雨の景色と、吸血鬼の願いⅡ

 石の壁に背を付けるようにして見るからに気だるそうに座り込むのは、一人の女であった。


 雪のように白い長髪に何か赤い服を身にまとっている。


 形から見てそれは「キモノ」と呼ばれる東方の島国のものだ。

 近所のばあさんから見せて貰ったことがある。予備知識がなければそれだけでも十分奇妙に思ったことだろう。


 花や蝶のあしらわれた濃い色のキモノに輝くような白い髪がよく映える。


 奇妙と言えば、こんなところにこんな格好をした女がいること自体奇妙であることに変わりはないが、だが不思議とずっと以前からそこにいる存在のようにも思えた。


 僕はその姿を視界から外さないようにしながら階段を登り切り、距離を置きながら女の目の前まで歩く。


 微動だにしない表情の女の首だけが僕の動きに合わせて微かに動いた。


 当たり前のように存在するその姿に、僕は一縷の不条理さを感じることさえ忘れ、ただただ希薄な思考の中でその艶やかな姿を眼球に映し取っていた。


 鬼だ。


 素性を尋ねるでもなく、僕はただそう認識した。


 女を囲むようにして踊り場の床に遠慮なく振りまかれた白髪と、その頭から延びる白枝のような歪に枝分かれした、鹿のそれに似た角が証明していた。


「お前、その角は本物か?」


 それでも一応問う。


 手の込んだ悪戯という可能性は無いだろうが。先程から僕の存在に気付いているであろう女はその声で初めてこちらに反応し、薄く濡れた丸いガラスのような目で見据えると、スッと瞼を細くした。


 それは一見柔らかくもあり、獲物に向けられるおぞましいものにも思える至極妙なものであった。


「触って、みるかの?」


 透き通るような声であった。


 女はそう嘲りながら自身の角を指先でつっと、いやらしく撫でた。


 僕はその様子を見てついに心の中で舌打ちをした。


「ふざけるな、鬼が」

「そう、わらわは鬼じゃ。紛うことなき。だが名前ならちゃんとある。レンカという」


 そんなことを言われたところで僕はその名を呼ぶ気などない。


 鬼という存在に対してくだらない先入観からくる敵対心は無いが、その余裕のある態度が妙に鼻に付いた。それとは対照的に穏やかではない僕の心が必要以上に風当りを強くさせる。まったく僕がどういう思いでこの数日を過ごしたと思っている。


「ところでおぬしは何者じゃ?」

「お前を退治しに来た政府の人間だ」


 だから僕は必要以上に敵対する言葉でもってその問いに答えてしまう。


 退治するのか、そもそも今の僕にできるであろうか、そんな結論も出ないままに。


「ふふっ。そうか」


 だが女は怯えを見せるどころか笑った。楽しそうにも見える表情で。

 あやされた子供のようなその嬌笑はしかし、心中穏やかではない僕には酷く凄惨なものに思えてならなかった。


「何が可笑しい」

「可笑しくなどありはせん。ただそろそろかと、そう思っていた矢先じゃったからな。まああんなことがあれば無理もない。遅かったくらいじゃ」


 それは先の調査人負傷の件であろう。


 やはりこの女が危険な存在であることに変わりはない。だがそれを理解したうえでの笑みだというならば、それは諦めと自嘲を含んだものであろうか、その達観した様子がますます気に入らない。


 馬鹿にしやがって。


「わらわの元に来るのは良いが、朝はやめておけ。朝はわらわの食事の時間じゃ。先日に来たあの者たちのようになりたくなかったら今ほどの時間になってから来るがよい。他の者にもそう伝えておけ」

