雪原の王フェンリルを食す(食の章)
「高い金払って国境通過許可貰って、まさか死にかけるとは……これじゃ金払って死ににきたようなもんだ」
銃を背にしまい、悪態をつくザクロ。
それも無理はない。この一週間というもの、まともな食事にありつけていないのはおろか、雪原に来るまでに支払った金があれば、その一週間遊んで暮らせたというのだ。
これでは、わざわざ金で苦労と死に場所を買ったようなもの。
「なにしてんだ?」
力強いナイフ捌きで、フェンリルの毛皮を剥いでいく黒い少女。
アネモネが首を傾げたのは、そこ腹周りの毛皮を剥いだ少女のとった行動だった。
まだ毛皮を全て剥ぎ終えていないというのに、ナイフで切った肉の間から手を突っ込み、手探りで何かを探している。
「肺の隣、この辺」
ようやく何かを見つけた少女が、フェンリルの体の中から何やら掌に丁度のるくらいの袋を取り出した。
「薪、集めて」
夜空の星が照らすとはいえ、林の中は非常に暗かったが、フェンリルが死に際に大暴れして木々を薙ぎ倒してくれたおかげで薪はすぐに集まった。
少女の抑揚のない言葉に従い、薪を集めてきた二人。すると少女は集めた薪の中心にフェンリルの体内から抜き取った袋を落とす。
薪の上に袋のような謎の臓器を落とした。ただそれだけのことで薪は発火。
それどころか、火柱はみるみる勢いを増していくではないか。
「どうなってるんだ」
「フェンリルは肺の隣に微量の火薬と油分を生成する袋を持ってる。人間でいう発汗みたいに表皮を流れる脂と反応して熱を持つこの臓器が、こいつを極寒の地で生かし続ける秘密」
黒い少女から返ってきた答えに納得したのか、ザクロは何度も首を頷かせた。
「なるほどな、それでこいつは口から発火してたわけだ……。っていうと、ジャングルで見たワイバーンとかいう鳥の火袋みたいなもんか」
「そこまで強力な作用はないから、炎を吐き出して威嚇や攻撃はできない。それと、ワイバーンは今のところ鳥類じゃない」
手際よくフェンリルの毛皮を剥ぎ取った少女は、巨体から吹き出した血を全身に浴びながら、次の工程に進む。
背や足の付け根は筋肉が多く、刃が通らないフェンリルの体。そこで少女は、再度フェンリルの腹を開いた。
ワイバーンの臓器を火袋とするなら、熱袋とも呼ばれるフェンリルの臓器を利用して作った明かりがあるお陰で、先ほどよりも素早く内臓を取り出していく。
「そいや、フェンリルの毛皮と牙って結構金になるんだってな。どれくらいになんだ?」
「丸々一頭分あれば、三人分の旅費にお釣りがくる」
思ってもいなかった収穫に、ザクロは甲高い口笛を鳴らして喜んだ。
「これ、毛皮と分けて袋に詰めといて」
無感情な口調で黒い少女がアネモネに手渡したのは、フェンリルの太く長い腸。
血まみれで、妙にヌルヌルしたそれを何の躊躇もなく掴み、大きな袋の中に押し込む。
「腸も売れんのか?」
「売れるけど、これは食用」
「腸詰めか?」
腸に挽肉を詰め、火を通すソーセージ。そこに使われるのは羊や豚といった草食動物の腸が主流で、狼の腸を使ったソーセージなど、おそらく世の誰も聞いたことがない。
「湯で洗えば使える」
アネモネの問いにそう言って小さく頷く黒い少女。
本来、狼のような肉食動物と羊のような草食動物では消化器官の構造が異なり、中でも腸の大きさは桁違いである。
自身の体長の数倍程度の長さしかない肉食動物と比べれば、自身の数十倍という長さを持つ羊の腸を使うのは当然のこと。
しかしフェンリルは元々の体躯もあって、世に出回る数倍サイズのソーセージが出来る上、分厚い腸がいっぱいになるまで挽肉を詰めればその歯応えも想像に難くない。
「今日はこっち」
そう言って再び腹の中に手を突っ込んだ黒い少女は、ナイフで肉を切り取って持参していた鉄串に刺していく。
一つ一つが顔ほどあろうかという大きな肉塊をいくつも作り、端に集まった余計な脂身をナイフで丁寧に切り落とす。
「そのくらいの脂身も食べないのか?」
「食べてもいいけど……食べない方がいい」
少しくらいの脂身は、肉の旨みの一つだろう。そんなことでも考えていたのか、ザクロは不思議そうに首を傾げた。
「理由なら食べれば分かる」
そう言って少女は丁寧に脂身を切り落とした肉を、雪原の中で煌々と燃える炎に近づける。
血と脂が出た串に刺した肉の表面を流れおち、中までしっかり火を通す。
シロクマをはじめ、雪原の肉という肉を食べてきたフェンリルだ。細菌を多く含んでいてもおかしくはない。
火に近い部分が薄っすら焦げてきた頃、ようやく手に入れたまともな食事をザクロやアネモネに手渡した。
「芋ばかりで飽きてたとこだったんだ」
ザクロの辛辣な一言に、対面で燃え上がる火を囲むアネモネは「確かに」とケラケラ笑う。
二人が一斉に肉に歯を立てる。余分な肉汁は焼く際に流れおち、しっかりとした歯応えのフェンリルの肉。
食べた感想は、二人とも同じものだった。
「思ったよりあっさりしてて、生臭くもない」
野生の狼の肉なんて言ったら、おおよその生臭さは覚悟していたザクロ。しかし意外にも、その肉の味わいはあっさりしたもの。
「筋肉が多いせいか、食感は豚というより鳥に近いが……なんというかこれは、酸味?」
「確かにちょっと果実っぽい酸味があんな、こりゃ」
鳥に近い肉質。そして果実に近い酸味。
初めて食べる肉に二人は目を丸くして驚いていた。
「こりゃ美味い、幾らでもいける」
「こっちにももう一切れくれよ」
酸味のきいたあっさりした味に空腹も相まって、二人は次から次にフェンリルの切り身を串にさして火へ近づける。
「フェンリルの脂身は酸味が強いから……それで切り落とした」
自分の切り身を火にあて、フェンリルが死に際に倒した大木に腰掛ける少女。
「この酸味は脂身だったのか、それでそっちの脂身はどうするつもりだよ」
「鉄板に引いて野菜を炒める」
「なるほど、一度に何度も美味しいわけだ」
ザクロは嬉々として笑う。
「雪原の王をあっさり殺っちまって、この辺の生態系へーきか?」
これで三つ目の切り身を食べきったアネモネの問いに、少女は「美味い」も「不味い」も言わず淡々と切り身を食べながら首を頷かせた。
「フェンリルは狼でも群れで動く習性はない。群れる必要性がないから……。
だから、ここらもまた別のやつが来て縄張りにすると思うよ」
「ヘッ、群れで動かなかったばかりに、人間に食い物にされてりゃ世話ねぇな」
ケラケラ笑うアネモネにつられ、「確かに」とザクロも声を出して嘲笑。
しかし二人の間で、黒い少女だけは眉一つ動かさないまま切り身をたいらげていた。
「北陸も南国も、人間も魔族も動物も関係ない。この世界は弱肉強食……弱者が強者の食い物にされた、ただそれだけの話」
口や表情には出さないが、少女もよほどフェンリルの味が気に入ったのだろう。
一つたいらげたと思うと、すぐに切り身を火に近づけた。
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