ツノなしパン屋創業伝説への応援コメント
これは勇気の物語。
新歌集から 元少年の娘たちへの応援コメント
ここでつながるんだっ!!
編集済
外つ歌 片腕の調停者への応援コメント
(前注:様々な状況、制約に配慮をして今回の論文は以前のものよりもまして、事情に通じていない人には意味不明な文章になっていることを前もってお伝えします。また芝村さんにおかれましては、この文章をここに投稿することになんらかの不都合がありましたら申し訳ございません。その場合はこの投稿を削除してください。連絡などは不要です)
古歌集研究論文 その2
芝村裕吏作、無名世界観におけるリューンの一元的な見方から、二元的な見立てへ
リューンが壊れている、とはどういうことなのか?
その治療法の糸口を探る
または答えを見つけることが出来る者への手紙
〈著:寅山 日時期〉
(この論文に登場する人物の敬称は省略する。)
リューン。それは芝村裕吏が設定を作ったとされている無名世界観に度々登場するその正体がいまだに解明されていない物質である。この世界に遍く存在し通常は目にすることもできない、という。
(芝村裕吏が作ったとされている、と書いたのは今では氏さえも無名世界観の内部にいるようだからである。)
物質でもあるが意思があるように振る舞うことがあり、なんらかの生命や知能があるようでもある。ここで生命と知能を分けたのはそれが必ずしも同じものではないからだ。草木は生命だがそこに知能はあると言えるのか、あるいはAIは知能だが生命だと言えるのか、という話である。もちろん言える、という捉え方もできる。
ではリューンの場合はどうだろう?リューンとは生命であろうか?知能であろうか?それともそのどちらの性質も持っているものなのだろうか?それともそれは鉄や金銀や陽子や電子のように生命でも知能でもないものなのだろうか?
リューンとは世界の意識子、精霊の別名、第7世界のミームの別名であるという(※1)。また質量の無い情報であり(※2)、絶技を使用するには大量のリューンがいる(※3)、リューンは意思がある(※4)そしてリューンとは無名世界観のすべてのものを構成しており(※5 ※6)、オーマが率いている精霊もリューンであるという(※7)。このようにリューンという存在の理解のされかたは多岐にわたり、上記の理解の仕方が真実であるならば無名世界観における根源的なものであることになる。
オーマと呼ばれている人々のなかでもとくに太古の人々(とここでは書いておく)はリューンについての理解が深いようである。がそれは本当なのであろうか?
この疑問を言い換えると以下のようになる。
1,この世界の法則、あるいは物質であるリューン、太古の人々はそれを正しく理解している。
2,この世界にある法則、あるいはある物質があり、その性質やふるまいは完璧には解明されていない。しかし太古の人々はそれをリューンと名付け完璧ではないものの理解をしており使用できてはいる。
(これはリアルの世界における我々が、いまだに統一場理論を解明できていないのにもかかわらず物理学が出来ていることと同じことだ。)
もしや2なのではないか?という考えから、今回の論文を書く切っ掛けになったリューンに対する見立て(考え方)は始まったのだ。
リューンに対する上記の見方は概ね一元的なものである。リューンが世界を作っている、という見方だ。この論文では私はリューン対する一元的な見方ではなく、二元的な見立てを提示する。
二元的な見立ての大本はアリストテレスが唱えた世界の構成物質の見立てである。アリストテレスはこの世界にある万物はヒュレーとエイドスというもので出来ていると唱えた。
ヒュレーとは材料であり、エイドスは設計図である、というのが有名な例えであり、よく語られるのが……
木材というヒュレーと家のエイドスが合わさると→ログハウスになる
木材というヒュレーと椅子のエイドスが合わさると→木製の椅子になる
というものである。このようにヒュレー(材料)が同じでもエイドス(設計図)が異なれば完成するものは異なるのである。直感のするどいかた、頭が良いかたならばすでにお気づきのように、木材というものも樹というヒュレーと材木というエイドスが合わさった結果であり、樹というものも……と無限に退行することは可能である。そうして最後に行き着くのものは第一質料と呼ばれるヒュレーであり、これがアリストテレスなりの(今で言う)クォークの捉えかただ。
話をリューンに戻す。
アリストテレスのこの見立てをリューンに当てはめたのが今回の私が提唱するリューンに対する二元的な見立てだ。リューンが万物のもとであるならば
リューンは
1,ヒュレー(材料)でありエイドス(設計図)は別にある。
2,ヒュレーとエイドスを同時に持っている。
二通りの考えかたができる。後者の場合、あるリューンはある特定のもの(肉体とか剣とか椅子とか)になるのが決まっているか、リューン自身が何になるか選択出来る、ということになる。
しかし結城、戯言屋の先行研究(※5 ※6)をみるにリューンとは何にでもなれるーーつまりリューンとある特定のエイドスとは必ずしも決定的に一つに組み合わさるわけではないようである。もっと思考を進めればこう言うこともできる。リューンとは何にでもなれるが故にヒュレーであり、エイドスを持たない。つまりヒュレー=リューンであり、エイドスは別にある。という見立ても可能になるのである。リューンとは無名世界観におけるクォークなのではないだろうか。
では、無名世界観におけるエイドスとはなんなのであろうか?
