第11話 逃亡
僕はぐっすりと眠っていた。寝床はほかの料理番の人たちと一緒のテントで雑魚寝で、寝心地は悪く粗末な寝床だが、毎日の重労働とジャネットの修行によりヘトヘトだった。
「キョウヤ様、タケカワキョウヤ様」
耳元で誰かが僕にささやいた。
「ちがうよ~、僕は武川京矢じゃなくて田之倉圭太だよ~。だからお願い~つるさないで~」
「お起きになって下さい、キョウヤ様」
「ん~」
僕は起き上がって、辺りを見回した。厨房の仲間はいるけどみんな寝息を立てている。
「夢か」
明日も朝が早い、僕は布団の中に潜り込んだ。
「夢ではありませぬ、キョウヤ様」
横になったまま目を開けると顔の前に一匹のネズミがいた。両目が赤くひかり、普通のネズミではないことが判る。
「お目を覚まされましたか」
目の前のネズミがひげをもぞもぞと動かす。さっきから耳元に話しかけてくるのはやはりこいつのようだ。
「お迎えにあがりました、キョウヤ様。ペルゴレージ様が大層心配になられています」
他の人に会話を聞かれるとまずい。僕は慌ててネズミを両手のひらの上に乗せてテントの外に出た。
「方々を探し回りましたが見つからないはずです、まさか反乱軍にかくまわれていたとは。さぁ、こんなとこは早々とお暇しましょう。ほかの仲間もこの近くまで来ています。私が道案内するのでキョウヤ様、申し訳ありませんがそこまでご足労願えないでしょうか」
魔王軍からの迎えが来た。休暇が終わり、僕は帰らなければならない。頭にジャネットの笑顔と剣の修行のときの厳しい顔が浮かんだ。
「どうなされました、キョウヤ様」
「ううん、なんでもない。すぐ支度する」
ネズミをポケットに押し込んで、すぐにテントに戻った。荷物はほとんどないので、用意といっても寝間着から普段着に着替えるくらいだ。皆を起こさないように静かに着替える。ねずみも普段着のポケットに移し替えた。
「どこへ行く」
料理番のテントをでた僕の首筋にひんやりとする感触があたり、本能的に危険を感じて動けなくなった。僕に絶望的な感触を与えているのは一振りの剣、それが僕の首筋に押し当てられていた。その剣は月の明かりに似たほのかな光を帯びている。ジャネットが前に説明してくれた、エルフの宝剣だ。魔族はこれに傷一つつけらただけで大きなダメージを負うという。この剣を使うことが許されているのはこの世にただ一人・・・・・・
「リーさん・・・・・・」
僕は、剣の持ち主の愛称を呼んだ。
「こんな夜中にどこへ行く、ケイタ」
もう一度同じ言葉を僕に言う。その表情は冷徹でその言葉には怒気をはらんでいた。
「リーさんこそこんな夜中にどうしたんですか。あと、それ危ないのでしまって下さい」
声と体が震えるのを何とかこらえた。リーさんは剣を僕の首筋から離し下げてくれた、だが鞘には収めないでむき身のままだ。
「こちらの方からわずかだが魔族の気配を感じた。来てみたら君がどこかに出かけようとしていた」
疑われている。僕の心臓は口から飛び出しそうな程バクバクいっている。
「お世話になっているところ申し訳ありません。ジャネットの修行がつらいので逃げだそうとしてるんです、見逃して下さい」
「そんなことをしたらジャネットが寂しがるぞ。彼女は君のことをすごく気に入っていたのに。出て行くのは勝手だが最後に挨拶ぐらいしていくべきだろう」
「顔を見たら決心が鈍っちゃうので黙って出て行こうと思ったんです」
「いくところはあるのかい」
「ないけどなんとかなります」
「ふむ、引き留めはしないがその前にポケットに入っているものを出してもらおう」
「こ、これは」
「出せないのかい?」
彼女は剣を握る右手に力を込めた。
「すごくつまんないものです。見る程のものじゃありません」
「いいから出しなさい」
僕は震えながら言われたとおりポケットからネズミを出して手のひらに置いた。
ネズミはチュウチュウ鳴きながら僕の手のひらの上を歩き回った。目は赤く光っていない。
「厨房の人間がこんなものを持っているとは不衛生だと怒られるので、こっそり黙って飼っていました。ごめんなさい」
「ただのネズミか」
リーさんはネズミを指で二,三回つついた。
「疑って悪かったな、そこまで送ろう」
彼女はやっと剣を鞘に収めた。
「いや、けっこうです。第一こんな夜中に危ないですよ」
「何を言っている、私は君の数十倍は強いぞ」
彼女は体を揺すって笑った。
ぼくとリーさんは並んで歩く。キャンプをでたところでけたたましく鐘の音が響いた。
「うわ、なんだ!」
僕は狼狽した。
「敵が襲ってきたという合図だよ」
リーさんは淡々と言う。
ハワードさんと十数人の男が闇の中から現れた。
「リーの言うとおりこの近くで魔族がたむろっていた。どうやら誰かを迎えに来てたらしい」
ハワードさんは言う。
「これはどういうことかな。君の外出は偶然ではないんだろう。残念だが今夜の出発は取りやめてもらおう」
リーさんが僕の肩を爪が食い込む程強くつかんだ。
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