本当の任務Ⅱ

 翌朝、僕は再び時計塔の扉の前にいた。


 一晩経った今も空は雨脚を弱めることなく容赦なく打ち付けており、あたりは雨音に支配されている。


 結局シエナに部屋を借りた後、ナナやシエナに告げることなく、こっそり宿を抜け出していた。行くところのない僕は夜は草原にあった古い無人の牛舎で明かした。


 間違っても人が生活できる環境とはいえない場所ではあったが、そのような場所で一晩寝るくらい、今までの経験からかそこまで抵抗が無かった。いや、そんなことが気にならなくなるくらいに、僕の心に余裕が無かったのかもしれない。


 暗い景色。湿った身体。


 牛舎の中で横になると、次々と古い感覚が呼び起こされ、今の僕に重なっていった。


 耳に届く雨音。埃っぽい空気。


 徐々にその感覚が馴染み始めると、今度は今、ナナと過ごした数か月の出来事が霞み、色褪せていくのがわかった。


 このまま失くしてしまうのは嫌だ。

 だから僕は、僕のやるべきことを遂行する。

 僕の「今」の居場所へ帰る為にも。


 塔の扉を射抜かんばかりに睨みつけ、手を触れる。


 恐らく今の時間なら、あるいは予想が正しければ、あの吸血鬼の仲間が、今回の事件の犯人が、いるはずだ。


 勿論、塔の付近で張っていればその犯人に出くわすことができたのかもしれない。だが、確信があっても証拠がない。しらばっくれられてしまえばそれまでだ。現場を押さえる必要があった。


 両手に力を込めて扉を開く。


 あんなにも軽かった扉が今度は不思議と重く感じた。


 時計塔の中に入ってすぐに僕はナイフの柄を握った。視線は地面。這うようになぞっていき、階段の方へと視線をやる。


 乾いた石の床に点々と濡れた足跡が付いていた。まだ真新しい。歩幅と靴跡から見て男だ。軍に従事していた以前のことは何も思い出せないクセに、戦場で培ったそんなことだけはすぐに記憶から引き出せた。


 だが、自嘲している暇はない。


 頭上の方で微かに煌めく光が目に入ったからだ。


 音は無く。


 それがはためく漆黒の布に覆われた何かから突き出ている一筋の刃だと認識した時には僕の体は勝手に動いていた。


 刃が僕の体に触れる前に、握ったままの柄をシースから引き抜き、その抜き身で襲い掛かる刃を受ける。戦いから遠ざかってなお、息をするように体が動く。その染み付いた動きが自身を助けたにもかかわらず、忌々しい以外の感情が起こらなかった。


 金属同士がぶつかる甲高い音が時計塔の中を劈いた。


 そしてその反響音が鳴りやむ前に漆黒の主は後ろに飛び退き、手の刃を構え直す。


 そこで初めて相手の手にする獲物の全貌が明らかとなる。

 僕の持つナイフの三倍はあろうかという刀身のブレード。わずかな動きでぬらりと輝き、鋭い刃は凄惨な笑みを見せた。間違いない。こいつが調査人を襲った犯人だ。こうしていきなり襲い掛かってくれる分には都合が良い。これで無理に問いただす必要はなくなった。


 ブレードを手にする人物は漆黒のマントを身にまとい、顔全体を同じ色のフードで覆い隠している。


 正面からなら顔が伺える筈だと思ったが、窓しかの光源しか無い薄暗い時計塔の中でフードの陰になってしまっている為、いまいち判然としない。だが、顔を見る必要は無い。


 黒マントはじりじりと数度すり足で間合いを詰めると、今度は正面から飛び掛かる。


 襲い来る突きの軌道をナイフの腹で逸らし、やり過ごすと、僕のすぐ横をかすめるようにして通り過ぎた黒マントは片足を軸に体を回転させ、振り向きざまにブレードを薙ぐ。僕はそれが体に届く寸前で受ける。


 体は戦いを忘れていない。勝手に動く。


 相手もそれなりの技術を持っているようだが、僕程ではない。だが、持っている獲物が違い過ぎる。相手の間合いは僕の三倍。反撃しようにも僕の間合い外からの攻撃を受ける一方で、なかなか機が無い。


 それなら……。


 何合か相手の攻撃を受けきった後、右から来る斬撃をナイフで受け、そのまま相手の刃を押さえつけるようにしてナイフを滑らし、懐に飛び込んだ。黒マントは一瞬驚いたかのように迷いを見せブレードを構え直そうとしたが、もう遅い。それよりも早く、僕は黒マントの腹に渾身の蹴りを入れてやる。


 黒マントは「ぐっ!」と空気と共に苦悶の声を漏らし、反動で仰向けに倒れた。


 力量が違えば武器でのハンデなどどうとでもなる。


 僕が現役時代に使用していた武器、「刀」でやりあっていたならば、一合目で首を刎ねることができた自信がある。一撃で頭と胴体を切り離してしまえば紛うことなく即死だ。


 極力少ない動作で相手を死なせる技術。それは無駄に体力を使用しないという合理的理由というよりも、僕の場合は中途半端に傷を与え、苦しませながら殺すのが嫌だという、身勝手な理由の方が大きかった。


 それでも周りからの評価は当たり前のように「殺す技術」に優れた者として見られるばかりか、著しく力量に乏しい者たちからは畏怖と羨望の眼差しさえ向けられた。


 妬みから出る杭を打とうともせず、笑ってしまうほど純粋で、でも僕からするとそんなものに憧れを抱く者たちの方が恐ろしかった。


 それは国に対する妄信というよりも、むしろそこまで考えの及ばぬ者たちが知らず知らず強者によって黒く醜く染められているという、奇妙な恐ろしさも混ざっていた。


 あの時、僕には後が無かった。


 生きていくには刀を握るしか。


 周りから評価されていたその刀の腕も、まさしく虚仮の一念ともいえる産物であった。


 それしかやれることが無かったのだ。着実にその地歩を占めていったところで、僕の中の何かが満たされるはずもなかった。


 それよりもむしろ。

 血濡れた成果を得る度に、何か大切なもを失くしているようであった。


 何故軍に入ったかは未だ思い出せない。だが、自ら望んでのことでなかったことは確かである筈だ。そうでなければ、こんなにも苦しい思いをする筈はない。


 牛舎で一晩中考えて出た結論は、そんなお粗末な言い訳だけであった。あるいは単なる切望か。


 黒マントはよろよろと左手で腹を押さえながら体を起こすと、蹴られた衝撃で落としてしまったブレードに手を伸ばす。


 僕はすかさず、足でブレードの柄を蹴り上げると、宙に舞ったそれをナイフとは反対の左手で掴み、黒マントのフードで覆われた首筋に刃を当てた。


「これまでだ」


 声を聞くなり、黒マントは諦めたように両手と頭をだらりと下げ、動かなくなった。


「驚いた。なかなかやるじゃないか」


 僕は自身に及ばずとも優越な動きを見せた相手を軽く称賛し、その犯人の名を呼ぶ。


「レナード」

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