そこで登場するのが、WTGの説明の一節「WTGは可能性のみを通す」というものである(※8)。そしてその可能性により世界間は補完し合う。補完するとはつまり、その世界になんらかの出来事や事件が起こる、または人などの生命が作られるということである。そしてここで再び私は、リューンは万物のクォークであるという見立てを持ち出す。
WTGは可能性”のみ”を通す、ということはリューンは通さないのである。ということはその世界における出来事や事件なり、生命なりを実際に”形作って”誕生させるのは、その世界に既にあるリューンなのである。ということになる。可能性がまずあり、それにリューンが対応して実際に万物は出現するのだ。まとめるとこうなる、
リューン=ヒュレー(材料)
可能性=エイドス(設計図)
アリストテレスが万物はヒュレーとエイドスで作られた、と唱えたのに対応して私はこう唱える。無名世界観における万物は〈可能性とリューン〉によって作られている。と。
これがリューンに対する私の二元的な見立てである。万物において重要なのはリューンだけではなく可能性もなのである。
(無名世界観における、可能性とは第一原質とも呼ばれている(※8)。これはアリストテレスが唱えた第一質料と似ている点にも注目すべきだろう。ただしアリストテレスのそれがヒュレーなのに対し、無名世界観のそれはエイドスであることに注意をしなければならない。あるいはアリストテレスのそれが物質のクォークであるのに対応し、無名世界観では可能性こそが万物のクォークということなのかもしれない。)
話はこれで終わらない。
あるところである男が「リューンが壊れております。おそらく数時間で死にます。」と言った。リューンが万物の素である、というならばリューンは世界に遍く存在し、また代用/交換可能なもののはずである。それでも治療がうまく行かない、ということは壊れているのはリューン(ヒュレー/材料)ではなくて、可能性(エイドス/設計図)なのではないだろうか?もし可能ならば、その線も検討してほしい。
恥ずかしながら無名世界観の研究者の末席に座る者としての私の筆が進めることができるのはここまでだ。いまはこれ以上考えを進めることができない。いや、私程度のものでもここまでは進めることが出来た、と書くべきだろう。これを読んでいる者のなかには私の何倍も物語の矛盾に気がつき、構造を読み解き、推理力が高い者がいるはずだ。というか私程度のものに知力勝負や物語を読み解く力で負けるなら、それは恥じたほうがいい。私に負けんとする者に、あるいは好奇心と冒険心の強いものにこの論文を手紙として託す。
そのあなたにお願いする。彼女を救ってやってほしい。
(あとがき:作者の芝村さんはもちろん、今回の論文を書くにあたり参考にした先行研究の著者のみなさま、出典元として参考にさせていただいた結城さん、戯言屋さん、そして可能性=エイドスという道を切り開いてくださったpunksさんにお礼を申し上げます。ありがとうございます。以下に出典元を明記しています。この論文が攻略の一助になれば幸いです。)
出典
※1世界の謎萌え追い隊@Hiki 用語集 リューン
http://nazomoe.pun.jp/?%A5%EA%A5%E5%A1%BC%A5%F
※2 広島迷宮事件について星見司処からの説明 17およびQ26とA26
https://s.webry.info/sp/blog.tendice.jp/200710/article_12.html
※3 某所。あれとあれの戦いの描写から
※4 芝村 2017/12/21 https://twitter.com/siva_yuri/status/943507718962266112?s=09
※5 結城 2019/02/05
https://twitter.com/yura_yuki/status/1092476692071821312?s=09
※6 戯言屋 2019/02/09 https://twitter.com/zaregotoya/status/1094068175132549120?s=0
※7 結城 2019/02/05
https://twitter.com/yura_yuki/status/1092472724503449600?s=09
※8 punks 2019/02/08
https://twitter.com/punksidress/status/1093640982162067456?s=09
※※2019/02/10明朝、誤字脱字を修正し、細部を整えました。また上記の文章の題名を変更しカテゴリーをレポートではなく、論文としました。
新歌集より 竜の数え方への応援コメント
ああ、哪吒太子と孫悟空にめちゃくちゃやられた竜も、確か東海竜王でしたね・・・。
それはともかく、竜一行の旅は穏やかで心が和みます!
そして、静日さんが、再び人間と話せるようなって良かったです。
古歌集には、出会うやいなや攻撃を仕掛けてくる人物がやたらと多いですが、彼女には人間とのいい出会いが待っていて欲しいです。
新歌集より:惨劇の山を越えてへの応援コメント
ピロット族式の山岳攻略。
面白いし格好良いです!
しかしどことなく狼とキャベツと羊を船で渡すパズル問題の趣がある気がします。
ゲームジャンルの変更は、ピロット族の特性なのでしょうか?
ともかく、この先の戦いも楽しみです!
不死者には明らかに司令塔が居そうですが、果たしてどんな基地やボスなんでしょうか?
外つ歌:怪しい怪人巨大ロボットへの応援コメント
海法先生が、異世界ですらネタにされている・・・!
それはそれとして、新しい人物の登場による新展開が気になります!
外つ歌 SHIKIKAMI(2)への応援コメント
フットワーカーって誰でも聖銃持ってるわけじゃないんだ・・・
こいつが単に支給されてないだけか?
どういう基準で支給されるんだろう。
外つ歌 組織の名はセプテントリオンへの応援コメント
セプテントリオンって今では壊滅したはずじゃ・・・?
クロス・アクシャが台等する前の話なのか
トップも白のブランカじゃなさそうだし
かってセプテントリオンって竜使いの一族だったという話だけど
そういうのもいずれ語られるのかな。
外つ歌:草原の終わり、山のはじまりへの応援コメント
カムロンさん無事で良かったですが、扱いがひどいw
状況からして、敵撃破数もトップ近いでしょうにw
というか、高レベル放射線下なのに不死者が問題なく再生してるみたいなんですが、細胞に放射線への耐性でもあるのでしょうか?
ゴ◯ラ?G細胞?Gなのですか?
ともかく、青の軍勢の進撃が楽しみです!
新歌集より バビロンの戦士達への応援コメント
リチャード…好きです…
まだガンパレシリーズがガンパレード・マーチしかなかった頃にアルファシステムのサイトで読んだような小説が(うろ覚え)、また読めることを嬉しく思います。再び追いかけます。
新歌集より シノノメの傷心への応援コメント
なんだか、そこの新婚さんを殴りたくなってきました。
この贅沢者め・・・!
まあ、それはそれとして、超時空すれ違いですね!
確かに、時空の壁は性別より大きいかもしれません。
さて、シノノメさんは何時すれ違いに気づくか、そして壁をどう乗り越えるか、楽しみです!
結婚神のメンツが問われる時でもありますしね!
外つ歌:ヨシュアの戦車戦への応援コメント
手から光の槍を出すだけで人外判定とは、戦車の方たちは我々とは別の世界もしくは時代からいらっしゃったのでしょうか・・・?
週刊少年ジャンプも、格闘ゲームも、魔法ファンタジーも無いとなると・・・まごうことなき異世界ですね。
いやまあ、そういえば孫悟空も浦飯幽助もガンダルフも純血の人間ではありませんし、殺意の波動とかオロチの力とか使うのは、だいぶ人間の枠からはみ出している気はしますが。
さて、そうなると神の力、奇跡の代行者を自認するヒトであるヨシュアは、果たしてどんな分類をされるのか・・・まあ、そのあたりはもう決まっているのかもしれませんね。
まあ、それはそれとして元気なヨシュアが観られて嬉しいです!
なんとか破滅を呼び寄せない感じで、これからも活躍して欲しいですね!
新歌集より マヘラの変心への応援コメント
マヘラ姉ちゃんツライとは思うけど、がんばれ。ここが正念場。
外つ歌 戦車なき戦車戦への応援コメント
まさか、核が本当に使われるとは予想外でした。
それはそれとして、撃退戦で敵が核を使うというのは、使われた時点でわりと敗北ぎみですよね・・・。
不死者は持久戦が最大の長所なのに敵さんがその自軍の不死者ごと核で焼き払ったということは、これまでの戦術でもう不死者を無害化出来ているということなので、それはまあ良いことなのですが。
あと、これまで使わなかった核を使わせたということは、あちらにもたぶん痛手でしょう。
少なくとも、軍事費とか予算とかそのあたりで。
というか、セプさんは秘密結社のカテゴリだったのですね、確かに企業情報とか本拠地とかを公開はしてなさそうではありますが。
やっぱり、セプさんって、改造人間とかゼロゼロナンバーサイボーグとか作ってる系列の組織なのでしょうね。
さて、核が使われたということは、戦いは次の段階へと移行するということ。
宇宙船の出番ですね!楽しみです!
