第3話 曾祖父の形見

 一旦自分の部屋に戻った僕は、部屋着に着替えベッドに寝転び天井を見た。


「高校浪人か・・・・・・」


 果たしてもう一年勉強すれば高校に行けるのだろうか、下手をすればさらにもう一年浪人する羽目になるかも知れない。

 高校受験に二浪、そんなことするをする人はいない。もし永遠に高校受験を繰り返すことになったら、それは立派にニートというやつじゃあるまいか。

 ふとおじいちゃんにあとで儂の部屋に来いと言われたのを思い出し、起き上がってベッドを降り廊下に出た。急ぐ要件とも思えないが、具体的に何時に来いと言われたわけではないので今行ってもかまわないだろう。祖父に限って今更受験に失敗したお説教をするつもりでもないだろうし。


「おじいちゃん、入るよ」


 そう一言添えてから祖父の部屋に入ると誰もいなかった。

 その部屋は洋風に作られているこの家で唯一の和室だ。

 いつもはきれいに掃除、整頓されているのに、今日はたくさんの箱や包みが部屋の中に山積みになっていた。


「アトリエの方かな」


 祖父は油絵を描くのが趣味で、普段はほぼ一日中別館にしつらえたアトリエにこもっている。


「京矢かい?」


 部屋を出てアトリエの方に向かおうとした僕の耳に祖父の声が聞こえた。


「おじいちゃん、いるの?」


 僕が部屋の中をのぞき込むと荷物の山の間からひょっこり祖父が顔を出した。


「おお、早かったな。ちょっと待っててくれ」


 そう言うと祖父はまた荷物の山の中に頭を隠した。


「一体、何をしているの」


 近づいて荷物の山の中に隠れた祖父を見つけると、彼は押し入れの中に頭を突っ込み次々と何やらを外に出しては埃まみれになっていた。


「何か探しているの?」


「あれを京矢に渡そうと思ってな。どこにやったじゃろう、この家を建てたときは確かにあったはずなのに」


 祖父の捜し物を手伝いたかったのだけれど、あれというのがどういうものかわからないので見ていることしかできない。


「おお、あったあった」


 押し入れから出てきた祖父の手の上には黒い小さな箱があった。

 それを受け取る前に、まずは祖父の散らかった部屋の片付けを手伝った。

 部屋の片付けが終わり、埃まみれの部屋を軽く掃除して、改めて部屋の真ん中で座布団に座り祖父と対峙した。


「これを京矢にわたそう」


 あらためて黒い小さな箱を祖父から手渡された。手のひらの上に収まるぐらいの大きさのそれを僕は両手で受け取った。


「これは何? おじいちゃん」


「開けてみなさい」


 祖父の笑顔に後押しされ箱を開けてみる。それは上下に開き、ウレタンの中敷きがありそこには銀色に鈍く光る丸いものが固定されていた。


「指輪?」


 僕は祖父に顔を向けた。


「そうだ、それはわしの父、つまりおまえのひいじいさんがいつも身につけていたものだ」


「ひいじいちゃんの形見・・・・・・」


 僕はそれを箱からとりだし手のひらに載せた。黒い光沢があり、幅が少し広くフラットな表面には見慣れない文字のようなものが透かし彫りにされている。指にはめてみると少し大きいそれは左手の中指にぴったり収まった。金属特有の冷たい感触も無ければ指を締め付ける固い感触もない、指を曲げてみてもそれは邪魔をしない。まるで皮膚の一部になってしまったようだ。曾祖父の結婚指輪だろうか。


「わしの父は落ちこぼれだったという。勉強はできない運動も駄目、仕事もできない。親方には毎日怒鳴られてばかり、そして十五歳の頃ふらりと姿を消した。周りは仕事が嫌になって逃げ出したのだろうと言っていたが一年後にまたふらりと帰ってきた父は、まるで人が変わったようだったという。夜も眠らずに勉強して、人一倍働き、仲間と会社を興して成功させた。その父が死ぬ瞬間までそれを身につけていたのがそれだ」


