グロリカの魔術修行

 ウルクから西に猫の足で二〇日も歩くと砂漠に抵抗する木々があり、さらにもう少し西に行くと綺麗な泉があります。清冽な水を湛えるその泉には、秋も深まると紅葉の葉がたくさん浮かんで、どこか異界の雰囲気を醸し出すのでした。

 朝、霧の出る頃、服どころか名も奪われて、全裸で冷たい泉を渡る娘は、泉の上に浮かぶ青い魔術師を見上げます。

 青い魔術師は微笑むと、厳かに口を開きました。

--全てのことざえを捨てるか。

--もとよりもちません。

--服を捨て、名を捨て、ことざえを捨てた。もはやお前に残るものは僅かもない。

--いいえ。

 娘は水の冷たさに唇を青くしながら言いました。

--思いは、ここにあります。

--それを奪えるものはこの世にない。ただ自分を除いては。

 青い魔術師はそっと娘の耳に顔を近づけました。

--グロリカ。

 それが彼女の新しい名前でした。娘は魔術師になったのです。


--グロリカ、お前に魔術の基本を教えよう。魔術は風を扱わぬ、魔術は光を扱わぬ、魔術は水を扱わぬ、魔術は土を扱わぬ。

--はい。お師さま。

--だが魔術師こそは最強の職だ。できぬことなどは何もない。

 青い魔術師は手からドレスを出現させるとグロリカを岸に引き上げました。

--指が一本動く内、目線を少しでも動かせる限りは、魔術師は危険でなければならぬ。今日はその服を着て、暖かくして眠りなさい。明日から魔術を教えよう。


 グロリカは樹のうろで丸くなって寝て、翌日から魔術の修行を始めました。師について、呼吸をする方法を学び、歩く方法を学びました。一面に広がる落ち葉を踏んで音を立てるたびに諭され、足跡を残すたびに方法を教わり、一時間に一回の呼吸ができないたびに、頭を撫でられてもう一度挑戦するのでした。


--お師さま、これは本当に魔術なのですか。

 木々の枝の上を腕を組んだまま師について歩きながら、グロリカは尋ねました。師が優しいので、つい思ったことが口に出るのでした。

--魔術だ。

 師は枝から枝に飛び移りながら言いました。グロリカは危なっかしくもついて行きます。

--でも私は呪文の一つも教わっていません。

--呪文などはいらぬ。それは甘えだ。

 青の魔術師は大鷹の巣を大股でそっと抜けると、森一番の大岩よりも静かに言いました。

--でも魔術師は呪文を使うものだと教わりました。

--誰が言ったのだ、それは、魔術師か?

 師に尋ねられて、グロリカは恥ずかしくなりました。

--いいえ。

--魔術師について百万の者が嘘をつく。こうだと決めつけるものもいる、こうあって欲しいからそう口にする者もある。だがどれも正しくはない。魔術師の事が分かるのはただ魔術師のみ。他人の言葉を聞き流しなさい。誰が理解しなくても良いのだ。グロリカ、ただお前が正しければそれで良い。

 グロリカの師はふわりと木々から降りると、グロリカを見上げて微笑みました。

--グロリカ、降りてきなさい。

--あ、でも、飛び降りるのはまだ怖いです。

--死にはせぬ。

 グロリカは目を瞑って飛び降りました。確かに死にはしませんでした。師に抱き留められたからです。

--まずは目を開いて飛び降りる練習をせねばな。

 グロリカの頭を撫でて、師は厳しい顔を少しだけ緩めました。

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