外つ歌:ヨシュアの戦車戦への応援コメント
戦車に回転ベッド取り付けるとかフジスズーとかいうやつは頭がおかしいのでは・・・?
シノノメのささやかな幸せへの応援コメント
確かに、良くわからないメカニズムを見たら、とりあえず分解してその正体を確かめてみたくなりますね。
カズヒサの技術者視点には共感できます。
そしてこっちでも不死者たちの登場ですか!
えらく働き者ですね
シノノメさんのピンチ!
なんとなく展開が読める気がしなくもないですが、事態が予想外の転がり方をしそうで楽しみです!
商人の話への応援コメント
ホンマさん、ただ者ではないと思ってましたがここまですごいとは!弟子になりたい。
不死を弄ぶ人間への応援コメント
プラナリアとは、なかなかいい例えですね。
厄介な相手ですが、どれだけダメージを受けても襲いかかってくるところをみると、精神に何かされていたり既に壊れているのかもしれません。
そう考えると、多少哀れな気がしなくもないですが、よく考えたら瞬さんも結構壊れている感じですよね。
今回の話だけ読むとケンジが異様に弱く見えますが実戦経験の数なら流石にあちらの方が上でしょうし、それに勝てるとなると相当鍛えていることがうかがえます。
よくもまあ、このマインドセットで、これまで平和な日本に適応して生きてこれたものだと想います。
さて、栄子と瞬の再会なるか、ケンジたちにどう対処するのか。
次の更新も楽しみにしてますね!
ヨシュアたちの怒りへの応援コメント
物語の中とはいえは悲惨な殺され方に心がざわつきました。異教徒とはいえ埋葬するヨシュアや遺体の目を閉じさせるグロリカの優しさが救いです。二人の活躍に期待します。
ヨシュアたちの怒りへの応援コメント
ようやく、グロリカがヨシュアと力を合わせるようになって良かったです!
それにしても、かなりタチが悪い敵です。
たぶん細胞以下の単位から、再生することが出来るのでしょうね。
共和制バビロンが国引きにあったために、原子力技術が失われていて国ごと敵を「消毒」する手段を使うことが出来ないのは、余計な被害を出さなくて良かったのでしょうかそれとも悪かったのでしょうか・・・・・・・・?
まあ、良かったと思っておくことにします。
さて、仕組まれている気もしますが、これでヨシュアとリチャードが出会いそうですね!
二人がどう出会うのか、その後どんな関係になるのか、楽しみにしてますね!
ユードラの矜持への応援コメント
>不死化処理を受けてきた。これでもう、俺たちにかなうものはいない。誰だろうとな。
完璧です・・・・このままコピペのテンプレに出来そうな、完璧な死亡フラグ・・・・!
この二人が、バッカーノとか不死者が登場する作品に詳しくないことだけは良く分かった気がします。
>そうそう、俺たちはバカにされたことを忘れない。猫だろうと、金髪の小僧だろうと、あるいは英国貴族だろうとな
三下台詞があまりにパターン通り過ぎて、逆に美しいです。
というか、それって「会う人のほとんどにバカにされている」と言いませんか?
あ、しかも瞬さん(確実に金髪ではない)のことを言い忘れてますね。
バカにされた中で、ある意味一番危険なお方なのに・・・・・・・。
編集済
ユードラの矜持への応援コメント
数学娘こと幸せの娘のその後が気になります。全然出てこないので……。どうか続きを!
追記
ありがとうございます。たぶん偶々だとは思いますが、ありがとうございます!
飛べないパイロットの愚痴と疑問への応援コメント
夢の苦しさですか・・・最近少し社会正義に目覚めたので、ちょっと分かるような気がします。
まあ、私は痴漢防止用の監視カメラ設置のために募金先を探すぐらいしかやるつもりはありませんが。
それはそれとして、カズヒサの苦悩は、夢が叶ったその先に「未来がない」ことにあるような気がします。
戦いになれば、どちらかが死ぬだけですからね。
もっとも、新妻にクラスチェンジした無敵の鳥娘さんもいらっしゃいますから、そうは問屋が卸さないでしょうけど。
ラブコメや修羅場は、人魚さん的には戦いに含まれるのでしょうかねぇ?
外つ歌 敵の名はセプテントリオン(2)への応援コメント
仮面ちゃんがまさかの黒幕!
いやまあ、かなり怪しくはありましたが。
そして、ケイフ先生の評判は今回も散々ですね!
ともかく、リチャードの反撃に期待してます!
色々残念ヨシュアの交渉への応援コメント
「カレーの香りが、乙女を狂わせたのだ」とまとめると、なんとか騎士道冒険モノっぽく・・・・・・・なりませんよね。
とりあえず、青の魔術師さんは、弟子に話術や想像力の鍛錬をつけておくべきだったと思います。
グロリアさん、せっかく元の世界や異世界転移の手がかりをつかめるところでしたのに・・・・・・・。
新歌集より 別れの時への応援コメント
さて、これでヨシュアとコンラッドの間にも、新たに縁が結ばれましたね。
それにしても、ヨシュアが闇から抜け出すことが出来て、本当に良かったです!
竜に向き合い、説得を試みるうちに、彼自身も偏狭な正義から抜け出すことが出来たのでしょう。
ヨシュアが求めていたのは、これまでとは違う顔を映し出してくれる、鏡のようなものだったのかもしれませんね。
しかし果たして、世界から追放された彼が、美咲のもとへ”帰る”日は来るのでしょうか・・・・・・・・?
この先の彼の冒険も、楽しみにしてますね!
新歌集から 瞬の移動への応援コメント
異世界でも際立つ瞬さんのカゲキさが、実に素敵です。
とりあえず、特技があるのは良いですね。
芸は身を助けます!
竜の国引きへの応援コメント
>国引き
『出雲国風土記』ですね。
引きというか「引き裂き」な感じですが。
竜たちが優しくて良かったです。
>その時はそう、核分裂の初期理論にたどり着こうとしていたの。
人類、進歩しすぎー!!
リチャードの時代の文明すら、遥かに凌駕してるんですが!
>リチャード・ワールド
語呂だけは、すごく良いですね。
確かに本人は苦笑しそうですが。
ともかく、セトカたち共和制バビロニアの民が災厄を免れて本当に良かったです!
