本当の任務Ⅲ

 レナード。


 この町にやって来てからその名を口にしたのは、もしかしたら初めてかもしれない。


「お前にはこんなものよりも包丁の方が似合ってるんじゃないか?」


 僕は左手のブレードを遠くの方へ放り投げると、右手のナイフは後ろのシースに収めた。


「いつから気付いてた?」


 黒マントはレナードの声でそう答えると、両手でフードを脱いだ。


 そこにはいけ好かない男の見慣れた顔があった。だがその表情はその男のものとしては初めて見る鋭いものであった。


「確信したのは最近だよ。でも、ずっと妙だった。最初、お前の店で聞いた話だ」

「人が吸血鬼に攫われてるって、あれね。あれは失敗だった。なんせあの時ナナちゃんの名前しか耳にしてなかったからさ」


 そこでようやくいつものように、嫌らしい笑みを浮かべる。


「ったく……手加減してくれよな、国軍特殊討伐部隊所属コードネーム、ツルギ殿。その有名な名を先に聞いていたらもう少し考えたさ」


 レナードは少し大げさに引きつった表情をしながら、腹をさすった。


「違う。今は〝元〟だ」


 〝ツルギ〟とは剣を主として使用する部隊の中でも特に貢献度の高い兵士に送られる称号。


 思えば笑ってしまうくらい単純で、馬鹿にされているのかと疑ってしまうくらいにわかり易い。


 数あるコードネームの中で銃や大砲等に比べると取り分け敵に接近する必要がある剣の部隊は、その称号の価値というものが根本的に異なる。危険度が大きい分死亡率が高いからだ。


 僕は知識としてそれを知っていた。僕が扱うのは「ツルギ」ではなく、「カタナ」だ、と心の中で嘯いてやったことも覚えている。思い出したのではなく、覚えていながら今までまったく意に介さなかった。

 

 そう、考え始めると軽く頭が痛むのがわかった。いけない。今は余計なことを考えてはいけない。


「それを知っているお前は……」


 訊かなくとも分かった。軍の、それもこんな特殊な部隊の情報、知っている人間は限られる。


「うん、俺も元軍の人間さ。それもお前と同じ部隊のね」

「それで、あの吸血鬼の女もこれが僕の本当の名ではないと知っていたのか」

「そう、俺が教えた。まあお前にそんなに危険があるようには見えなかったが、そんな物騒な名を名乗っている以上、一応念の為にな」

「女に会いに行っているとは聞いてたが、とんだお姫様だったな」

「良い女だったろう」


 口角を微かに上げて返って来た戯言を僕は無視する。


 レナードが単なる噂話に金棒を引かせた理由、そんなものは一つしか考えられなかった。


 女を守る為だ。もともと町民の近づかない場所であるこの時計塔を吸血鬼の隠し場所にしたものの、外から来る人間までは動きの予測がつかない。だから余所者にはそんな少し大げさな話をしておく。


 レナードの話とシエナの反応の差、その不自然さの正体がこれだ。


 そして吸血鬼の「後悔しそうな奴をどうすべきか」という質問に対し僕が不快感を覚えたのは、その質問がこの男を慮ってのことだとわかってしまったからだ。

 レナードは鬼である自身を匿うことによって国に背いている。だがそれで助かっている反面、そんな男のことを想うが為に葛藤があったのであろう。


 そんな優しい心を持った鬼であることを俺は否定したかった。場合によっては殺すことになるのかもしれないのだから。


 心のどこかで願っていた。そんな優しい心を持ってくれるなと。お願いだから非情でいてくれと。だから言葉の端々でこの男に対する優しさが見え隠れする度に苛立ちを禁じえなかったのだ。


 すべては自分の為。


 あの吸血鬼のこの男に向けられるたった一つの優しさは、けれども、今まで殺めてきた幾百の鬼たちに対して、僕が目を背けてきた幾百の優しさのうちの一つに他ならなかった。


 誰にだって優しい心を持って接する相手がいる。いくら自分に都合の良いことを願おうとも、それは当たり前のことだ。そんな愛情や想い諸共僕は血と一緒に薙ぎ払ってきた。


 もう嫌だ。


 僕にこいつらは殺せない。


「ちなみに俺は何て呼ばれていたと思う?」


 僕の考えていることを知る筈もないレナードは会話を進める。

 それは僕と同じ部隊に所属していた時の名前のことであろうが、わかる筈もない。


「レナードさ」


 答えるつもりのない僕が答えるよりも早く、レナードは自分で答えた。


「ただのレナード。たまに頭に〝役立たずの〟が付いていたっけな、はは」

「お前は何故軍を抜けたんだ」

「自分から嫌になって辞めたんだ」


 詳細を尋ねようとしない僕に対し、薄い笑みを浮かべたかと思うとレナードは言葉を続けた。


「俺はさ、正直出来が悪かった。それでもあの部隊は常に人手不足だ、いくら出来が悪かろうと向こうから辞めさせられることはなかったさ。戦う以外の雑用なんて山ほどあるしな。それに作戦中は役立たずとはいえ俺には料理という特技がある。たびたび駐屯地の炊飯係を任せられたよ。その時くらいかな仲間たちは口に出して褒めはしなかったけど、食事の時の表情を見て、少しは役に立ってると思ったもんだ。でもそれまでだ。ある日俺が夜中に翌朝の食事の準備をしている時だった……」


