新歌集から 人魚と少年の身の上話
砂漠のようなかつての海の底で、くはし大太郎法師は、戦略策定を中断し脚を止めて、音声回路に電流を流しました。
--それはそれとして休まない? 歩くの疲れちゃった。
--まだ一日歩いてないぞ。
--歩くのに向いてないんだよね。人魚だから。
--自称人魚ね。
--ん。今すぐ戦争はじめる? シホウミ半分吹き飛ばすよ?
--はいはい。休む場所ってどこにする? 俺は乗り上げている船体の影にでも行けば良いけど。
--それなら。
くはし大太郎法師はそっと少年を片手で抱き上げると、軽くロケットを噴射して、舟の一隻に降り立ちました。外殻だけ残っていた舟の中はまだしも湿った土に覆われていて、そこにはリンゴの樹が一本立っていました。
--すげー、リンゴだ。こんな形で自然ではあったんだ。
--環境センサーに引っかかって当たりをつけてきたんだけど、この付近だけ脱塩してあるんだよね。多分、ここで生活しようとしていた人間がいたんじゃないかなあ。
少年は珍しそうに近づくとリンゴの樹を見て、感嘆したようにうなりました。
--食べていいんじゃない? 所有権は消失していると思うけど。
--い、いいのか。食べるぞ。本当に食べるぞ。
--縮退炉を搭載してない人間は不便だよね。一時休戦にしてあげる。
少年はくはし大太郎法師の言葉を無視して、リンゴを見て、触って、一個もいで、シャツでピカピカに磨いたあとでかじりました。
--すげえ! うまい!?
--なんで疑問形が混じるの?
--いや、初めて食べるから。これがうまいってやつなんだろうなーと。それより、休むんだろ、なんで突っ立ってるんだ?
--君は知らないだろうけど、私は繊細なの。脚は陸戦仕様だけど、それでも三〇kmごとに定期診断と自己修復しないといけないし、背面にはロケットあるから寝転べないし、うつ伏せはおっぱい潰れたり割れたりしたら嫌だし。
--鉄板なら叩いて直せばいいじゃん。
--ん? 今すぐ戦争再開する? どこ見て言ってる? 見なさいこの美しい胸部装甲、厚すぎもせず、薄すぎもせず、そしてこのちょっと上向きの絶妙なカーブ。そして構造色が作り出すあでやかな光彩。まさにひといをの産み出した最高の美の一つじゃない? これを人間の手作業で再現できるわけないでしょ。
--リンゴうめ!
くはし大太郎法師は胸部に隠されたように搭載された大小のレーザー砲を向けました。
それでも無視してリンゴを食べる少年を見て、何度か地面を踏みました。
--これだから文明退行は良くない!
--休んだがいいんじゃない?
くはし大太郎法師は音声回路の電源を切りました。
再び電流を流したのは四時間ほどたっての話でした。
--考えたんだけどレーザー砲に対する知識がないから怖くないんだね。
--いや、胸の下に並んでる筒が武器っぽいのは分かってるよ。
--じゃあ。
--俺のことざえって、恐怖を感じないヤツなんだ。どんなことも怖くないし、いつだって普通。いつも通り動ける。でも親はそうじゃないから、俺、よく捨てられるんだ。何度か生きて戻ってきたら、今度はこんなところに連れてこられちまった。
--原形至上主義の遺伝子操作ね。でもその改良はいいとは言えないね。怖いからこそ回避もできるんだし、それは人間として壊れている、と言ってもいい。
--親もそう言ってたな。
くはし大太郎法師は脚部の整備用ライトを付けて少年を照らしました。
--まあ、壊れていると言えば、私も壊れているけど。主要機能の大部分が死んで動かせるのは艦載機一機だけ。だから君のことには同情なんかしないよ。精密で大きな機械はどこかしら壊れているものだから。
--はいはい。俺寝る。
少年はくはし大太郎法師の足下で寝転びました。
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