こうして、神話は再現され、ひとまず物事は丸く収まったのですね!
しかし、それはそれとして、リチャードとユードラ、それにコンラッドに瞬。
異世界に転移しても、全く行動方針が変わらないモノたちも結構いるのですよね。
さて、彼女たちの行く末や、いかに。
それでは、次回の更新も楽しみにしています!
新歌集より 別れの時への応援コメント
泉に映った顔からとヨシュアの成長を感じます。もう殲滅のヨシュアの時とは全然違うんですね。
猫と犬の旅への応援コメント
パン屋さんと合流ですか。
久々の登場ですね。
そして、コンラッドくんは布教の旅に出ていたのですね。
これは、意外でした。
サンチョ・パンサみたいなインディゴくんもついてきてますし、てっきり遍歴の騎士の方だと思いこんでおりました。
日本でいうと、空也上人とか行基大徳みたいなものでしょうか?
ポストコロニアリズムが提唱される現代では、布教は旅の目的としてはちょっと厳しいかもしれませんが、コンラッドくんがいるのは異世界。
猫に救世主級の布教能力があるとは聞いたことがありませんし、文明に影響を与えて面倒を起こすこともないでしょうね。
二人、もとい二匹には、これからも楽しい旅を続けて欲しいところです。
しかし、どうせたどり着くなら肉屋か魚屋だったら良かったのに、そこは残念ですね。
キリスト教以前となると、スターゲイジー・パイとか無いでしょうし。
歴史改変に引っかからないレベルとなると、ソーセージサンドやハムサンドあたりが限界でしょうか?
ともかく、次回も楽しみにしてますね!
新歌集から クェースの初飛行への応援コメント
>戦略級大妖精
>人型戦車
『幻想交流』の希望世界とか、あちこちから来てますねぇ。
それはそれとして、竜と静日のふれあいに心が和みます。
自己改良機械と言えば、デビルガンダム(アルティメットガンダム)とか人間と敵対するものばかり観てきたので、そうした意味でも新鮮で良いです。
新歌集より 静日の夜休みへの応援コメント
静日の旅が、どんな旅になるのか楽しみです!
新歌集から ヨシュアの追放への応援コメント
竜とヨシュアのあいだに和解が成立して、本当に良かったです!
そして、この竜さん、意外と気が利く方でしたね。
ちょっと前までいきなり全てを焼き払おうとしていたとは思えません。
静日さんの竜のクェースと同一人物ならぬ同一竜物さんなのでしょうか?
こうやって、みんな無事で幸せなのが一番ですが、なかなかそう上手くはいかないものなのでしょうね。
しかし、出来ればそうあって欲しいものです。
せめて、全てのものが悔いのない生を送れますように。
セプさん一味も、人や世界を苦しめない方向で幸せになって欲しいですね、出来れば。
ともかく、次回も楽しみにしてますね!
外つ歌並びに新歌集から リチャード討伐への応援コメント
一段落と思いきや、思わぬところからのトラブル発生ですか。
まさか、心優しき少女の手紙が、悲劇の引き金というか地雷だったとは!
神はなぜこのようなーーまあ、ギリシャ悲劇とかではないので嘆きはここまで。
さて、どうやら傾国の美女ユードラさんの出番のようですね!
リチャードさんを救うには、歴史の変化を無くすしかありません。
要は、共和制と蒸気機関その他を滅ぼし、進歩を退行させ国を乱せば良いわけです。
そんな傾向や失敗事例なんて我々は見飽きてますし、ユードラさんだってきっと得意分野でしょう。
あの人、悪役令嬢とかいじわるな義理の姉役とかサークルクラッシャーとか得意そうですし。
セトカの平和への願いを踏みにじってリチャードさんを助けたりできるのは、世界多しと言えど、きっと邪悪を自認する彼女しかいません。
今こそ、彼女の人生で、これまで無駄に溢れていたお色気といじわる根性が活躍するときに違いありませんよ!
まあ、私には三つくらいしか対策が思いつきませんが、なんとかなるのだとしたら、どうにかなるでしょう、きっと。
税金逃れの裏帳簿の流布とか悪評による対立煽りとか、あと聖銃と銀貨がどうとかおっしゃっていた方もツイッターで見かけましたから、たぶんそのあたりでどうにか・・・・・・・・なると良いと願います。
そう、私のような外野に出来るのは、結局はただ祈り願うことだけですから。
ねえさまかたりへの応援コメント
仮面の娘さんの文章が、とっても可愛らしくてほのぼのしました。
ユードラさんの様子も可愛かったです。
しかし問題なのは、リチャードさんは「暗殺者としてのユードラさんの自由を尊重する」という形で、すでに彼なりに優しく振る舞っているということなのですよね。
そしてその好意は、同時に彼女が暗殺者を辞める退路を断つことにも繋がりかねませんし、リチャードさんがあえて他の道を用意したりもしないという突き放しに近くなってしまっているのです。
愛ゆえの不干渉とでも言うべきでしょうか?
消極的自由、「~からの自由」というのも、なかなか残酷なものですね。
それに、ユードラさんが、素直にリチャードさんに対する好意を認めそうにないところもまた問題ですね。
数学好きの少女が現れた時に、ユードラさんも数学話に付き合っていれば、もう少し関係は良になっていたのかもしれませんが・・・・・・・・意地になっていたのでしょうねぇ。
そういう意味では、すごくお似合いの二人であることは間違いないのですが。
まあ、なんにせよ、これからもこの二人と仮面ちゃんを応援してます!
新歌集から 和久からカズヒサへへの応援コメント
先祖かと思いきや、まさか本人とは!
毎回、色々な驚きがあって楽しいです!
新歌集ならびに外つ歌より ケイフ先生の180秒への応援コメント
ケイフ先生が格好良かったです!
なるほど、こんないきさつがあったのですね。
なにかあるとは思ってましたが、まさか180秒だけ戦える、光の巨人のヨリシロ的ヒーローだったとは完全に予想外でした。
驚きです。
それに「人が、人により、誰かのために戦うためのプログラム」というのも格好いいワードですね!某アラヤの抑止力さんより人情味がありそうですし。
それから、外の人のケイフ先生も、竜を捕まえに来たのに女の子がピンチだと知るやいなや、竜の殺害に思考を切り替えていて、立派にヒーローやっていて格好良かったです!
(そういえば、もしかして借金取りは、締め切りに追われている中の人とシンクロするための要素だったりするのでしょうか?だとしたらこの先も・・・)
なにはともかく、まだまだ静日さんには苦難が待ち受けていそうですが、次回も楽しみにしてますね!
新歌集から 静日を助けた変人たちへの応援コメント
ケイフ先生頑張ってください!
新歌集から 静日を助けた変人たちへの応援コメント
クェースが、人類と深刻に対立を続けなくて済んで良かったです!
