募る恐怖と深まる疑念Ⅲ

 僕の仕事内容を聞いて安堵を見せるシエナ。自分の言葉に恥ずかしそうにはにかむ彼女をよそに、僕はある種の違和感を感じていた。


 だがそれは今に始まったことではなかった。この町に滞在しているあいだ、常に頭の隅のどこかでもやもやと漂っていた。


「どうして?」

「だって、そんな危ないこと……」

 そこまで言いかけてシエナは言葉を飲み込む。


「調査に行った人たちが怪我をした時、町の皆大騒ぎだったよね? 珍しいことなの? あんな風に怪我人が出たの」


 僕は問いただしたい衝動を抑え、けれども未練たらしく遠回しに尋ねることにする。紫煙のように淡く漂う違和感の存在。あからさまにその存在を表に出してしまえば、相手に警戒心を抱かせてしまうことになるのだから。


「珍しいも何も初めてでした。だから正直わたしも戸惑ってしまって」

「シエナは僕が危ないことをするのがそんなに心配?」

「え?」

 シエナは弾かれたように面を上げ声を詰まらせた。


 しばらくその表情のまま僕の顔を見つめたかと思うと、僕が口元に軽い笑みを作ったことに気が付き、今度はナナが普段機嫌を損ねる時にするように頬を膨らませた。


「ツルギさんって意地悪ですね」


 常々自覚はあるが、ナナ以外の女性の口から聞くとは珍しい。


「今更気付いた?」

「前からなーんとなく気付いてました」


 シエナは頬を膨らませたままそっぽを向いた。


 少し怒らせてしまったらしいが、曇った表情をされるよりはマシだ。それにあまり真剣になり過ぎても警戒されてしまう。それでなくとも僕の表情は普段から硬いのだから。

 だが、ナナに対しても含め、こんなやり方しかできない僕は如何なものだろう。


「ごめんごめん、悪気はないんだ」

「悪気が無い方が罪ですよ。あの時のお花も別にわたしの為にわざわざ用意したわけではないんですよね? ほんとはわかってるんですから」

「まあね」


 こちらに関しては嘘を吐く理由も無かったので正直に答えた。するとシエナは少し悲し気に目を伏せてしまう。


「でもシエナに渡せて良かったとは思ってるよ」

「どうしてです?」

「綺麗な花が似合うから」


 それを聞いたシエナは最後まで目を伏せたままこちらを見ようとしなかった。


「意地悪……」


 それからグラスの水を飲み干すまでの少しのあいだ、シエナと共にロビーで過ごした。


  *  *  *


「よろしかったらこれからわたしの部屋に来ませんか?」


 一段落ついて自室へ戻ろうと階段に差し掛かった時、シエナが唐突に口にした。


 僕は片足を段差に乗せたまま思わず固まってしまった。


「ツルギさんの故郷の話、わたしの知らない外の話、もっと聞きたいんです。部屋でしたらもう少し普通に声を出して話せますし」

「シエナ、君は変に僕を信用しているけど、あまり良くないんじゃないかなぁ。そういうの」

「も、もちろん、わたしだってこんなこと男性の方に言うのは初めてです!」


 僕が冷静に言葉を返すと、シエナは急に慌てたように声を裏返した。


「わたしだってわかってるつもりです。そんなこと。でもツルギさんなら信頼できると思ったから言ってみただけです。何も考え無しに言いませんよこんなこと」


 慌てたかと思うと、次に続く言葉は妙に落ち着いており、まるで自身に言い聞かせるような話し方であった。


 シエナのことを思って言ったつもりであったが、反対に彼女のことを貶めているように取られてしまったようだ。何とも難しい。


 だがシエナは間違っている。信頼や信用とは実績の積み重ねだ。

 そこには必然とある一定の時間というものが伴ってくる。出会ってひと月も経たない僕がそんな対象として見られるわけがない。


「シエナ、君が思うほど僕は信用に足る人間じゃないよ。前も今も褒められたことをしているとは言えないしね」

「では、わたしからも何かを奪いますか?」

「かもしれない」


 彼女に考え直して貰いたくてできもしないことを僕は口にする。


「大丈夫です。わたしはこう見えてしっかり者ってよく言われるんですよ? ツルギさんが考えるほど弱い女じゃありません」


 それは言われずとも兼ねてから僕が抱いていた彼女へ対する感想だ。


「シエナ、違うよ。僕がその気になったら君に抵抗する術は無い。君は気付かないまま僕から奪われるんだ。失ったということをね。それを確かめることも、昼間のフィリーネのように後悔することもできない。怖くないかい?」

「怖いです」

「そう、じゃあ……」


 瞳に凄みを残したまま、誘導尋問のようにシエナの口から出させた言葉に予め決めておいた締めくくりの言葉を加えようとするが、

「でも」

 それよりも早く、シエナは僕の言葉を遮る。


「それでも、良いんです。わたしにとってこんな機会を失うことの方が怖いことだから」


 それほどまでに、彼女は未知の世界に憧れるのであろうか。


 僕だって幼い頃はまだ見ぬ未知への憧れというか、子供特有の怖いもの見たさからくる好奇心というものがあって、よく冒険をしたものだ。

 町からは決して出ない、それこそ小さな冒険ではあったが。何故そんなものに執着したかと改めて問われると、やはりわからない。それこそ幼い時分の僕自身に問い掛けたい。


「例えツルギさんにわたしの大切なものを奪われようと、代わりに得るものもわたしにとって大切なものになるはずだから」


 出会った当初に感じた謙虚で申し訳なさそうにしていたシエナはもうそこにいなかった。でもこれは恐らく多分に僕の責任だ。僕が変にからかったりなんかするから彼女がこうなってしまった。


「わかった。少しだけなら……」


 罪悪感と後悔がじわりと込み上げ、こんな様子のシエナを見ていられない一心で折れることにする。ナナに知られたら何と説明しよう。


 そんな僕の心中を知るわけもないシエナは、

「はい!」

 と今までで一番明るい笑顔を見せた。それが薄闇の中でもわかるほどに。


「こちらです」


 シエナに先導されながら階段を上り、三階へ上がる。


 どうやらシエナの部屋はこの三階にあるようだ。階段から続く廊下の部屋番号を順に眺めていると一番奥の部屋だけが何の番号も記されていない。


「……どうぞ」


 扉を開ける時、シエナは一瞬きまり悪げな表情を見せたが、僕を部屋に招き入れる。


「…………」


 さて。どうしてこうなった。

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