第5話 魔王

「小童、これ小童!」


 その声で我に返ると僕の体はいつの間にか落ちるのを止めて、地面の上に横たわっていた。頬に感じる石畳の感触が冷たい。


「いつまでも寝とらんでいいかげん起きんか!」


 意識を自分の体に巡らせると特に痛むところはない、おおきな怪我はないようだ。上半身だけ起こし辺りを見回すと自分の体は石畳の上にいるようだ。自分の登っていた街路樹の下はアスファルトだったはずなのに、落ちて気を失っている間にここに運ばれてきたのだろうか。


「やっと気がつきおったか」


 声のする方向を見てみると、杖をついた老人がいる。彼は金銀の複雑な刺繍を施された位の高そうな服を身につけている。見た目は僕と同じぐらいの身長で顔には深い皺が刻まれ、どこが目でどこが口かわからない。その皮膚はまるで朽ちた老木のようだ。額と思われる場所には一本の角が生えている・・・・・・角?


「うわわわわ! あんた誰! ここはどこ! 病院! 僕はあそこから落ちてどうなったの! あの女の子はどこ! 風船はどうなったの!」


「やかましい! 静かにせんか!」


 老人はいらいらして何度も床を杖で突いた。

 落ち着こう、言葉は通じる。この人は何かのかぶり物をして僕を驚かそうとしている茶目っ気のある人かも知れない。僕は座ったまま深呼吸した。

 息を大きく吸って、吐いて、また吸って・・・・・・それを数回くり返した。自分の今置かれている状況がわかっているのはこの老人だけかも知れない。

 落ち着いて周りを見回してみると、石畳は直径十メートルくらいの円形にできている。そこには魔方陣のようなものが描かれている。その中心に僕がいて、老人が見下ろしていた。


「ん?」


 老人の後ろの壁が動いた。よく見るとそれは壁ではなかった。肉体は筋骨隆々で人のようだが頭は動物だ。それらが僕のいる魔方陣の周りを壁のように取り囲んでいた。彼ら異形のもの達を一言で言い表すなら・・・・・・鬼。


「うわああああ、僕は死んでしまったのか! ここは地獄なんだ! 何も悪いことはしてないのに! 悪いのは頭と要領と運だけなのに!」


 きっとこの鬼達は地獄の獄卒達に違いない。死んだ僕を迎えにきたのだろう。


「おまえ悪いところしかないのう。やれやれ、このままでは話もできんな」


 老人は顎をしゃくると、壁を構成していた鬼の一人が僕のそばに近づいてきた。頭は牛で体は筋骨隆々で上半身はほぼ裸、下半身には皮の腰当てを纏い革製のブーツを履いている。靴底に金属の鋲を打っているせいか、歩く旅にカチャリカチャリと音がした。

 牛の鬼は僕の体をむんずとつかみ肩に担いだ。


「うわわわわ、命だけはお助け下さい!」


 僕は命乞いをした、もう死んでいるかもしれないけれど。逃げたくとも腰が抜けてそこから一歩も動けない。


「殺しわせぬ、しばらくそこでおとなしくしておれ」


 老人はそう言うと踵を返し、僕を担いだ鬼を従いどこかにあるいていく。そのあとを壁になっていた残りの鬼達が続く。

 しばらく歩くと僕たちはどこかの建物に入っていく。長い廊下を右へ行ったり左へ行ったり階段をいくつか上り、大きな扉の前にたどり着いた。扉にはきれいな装飾が施されていて見るものを威圧する。この向こう側にはえらい人がいる、直感で僕は思った。その答えを示す様に老人以外の鬼達は扉の前で跪いていた。僕も牛鬼の肩から下ろされ自分の足で立たされていた。