それにしても、なかなか個性豊かで面白い人達ですね!
これから、どんなふるまいを見せて下さるのか楽しみです!
編集済
新歌集より ヨシュアと瞬の対話への応援コメント
ヨシュアと瞬のいがみ合いながらもお互いに協力せざるを得ない関係性がとても好きです。
外つ歌 組織の名はセプテントリオンへの応援コメント
世界に絶望した者たちの集団とは、まるでブギーポップシリーズの「世界の敵」みたいですね。
なるほど、これが話に聞く「あしきゆめ」とやらですか。
しかし、リチャードさんは、どう見ても人生をエンジョイしているようにしか見えないのですが・・・・・・・・。
ともかく、彼に新しい危機が迫っていることは間違いありませんね!
どう立ち向かうのか、楽しみです!
建国記への応援コメント
なんという!
新歌集から 遠回しな愛の告白への応援コメント
二人の仲に祝福あれ……!
人里に出た竜への応援コメント
静日あぶなーい!
新歌集より バビロンの戦士達への応援コメント
リチャードさんのヤバさは、全世界トップを狙えそうですね!
ヨシュアくんもドン引きしそうです。
そして夜ですか。
ユードラさーん、今ならまだ間に合いますよー!
新歌集より 本当の化け物への応援コメント
まさか、ここで某ジョセフのような先読みが見られるとは!
瞬さんは、愉快に現代伝奇系主人公をやってますね。
登場当初からケンジに感じられた底の浅さが、ここへ来て瞬さんの活躍に貢献していて、すごく爽快で面白いです!
編集済
新歌集より 本当の化け物への応援コメント
見てるだけだが頑張ってー。
人魚の分かれ道への応援コメント
> --なあ、なんで、戦争なんかやろうって思うんだ?
こんな風に相手のことを知ろうとするの、すごくいいですね。
新歌集より 草原を走るへの応援コメント
ほぼリアルタイムで読まないと見える世界が変わってしまうとは……。
もったいなくて真似できません。脱帽です。
グロリカの生物調査への応援コメント
獰猛な獣も逃げる存在になっていたんですね。
クェースとの邂逅になるのかな?
彼と共にいる静日とも、イザコザ無く出会えることを願います。
森々の王様への応援コメント
静日ちゃんが、数学や理科をただただ覚えるだけではなくて実際に活用できる子であってよかった・・・
真面目にやってなかったとはいえ、身に着けたものをしっかりと使いこなせていることに感動しています。
新歌集から 森の王様への応援コメント
静日さんが、前向きになって本当に良かったです!
トカゲとの共生関係も上手くいっていて、良い感じですね!
しかしまあ、今のところ静日さんは、男性が出てくると悪い目にあってばかりですね。
この異世界に転移したのも、チャラチャラした黒いおじさんとお兄さんの戦いに巻き込まれたからですし。
男性でなくても良いので、いつか彼女が、人間相手に信用できる関係を築くことが出来ることを祈ります。
新歌集から 小さな出会いへの応援コメント
ひとまず静日さんが無事で良かったです!
そしてなにより、彼女が今の環境に適応し始めたのが、良い兆候だと思います!
当然といえば当然ですが、彼女は少し前まで、環境の激変についていけてませんでしたから。
誰もが超常的な変化に即時に対応し、リスクを受け入れた決断が出来るわけではありませんからね。
(特異な例:極めたツッコミや軽快なイタチトークで危機を乗り越えられる、『幻想交流』関係の知的生命体など)
・・・・・・・いやまあ、芝村先生関連のゲームを見ていると、時々それを忘れがちになることは否定できませんが。
新歌集より 竜の言い分への応援コメント
竜の造形、セルフクラフトワールド3巻の表紙を思い出して懐かしく。
編集済
新歌集より 竜の言い分への応援コメント
二人?の考え方にズレがあって、単純に殴り合うよりずっと面白いです!
人外と対話している感じがすごくあって、たまりません!
この二人の問答がどうなるのか、とても楽しみです!
新歌集より 竜の言い分への応援コメント
ヨシュアと竜の出会いが善いものになるよう祈ります。
編集済
新歌集から 大灯台の目覚めへの応援コメント
古歌集研究レポート
芝村裕吏著『古歌集』内の『新歌集から 大灯台の目覚め』における違和感について
物語はどこへ消えたのか?
その答えを探ることが出来る者への手紙
〈著:寅山 日時期〉
(※このレポートにお名前を掲載する方々の敬称は省略する)
私は芝村裕吏という小説家の筆により書かれたとされている掌編小説群である『古歌集』という題名が付けられているテキスト群に書かれていることを研究している。
研究の手段はときに作品内のテクストとテクストを比較して、ときには他の作者の作品----特に古典と呼ばれる作品と比較する方法をとってきた。そしてある時期から『古歌集』に対して違和感を覚えるようになっていった。なかでも掌篇の1つである『新歌集から 大灯台の目覚め』には大きな違和感を覚えた。
結論から書くが『新歌集から 大灯台の目覚め』はおかしい。
もうすこし具体的に書くならば『新歌集から 大灯台の目覚め』は『古歌集』が持つ構造としておかしなところがある、と書くことができる。あるいは構造に入っていない、構造から逸脱しているとも書けるし、この掌篇の存在が『古歌集』全体の構造を壊しているとも書ける。
その”おかしなところ”を具体的に書くためにまずは『古歌集』という掌編小説群の構造を分析しよう。
『古歌集』は基本的には1話完結の小説が数十編収められている小説集だ。同じく芝村裕吏が書いたとされている他の小説と比べると、一編の文字数は少なく、最小のもので『人魚と彼女の少年』の606文字、最長のものでも『合体!変形! ミヅハノメノカミ』の2771文字となっている。そのほかの一編は概ね700文字前後から1500文字前後の文字数で書かれている。それは短編小説と呼ぶにも少ない文字数で、これは星新一が得意とし筒井康隆もたまに書くショートショートや掌編の系譜に並ぶ小説だ、と書くことが出来る。もちろん文字数と小説の質は関係がない----短い物語でも面白いものもつまらないものもあり、長い物語でも面白い物もつまらないものもある。というか『古歌集』に収められている物語はどれも面白くとくに『とらわれの王子』はかの『オイディプス王』かというほどの名作だ。なのだがその内容の質を評することと今回のレポートで記述したいことは別なので意図して省くことにする。
