第21話 ジャネットの涙
その夜、僕は相変わらず厳重に見張りをつけられテントの中に軟禁されていた。
することもないので布団の上に転がっていると外から男と女の口論の声が聞こえる。声だけで女のほうはよく知った人物だとわかる。
「こらジャネット!」
「うるさーい!」
見張りの男達の制止を振り切って彼女が中に入ってきた。手には瓶を持っている。
「良いざまね。あんたはこれから酷い目に遭うのよ」
目は充血し、頭はふらふらと不規則に左右に揺れている。足下はおぼつかない。髪は乱れ息も乱れ、時々しゃっくりをする。彼女は酔っているようだ。僕の枕元に来ると座り込んであぐらをかいた。
見張りの人はジャネットを止めるのは諦めたようだ。肩をすくめると表に出てしまった。
彼女は瓶を一口あおると僕に差し出した。
「飲め」
それだけを言った。僕は起き上がって瓶を受け取った。
のぞき込むとその匂いで鼻の奥がツーンとした。琥珀色の液体が波打っている。やはりお酒らしい。
「悪いけど僕、お酒が飲めないんだ」
「飲め」
目が据わっている。飲まないと済まさないという雰囲気だ。
僕は両手で瓶を抱えるように持つと、それに口をつけちょっぴり舐めた。村で飲んだサジク主酒とは違い、アルコール度数が強い。ほんの少しの量なのに胸が焼ける。
「それで飲んだうちに入ると思ってるのか?」
今にもつかみかかって来そうだ。
「私に悪いことをしたと思ってるんなら飲め」
僕は一気に飲み込んだ。喉をとおる液体が胸を焼き、咳き込んだ。
「そう、それでいいんだよ」
彼女は僕から酒瓶を奪い取ると口をつけ、また飲んだ。頭を上に向けて飲んでいるのでごくごくと水分を飲む音と共にのどが動いているのがよくわかる。
正面を向くと目は半分閉じている。薄く開いたまぶたからのぞく瞳の焦点は合っていない。先ほどより頭のふらふら度が大きくなった。
プフゥと息を大きく息を吐き出すと、糸が切れた操り人形のように頭をがくりと首を垂れた。
「ジャネット?」
動かなくなった彼女をしばらく見ていたが、心配になって声をかけた。
「大丈夫ジャネット?」
彼女の肩に手を置くと、彼女はうっとうしそうにその手を払いのけた。とりあえず意識はあるようだ。
「飲み過ぎだよ、もう飲むのは止めて自分のテントに帰った方が良い」
「うるさい・・・・・・私に意見するな」
静かに怒るジャネット。
「なぜ・・・・・・なぜおまえはタケカワキョウノスケのひ孫なんだ」
「・・・・・・僕が聞きたいよ。自分が武川京ノ助のひ孫に産まれなきゃ良かった、なんて思うのは一度や二度じゃない。産まれたときからひいじいさんに比べられ、あのえらいひいじいさんのひ孫なのに、それに比べてそのひ孫は、てね」
彼女は黙って僕に酒瓶を差し出す。僕はそれを受け取った。まだ半分以上琥珀色の液体は入っている。僕はそれを飲んだ。そういえばこれって間接キスだな。
「げふっ、この異世界に呼ばれてきてもやはりひいじいさんの名前はついてきた。英雄だったという京ノ助は最初は全然駄目なやつだと聞いて、自分にもできるかもと思って戦争をやってみたけどやっぱり駄目だった。ひいじいさんはどの世界でもえらい人だったけど。僕はどの世界でも駄目なやつだった」
「呪いだね、それは一種の」
「そう、呪い。皆が僕に勝手に希望を押しつけて、勝手に絶望する」
しばらく二人で酒を回し飲む。僕は限界を迎えようとしていた。意識が白濁してきた。
「なぁ、二人のうちどちらがおまえの恋人だったんだ? 羽のある方? ない方?
それとも二人とも?」
そう問われて一瞬フェリルの笑顔が頭に浮かんだ。
「どっちも違う、彼女たちは村で僕のお世話をしてくれたんだ」
「それだけか? 見た目はかわいらしくてもあの二人は魔族なんだぞ。自分の命を顧みず助けるなんて正気じゃない」
「本当は暴力に訴えてでも助けようと勇んでここに来たんだけど、僕にそんなことができるはずも無くて、それでも二人を助けられたのはジャネットのおかげだよありがとう」
「私をだまして、な。それともだまされた方が馬鹿なのか」
彼女はグビグビと酒を飲む。
「前に君が僕の得意なことはなんだって聞いたね。そのときは答えられなかったけど、今はわかる、実は僕は嘘をつくのが上手いんだ、自分でも信じられないくらいすらすらと口から出てびっくりしたよ」
「な~に~が~嘘をつくのが上手い、だ。そのうそがばれて今は閉じ込められているくせに」
「ばらしたのは自分だよ」
「嘘をつくなら最後まで突き通せ。中途半端にするな」
「一度嘘をつくと、それがばれないようにさらに嘘を重ねることになる。僕は苦しかった、ジャネットには本当に済まないと思っている」
「何度も謝るな、だまされた方が悪いんだから。それよりおまえ、あんな小さな村で何してたんだ」
「何もしてないよ。畑を耕して種をまいて雑草を抜いて牛の糞を片付けて馬の体を洗って鶏の卵を集めてただけ」
「革命軍を壊滅させる極秘任務とやらはどうしたんだ」
「そんなの知らないよ、僕は度重なる失敗で首になってあの村で隠居するように魔王に言われた。君たちが襲ってこなければ、一年後におとなしく自分の世界に帰ってたよ」
「ちっ、誤報かよ。革命軍自体もだまされていたってことか」
「僕はもう戦争に関わるつもりはないよ。貧しかったけどあの村での生活がけっこう気に入ってた」
ジャネットは瓶に口をつけ、そして離した。瓶を地面の上に置く。
「・・・・・・・・・・・・か」
「え、なんだい?」
「逃がして・・・・・・やろうか、ここから」
「無理だよ。今の僕は魔族の奴隷田之倉圭太じゃない。武川京ノ助のひ孫武川京矢なんだ、重要度が違う。そんなことをしたら今度こそ君はただじゃ済まなくなる。鞭打ちどころじゃないよ」
「私のことは良いんだよ」
「良くないよ」
「今度は私も一緒に逃げてやる」
「それは駄目だよ、僕は元いた世界に帰りたい。だから、ここを逃げたらまた魔族の元に返らなきゃならない。帰る方法は魔王しか知らない」
「帰らなきゃいいんだよ」
「えっ」
「元いた世界に帰ったところでひいじいさんと比べられてろくな生活を送ってこなかったんだろう。帰らなきゃ良いんだよ。この世界で誰もおまえを知らないところでタケカワキョウヤの名を捨てて生きれば」
「むりだよ、この世界でも武川京ノ助の名はついて回る。僕は逃げられない」
「逃げることもできないのか」
「そう・・・・・・だね」
彼女は空の酒瓶を持って出て行った。
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