新歌集より 本当の化け物

 瞬が家に足を踏み入れると、庭の池から黒い水がとめどなく流れ出していました。

 目を走らせれば、黒い革ジャンを着た男が一人。それが黒い水から生えていました。


 男が笑うのと、瞬が笑うのは同時でした。


--なんだお前、気持ち悪いな。

 男の言葉から瞬は意思疎通ができると笑みを深くしました。後ろからの気配から身を躱し、獣を避けました。

 男は笑みを引っ込めます。


--白いふわふわよりは手応えありそうじゃねえか。ええ?


 白いふわふわというものと敵対している。か。瞬は敵がべらべら喋って貴重な情報を流してくれることに感謝しつつ、どうすれば情報を得られるか考えました。

 悪意があるのは間違いない。直接的に聞いても悪意のある返事しか返らないだろう。だとすれば……


--お前は誰だ。

 瞬は静かに尋ねました。悪意のある相手でも、自らの名乗りは比較的正確な情報を得られるという考えたのでした。


--俺が誰か、か。けけけ。俺はケンジ。俺のグリンガムに刺激物をぶっかけたのはお前だな。

 水から生える、腕から何かを分離するような非常識な存在ながら日本語ネイティブに日本名。成分分析能力はないが、おそらくは水を通して感覚はある。


--何故こんなことをする。

--いっひっひっひ、いいねいいね。いかにも部外者、いかにも今来たって感じ。間違った正義感でここに来たのか、ええ? 残念だなぁ、最悪だなぁ、お前の選択ミスだ。お前は、ここで死ぬ。

 敵の陳腐さに、瞬は笑いをこらえました。


--何がおかしい!

 怒り狂って腕から獣を出して、ケンジは叫びました。瞬は獣の目が潰れていることに注目しながら心の中で分析を進めました。つまり出たり入ったりしても怪我の状態などは引き継がれるということかと。

 それ以外は、常識の範囲内かな。

 バカにされることを極度に恐れて他罰的な言動を多発させる人間そのものは、瞬の知る中でも割といました。そういう言動を繰り返すと、遠ざけられてなお他人とのつながりを求めて他罰的な言動を高めるものです。瞬から見たケンジは、その類例から逸脱していないように見えました。


 瞬はわざとらしく笑いました。

--そりゃあ、とてもおかしいよ。そうだろ。がっかりだな。わざわざ見にきたのに、相手が単なる社会的不適合者だったとは。暴力でしか自己を表現できず、しかもそれが陳腐とくれば、失笑もするさ。君は不良の変種でしかない。それも下っ端として知らずに酷使されている。違うかい?

 瞬の言葉にケンジは瞬の後ろから獣を出して襲わせました。避ける瞬は脚を掴まれ、そのまま笑顔で掴んだ腕めがけてスリングを撃ちました。

 短い悲鳴で腕が手を離し、瞬は獣からも逃れてスリングをケンジに向けました。


--奇襲にこだわるということは、君たちは出たり入ったり以外はただの人間と変わらないんだろう。同じ手を二回もやったということは、君にはあまり手段がないということじゃないかな。


 瞬は言葉を続けました。


--君は、お前は誰だと言う。

--お前は誰だ!


--君たちとずっと接触したかった者さ。情報をあるだけ吐いて貰うぞ。


 腕から化け物を生やすより、もっと恐ろしい化け物を頭の中で育てていた瞬は白い歯を見せました。

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