『古歌集』は掌編小説群だ。作者とされている芝村裕吏の説明によれば「20世紀までの古いストーリーラインを模範にしたショートショート」であるという。そのとおりだろう。前述した『とらわれの王子』はソポクレスの『オイディプス王』やワイルドの『サロメ』を読み終えた(2つとももとは演劇だが)ときと同じ感慨を感じた。『灯台碑文』は世界のどこかにありそうな伝説を思わせる物語だし、『建国記』は猫が登場していることもあってまさに星新一的な叙述トリックが使われており古典的で、『ツノなしパン屋創業伝説』や『しあわせの娘』そのほかの掌編も、寓話的、教訓簟的な物語になっている----つまりそれは古典的な物語ということだ。作者であるとされる芝村裕吏の説明の通り、『古歌集』は古代ギリシャ時代から20世紀までに書かれた物語をベースにして古典的でありながらも新しい物語を作りそれを収めた歌集という構造をしている(私が書くまでもないけれど、歌には物語と言う意味もある。吟遊詩人の歌も、琵琶法師の歌も物語だ)。
11番目に公開された『殲滅のヨシュア』まではそうだった。
その次----12番目に公開された『新歌集から 色々台無し至高女神』からは新たな構造が顔を出し始める。作者であるとされる芝村裕吏の説明によれば〈新歌集より〉と題名に書かれた掌編は続き物であり、ほかの物語を読むことが前提になっている。そういった旨の説明は『新歌集から 色々台無し至高女神』の冒頭にも書かれている。また芝村裕吏はツイッターでこのとき、現代的な物語は古典の蛇足という旨の内容のつぶやきを投稿している。これもわざわざ私が書くまでもないことだが、この発言は現代的な物語への批難では些かもないだろう。それは物語の形、なにを描きなにを描かないか、どこから物語を始めてどこで物語を終わらすかということでしかない。現代的な物語とは古典の物語が終わったところから始まるものだ、ということだろう。この発言に拠れば〈新歌集〉とは新しい物語----古典の蛇足であるということだ、とも書ける。そしてそれは新歌とは古典が終わったところから始まる物語だ、ということでもある。そう古典が終わり今風の物語が----新歌が現れるのだ。
それまでの『古歌集』に登場した物語は古典的なものだった。そこに新歌集が現れる。つまり古歌→新歌という順序の流れがあり,それは古歌の蛇足として新歌があるということであり、古歌が終わりその続きを新歌が描くということでもある。まさに『新歌集から 色々台無し至高女神』では『殲滅のヨシュア』でギリシア神話のナルキッソスのように(つまり古典的な)という物語的な美しい死を迎えたはずのヨシュアが、生者として物語に存在し続けている。その後に公開された『新歌集から 日本のヨシュア』と合わせて懐かしの映画、ジョン・ランディス監督、エディー・マーフィー主演の『星の王子ニューヨークへ行く』やアメコミ映画のマイティー・ソーのような文化感の違いを描いたドタバタコメディの赴きさえある。色々な意味で古歌と新歌は違うのだ。物語の系統がちがうように。
と書いたところで注目すべき点が分ってくる。それは『新歌集から 色々台無し至高女神』という題名の『新歌集から~』の部分、さらに『~から~』という部分だ。から、だ。そう、新歌集という題名が付いている掌編は〈新歌集〉という歌集から抜き出されてここ(古歌集という掌編小説群)に挿入されたものなのだ。
どうやらこの物語には2つの歌集、〈古歌集〉と〈新歌集〉というものが別々に存在している(らしい)ということがいよいよ分って来た。古歌(古典)と新歌(蛇足)、まさに物語の系統----形が違うのだ。
これは慎重を要して語るべきなのでそうするが、それは聖書における旧約聖書と新約聖書の関係に、あるいは正典と外典に関係に。あるいは聖書と、ダンテ著の『神曲』やミルトン著の『失楽園』のような宗教文学小説の関係と近いのかもしれない。古いほうがあって新しいほうが、本家があってそれをその時代の人々のあるいは作者の希望するかたちで再描写するものがあるのだ。または聖書から離れてこうも書ける、〈新歌集〉とは二次創作的なものである、とも。
誰もが知っている。旧約聖書と新約聖書の編纂者は違うという事を。正典と外典の編纂者も違うし、ましてや聖書に書かれていことを書いた者とダンテとミルトンは別人だ。系統が違う、簡単に言えば本が違うとはそういうことであり、古歌集と新歌集は”集”が違うのだから本も違い系統も違いゆえにそれぞれに別の編纂者が居ることを推測出来る。
これが私がさんざん、『古歌集』の作者である芝村裕吏を「作者であるとされる芝村裕吏」と書いて来た理由だ。もちろんこの掌編小説群が芝村裕吏の筆によるものであることには一片の疑いも無い。作者は氏である。だが『古歌集』の構造をみたとき、そこには別の作者が見えてくる。もちろんそれは古歌集と新歌集のそれぞれの編纂者のことだ。古典という言葉が1つのキーワードになっている本作だが、古典には、実際の作者とそれを書いたとされる人物が別人である作品が多くある。ブリテンを中心に欧州に伝わる聖杯に関する物語----漁夫王やパーシヴァルの物語、いわゆるアーサー王物語が流布されていく時代に書かれた本には、まずそれらの物語が書かれた原典があり、それを作者が手に入れその地域の言葉に作者が直して本とした、という体制を取っているものある。芝村裕吏作の『古歌集』もそれらの本と同じではなかろうか?そもそも我々は思い出すべきだ、氏が著した小説『黒剣のクロニカ』も、あの『自省録』を書いたローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウスが書いた門外不出の書を氏が手に入れそれをもとに日本語で書かれた物語を記した、という体を取っていることを。
もう一度書くが『古歌集』もそうではないのか?構造としては芝村裕吏は作者とされている翻訳者であり、古歌集と新歌集という書物を編纂した者は別に居るのではないか?すでに私は〈古歌〉と〈新歌〉の違いを書いている。古歌は古典であり、新歌は古典の蛇足でありそれは現代風の物語の形だ。新歌集とは二次創作的だとも書いた。新しい物語が新歌である。とすると古歌集の作者よりも、新歌集の作者に注目するべきであることが分っている。物語が新しくなるときそこには誰かの都合や欲望がある。
『桃太郎』という日本の古典的物語、いまでは同じみの童話となっているこの物語の主人公である桃太郎は川から流れて来た大きな桃の中から誕生する。しかし本来の物語では桃太郎は、川から流れて来た桃を食べることによって若返った老夫婦が成した子であったという。これが後の世で改変された。なぜか?それは桃太郎が桃から直接生まれてくれば、男女の営みから赤ん坊が出来る仕組みを描写せずにすみ、またそれをこれを読み聴かせる子供に説明しなくていいからだ。物語が新しくなるとはこういったことだ。物語が新しくなるときそこには誰かの都合や欲望がある。
新歌集の編纂者の目的も古歌集の物語を新しくすることだとする。その上で新歌集の編纂者の都合や欲望とはなんなのだろうか?
