新歌集から 元少年の娘たち
角なしパン屋という奇妙な名前のパン屋に、二人の踊り子がやってきたのは昼頃の話です。二人とも半裸というか、肌の露出が多すぎて、目のやりどころに困る有様でした。到底昼のパン屋に似合いそうな格好ではありません。もちろん、夜のパン屋は閉まっていますから、いつでも不似合いというわけです。
それでもパン屋の主人は頭をかくと、注意することもなく放って置きました。昔、あれこれうるさい街から逃げ出してきた経験から、細かいことは言わないようにしようと思っていたのです。
首の伸ばしたりしゃがんで棚の隙間を見たりする奇妙な二人の踊り子のうち、年長の娘がカウンターに座る店主に向かって言いました。
「おじいさん、この近くに休める場所はないですか。できれば店が眺められる場所で」
格好どころか質問も変な客でした。いや、客ですらないのかも。
「店を眺めるとは、どこの店だね」
「このお店です。実は待ち合わせしているんです」
「パン屋を待ち合わせの場所にするなんて、聞いたこともない話じゃな……お連れさんはどんな人だい?」
「それが、猫なんです」
このじいさんをからかっているつもりなのかと、パン屋の主人はまじまじと年長の娘を見ました。ところが表情は、至って真面目。それでじいさんは、弟子の角なしに声を掛けました。
「おうい、人と待ち合わせをする猫を知らんか」
「親方、そんな猫いたら大騒ぎだよ」
弟子の言うことはもっともです。主人は猫という名前の人物なのかなと腕を組んで考えました。当然思い当たる人はいません。
「覚えがないのう」
「じゃあ、ただの猫はどうです?」
主人が腕を組んだまま頭をひねると、弟子の少年がやってきて口を開きました。
「親方、この間までここに来てた黒猫のことじゃない?」
「ああ、パン好きの珍しい猫か」
「あいつ、前脚でパンを掴んでたから、ひょっとしたらしゃべるくらいできるかも」
ものを掴むのとものを喋るのでは天と地ほども違う気がしましたが他に思い当たるものがあるでなく、主人はその猫について踊り子に話してやりました。
「それだ」
そう言って踊り子二人は手に手を取って喜びました。
「なんだか色々ありそうじゃの」
「色々あったんです」
「うちの店も色々あったよ」
弟子が調子に乗って言うので、店主は弟子を睨みました。まあでも、弟子が笑って自慢話にするようなら、そっちの方がいいのかもなと、思い直します。
「ふむ。丁度今日は店じまいだ。無理にとは言わんが、話を聞かせてくれんかね。お嬢さんたち。わしらも話をしよう。ついでに食べるものも出そうじゃないか。幸いパンは売るほどある」
店主が言うと年長の娘はありがとうと言い、弟子が持ってきた椅子の上に座りました。
「実は、私たちは元男というか少年で……」
「ああ、それなら僕は元々角ありだよ」
「一々張り合うな。なるほど。去勢刑じゃな」
「何をやったの?」
今は角なしの弟子がそう尋ねると、二人の元少年の娘たちは苦笑しました。
「私は戦争で活躍して捕虜になりました。で、うっかり兄殺しちゃって」
「俺は妹殺したやつに復讐した。七人くらいは殺したかな」
弟子と店主は抱き合って震えました。ひぇぇとはこのことです。二人の娘は互いに笑うと、店主と弟子に微笑みかけました。
「あんたが妹の敵じゃない」
「あなたは弟に欲情するような兄でもない。ついでに親切だ」
弟子と店主は抱き合ったままこくこくと頷きました。
「だから大丈夫。心配無用ってね」
二人は同時に片目を瞑ると、楽しそうに笑い合いました。
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