騎神戦記
卯月
第一章 異邦人の選択
第1話 蛮族と森の民
なぜ自分はこんな事をしているのだろうか。男の自問自答に答えられる者は周囲には誰も居ない。
人の手の入っていない日の光が届かぬ鬱蒼とした密林、今しがた所持していたアサルトライフルで射殺した体長4mはあろうかという巨体の爬虫類の死体、そしてその爬虫類の死体のそばで失禁している褐色肌の幼児。そのどれもが男がほんの数分前まで居た職場とは無縁の存在だった。
試しに自らの頬を抓ってみると痛みが走る。少々疑わしいが現在の状況は夢の中の出来事ではないとの確証は得られた。昨夜もしこたま酒を飲んでいたので、まだ酔いが醒めていないのかとも思ったが酩酊感も感じない。念のために足元に転がっている石を数個積み上げてみると難なく石は積み上がる。身体能力にも異常は見当たらず、身に着けたタクティカルアーマーにも目立った不具合は見つからなかった。
この異常事態の中で自分一人だけが正常な現状こそ不可解極まりない状況であったが、いつまでもボケッと突っ立っているのは無駄な気がしたために、唯一コミュニケーションを取れるであろう座り込んだ幼児へと男は話しかけた。
「なあ坊や、ここら辺の子かい?もし良かったらここがどこなのか教えてほしいんだけど」
勤めて冷静に、そして幼児を恐がらせないように笑みを浮かべて話しかけるが、返って来た言葉には混乱と落胆しか生まれなかった。
「※※※※※※※※※※※※※※※」
明らかに自分の習得した日本語とロシア語、あるいは公用語の英語とは似ても似つかない言語を操る幼児に面食らうものの、もしかしたら自分が知らないだけで既存言語を喋っている可能性もあると自らを納得させてから、別のコミュニケーション手段を模索すべきと気持ちを切り替えた。
しかしその前に一つ大事な事を忘れていると男は気付いた。人と人との繋がりを持つ上で、一番最初にすべき事があった。
男はその場にしゃがみ込んで、幼児と目線を合わせる。そして自らを指さして名乗った。
「ニコラ。俺はニコラ=古河だ。ニコラでいい」
何度も自分を指さして、ニコラと連呼すると、幼児の方も男が何をしよとしているのか察したのか、何度もニコラと口にして、男の名がニコラだと理解した。そして幼児もまた、ニコラの真似をして自分を指さして名乗った。
「ソラン。※※ソラン※※」
「よしっソランだな。ちゃんと覚えたぞ」
第一ステップは上手く行った。たとえ言葉が通じなくとも、こちらの意図を理解してくれる知性がある事が分かったのは大きな収穫である。
さらにソランを良く観察してみると完全に手ぶらである。荷物など何一つとして持っていない状況は旅をしているようには思えない。近くに集落があり、親が目を離した隙に遊びに行って獣に襲われていると考えるのが最も納得がいく。となれば第二ステップはソランの親を探す事になるだろう。
ニコラは木の枝を拾い、落ち葉を払って露出した土の地面に何かを書き込み始めた。ソランも興味を持って覗き込むと、地面には少々不出来だったが人型が三つ描かれている。うち一つは二つより小さい。その小さな人型を枝で差した。
「ソラン。これがソラン」
小さな人型がソランを表している事を伝えると、次に残る大きな人型二つを枝で差し、その枝を周囲四方へと向ける。ソランはこの行動に少し戸惑ったが、ニコラが何を言いたいのか何となく分かったのか、ある一方向を指差して手招きした。その様子を見てニコラはホッとする。これでソランが迷子だったら、途方に暮れていた事だ。この状況に放り出されてから一向に同僚達と連絡が取れず、装備機器から送られてくる情報も大半が不明ときた。そもそもが自身の故郷にして配属先であるケンタウルス座α星系の移民星プロキシマ・ケンタウリb、正式名称『エデン』とは似ても似つかないこの環境こそ現実とは信じられない。何から何まで訓練で経験していない異常事態に精神は相当圧迫されて参っており、どこかで休息をとらねば気が狂いそうで仕方が無かった。一応精神安定剤はサバイバルキットに常備してあるが、今後どのような形で必要になるか分かった物ではないので気軽には使えない。
