新歌集から 大灯台の目覚め

 埃まみれのエノクは、片手をつきながら大灯台の傾斜を登っていました。既に夜か昼かも分からなくなっており、ただ空腹と喉の渇きだけが、時間が経っていることを教えてくれていました。

 一歩、また一歩と登るうちに、自分の限界が近づいてくる感覚がありました。そして疲れ果てて脚が止まりそうになると、エノクはいつか飼う牛を思って、心を落ち着けるのでした。


--音が変だ。

 エノクは乾いた口の中でそう呟きました。音の反響が変わって、どこから聞こえるのか、にわかに分からなくなり始めました。

 視覚に続いて聴覚まで制限されたか。

 エノクは、この上にお宝が本当にあるかもしれないと思い始めました。多くの人間が大灯台に挑戦して失敗してきたであろうとも。


 不意に、後方で叫び声が聞こえました。思ったよりずっと近くのような気がして、エノクは短剣一つを手にすると、息を潜めて闇に潜みました。


--エノクぅ、エノクー、どこだー。

 とっくに正気をなくした声がどこからか聞こえました。エノクは牛のことを考えます。それと、名前もちゃんと聞いていなかった娘のことも。

 血の匂いが、近づいてくる。

 エノクは鼻の匂いを忘れることができることざえを持っていました。忘れることで匂いに慣れて何も分からなくなる事がなかったのです。それで闇の中で役に立ち、正気を失わずに生きていけたのでした。


 足音ではどこまで近づいてきたのか分からない。匂いだけが頼りだ。エノクは苦笑いすると、表情を消して待ちました。

 見つけたぞ! という叫びにも動じず、エノクはそこから遅れること数瞬の後で、正面からから首筋に短剣を突き立て、そのまま刃を引いて血管を切断しましたました。そのまま血を啜って喉の渇きを癒やすと、再び大灯台を登りはじめました。誰を殺したのかについては深く考えもしませんでした。


--人間の血ではなく、牛の血が飲みたい。

--せめてあの娘の血を。


 エノクは血の匂いを新たに感じ直して頭を振りました。


--違う。水が飲みたい。あの川でなぜ俺は水を飲まなかったのだろう。


 ああ、そうだ。盗賊仲間が、あの女を強姦しそうだったから急いで離れたんだ。そうだ。

 それからエノクはまた歩き始めました。


 また一歩、また一歩。

 そうしてどれだけ歩いたでしょうか。エノクは頬に風を感じて顔を上げました。大灯台の頂上に登り着いたのです。屋根のみがある大灯台の頂上、その真ん中には輝き続ける青い光があり、エノクはまた一歩一歩歩き出しました。もう走り寄る力は残されていませんでした。


--これで盗賊も終わりだ。


 そう呟くと、エノクは目を細めて青く輝く光を間近で見ました。


 そこに合ったのは干からびた少女の右腕でした。それが光をあげていたのです。


 エノクは急に笑い出しました。

 いつまでもいつまでも笑い続けました。


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