雨の景色と、吸血鬼の願いⅢ
「おぬし、後悔はしたことがあるか?」
女は構わず問いかける。
それは最近よく聞く話題だ。
「後悔ならたくさんした」そんな決まりきった返答も、この女に対しては勿論初めてではある筈だが、そんな返答を繰り返し行う自分にうんざりしてしまっている僕は、
「後悔していない奴なんていない」
そう答えた。
「そうか、では……」
僕の中身の無い返答を簡単に聞き流すと、なおも女は続ける。
「目の前の後悔しそうな奴を、おぬしならどうする?」
まるで禅問答のような問いに僕は苛立ちを禁じえなかった。意味が分からないからではない。わかるからこそ、その飄々とした問い掛けに不快を覚えた。
「それは僕の、今の僕に対する内容か? まさか遠回しに自分を殺せば後になって後悔するぞとでも諭しているつもりだろうが、もしそうなら手遅れだ。さんざん煽っておいてよく言えたものだな」
だから僕はあえて間違えた解釈をしてみせる。
「いやいや違う。知り合いにな、そんな奴がおって迷っているところじゃ」
女は付け加える。口調とは裏腹に全く慌てる様子はない。
「その相手が大切なら相手の気持ちを踏みにじってでも助けてやる。本当にただの知り合い程度の人間なら助言だけしてやる、あとは知らない。僕ならそうするよ」
「ほう、なるほどな」
自分で言っておいてそんな状況の時、僕が本当にそうするかは怪しいところだが、そんな適当な回答を女は噛みしめるように聞いていた。
「そういえば、名を、聞いておらんかったのう」
「ツルギだ」
少し憚られたが、先に名乗られてしまっている以上最低限の礼儀として答えておく。別に名を知られたところで何か不都合があるわけではない。
「ツルギ……おぬし……何というか……」
女は何か言いたげに僕を眺めた。まるで舐め回すかのように。先程からそんな視線は気になっていたが、それがより顕著になる。
「何だ」
「いやな。おぬし、もう少し近くに……」
女は艶めかしい表情と手つきで手招きした。
何のつもりかわからない。
だが、僕は言われた通りに女の近くに行く。まるで地獄からの手招きにも思えた。
女が吸血鬼の牙を剥けば、それはそれでこの女を正式な敵として認めることができる。どうせ国に売るならば、下衆であってくれればその方が良い。
「もう少し……」
十分に近づいた筈だが、女はなおも僕を手招きする。
そして互いの手の届く所まできたかと思うと、女は僕の首に手を掛け、ずいと自分の方へ引き寄せた。
そして僕の首筋に顔を近付けると、舌をべろりと這わせた。
「何をする!」
僕はハッとして不意に飛び退いた。
咄嗟にナイフの柄を掴み、刀身を半分ほど引き抜くと、そのままの態勢で相手を見据える。
反対の手で首筋の唾液を拭った。
「ふふっ」
そんな僕の様子に女は吹き出すように笑った。
声だけ聴けば幼く、少女の無邪気なものにも感じる。
「くふふふふふ」
「何が可笑しい」
「おぬし、血の匂いがする」
「血の匂いだと?」
僕の問いに女の凄惨な口元がより酷く歪む。
「味もな、一人二人ではない。幾百、幾千もの無残な血が染み付いておるわ」
「何を……」
「おぬしはわらわ以上に鬼じゃ」
僕が鬼だと?
「僕はお前らとは違う!」
反論に意味を持たせられないのがもどかしい。でも、それでもそう言うしかなかった。
「では、おぬしはわらわのことを、鬼たちのことを真に理解しておるのか? わらわですらおぬしのことがわからぬというのに」
「僕がわからない? 僕は人間だ! お前らのような化け物とは違う!」
「化け物」。自分で言ってしまってからとても許しがたいことを口にしたことに、壮絶な罪悪感が湧き上がる。
何故そんなことを僕はいとも簡単に……。
頭の中をナナの顔が幾度もよぎる。
そこに映し出される表情に笑顔は一つもなかった。
違う。違うんだナナ。僕はそういうつもりでは……。
「本当にそうか? おぬしとて、本当の名すら教えてくれておらんじゃろう。よもやその物騒なものが真名と申すか?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。
言葉の意味を理解しながらも、僕の頭は空を掴むように何かを探していた。
「何を言っている……僕は…………」
ツルギ。
頭の中で反芻した自身の名に酷い違和感を覚える。
ツルギ。
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