ニコラにとって未舗装の森の中は酷く歩き辛いが、反対にソランはひょいひょいと軽い足取りでどんどん進んでいく。それも靴どころか天然の革を足に巻いた程度、裸足より幾らかマシ程度の装備で尖った石や枝の散乱する地面を平気で歩くとは、随分と足裏が強い幼児なのだろう。西暦25世紀の現代っ子とは思えない。
さらにソランの身に着けている物も不可解である。非常に雑な造りの貫頭衣一つに、動物の骨を加工したと思われる乳白色の装飾品を身体の随所に身に着け、肌の至る所に何かしらの顔料で幾何学模様が描かれている。言い方は非常に悪いが、学校の歴史の授業で習った過去の地球の未開の地に住む蛮族然とした姿に、どこかの撮影スタジオかコスプレ会場に紛れ込んだかのような錯覚を覚えた。
極め付けにソランの容姿は自身とはずいぶんと異なっている。褐色肌はさほど珍しいものではない。自分の黒髪とは対極にあるような白銀色の頭髪と赤い瞳もアルビノ体質と考えれば稀にだが見かける。一流の人形技師が己の技能と経験によって計算し尽した末に作り上げた均整の取れた人工物めいた容姿も良いだろう。だが、一点だけはどうにも疑問を解消出来ない。彼の耳だ。ソランの耳は常人の倍以上は大きく、先端がナイフのように尖っている。数百年前に産声を上げた古典文学に登場するエルフと呼ばれる亜人種と酷似した外見に、ニコラはここが現実なのか現在も疑いを持っている。
答えの出せない疑問に悶々とし続けながらもソランに誘導されてしばらく歩き続けると、風に乗って多数の人間の声が聞こえてくる。男女の声もあれば幼い子供の声、老人のしがれた声もある。そのどれにもソランの名が入っている。つまりこの声の先が小さな同行者の住処に他なからなかった。
「ニコラ※※※※※!」
ソランも声が聞こえたので嬉しそうにニコラの手を引っ張り、早く行こうと催促する。だが、開けた土地に出ると二人を迎えたのはあらん限りの悲鳴だった。
ニコラとソランを除いた全ての人々は二人を、正確にはニコラの姿を見て大混乱に陥った。女性達は悲鳴を上げて子供を抱えて逃げ出し、男達は手に持った槍や弓を構えて明らかな臨戦態勢に入って、ニコラに向けて怒声を浴びせる。何を言っているのかはニコラには分からなかったが、何が言いたいのかはおよそ想像がつく。
「招かれざる客って事か。まあ、何となくは予想していたが、いざとなると心に来るものがある」
こちらが友好的な態度だからと言って向こうが同じように接してくれるとは限らない。それぐらいは20歳を過ぎた身の上のニコラにも分かっているが、流石に武器を向けられると気分が悪い。
さらに遠目に何か喚いている女性を必死で引き留めている少女の姿が見える。その姿を見たソランが何か呟きニコラを見ている。何となくだが、彼女がソランの母親かその類の女性ではないかと感じたニコラは手を放して、ソランの背中を押してやった。
するとソランは嬉しそうにその女性に駆け寄って抱きしめられている。取り敢えずこれでソランは片付いたが、今度はニコラの方が窮地に立たされたわけだ。ただ、巻き添えになりそうなソランが居なくなっても即座に矢を射掛けない所を見ると、男達もこちらを明確に排除して良いものか判断が付きかねているのだろう。楽観的な意見になるだろうが、交渉の余地は残されていると思っても良い。尤も、言葉が分からない以上は交渉も何もあった物ではないわけだが、あとは精々ソランがこちらを弁護してくれるのを期待するしかないのが実にもどかしい。
暫く睨み合いが続いたものの、一人の杖を突いた老人がニコラの方へとゆっくりとした足取りで近づいて来る。他の住民と同様に褐色肌の銀髪、そして常人の数倍の大きさの尖った耳を持ち、ソランの数倍の装飾品を身に着けており、一目で社会的地位の高いと分かる様相だった。その老人に武器を構えた男達が警告とも取れる言葉を掛けているが、それらには笑顔で取り合わず、ニコラへと対峙する。