 そこでレナードは表情を硬くし、声色を低く曇らせた。内容までは想像が付かないが、良くない話をしようとしていることだけは確信できた。


「物音がしたんだ。もうあの時の緊張といったらなかったね。俺は恐る恐る物音がした食糧庫へ行くとそこにはガキが二人いた。男の子と女の子の鬼だ。ほっとした俺をよそにその子らは体を寄せ合ってこの世の終わりみたいな顔してたぜ。思わず笑っちまったよ。笑ったままこう言ってやった。何か食べるか? ってな」


「その子たちは……」

「ああ、殺されたよ」

 勿体ぶりはせず、あっけらかんとレナードは答えた。

「結局後でバレて見せしめにね。相手に対してじゃない。俺たちに対してだ。同情は必要無いってことだ」


 その鬼の子供たちもそこが危険な場所だということくらいわかっていたはずだ。恐らく、頼れる親を失い、空腹からどうしようもなく忍び込んだのであろう。その様子がありありと浮かんだ。


「そのガキ共な、俺が余り物で簡単な料理を作ってやると、最初は警戒してたが、余程腹を空かせていたんだろうなぁ、奪い合うように食べ始めたよ。それでみるみる笑顔になっていくのがわかった。それを見て笑い返してやりたかったが、涙しか出なくてよ。本当だったら今の俺みたいに『良かった』ってな、言ってやるところなのに。その時だ。軍を抜けようと決心したのは。抜ける時、直属の上官に向かって俺はなんて言ったと思う?」

「さあな」

「そん時言ってやったぜ。あんたらの耳障りな妄言にはうんざりだ。ってな」


 そこで僕とレナードは示し合わせたかのように薄い笑みを作った。僕も今の仕事に就くことになっていなければ、そのくらい言っておきたかったものだ。


「もちろんすぐに上官からぶん殴られたけど、不敬罪に問われなかっただけ良かった。本当は国王様に直接言ってやりたかったが、そうしたら今度こそ俺の人生はその時そこで終わってたな」

 

 レナードは未だ薄い笑みを残したまま、吹き抜けになっている時計塔の先を仰いだ。


「でも結局こうなっちまうんだな、まさか国の人間がこんな片田舎に派遣されて来るなんて。来るなら来るって前もって言っておいてくれよ。日頃から覚悟はしていたが、にしてもある程度の心構えは欲しい」

「お前だって気付いていながら黙っていたんだ、お互い様だ」

「まあな、でも戦場だけが取り柄の武闘派集団だと思っていたからな、俺の失敗があったとはいえ、それでまさかバレるとは思わなかった……。そうそう、シエナの宿で王様の召使を皮肉ったゲームをしたんだが、お前、席を外しちまうんだもんなぁ。せっかく反応を見てやろうと思ったのに」

「あの下らない遊びか。召使というよりは下僕だ。それこそ国家の犬って言われた方が正しいけどな」

「そのクセ、いらないタイミングで戻ってきやがる」

「犬は鼻が利くのさ」

「そうかい。でもそう自分で主張する奴に限って、女からの好意には絶望的に察しが悪かったりするんだよなぁ」


「その子供たちのこと、後悔はしていないのか?」

「もちろん、助けられなかったガキ共のことは後悔しかない。でも辞めて良かったと思ってるよ。俺は今までさんざん自分のために自分の悪いところを隠したり、嘘を言ったりしてきたが、今は大切なものを守る為にそうしようとしてる。大切なものを守る為なら嘘も吐くし、隠すし、必要なら他人だって傷付ける。近くのものを守れなかった俺だ。少しばかり遠くのものを犠牲にしたって神様は許してくれるだろう?」

「さあな」


 己の口ぶりとは裏腹に、強いと思った。


 この世界の神は、たとえたった一つであれ、犯した過ちには相応の罰を与える。


 それをわかっていながらも未だ笑みを浮かべる目の前の青年は、単に諦めからくる暗い感情から目を背けているわけではなく、真っすぐに見据えた上で暗い未来を受け入れているのだ。


 それがわかるからこそ強いとも思えたし、だからその後に続く言葉も容易に想像できた。


「で? そろそろ仕事をしたらどうだい? 俺はこのまま殺されるのか、捕らえられるのか、できれば後者がいいなぁ」

「言っただろう? 〝元〟だって。今の僕の仕事はここまでだ。国には適当に報告するが、その間に逃げるのはお前たちの勝手だ」

「助かる」

「お前たちの為じゃない」


 静かに呟くような礼に、僕自身の為だ、と、それは心の中でだけ言っておいた。


 そうだ。これで良い。僕はもう誰も傷つけない。いつまでも国家の犬だと思ったら大間違いだ。僕は人間だ。悪いが僕は僕のやり方でやらせてもらう。


 これ以上何かを話すつもりも無く、僕は時計塔の出口へと向かう。


「待て!」


 透き通るような女の声が塔内に響いた。

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