狩猟採集に頼って生活している。農耕民族であれば種まきと収穫時期を明確にして、その年の収穫も記録しておく必要があるので、筆記と暦が発達するが、森に行けば食糧が豊富に採れる彼等にはさほど重要な技術ではなかった。とは言え族長のジャミルが先祖から語り継がれた話では、かつてはエルフ達も他種族と共に暮らしていた時期があったようで、その時からエルフの長寿は際立っていたらしいので、一応は事実と受け入れて良さそうではある。

 次に分かった事は、エルフ達は誰一人として金属製品を有していない事だ。彼等の道具や装飾品は全て木と石などで出来ているか、動物の体の一部を加工して作られている。武器は全て磨製石器、道具は木製、器は木か素焼きの陶器、装飾品は動物の骨や毛皮を加工した、石器時代さながらの文化水準の低さだった。だが、彼等はそれに何の疑問も持たず、笑い、楽しみ、実に満ち足りた生活を営んでいる。安易に文化の遅れた未開の蛮族と嘲るのは酷い無礼にあたる。そして彼等はニコラの所持する兵器に強い興味を示し、外の者はみなこのような物を持っているのかとしきりに質問しており、それなりに興味を惹かれているようだった。

 そしてニコラが最も関心のあった意思疎通について。


「あれは精霊に頼んで儂等の声をお前さんに届けてもらっておる。それと反対にお前さんの言葉を儂等に届けてもらう。我々は彼等精霊と共に生きる民なんじゃよ」


「ファンタジーの世界かよ。俺はアリスじゃねーんだぞ」


 これにはニコラも驚愕してやけ酒を呷った。つい一時間ほど前まで科学に浸かり切った場所で生きて来た男が、いきなり精霊なる物が存在するおとぎ話や童話の世界に引きずり込まれたのだ。出来ればこのまま酔い潰れて何もかも忘れたかった。ただ、一つだけ良い事があり、隣でお酌をしてくれるセレンを見てニコラは少しだけ気分を持ち直した。男は美人に弱い。


「それで、お前さんはこれからどうするんじゃ?ソランを助けてくれた礼として暫くは客人として世話をするのは構わんが、いつまでもここにいる気は無いのだろう?」


「そうだなー。限りなく無理に近いだろうけど帰る手段が無いとは限らないし、取りあえずこの森から出て、人のいる場所を探そうと思う。二、三日程度厄介になっていいか?」


「それぐらいなら遠慮せんで何でも言ってくれてええぞ。出て行くときは途中までなら誰ぞ案内も付けよう」


 ニコラが数日で出て行くと知った村人達はあからさまにホッとしている。村の子供を助けてくれたのには感謝していても、やはり異物が長く居続けるのは誰も歓迎していないのだろう。先ほど矢を放った若者のように直接的な敵対行動は無いだろうが、深く関わりたいとは思っていない。が、ニコラにとっては安心して酒が飲めて休める場所が確保出来ただけでも御の字だったので、特に不満には思わなかった。

 そしてひとまずソランとセレンの家に厄介になる話が着いていた。子供を助けてくれた礼として両親が持て成すのは筋である。



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 無事にエルフの村に逗留する事が決まったその日の夕刻。ニコラはソランとセレンの家で歓待を受けていた。家には二人の他に彼等の両親がいる。父親の名はシャイド、母はレイラと名乗った。どちらも外見年齢は30代半ばぐらいに見えるが、おそらくはその数倍の年月を重ねていると思って間違いない。


「アンタの身体には合わない狭い家で済まない。そんな大柄な者はこの村には居ないんだ」


「お構いなく。腹いっぱい食べさせてもらって屋根付きの場所で寝れるだけでも十分です」


 客人に窮屈な思いをさせてしまい、シャイドは申し訳なさそうに頭を下げるが、当のニコラはさほど気にしていない。2m近い長身かつ筋肉質なのは自身の問題であり、元の生活環境でも窮屈な思いはしてきた。家主に頭を下げられるような事ではない。


「ねーねー兄ちゃんはなんでそんな大きいの?人ってみんな兄ちゃんみたいに大きい?」


「でかいのは生まれつきだからな、多分母親がでかかったから似たんだと思う。俺は結構大きいけど、人にも小さいのは沢山居るし、もっと大きいのも少ないけど居るぞ」


 ニコラの膝の上でブドウに似た紫の果実を頬張るソラン。家に招かれてからすっかり懐かれており、ここが定位置だと言わんばかりに居座っていた。

 夕食は数種類の果物に森で獲った兎肉を茸や野草と共に煮込んだスープ。穀物が無いのは少々寂しいが贅沢は言えない。


「お口に合えばいいんですが。ごめんなさいね、大した物も出せなくて」


「いえ、そんなことありませんよ。スープのお替りお願いします」


 レイラが申し訳なさそうにしているが、ニコラは今飲んでいるスープの味にはそれなりに満足していた。ただ、欲を言えばもう少し塩分が欲しいとは思っていた。と言うより塩気がかなり薄い。一応兎の内臓も団子になって、茸のダシも出ているから味は申し分無いし、野草が臭みを消してくれたので食べやすいが、どうにも塩分が無いと物足りない。それを口に出さなくとも顔を見て気付いている為に夫人は息子の恩人に対して申し訳ないと思っていた。