老人はニコラを見ることなく、何か呟き続ける。すると不思議な事に老人の周囲に風が纏わり付き、その風は老人を離れ、ニコラへと向かって行く。
反射的にそれを虫を払うかのように追い散らそうとしたが、形無きモノにそのような行為は無駄であり、ニコラの周囲には常に風が纏い続けた。
「――――ごほん、儂の言葉が分かるかねお若いの。それと、その風は儂等の同朋故にあまり邪険にせんでもらいたい」
急に聞き慣れた英語で話しかけられて驚いたニコラだが、こうして話が出来るようになったのは都合が良かったので、ついでに武器を納めてもらうように頼むと、老人の命令で若い男達は不承不承ながら武器を納めて成り行きを見守る姿勢を示した。
「そうそう名乗るのが遅れたが、儂はこの村の長をしておるジャミルじゃ」
「ニコラ=古河、地球統合陸軍軍曹だ。なぜか分からないが森に居た」
ヘルメットを脱ぎ、敬礼すると、村人達の喧騒はさらに膨れ上がった。先ほどは彼等の言葉が分からなかったが、今は彼等が何を恐れ、敵意を向けて来たのかがはっきりと分かった。
「人だ。あいつやっぱり人だった」
「人よ、あの蛮族がこんな所にまでやって来たわ」
「蛮族めッ!村に何しに来たんだ」
言葉が分かるようになったのは良い事だが、人と言うだけで敵意を持たれるのには辟易する。彼等が人を唾棄すべき存在だと捉えているのは理解したが、では彼等は何者なのか。耳が尖っただけの人ではないのか。ニコラは疑念は尽きない。
「気を悪くせんで下され。儂等は先祖の教えに従って人と関わるのを避けて生きて来た。誰も彼もが人との付き合い方を知らんのじゃ」
「あんたらは人じゃないのか?俺には耳が尖っただけの人にしか見えないが」
その言葉が契機となって一人の若者が怒りのあまり矢を番えて何の躊躇いも無くニコラへと放った。狙いはわざと逸らしていたのか、耳を掠めるような軌道だったが、あからさまの敵対行動にはジャミルの叱咤が飛んだ。
「止めないかフィーダ!この人間はソランを助けたのだぞ!その礼が矢など、お前は森の民の誇りを忘れ、いつから蛮族になったのだ!」
「だが長よ、蛮族がなんの理由も無く我々エルフを助けるなど、疑わしいにもほどがある!こいつを信用するのか!?」
フィーダと呼ばれた若い男の言葉に多くの村人が同調する意思を見せる。
「信用などしてはおらん!だが、助けられた恩を返さず追い立てるなど、エルフの誇りを汚すような真似をするなと言っておるのだ」
負けじとジャミルも彼等を説き伏せると、幾らか冷静になった村人達は渋々ながら長の言葉に従うも、それが面白くないフィーダをはじめとした若者達は彼に従わず森の奥へと姿を消した。
それを溜息を吐いて見送るジャミルはニコラへ謝罪して改めて何か礼をしたいと申し出る。
「なら、あんた達の事を含めてこの辺りの事を教えてくれ。正直、何が何だがさっぱり分からん。それと、もし良かったら酒を飲ませてくれ」
「お前さん欲が無いのう。まあ気に入るか分からんが、酒はたんまりあるから用意しよう」
意外そうな顔をしてニコラの頼みを快く聞いてくれるが、もっと無理難題を吹っ掛けられると思ったのだろうか。もしそうならば、ここの住民の外の人間に対する認識と言うのは相当に悪いものらしい。田舎というものは独自のコミュニティで完結しているので人であれ物であれ外部が入ってくるものに対して排他的になりやすい傾向があるのは知っているが、ここはその中でも筋金入りの排他的精神と言わざるを得ない。先程の血の気の多い若者のように襲い掛かって来るかもしれないので、酒をたらふく飲んで不覚を取らないように程々にしておかねばらないのが大いに不満だった。
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