「知るか。それにお前は僕に殺されるかもしれないんだぞ。今この場で」

「そうか、そうじゃった。ふふふ」


 女はなおも笑う。僕が敵対心を見せれば見せるほど、反対にこちらが惨めに感じられた。

 目の前でナイフの刀身を抜いて見せればそんな態度も幾分かは改まるであろうか。


「そこでな、おぬしにお願いがある」

「お願いだと?」


 どこまでも人を馬鹿にしている。


「そうじゃ。おぬし、わらわを見逃してはくれぬか?」


 今の話の流れでどうしてそのようなお願いができるのであろう。僕にはそれが依然として僕を嘲る言葉として聞こえてならなかった。


「僕の話聞いてなかったのか?」

「聞いておった、聞いておった。だから、こうしてお願いしておる」

「それで、僕がその願いを聞き入れるとでも思うのか?」

「それもそうじゃの……それではおぬしはこのことを上の人間へ報告に行け。その上で改めて仲間を引き連れて今一度来るがよい。その頃にはわらわはドロンという寸法じゃ」


 それは密かに僕が頭の中で思い描いていたものでもあった。


 命令も一応は果たしているわけだし、僕自身が手を汚さずに済む。討伐隊として新たに僕が選ばれる可能性もあるが、一度は退役した身だ、いくらでも弁解と抗弁が許されるだろう。

 

 それにしてもこの女、口を開けば開くほど自分の首を絞めていることに気が付いていないのであろうか。

 

 その澄ました様子も先を見据えてというわけではなく、状況把握に乏しいただの愚かさゆえのものであろうか。


 その提案に乗る旨の発言は虫が好かなかったのであえて触れようとはせず、壁側にいる女とは反対に僕は踊り場の鉄製の手すりに背を付け、腰を落ち着ける。結論を出す前に色々と聞きたいこともあった。


 シャツ越しに伝わる鉄の感触が嫌に冷たかった。


「まあ妙案は後程色々と考えるとしよう。その前に少しわらわとお話ししてはくれぬか? ここに来る人間は少なくての、退屈なんじゃ」


 動機こそ違えど、それは相手の望むとこでもあったらしい。


「お前、随分と余裕だな」

「余裕? わらわがか? そんなことありはせんよ。ただ覚悟しておるだけじゃ。日頃からの」


 覚悟だと? それは大層なことだ。


「お前、他にも仲間がいるな?」

「ほう、何故そう思った」


 その反応を肯定と受け取った僕はわけを説明する。


「とてもじゃないが、女が、そんな恰好で大の男二人を返り討ちになんてできない」

 僕は女の艶やかなキモノを顎でしゃくった。


「それに二人を相手にできる者が一人で来た僕に対して見逃してくれなんてお願いはしない、そうだろ?」


 自分で言うのも何だが、僕は見た目だけ見ればとても元軍人とは思えない青瓢箪だ。

 あの変わり者のじいさんを除けば、そんな血なまぐさい経験を積んだ人間と評する者はそういないだろう。


「まあそうじゃの」

 女はあっさりと、むしろ感心したような態度でそれを認めた。


「仲間はどこだ?」

「さあ。わらわは滅多にここから出なんだから、あやつがどこでどうしているかなどわかりゃあせん。ただ、朝になればここに来るぞ。毎朝のように、わらわに血を献上する為にな。ふふふ」


 それは吸血鬼の獲物となる人間を攫って来るという意味であろうか。


 この女に仕えている家来のような者が。いや、違う。女の言葉を聞いた僕の中で一つの答えがまとまりつつあった。


 女子供の誘拐事件。調査人負傷で戸惑うシエナと町の住人。血を献上するという協力者来訪。そしてその時間帯。


 ずっと感じていた吸血鬼騒動の違和感。その正体が、霧が晴れていくように。そしてやがては確信に変わる。


 いや僕はわかっていた筈だ。わかっていたのにあえてシエナに問わなかった。だが確証が持てた今、そうなれば、次の行動は決まっている。いい加減往生際が悪いのはここまでだ。


「ところでわらわも質問をしてよいか?」

 思案で黙る僕をよそに女が伺う。


 今はこの女に構っている暇はない。だが女は僕の返答を待たず、言葉を続けた。不快な笑みを滲ませて。

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