 武川京ノ助。武川興業、現タケカワコーポレーションの創業者であり、僕の曾祖父だ。二十四時間働いていたと、バブルの頃のテレビCMのフレーズを地でいく伝説が残っている。学歴もなく良い家柄の出身でもない、ただがむしゃらに働いただけで財をなしたという曾祖父の成功物語は何冊もの書籍が出ていて、何度もドラマ化、映画化されている。駅前には銅像まで建っている。


「高校受験に失敗したくらいで落ち込むことはない。おまえのひいじいさんは落ちこぼれだったが、努力でそれを打ち破った。それを身につけていればきっと父の加護があるだろう」


「いいの? そんな大事なものを。おじいちゃんのお父さんの形見じゃないの?」


 僕は左手にしたままの指輪を右手でなでながら聞いた。


「いいさ、もう棺桶に片足をつっこんでいる身だし、そろそろそれを誰かに引き継いでもらわないといけないと思っていたところだ」


「わかった、ありがとうおじいちゃん。僕これを大事にするよ」


「ああ、父はそれを「努力の指輪」と呼んでいた。努力は大事だが決して無理はするんじゃないよ。学歴だけが全てじゃないさ」


 僕は祖父の部屋を後にして自分の部屋に戻った。はめていることを忘れてしまうようにまるで皮膚の一部になったような指輪だった。僕はその指輪をしたままその日を過ごした。風呂に入るときも、ベッドで寝るときも。


 僕はその夜夢を見た。


『ジーク、スバラータ! ジーク、スバラータ! ジーク、スバラータ!』


 数え切れない程の異形の者が丸太のような腕を振り天に突き出し、あるいは武器を振り上げ、一人の少年を祝福している。

 少年は廊下に敷かれた赤い絨毯の上を、黒いマントを翻し堂々と歩く。

 廊下の壁に設置されているかがり火に照らされたその顔は僕によく似ている。

 大きな扉の前に歩き着くと、それは少年を待ち受けていたかのように重い音を響かせてゆっくりと開いた。扉の向こう側にも赤い絨毯は続いている。少年はその上をゆっくりと進む。

 部屋の奥にはこの部屋の主が椅子に座り待ち受けていた。少年のいる床より数段高いところに設置された椅子は、豪華で見るものに威圧を与える装飾が施されていた。それに座る者は巨大な角を生やし口から牙が伸び毛深い。そしてなんと言っても体が大きく手足が太い。その身長は少年の五倍はあるだろう。

 少年がその者の前で片膝を突くと部屋の主は重々しく口を開いた。


「良く来たな、スバラータ将軍。いや、タケカワキョウノスケ。このたびの働きは見事であった」


「はっ、お褒めにあずかり恐悦至極。しかし、此度の私の働きなど陛下に賜ったご恩に比べればたいしたことではございません」


「そう、自分への評価を矮小することもない。予はおまえのことを十人の将軍の中で一番信頼している」


「もったいなきお言葉」


「そこで、キョウノスケ。反乱軍共が近々総決戦を挑んでくるという情報がある。それに対処するこちらの軍の総指揮をおまえに任せようと思う。どうだ、引き受けてくれるか?」


「是も非もありません。陛下はただ私にやれと命令をくださればいいのです」


「頼もしいことを言ってくれるなキョウノスケ。では命令する、スバラータ将軍。我が軍十万人の指揮を執り、人間、エルフ、ドワーフの烏合の衆である反乱軍共を蹴散らして参れ」


「ははっ! 陛下のためこの国のため、この武川京ノ助、身を粉にして働きます」

 そう言って少年は立ち上がり主に一礼すると、来たときと同じように黒いマントを翻して部屋をあとにした。


 そこで僕は目をさました。夢というにはあまりにもはっきりしていて、まるで映画のワンシーンを見ているようだった。

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