「これ、小童良く聞け。この先にいるお方の前で先ほどみたいに騒いでみろ。本当に殺されてしまうからな、肝に銘じておけ。わかったな」


「わ、わかりました」


 僕はつばを飲み込んだ。きっとこの先には閻魔大王がいて僕の裁判が始まるに違

いない。


「では、落ち着いたところで名前を聞いておこうか」


「は、はい。武川京矢といいます」


「む、タケカワ?」


 老人はあらためて僕を上から下まで見回し、左手のところで視線を止めた。


「それはひょっとして・・・・・・これ小童! いやタケカワキョウヤ! その左手にしているものをみせてみい!」


 僕は左手中指にしていた指輪を外し、老人の老木のような手のひらの上に置いた。

 老人は指輪をつまみあげ良く眺めた。


「これはまさにキョウノスケの努力の指輪。これ、タケカワキョウヤ、こいつをどこで手に入れた?」


「武川京ノ助は僕のひい、曾祖父です。その指輪は形見としてもらいました」


「なんと! おまえはキョウノスケの血縁のものか。これは僥倖、百年の時を超えてまたもや我が国に救世主が舞い降りたのやも知れぬ」


 老人は感慨深そうに言うと僕に指輪を返した。彼は曾祖父のことを知っているらしい。

 返された指輪を僕はまた指にはめ直した。


「では今言うたことを忘れていまいな。これから陛下に謁見する」


 老人は扉に向き直った。


「ロードリック・ダフィールドである。ルードルフ・ヘルムート・ローラント・フライベルク三世陛下に御目通り願いたい」


 扉は重々しい音を響かせゆっくりと内側に開く。


「ゆくぞキョウヤ」


 扉が完全に開ききると老人が僕に部屋に入るよう促した。

 僕だけが老人のあとをついて歩く。そのほかの鬼達は部屋の外に跪いたままだ。

 広々とした空間の中央に赤い絨毯が敷いてあり、それが部屋の中央に向かってまっすぐのびている。僕と老人がその上を歩くが、足首まで埋まりそうな深さの絨毯は足音を完全に消してしまう。なんとなく見覚えがあったと思った、今朝見た夢で武川京ノ助がこことよく似た場所を歩いていたような気がする。

 赤い絨毯の先は階段へと続く。その前で老人が止まり跪いた。僕にも跪くように言った。


「陛下、我が国の救世主を連れて参りました」


 老人が階段の上に語りかける。よく見るとそれは階段ではなくひな壇で、最上段には大きな椅子がありそれに合う大きな体の男が座っていた。大男は身長十メートルくらいで頭の両脇から対になる二本の角を生やし、口からは牙が見える。目が大きく眉毛が濃い。両手には大きな宝石をつけた指輪をいくつもしていて、首にも金銀さまざまなネックレスをさげている。仕立ての良い服を着て背中には赤いマントを翻している。椅子の肘掛けに右肘を乗せ、拳を顎に当ててこちらを見下ろしている。僕を値踏みしているようだ。


「ほほう、そいつがそうか。百年前と同じでなんとも頼りなさそうな小僧が召喚されたものだ」


「それが陛下、見てくれが頼りなさそうなのはそのはず。この小僧タケカワキョウノスケのひ孫にございます」


「おお! キョウノスケのひ孫か、懐かしい。どうだ、キョウノスケは息災にしておるか?」


「いいえ、曾祖父は僕が生まれる前に亡くなりました」


「そうか、それは残念だ。たかだか百年くらいで死んでしまうとは人間というのは本当にひ弱な生き物だな。キョウノスケのひ孫、おまえ名を何という」


「はい、武川京矢と言います。あなたが閻魔大王様ですか?」


 老人が僕を制した。


「これ、キョウヤ、陛下に無礼であろう。聞かれたことにだけ答えれば良い」


「よいよい、大臣。いきなりこんなところに連れてこられて、疑問に思うことも多々あろう。説明してやるがよい」


 老人が深々と目の前の陛下とやらにお辞儀をした。


「はは、陛下の寛容な御心この老人痛み入ります。では、キョウヤ良く聞け。今貴様がいるのはローラントル王国の中心ローラント城じゃ。御前におられるのが魔王ルードルフ・ヘルムート・ローラント・フライベルク三世陛下。この国の支配者であらせられる」


「魔王? 閻魔大王じゃなくて?」


「先ほどからおまえが口にしている、エンマダイオウが何かは知らぬがおそらく違うであろう。この国は陛下を中心に我々魔族が政を行っている。弱き生き物は強き生き物に従い生きていくのが自然じゃ、しかしそのことわりを逆らおうと弱き生き物たちが反乱を起こしよった。人間、エルフ、ドワーフ共が徒党を組みよったのじゃ。所詮烏合の衆と高をくくっていた我らであったが存外苦戦を強いられている。その原因はチャーリー・アーミテイジという一人の人間じゃ。やつの前に我らの手練れが次々と倒されておる。今では反乱軍共に勇者と祭り上げられ奴らの中心となっておる。この長く繁栄してきたローラントル王国は今、窮地に立たされておる。そこで百年前今と同じように反乱が起きたとき、我が国を窮地から救った救世主の召喚の儀を執り行ったのじゃ。ここまではわかったか?」


「はあ、まあ」


 目の前の椅子にふんぞり返ってえらそうにしている大男は閻魔大王ではない、どこかの国の王様らしい。そしてこの国は戦争中、そこまではわかった。


「頼りない返事じゃ、自分の置かれた立場を理解していないと見える。つまり、我らが召喚した救世主というのは、タケカワキョウヤ、おまえの事じゃ。おまえに勇者を倒し、そして反乱軍を鎮圧してもらいたい」


 僕は自分の顔の中心に自分の人差し指を向けた。


「え~と、ひょっとして僕に戦争をしろといってるんですか?」


「その通りじゃ。タケカワキョウヤ。チャーリー・アーミテイジを討ち、反乱軍を皆殺しにして参れ」


 老人は僕の顔の中心に、杖の先を向けた。


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