11番目に公開された『殲滅のヨシュア』から12番目に公開された『新歌集から 色々台無し至高女神』と14番目に公開された『新歌集から 日本のヨシュア』と古歌集から新歌集に移動したこれを私はコメディ的な物語だと書いた。ヨシュアの物語はその後はトラジコメディ的なものに進んでいく。13番目の『新歌集から 元少年の娘たち』も19番目の『新歌集から 猫の花嫁候補(人間、元王子)』も28番目の『新歌集から 人魚と少年の身の上話』もコメディだし、25番目の『新歌集から 腕をなくした乙女』は痛々しいコメディだ。
また私はヨシュアの物語を、文化感の違いを描いたドタバタコメディの赴きさえある、とすでに書いている。この文化感の違い、または価値観の違いが生み出す面白み----その物語をコメディの方向に進ませる仕組みは他の〈新歌集〉の物語にも当てはまる。中世的な世界から現代的な日本にやってくるヨシュア----騎士と女子大生、パン屋と元王子の踊り子、超科学なロボット(?)と少年、乙女と魔女。文化の違う、価値観の違う者たちが結びつくことで生じるそのすれ違いが物語をコメディのほうへと牽引していく。
『古歌集』には様々なコンビ/ペア/カップルが登場する。パン屋の師匠と弟子、数学娘と貴族、兄と妹、王子兄弟、2人の踊り子、こおろぎと埃まみれ、こおろぎと魔女、ヨシュアと女神、踊り子と猫、人魚と少年、少年と少女、魔術師と弟子、乙女と魔女、メイドと貴族、ヨシュアと竜。こう並べると、コンビのすれ違いが物語をコメディの方向に進める力として機能しているものが新歌集に編纂された物語であり、すれ違いが完全な悲劇とはいえない灰色の結末に物語を進める力として機能しているものが古歌集に編纂された物語であるようにも思える。
古歌集(灰色の結末):パン屋の師匠と弟子、数学娘と貴族、兄と妹、王子兄弟、2人の踊り子、こおろぎと埃まみれ、こおろぎと魔女、少年と少女、魔術師と弟子、乙女と魔女、メイドと貴族
新歌集(コメディ):ヨシュアと女神、踊り子と猫、人魚と少年
もちろんこの分類は完璧ではない。両方に登場するコンビもいる。人魚と少年のペアは古歌集と新歌集の物語を行ったり来たりしており、ヨシュアと女神のカップルも、魔術師と弟子のコンビもまた同じだ。そうなのだ、この分類が構造だとすると、すぐにこの構造は壊れてしまうのだ。
はじめに違和感を覚えたのは21番目に公開された『新歌集から グロリカの出奔』だ。この物語は一片も蛇足(今風の物語)ではない。この物語は古典的だ----なんせ、弟子が師匠のことを疑う、という聖書にすら書かれている物語であるのだから。それのどこが新歌なのか。この物語は22番目に公開された『魔術の教え』(古歌)で、先生の教えてくれていたことにはすべて意味があったのだ、というジョン・G・アヴィルドセン監督の映画『ベスト・キッド』の空手のミヤギ師匠が弟子に教える「ワックスオン、ワックスオフ」も思い出される古典的なオチへと回収されていく。物語が新歌と古歌でスムーズに違和感なく繋がっているのだ(だからこそ私は違和感を覚えた)。ここには、ペアのすれ違いが物語がコメディの方向へと進む力として機能している、ということがない。どこまでも古歌的な、古典的な物語が描かれているのだ、新歌と分類されているのにもかかわらず。ヨシュアの場合----『新歌集から 色々台無し至高女神』は蛇足だった、言を繰り返すが物語的に完璧に死んだヨシュアが新歌で生者として蘇っている、まさに色々台無しなのであり蛇足と呼ぶに相応しい(これも繰り返すけれど、蛇足とは物語への批難の言葉ではない、物語の形にしかすぎない)。『新歌集から グロリカの出奔』はそういったところが一片もない、ペアのすれ違いが物語をコメディの方向に進ませる力として機能していないし、なにも台無しにしてはいない。
〈古歌集〉と〈新歌集〉という構造へ覚える違和感が最大になるのは私が冒頭に記した『新歌集から 大灯台の目覚め』だ。これは29番目に公開された。この物語もまったく蛇足ではないし、物語はコメディへと進むことはない。その内容はお宝が眠るとされる遺跡に忍び込んだ盗賊たちが仲間割れを起こしながらもなんとか最深部に辿り着くもそこには宝などはなく(あるいは思っていたものと違っていた、ガラクタだった)そのショックで生き残った者も狂ったかのようになってしまう、というものだ。私たちはそういった物語を幾重にも見て来た、海賊物語で、ピラミッド探索物や、クトゥルフ神話も含むホラーで、その血みどろの冒険と宝への失望で狂ってしまう者や、邪神や宝に命を吸われてしまう者共の物語を。良い方向に話を進めれば、宝とはこれまでの冒険そのものだったとか、そこで得た仲間と友情だとか、実はそこから見える絶景の景色だった、あるいは金銭的な価値はないが、文化的には価値のあるものだった、となる。そういった物語も私たちは何度も見て来た。宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』に登場したお宝もそういった景色あるいは文化的なものだった(物語的な本当の宝はもちろん、騎士としてのルパンが、1人の少女の心を守りきったことだが)。出崎統監督の『ルパン三世 ヘミングウェイ・ペーパーの謎』の宝も結局は”絶景”だったと記憶している。なんにせよ、争いの末に得たお宝は金銭的な価値のあるものではなかった、という物語はあまりにも古典的な物語の構造なのだ。
そう『新歌集から 大灯台の目覚め』はあまりにも古典的な物語なのだ。まったく新歌集でもなく、この盗賊たちと大灯台をめぐる話のオチとして一片の蛇足もないのだ。これはとてもおかしいことだ。〈古歌集〉と〈新歌集〉の構造がここで大きく崩れていく。新歌は古歌の蛇足ではなかったのか。このあとに続く『古歌集』内の物語の分類の規則----古典と古典の蛇足が、人魚と少年、ヨシュアの物語の分類がここから大きく揺らいでいく。彼らは古歌と新歌のあいだいを行き来するようになってしまう。これは作者とされていく芝村裕吏のミスなどでは些かもない。この状況にありながらも元王子の踊り子たちの話は新歌らしい新歌----人々のすれ違いが物語をコメディのほうへと進まされる力となっている物語であり続けているからだ。これを根拠にこの分類の揺らぎが氏の気まぐれやミスではないと私は書く。故に『新歌集から 大灯台の目覚め』を基点として人魚と少年、ヨシュアの物語が大きく揺らいでいるのだと私は推測している。
『新歌集から 大灯台の目覚め』にはペアが登場しない。埃まみれとペアと思われるこおろぎは登場せず、その代理となる人物も登場しない。埃まみれは孤独である。これも『古歌集』の構造としてはおかしい。この点では『新歌集から 大灯台の目覚め』は〈新歌集〉のなかでもまったく別の規則で編纂された〈新・新歌集〉のようにさえ感じる。また言葉を繰り返すが、物語が新しく編纂される場合,そこには誰かの都合や欲望が前もって存在している。その欲望はなにか?といえば上記したとおり、人魚と少年、ヨシュアの物語を大きく揺るがすことだ、と私は推測している。そうすることで編纂者になにか都合の良いことが起こっている、あるいはそうすることで編纂者は欲望を叶えているのだ。
先程から繰り返しばかりになってしまい申し訳ないのだが、『新歌集から 大灯台の目覚め』は一片も新歌集に収められた物語的(蛇足、いま風の物語の形)ではなく、むしろ大変に古典的なオチの物語だ。そう。オチだ。これは埃まみれと大灯台を巡る”新歌集のオチ”なのだ。それも本来ならば古歌集に編纂されてもいいような古典的なオチだ。そういった意味では二重の意味で、埃まみれと大灯台をめぐる物語のオチは消えてしまっている。第1に古歌集のオチが消えて、第2にすれ違いが物語をコメディの方向に進ませる力として機能する新歌的な物語のオチが消えている。2重に物語に取り消し線が引かれ、その上から新たに書いたようにしていま私たちが読んでいる『新歌集から 大灯台の目覚め』が存在している。
本来の埃まみれと大灯台をめぐる物語のオチはいったいどこに消えたのか?