 ただし、ニコラの不満に気付いているのはレイラだけであり、他の三人は言葉通り料理に満足してくれていると思い、気分よく話しかけて来た。その大半は懐いたソランがニコラについてあれこれ質問攻めしている。


「兄ちゃんの住んでたところってどんなとこなの?」


「俺のか?エデンっていう移民の開拓地だな。ちょっと説明し辛いんだが、まあ辺鄙な所だったぞ。そこで米農家、ああ食べられる植物を自分達で育てる家で生まれたんだ。で、大人になってから家を出て兵隊になったんだよ」


 かなり分かりやすい言葉を選んで伝えたつもりだったが、四人全員首を傾げてよく分からないという顔をしている。そもそも彼等は生まれた村を離れた事が無く、移民と言う概念が無い。さらに森に行けば豊富な食糧が手に入るのだから自分達で食べ物を育てる概念も存在しない。おまけに狩猟はあっても同族を殺すと言う発想すら生まれない環境では、兵士の役割も理解し難い。

 自分の常識が何一つとして通用しない異文化交流の難しさにニコラは言葉が見つからなかった。そして先人たちがどれほど苦労を重ねて異文化との相互理解を続けていたのかを身をもって理解した。

 そして安易に異文化への理解を放棄せず、ひとまずニコラは一つずつ順を追って、ソランぐらいの幼児にも分かりやすい内容で説明をし始め、完全ではないが何となく必要な事であるというのを一家に理解させることに成功した。

 ただし、戦争の概念を理解させるのだけは随分と手間が掛かった。彼等エルフにとって他者、それも同族を殺してでも自分達の利益を守ろうとする人間の精神性はまるで理解出来なかったが、どうにか自分達の生活に当てはめて、獣のような外敵を追い払う自衛のための武力までは必要だと納得はしてもらえた。


「その…ニコラは人を殺すのは平気なの?」


「平気じゃないが、自分で選んだ仕事だから覚悟だけはしているよ。それに俺が兵士になった時には同じ人と殺し合うより、優先して戦う相手が居たから、多分人を殺す事は無いと思ってたし、実際に一度も人を殺す機会は巡ってこなかった」


 エルフ達にとってはそれほどに同族は尊く、互いに殺し合うなど気狂いとしか思えない。弟の恩人が同族殺しをしていると思っていたセレンはそれを否定されてほっとした。


「俺はその日の昼に働いて汗かいた後、夕食に酒が飲めればそれで良かったからな。程々に兵隊勤めてから別の仕事しても良かったんだ」


「じゃあ兄ちゃんずっとここに居なよ。あの地竜をやっつけたんだから、狩りをしてればお酒飲めるよ。このまま一緒に村で暮らそうよ」


 ソランが無邪気に永住を勧めるが、ニコラはただ苦笑だけして言葉をはぐらかした。ちなみに地竜と言うのは昼間ソランを襲っていた角の生えた大きなトカゲの事である。極めて獰猛な肉食獣であり、さらに口から毒を吐き、猪や鹿のような大型動物も簡単に捕食してしまう。当然エルフも捕食対象であり、子供などは恰好の餌として過去にも何度か森に入った子供が食べられている。そんな危険な獣を容易く狩ったニコラは銃を知らない村人達からは凄腕の狩人として一目置かれていた。


「アンタは我々が先祖から聞いている人間とは大分違うが、それでも人には変わりがない。我々エルフと一緒に暮らさない方がお互いの為だろう。それと、出来ればここを出ても村の事は一切話さないでほしい。我々はこのまま誰にも知られずに静かに暮らしていたいんだ」


 シャイドの言葉は柔らかいものだったが、明確な拒絶の色を含んでいる。まだ数時間しか共にいないニコラには村人が何故そうまで人間を拒絶するのか分からない。だが、異文化同士の最初の接触が友好的な結果を生んだケースが圧倒的に少ないのはこれまでの人類の歴史を学んでいれば自ずと答えは得られる。まして種族の違いは肌の色の違い以上に血を流す結果に繋がっただろう。過去にそのような悲劇に見舞われたエルフ達が外界との接触を断って森の奥深くに隠れ住んでいても何の不思議も無かった。

 こうして同じ屋根の下で、共に同じスープを飲んでいても人間とエルフには見えない壁が存在している。ニコラには確かな感触としてそれを感じていた。しかし、膝の上の無邪気なソランにはそんな壁は存在せず本心から慕ってくれる。それがニコラには嬉しかった。


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