必ずそれはどこかにあるはずなのだ。
恥ずかしながら『古歌集』研究者としての私の筆が進めることができるのはここまでだ。いまはこれ以上考えを進めることができない。いや、私程度のものでもここまでは進めることが出来た,と書くべきだろう。これを読んでいる者のなかには私の何倍も物語の矛盾に気がつき、構造を読み解き、推理力が高い者がいるはずだ。というか私程度のものに知力勝負や物語を読み解く力で負けるなら、それは恥じたほうがいい。私に負けんとする者に、あるいは好奇心と冒険心の強いものに、そして物語の改変を許さんとする者に、私はこのレポートを手紙として渡して、あとをあなたに託す。
その者にお願いする。『新歌集から 大灯台の目覚め』に隠された謎を解き明かし、消失したオチを取り戻し、大きく揺らいでしまった人魚と少年の物語を、そしてヨシュアの物語をもとに戻してやって欲しい。それが私の願いだ。
※『古歌集』にはご存知の通り〈外つ歌より〉と分類された掌編も存在する。この構造についても『古歌集』すべてのことについて語るべきならば分析するべきなのだが、このレポートでは文章が飛び散らかるのを防ぐためにあえて省いている。私が書いたこのレポートの目的は『新歌集から 大灯台の目覚め』を編纂した者を打つことに、それができるものにこれを手紙として託すことにあるのだから。
※※誤字脱字を修正しました。
新歌集から 色々台無し御一行への応援コメント
コナン・ドイルの小説・・・『失われた世界』でしょうか?
いや、どちらかというとC・S・ルイスとかマイケル・ムアコックの方が適切な例えだと思いますが、たぶん彼の「現代」にはどちらもまだ活躍する時代が来ていなかったのでしょうね。
いやまあ、ライヘンバッハから生還した名探偵のような状況と言われれば、その通りではあるのですが。
それにしても、まさかリチャードさんがユードラの思いに全く気づいていなかったとは、ちょっと予想外でした。
不純異性交遊や田舎娘への嫉妬心に気づかないだけでなく、老後や将来を求めての犯行とか、なんという見当はずれでしょうか。
すごい迷推理です。
彼はいい人みたいですし、知的で好奇心旺盛ではありますが、そっちの方面には鈍感なタイプのヒトだったのですね。
一時は政治で活躍していたのに、この鈍感さはどうかと思いますが・・・・・・・・そういえば都落ちしてましたね。
納得しかありません。
まあ、兎にも角にも台無し御一行に合流したわけですし、今後のリチャードさんの活躍が楽しみです!
とりあえず、まず彼は、リベカさんから色々学んだ方が良いと思いますよ!
・・・・・・・・まあ、女心は異世界より複雑怪奇で、数学のように正答が無いものなのかもしれませんが。
新歌集から 竜の炎への応援コメント
今回はちょっと長いので、以下注意です。
ヤマトタケルのように戦うことしか知らなかったヨシュアが、交渉が出来るようになって本当に良かったです!
自分の意志で新しい自分になれたという意味では、彼もまた魔術を使うことが出来たのかもしれませんね。
あるいは、それまでの文脈とは切り離された、新しい世界と人間関係こそが彼を変えたのかもしれませんが。
それでも、挫折を経て、他者の意志を受け止めようとしなければ、彼は変わることは出来なかったでしょう。
だから、やはりこれは彼の意志がもたらした成果であり、確かな彼の勝利なのだと思います。
竜殺しを超える偉業と言っても、良いかもしれませんね!
『ゲド戦記』で言うところの「竜王」を目指せそうです!
それにしても、このお話の形式だと他を読んでいるかいないかで、受ける印象は大きく変わりますね。
『人魚と彼女の少年』の流れを追っていると、今回の竜がまた違って見えてきます。
そう、「戦闘力」以外の別の基準が見えてくるような・・・・・・・・。
まあ、はっきり言うと、この竜さん、全世界友達いないランキング・ワースト1ですね!
ユードラさんやエノクでさえ、悪党仲間や部下ぐらいはいるというのに、彼?にはそうした関係がなにもなさそうです!
なにしろ、世界を超越することで、ただの猫が異世界で勇者となったように、死の騎士ヨシュアも日本でヒm・・・猫みたいな存在になりますからね。
そうした観点から観ると、竜さんの戦闘力はすごく高いですが、日本の日常においては野良猫とあまり変わらないように見えます。
あれだけの超科学力があっても、ぼっちになってしまうとは、すごく虚しさを感じますね。
この竜さんは、知識、あるいは会話や承認に飢えているようですが、それらを満たすことが出来ていません。
それでは、言語能力や心があっても虚しいだけです。
次元を超えて殺戮や破壊は出来ても、友達一人作れないとは、そりゃあ古代文明も滅びるわけですよ・・・・・・・・。
長くなりましたが、次回も楽しみにしてますね!
新歌集から 竜の炎への応援コメント
ミサキが面倒見てくれた事が、ヨシュアの助けにならんことを。
猫の勇者コンラッドへの応援コメント
うおおお、パン屋さーん!